16 道標は闇に溶け去る



 目的の建物の入り口は、電子式のスライドドアによって重く閉ざされていた。隔壁にも似た頑丈な作りで、ちょっとやそっとの衝撃では壊せそうもない。


「やめとけやめとけ。そこの扉、ちっとも開きやしねえんだから。扉なのかどうかも怪しいぜ、まったく……」


 通りがかった発掘隊のメンバーがそう忠告する。だが、彼を尻目にレイジはドアに向き直った。


「まあ、やるだけやってみるさ」


 制御盤を少し触ってみるが、やはり反応は無い。

 ポーチからアーミーナイフを取り出して、ドライバー部を繰り出す。外板を固定しているネジはかなり錆び付いていたが、少し力を入れてやると案外あっさりと回すことができた。

 各種の回路パーツは劣化がひどいようだが、試す価値はある。


「――メル。お前の電源は流用できるか?」

『接続用の端子が底面に収納されています。この規模であれば可能でしょう』


 そう言ってメルは空中に浮いたまま角度を変え、端子が入っているという部分をこちらに向けた。そこから引き出した端子を、回路の一部に直接繋いでやる。


 電源が供給された鋼鉄のドアは数秒の内に駆動を開始し――速やかに来訪者たるレイジを中へと招き入れた。


「あの兄ちゃん、何者なにもんだ……?」


 中に入っていくレイジの背中に向けて愕然と発せられたつぶやきだけが、その場に残った。



   ●



 うっすらと埃が堆積した屋内を、ミニライトで照らしながら歩く。その建物はよほど機密を重視した作りなのか、採光用の窓さえ無かったのである。


「まさか、こうまで苦労しておいて収穫が無い、なんてことはないだろうな……?」


 ぼやきながらも暗闇の中を歩き続けると、やがて大きな部屋にたどり着いた。大小いくつものコンピュータが並ぶその部屋は、どうやら一種のオフィスであるらしかった。物資集積所という町の性質上、おそらくは軍関連の施設だろう。


「見たところ、大きい損傷もなさそうだが……使えるのか?」


 誰にともなく問いながらも、状態が良いコンピュータを選んで調べ始める。アーミーナイフのドライバー等で外装を取り払うと、中身の劣化は予想ほど酷くなかった。


「――メル、電源を寄越せ」

『了解』


 先ほど扉を起動したのと同じように、メルから端子を引き出す。

 見た目には単なる事務処理用機ワークステーションだが、この手の施設で使われるのは比較的高性能な物が多く、機能もそれに比して多様だ。事実、付近にはいくつかの解析装置が設置されていた。

 これが大型演算装置メインフレーム級のコンピュータともなれば必要な電圧もそれに比例して大きくなるから、電源がメルの流用であるという点も考えれば最適だと言えた。


「……動いてくれよ」


 祈るように口の中でつぶやきつつも、準備を整える。起動用のスイッチを押し込むと、かすかな振動を発しながら目の前の機械が動き出した。


 制御卓コンソールを操作し、施設の状態を確認。


「――驚いたな。通信設備が生きてるのか」


 表示された施設の状況によれば、大部分は機能を停止しているらしかったが――しかし、数少ない稼働設備の一つに、大型の通信機があった。

 だが、おそらくは表示エラーだろう。なにしろ、どれだけの年数が経っているのかさえわからないのだ。設備そのものに問題がなかったとしても電源が生きているはずがない。


「ま、試すだけは試してみるか」


 まさか使えるわけはないが、一応は確認のために起動を試みる。


 ――数瞬の間を置いて、通信設備が稼働を開始した。


「お、おいおい、動くのかよ、これ。さすがに電源が万全なまま残ってるとは思えないんだが……」

『当機に用いられている物と同形式の発電機であれば、経年劣化はほぼ無視できるレベルに留まります。おそらく、それがあるのでしょう』

「地殻変動での倒壊からも逃れて、いままで生き残ったのか。……奇跡に近いな」


 どうやらその電源は途中で断線してしまっているらしく、この棟までは届いていないようだったが――通信機が動くのなら使ってみる価値はある。


 もしかすると他にもここと同様に生き残っている施設が見つけられるかもしれない。通信機を操作し、周囲を探ってみる。

 しかし、反応はまるで無かった。


「だめか。この遺跡で生きてるのはここだけってわけだ」


 どうせ元からあまり期待はしていない。一応、捜索範囲を限界ギリギリまで広域に引き上げてみる。――すると、東方に一つだけ小さな反応があった。


「あった……!? ……これ、どの辺りだ?」


 驚きながらも場所を割り出そうと試みる。地図情報はアテにならないが、方角や距離といった情報だけならば問題はない。

 彼我の位置関係を明らかにしようとしたところで――唐突に反応が消えた。


 なにが起こったのか。数秒で脳が答えを導き出す。


「…………表示エラー、か?」


 事情が事情だけに落胆は大きかった。最初から期待していないのと、希望を見せられた後に落とされるのとでは後者の方がダメージは大きい。


「……まあ、いい」


 いずれにせよ、本命はこれではない。

 レイジは腰のポーチから小さな透明板を取り出した。


「こいつがなんなのかわかれば、それだけでも収穫だ」


 解析にかけつつ、いくつかの資料を漁ってみた結果、存外すぐに正体は判明した。

 どうやらこれは石英ガラスを素材にした記録媒体らしい。レーザーを照射することで生じる気泡を単位として書き込むという、ある意味で原始的な方法を用いているが、見た目に反して保存性が非常に高い。つまり、経年による劣化がまるで無いのだ。


『光学顕微鏡レベルの分解能さえあれば、読み取りには問題ないとのことです。私の視覚機能でも十分に代用が可能ですから、変換アルゴリズムを復元サルベージできれば、データとしての再生が可能となるでしょう』


 ここを含めた一部の研究機関で試験実用段階にあったらしく、多少の時間はかかったものの再生用の処理手順は問題なく引き出すことができた。


 コンピュータの電源を落とし、メルに解析を任せる。


「どれだけ技術が発達しても、結局最後まで残るのはに刻まれた記録だけか。皮肉なもんだな。……しかし、作った奴は再生用のハードが壊れるとは思わなかったのか? 再生方法を記録したデータ自体を残せなきゃ、単なるガラスの板きれでしかないってのに」

『この石英板には記述がありませんが、本来ならば記録媒体側にも再生方法を記しているのではないでしょうか。そもそも極小の気泡を読み取るという方法に思い至るかは、疑問ですが』

「継承が途絶するってこと自体、思いもよらなかったんだろうな。本来ならそういう場合こそ想定しておかなきゃいけないんだろうが……」

『――変換が完了しました。そちらに送ります』

「終わったか。鬼が出るか蛇が出るか……正直、不安しかないな」


 無線で送られてきたテキストデータを皮質回路デカール記憶領域ローカルストレージに保存し、開く。

 電子拡張された視界に仮想ボックスが現れ、そこに文章が表示され始める――


   □


 ――怜治レイジ、あるいは他の誰かがこれを読んでいるということは、おそらく危惧していたことが実際に起きてしまったのだろう。私としては杞憂であることを祈るばかりなのだが。


 これは一種の日記だ。行動記録、と換言しても良い。遺書あるいは手紙と呼ぶことも可能だ。だが、重要なのは情報の保存であって、この文章がどういった名目で書かれているかなど些末さまつな問題でしかない。

 当該媒体には都度ごとに記録を追加している。記録が途切れた場合、そこでなんらかの事故あるいは事件が起きたと考えてもらいたい。


 まず、こうした記録を残す根本の原因――不安要素について記述する。


 有り体に言えば、私が恐れているのは世界の滅亡だ。


 単なる老人の妄言であると、そう断じる者はいるだろう。だが余計な修辞を弄したところで事実を歪めることにしかならない。

 脅威はいまや現実の物となっている。軍属時代の伝手つてを介して得た情報は、私にそう確信させるだけの恐ろしさを有していた。

 米国で開発された、ヒトの免疫系を完全に回避することのできるインフルエンザウイルス。それがアジア太平洋共同体APCの手に渡ったのだ。正確には、中東のある一国が手に入れた。

 一口にインフルエンザウイルスといっても、その脅威度は従来のウイルスと比にならない。開発から百年近くが経過した現在に至るまで有効な《ワクチン》は開発されておらず、同ウイルスに耐性を持つ人間は全人口の一パーセントにも満たないという。

 試算によれば当該ウイルスは散布から一ヶ月程度で世界中に蔓延するほどの感染力を有していたという。十年前、小麦コムギイネなどといった主要作物の流行病が世界規模の問題と化したことは未だ記憶に新しい。植物に感染する細菌性の病気か、ウイルス性の急性感染症かという違いはあれど、ウイルスの脅威が決して机上の空論ではないということが、これだけでも証明できるはずだ。


 備えが必要だ。人類の滅亡という危機を乗り越えるための備えが。


   □


「…………なんだよ、これ」


 仮想テキストのスクロールを一度止めたところで――ようやくそんな声が出た。

 口元に手を当てて、しばらく考え込む。衝撃を受けてはいたが、なぜだか頭はよく回った。


「ウイルスが中東の国とやらの主導で使われた、ってのが一応の筋なんだろうが……世界的な規模で感染する恐れがあるとなると、兵器としちゃ三流以下だ」


 使用者の支配下に置くことができず、みずからをも殺しかねないウイルスなど、兵器とは呼べない。治療法が確立されているのなら話は別だが、特効薬の開発がされていないという記述が事実であるなら、攻撃手段としてはだろう。


『そもそも生物兵器の使用はほど前に禁止されています。当該条約には未署名国も存在しますが、米国は批准ひじゅんしていました。おそらく医療分野での研究材料だったのではないでしょうか』

「ああ。多分、兵器じゃないんだろうな。だが、いくらなんでも使う理由が――いや」


 言いかけて、また考え込む。それを使う理由は無かったのだろうか。――本当に?


「劣勢側の手に渡ったとなると、破れかぶれに使った可能性はあるか」


 理由はある。いや、あった。少なくとも、APCの側には。

 戦争への緊張が最高潮にまで達していたアジア太平洋共同体APC英露欧州連合BREUだが、どちらかといえば英露欧州連合BREUの側に風向きがあった。ひとたび戦争が始まってしまえば、最終的にはAPCが敗北する可能性が圧倒的に高かったのだ。

 無論、APCからしてもウイルスの使用は諸刃の剣である。いくら相手に損害を与えることができたとしても、ワクチンが開発されていない新型ウイルスを兵器として使えば、みずからの身を滅ぼしかねない。


「もし……自爆そのものが目的のだとしたら」


 だが、この世には自身の命さえ簡単になげうつ人間がいる。いや、むしろ戦いのために死ぬことこそがほまれであるという価値観を持った者がいる地域さえあった。


 例えば――そう、レイジが直前の中東のような。


「自爆さえいとわない、か。話には聞いてたが……巻き込まれる方はたまったもんじゃないな」


 父が遺した『日記』とやらが指し示す滅亡の原因には、一定以上の説得力があった。むしろ否定する材料に乏しいとさえ言える。


「いや、だが……『備え』って言うくらいだ。俺以外にも助かった奴がいるかもしれない」


 すがるようにつぶやきながら、視界に映るテキストのスクロールを再開した。


   □


 感染症防止型の冷凍睡眠コールドスリープ装置。その程度の方策しか、私には用意することができなかった。避難壕シェルターでは駄目だ。世界的感染パンデミックが終わるまで水や食糧がもつという保証が無い。

 もっとも、私の講じた対策でさえ、発電機が壊れればおしまいだ。大容量の蓄電装置バッテリーこそ用意しているものの、装置の性質を考えれば十全とは言いがたい。

 理論上の最長耐用年数は七百年だが、発電機からの電源供給が絶たれてから蓄電量が一定を下回るか、あるいは一定の期間後、周囲に人間が現れた場合は自動でが開始される運びとなっている。

 まったくもって杜撰ずさんとしか言いようのない計画だが、生憎あいにくと私には時間が残されていない。情報を得た時期が遅すぎた。


 日本が米国と技術提携を目的とした同盟を結んでいたことに加え、当該ウイルスを開発したのが米国在住の日本人であったこともあり、ウイルス流出の情報は政府高官を初めとする一部の人間に行き渡っていたという。だが、彼らはそれを封殺する道を選んだ。

 しかし、情報統制が敷かれていたことを考えれば、これでもまだ幸運だったと言えるだろう。それでも、もっと早く知ることができていればと悔やまずにはいられない。

 高官らは事態を楽観視していると聞く。彼らの性格を考えれば、国民には知らせずともなんらかの対策は打ってあるに違いない。しかし、それによって我々が救われるかどうかは別問題だ。あの連中は最後まで自分のことしか考えはしないだろう。


 自分の命が惜しくないと言えば嘘になるが、それ以上に、私にとっては命をつないで欲しい存在がいる。もし例のウイルスが使用されたなら、私はすぐさま息子を装置に入れるつもりだ。既に手はずは整えてある。


 APCが――当該国がウイルスの使用を思いとどまってくれるなら、これは単なる徒労に終わる。むしろそうであってくれた方が、私としては救われるのだが。たとえこれが愚かな老人の演じる喜劇に終わるとしても、最悪のシナリオへ進むよりはいくらかましだ。


 開発中の新型総合補佐機器コンシェルジュを置いていくことにする。あれがどこまで経年劣化に耐えられるかはわからないが、自己保全機能は組み込んでおいた。電源が続く限りにおいて、最低限の稼働だけなら問題なく行えるはずだ。息子が目覚めた後、多少の慰めくらいにはなってくれれば良いのだが。


 対象国の軍部に不穏な動きを察知したとの報あり。

 これから息子を呼び出す手続きを取る。時間が無い。


 最後に。これを読んでいるのが息子であると仮定して、以下を記す。

 次に目覚めたとき、私やお前の友人が生きている保証はない。むしろ、可能性はゼロに近いだろう。残酷な選択だと理解はしている。

 しかし、私はお前に生きて欲しかった。

 私の行いをお前は身勝手だと思うかもしれないが、それでも構わない。恨んでくれて良い。――だが、どうか自死などは考えないでくれ。

 怜治レイジ。お前は、私の希望だ。


   □


 そう締めくくられた文章を読み終えて――レイジは深く、長い息をつく。額に手を当てて、目を閉じた。


「……なんと言うか――いや、駄目だな。なにも考えられない」


 考え無しにそう口にするが、言葉が続かない。自分の感情に整理がついていなかった。


 ――父の行動を恨めば良いのか、それとも感謝するべきなのか。


 彼が最後に残した言葉を身勝手と罵ることもできる。しかし、その身勝手が無ければ自分はここにいなかったというのもまた事実だ。

 石英板にはこれ以上の記録は無いが、おそらくウイルス使用の報を受けた彼は息子である怜治レイジを学校から呼び出し、眠らせたのだろう。

 つまり、高官たちの思惑は大きく外れることになったわけだ。それが故意か事故かはもはやわかりようもないが、いずれにせよウイルスは世界中に広まり、そして文明は崩壊した。


 とはいえ、未だに人類が営みを続けているところから察するに、一定の人間がそのまま生き延びることはできたのだろう。だが、言語や文化といったモノが大きな変容を遂げている――つまり文化の継承に断絶が生じているということは、レイジのように冷凍睡眠コールドスリープでウイルス感染を免れた人間はごく少数に留まるはずだ。いかに高性能な機械があったとしても、正しい知識を授ける存在がいなければただの置物でしかないのだから。

 そこまで考えて、またも絶望的な気分になる。数日前に目覚めて以来、幾度となく味わってきた感覚だが――こうまで決定的な証拠が出てきた後ともなるとショックは大きかった。


「生きて欲しかった、か……」


 普段からあまり父子おやこらしい会話をしていなかった身からすれば、彼からそんな言葉が出て来たのは意外だった。もはや叶わぬ願いだが――いまになって、もっと話をしておけば良かったとさえ思う。


「けど……俺は、なにを目的に生きれば良いっていうんだ。父さん」


 真相を知ることはできた。

 少なくとも、自分の生きていた時代が終わった理由は掴むことができた。

 しかし、その後になにをしたら良いのかが、まるでわからない。


「なあ。俺は、なんのために生きていけば良い?」


 虚空へ投げられた問いかけに、答える存在は無い。画面の光によって照らされた薄闇だけがそこにはあるばかりだった。


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