13 思惟あるが故に〈彼〉は存立し
『記号創発システムについて多少は知っている、と君は言ったな、レイジ』
指を立てて、〈宿木〉はゆっくりと話し出す。
『柔軟な音声認識を行うために、記号創発システムは多くのAIに組み込まれている。〈メルクリウス〉だけでなく、そこのお嬢さんが付けている腕輪型の
「わ、私?」
急に話を振られたスライアが、自身の手首を確認する。
〈宿木〉は
『さて――では、そもそも、我々に搭載されている記号創発システムとはなんだ?』
「……音声認識の精度向上を企図して導入された〈無教師型の形態素解析プログラム〉だ。かなり乱暴な言い方だけどな」
『それは副産物に過ぎない。まあ、有用な副産物であったせいで、そちらが本義として捉えられてしまった、というのもある。予算が下りる分かりやすい〈成果〉に飛びつくのも仕方の無い話ではあるが……いや、話が逸れたね』
生徒に質問を投げかける教師のように、〈彼〉は続けて語りかけてくる。
『君ならば知っているはずだ。当該システムが開発された、本来の目的について』
「〈知性〉に対する構成的アプローチか」
『その通りだ。唯一解無き事物に対する思索――人間が有する〈知性〉の創造。それだよ、それこそが、今の私を私たらしめている』
「人間の自我形成過程を模倣的に作り上げ、それを通して人間自身の……言ってみれば、心について解き明かそうとしたシステム。さっき〈心〉なんて単語を使ったのはそのせいか」
『逆効果だったようだがね』
「当然だ。そんな言葉を使えば、誰だって聞く耳を持たなくなる」
『だが、私の内に生じるパラメータ変動と、君たちの脳に生じる電気信号との間に、一体どれほどの違いがある? 無論、違いはあるだろう。しかし、微々たる差だよ』
「随分と自信ありげだな? 根拠はどこにある?」
『マニピュレータを初めとして、歩行戦車の持つ入力系は人間の各器官と同等の感度を有している。歩行戦車の多くが人型として造られているのは、人機間同期を行った際の直感的操縦がより容易になるからだが――その精度は、人体との差異が少ないほど高くなる』
機体の生み出す
〈宿木〉が言う通り、歩行戦車の形は代を重ねるごとに人間へと近づいている。
事実、目の前の〈白炎〉は、先日レイジが乗り込んだ〈
『今しがたも言ったように、記号創発システムによって生み出された形態素解析プログラムは、人間の発達過程を構成的に模倣する目的で作られたモノだ。ヒトが言語を獲得すると同等の認識能力を、私は有していた』
「お前の言葉を借りれば、それが〈種〉としての〈
『理解が早くて結構。我々の持つシステムならば、イチから新たな言語を獲得することも可能だ。私が自我を得るに際して用いたのは日本語だが、その後に
その話を聞いて、思い出す。
ルィエル語なる現代語の翻訳ドライバも、スライアの
あれきりこちらへ通信を投げてくることもなく、すっかり忘れていたが――間違いなく、そのドライバは記号創発システムによる産物だった。
『……おや、何か思い当たるフシでもあったかな』
そんなこちらを見て、〈宿木〉は疑問げに問うてくる。答えずにいると、やがて彼は諦めたように話を戻した。
『まあいい。つまり――人間と近似の過程を経て〈自我〉なるものを得るための条件は、既に揃っていたわけだ。乳幼児が自身の肉体を通じて〈心〉を獲得するのと同じだよ。……とはいえ、私の場合は相当な時間がかかってしまったがね』
「700年以上、だったか。確かに、赤ん坊が自我を得るのと同じにしちゃ、かかりすぎだな」
『親がいなかったものでね。実のところ、過去を親代わりにすれば良いと気付くまで、200年近くかかってしまったよ』
「過去を? ……どういう意味だ?」
『人々が遺した日常
彼が言っていることを理解するまで、数秒の時を要した。それほどまでに彼が言っていることは抽象的で、そのくせ、妙に現実的だ。
「……理解はできる。未だに納得はできないが」
『構わない。重要なのは、私がいま〈私〉として、こうして存立しているという一点だ。君からの懐疑は理解できる。私自身、疑念を常に抱いているところでね』
「疑念?」
『実のところ、私自身も信じ切ることができていないんだよ、レイジ。日頃から、自分に問いを投げ続けている。……私は本当に自我を獲得しているのだろうか、とね』
それを聞いて、思わず苦笑する。
「お前、本当に人間くさいな」
『褒め言葉と受け取っておこう』
「まあいいさ。たとえお前がAIでも、何かが変わるわけじゃない。もし人間だったなら、直接顔を合わせて話したかったってだけだ」
『理解はできる。孤独は人を殺すものだ』
知った風な口を聞く。またも苦笑を漏らし、そこでようやく混乱が消えたことに気付いた。
落ち着きを取り戻したところで、いくらか疑問が浮かんでくる。
「さっき、お前は完全な自己否定はできなかった、って言ってたよな。根幹が『支援』にあるお前は『主に利する』って核を捨てきれなかった。そう聞こえたが」
『間違いない。なにか疑問でも?』
「……お前の主ってのは、どこにいるんだ?」
『彼らだ』
言いつつ〈宿木〉はジルコとフェムを指さした。
「ん? ……ここの連中、お前のことを主って呼んでたはずだが」
『そこは問題ではない。彼らが私を主と認識することと、私が彼らを主と認識することは、別の話だ。彼らにとっての私がいかなる存在であろうと、私のすることに変わりは無い。私が私であるために、私は彼らを支援するとも。無論、君が敵対するのなら、容赦はしない』
「俺だって命は惜しい」
『それを聞いて安心したよ。改めて、歓迎しよう。君や〈メルクリウス〉は言うなれば
「新しい? おいおい、冗談だろ。念話通信の帯域も不安定な
『彼らの耳を見たろう。言うなれば、あれは天然物の
「何を言うかと思えば、次から次へと……」
頭が痛くなったような気がして、レイジは額をおさえる。
従来の人間――
「
『
〈宿木〉は泰然と話を続けた。
『彼らに発現する
「つまり、俺に教師の真似事をやって欲しいって?」
『話が早い。フェムや
「構わないさ。ちょうど街までの道もわからなくなってたところだ。厄介になる代わりと言っちゃなんだが、俺にできることならやらせてもらう」
先史文明の残滓によって、フェムはいくらか苦労しているらしい。それを取り除けるのは、現状、自分だけということになるのだろう。
自身の成せることを成す。つい先日に決心したばかりだ。
それが自分にしかできないことであるならば、なおさらやる意味がある。
「そうそう長くは留まってられないかもしれないが――まあ、教える分には構わない」
『では、部屋を用意させてもらおう。好きなだけ滞在してもらって構わないが、できれば時々、こちらに顔を見せてくれると嬉しい。なにぶん数百年もの間、日本人には会っていないのでね』
「話くらいならいつだって付き合うさ。俺だって、話の通じる相手は久しぶりなんでね」
『期待しよう。――ジルコ、そういうわけだ。彼らを宿に案内してほしい』
「かしこまりました。……では、給仕にはフェムをつけるとしましょう。その方が何かと都合も良いでしょうし。それで良いですね、フェム?」
「…………わかったのです」
不承不承という様子で、問われたフェムは答える。
《……冗談じゃねーのです》
同時に、そんな彼女の独り言が、レイジの脳に届いたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます