17 変わらぬ月に哀悼を

 外に出ると、辺りはとうに闇で包まれていた。


 それほど中に長居したつもりもないのだが、いまだに動揺が大きく残っているところを見ると、しばらく我を失っていたのかもしれない。

 ゆっくりとした足取りで外に出る。――そこで、がっしりと両側から腕を掴まれた。

 獣のごとき毛に覆われた、ごつごつとして大きな手。驚きながらも見れば、二人の大柄な亜人種デミス(うち一人は馬車でも話した男だった)がレイジを捕まえていた。まるで犯人を連行する警察官である。


「お、おい。なにを……?」

「なんだあ兄ちゃんよぉ! 暗い顔しやがっておめえこの野郎! とりあえず飲めおら!」

「そうだぜ、アンタと連れの嬢ちゃんのおかげで俺らは無事だったんだからよ! 飲め飲め!」


 なにをするかと思えば、彼らは粗暴ながらも陽気な口調でそう言って――空いた手で陶器製のグラスを突きだしてくる。その中には赤色の液体が入っていた。――葡萄酒ワインだ。


「礼も兼ねて、今日は大盤振る舞いだっつってたぜ! いくら飲んでも飲み切れねえくらいの酒があるし、食い物もたんまりだ!」


 そういうことか。戸惑いながらも、レイジは彼らの行動を理解する。だが――


「俺はまだ未成年だ。だから酒は飲めない」

「……未成年?」


 顔を見合わせた二人は共に目をしばたたかせるが、すぐに空を仰いで豪快な笑い声をあげた。


「おもしれえ冗談だなぁ! いくらなんでも十六より下ってのは通じねえぞぉ?」

「十六? いや、確かに俺は十七だが、成人の年齢は――」

「さあ、アンタもこっちに来い! 一緒に飲むぞ!」


 二人に引きずられるように連れられて、喧噪の渦中へと放り込まれる。

 ごうごうと燃えさかるキャンプファイヤーを中心として、宴会は行われていた。炎の周辺には直方体の木箱がいくつも置かれており、多くはそれに腰掛けて酒を飲み交わしていた。


 と、その中に見覚えのある姿を認める。――スライアだ。


 彼女もまた、椅子代わりの木箱に腰を落ち着けていた。その目の前には大きな樽が置かれている。干し肉やチーズの乗った皿があるところを見ると、どうやらテーブルとして使っているようだった。


「あ、レイジ……」


 そちらに近づくと、彼女も自分に気付いたらしい。心なしか、雰囲気が普段よりも柔らかくなっているように見えた。


「ここに座んなさいー、ここにー」

「お前、いないと思ったらこんなとこに――」

「こーこーにーすーわーりーなーさーいー!」


 話しかけたレイジなどおかまいなしという風で、やけにキレのない動きでべしべしと自分の隣を叩くスライア。その手にあるのは、先刻の二人が持っていたのと同じ陶器製グラスだった。


「……もしかして、酔ってるのか?」

「酔ってない酔ってない。ぜぇんぜん酔ってないー」

「お前それ典型的な酔っ払いのセリフだからな」

「酔ってるかどうかなんてぇ、どうでもいいでしょおー?」


 まるでわけのわからないことを言いながら、彼女はこちらの肩に手をかけた。


「…………んー?」


 ゆっくりと身を寄せて、顔を近づけてくる。


「――お、おい、どうしたんだ、お前!?」


 既にかなり酔っぱらっているらしく、頬が明らかに紅潮していた。こちらを覗き込む大きな瞳はしっとりと潤み、どこか扇情的な風情さえ漂わせている。


 白く細い指がゆっくりと首筋をなぞる。

 ぞくぞくと寒気のようなものが背中を走った。


「レイジ……」


 名を呼ばれ、心臓の鼓動が強くなる。


 彼女はそのまま顔をこちらに近づけ――


「……にひぃ」


 ――不意に緩みきった笑いを見せると、片手でこちらの顎を押さえて、半ば無理やりに酒を流し込んできた。


「飲みなさい飲みなさい。これさえあればぁ、みんな仲良しぃ」

「わ、おい……ん、ぐ……ぷふっ!?」


 いきなりのことに強く抵抗もできず、いくらか飲み込んでしまう。先に感じたのは甘みだが、後味として残るのはむしろ渋さと酸味と苦味だ。

 酒精アルコールそのものはさほど強くないようだが――ともかく複雑な味と、香りの融合体だった。話には聞いていたが、葡萄ぶどうひとつからこうも多くの味覚情報を刺激する飲料ができあがるとは。


「……どーおー?」


 舌がうまく回らないのか、やたらとゆっくりした話し方でスライアが問うてくる。

 正直なところ驚きはあったが、しかし――


「悪くは、ないな」

「でっしょぉー? ――じゃあ、はい」


 そう答えた瞬間、目の前に木製のジョッキがどんと置かれる。その中には、同様の葡萄酒がなみなみと注がれていた。


「おい待て。確かに悪くないとは言ったがそれとこれとは」

「つーべこべ言わずにぃー、さっさとぉ飲むぅー!」

「待て! わかった! わかったからいますぐそのジョッキを下ろせ! せめて、自分で飲ませてくれ」

「ちえー。しょうがないなぁーもー! ちぇー!」

「お前、本当にスライアか……?」

「そーうですうー。わーたしはぁ! スライアです! スライア、スライア……ええっと、私の使ってる家名って、なんだったっけ……? んー……?」

「……なんなんだ、一体」


 樽の上面に突っ伏して、そのまま寝息を立て始めた少女を横目に、レイジはつぶやく。しかし、息をついている暇もなく――先ほどレイジをここまで連れてきた亜人種デミスの男たちが、対面に座ってきた。


「おおう、兄ちゃんよお。飲んでるかあ?」

「飲め飲めえ。わははは」


 ろれつの回らない声でそう言いながら、彼らはレイジに酒を飲ませようとしてくる。狼のような顔つきをした彼は、その体格から察せられる通りに力が強く、レイジはろくに抵抗もできないままにまた飲み込んでしまった。


「うわ……おい、――ぐ、ぷぁっ……うぷ」


 先ほどと同様、苦いような甘いような、複雑な味が広がる。


「…………あー。――こうなりゃ、もう自棄やけだ」


 頭の奥と舌の根がしびれるような感覚に身を任せて、レイジはジョッキに注がれた葡萄酒ワインを飲み干し始めた。あるいはそれは、先ほどまでの暗鬱な気分を忘れたかった故の行動なのかもしれない。


「おおう、良い飲みっぷりだなあ、兄ちゃん。俺も負けてられねえ!」

「いいぞー、飲め飲めえ……!」


 酩酊しきった様子で囃したてる二人を前に、レイジは徐々に思考が麻痺していくのを感じていた。



   ●



「…………酷い目にあった」


 あれから、浴びるほどに葡萄酒を飲まし飲まされ続け――対面に座っていた亜人種デミスの二人組が酔いつぶれてしまった後。

 酔いを覚ますために、レイジは喧噪から離れていた。木々の間を通り抜ける夜風が、ほてった肌に心地良い。木々のざわめきと虫の声が、未だ遠くから聞こえてくる騒ぎ声に彩りを与えていた。


「――こんなところにいたのね」


 と、その静謐せいひつな空間に、一人の少女が入り込んで来た。スライアだ。どうも、いまになって起きたらしい。

 満月の柔らかな光が、少女を照らしている。月は年々地球から遠ざかっているというが――レイジの眼にはさほど違いはないように映った。宵闇に悠然と光を落とす衛星。自分が眠っている間に、一体あれは幾度地球の周りを回ったのだろうか。


「あんまり覚えてないんだけれど……私、変なこと言ったりしてなかった?」

「…………教えて欲しいのか?」

「え、なに、その反応。……なんだか怖いから、やめておくわ」

「賢明な判断だな」

「……不安になる言葉ね。迷惑をかけてないと良いんだけれど」


 苦笑しながらゆっくりと横髪を耳にかける。その手首にはめられた、やけに金属的な白色の腕輪が目にとまった。思えば、それに入っている翻訳ドライバが無ければこうして言葉を交わすことさえ叶わなかったのだ。


「その総合補佐機器コンシェルジュ――いや、その腕輪は、どこかで掘り当てた物なのか?」

「え? ……あぁ、これ?」


 問われた彼女は、掲げるように腕を目の高さまで持ち上げてみせる。腕輪をどこか懐かしむように眺めながら続けた。


「これは、母様かあさまの物よ。……いえ、物だった。かな」

「…………だった?」


 物言いに引っかかりを覚えて、半ば無意識的に問い返す。しまったと思った時には、彼女はもう口を開いていた。


「死んだわ。……殺されたの」


 そう語る彼女の顔に悲壮感は無い。なぜそんな表情ができるのかと問いたくなるほどに平然としていた。


 昔話でもするかのような口調で、彼女は静かに語り出す。


「いまから半年くらい前かな。亜人種デミスへの偏見が強くなりだした頃に家が襲われて、私を逃がすために二人とも、ね……」


 その告白を受けて、レイジはただ黙ったまま彼女を見ることしかできなかった。


(彼女に対して、俺になにが言える?)


 自問する。だが、答えなど出るはずもなかった。

 慰めも、憐憫れんびんも、彼女の傷を癒すことはできない。彼女に同情したからといって、一体それがなにをもたらすというのか。


「あ……。え、ええっと、あまり気にしないで。……もう、だいぶ前のことだから」


 黙り込んでしまったレイジに余計な気を遣わせまいとしてか、彼女は慌ててそう言うが――その笑みは、心なしか悲しげだった。


 だから、だろうか。


「……俺も、似たようなものだ」


 これまでずっとひた隠しにしてきた自分の境遇を、多少なりとも話すつもりになったのは。


「父さんも、友達も。俺が守るはずだった、顔すら知らないたくさんの人々でさえ……みんな、みんな消えちまった」


 その言葉を受けたスライアはほんの少しだけ眉を動かしたが、すぐに表情を元に戻した。


「もしかして、その人たちは……」

「わからない。それを確認する方法も、無くなったんだ。でも、おそらくはみんな――」


 死んだ、という一言を口にできなかったのは、言うことでそれを認めてしまうような気がしたからだ。状況を考えれば疑いようもないほどに明らかだが、認めたくなかった。

 自分の大切な人がこの世を去った。それをあれほど簡単に口にできるようになるまで、目の前の少女はどれだけの苦悩を経験したのだろう。

 自分がその立場になってみて、初めて難しさがわかった。


 二人の間に沈黙が生まれる。

 それを破ったのはスライアの方だった。


「――ねえ、レイジ。覚えてる? 初めて会った日――あなたが私を助けた後に、自分がなんて言ったか」


 いきなり発せられた質問に面食らいつつも、レイジは記憶を探る。正直なところ、あまりよく覚えていなかった。


「……どれのことだ?」

「礼はいらない、って。私もあなたを助けたからそれはお互い様だって」


 確かに言ったような気がする。酒のせいか、あまり明確には思い出せなかった。


「別に、俺は……事実を言っただけだ」

「あの時のあなたはお互い様だなんて言ってたけど、これだけは言わせて欲しいの。……ここまで来られたのは、あなたのおかげよ」


 彼女はそこで一旦口を閉じると、これまで見たことがないほどに嬉しそうな笑みを浮かべた。


「ありがとう、レイジ」

「……ああ。どういたしましてだ」


 本当は自分も彼女に感謝をしているから、それこそお互い様ではあったのだが――それを素直に伝えるのがどことなく気恥ずかしく思えて、レイジはそんな答えを返すに留めた。



   ●



「――大変よ、レイジ!」


 明くる日の早朝。スライアのそんな声で、レイジは目覚めた。


「…………なんだ、どうした?」


 起き上がる。周囲を見渡すと、簡易テントの中だった。そこでようやく思い出す。昨夜は調査隊の寝床を借りたのだった。

 あれほど酒を飲んだにもかかわらず、意外にも身体にだるさは無かった。亜人種デミスの二人組は既に随分飲んでいたとはいえ、彼らが自分よりも先に酔いつぶれたことも考えると、どうやら自分はそれなりに酒精への耐性があるらしかった。


「はやく起きて! とにかく大変なことになってるんだから!」


 テントの中に顔だけ突っ込んだ状態のまま、スライアはなおも繰り返す。


「大変、じゃわからないんだが」

「あれ、あれよ……!」


 せかすように外を指さすスライアを不審に思いながら、レイジはテントから出る。自分のいる場所――調査隊が居を構えているのは遺跡の中央だ。この遺跡は中心部の標高が周辺よりも少しだけ高くなっており、そこから都市の全体像が見渡せる形になっていた。


 自分たちを除いて、近くには一切の人影がなかった。彼女が指さすのは、都市の辺縁部――レイジたちが商隊に乗せられて、遺跡へ入って来たのと同じ方向である。

 その辺りには多くの人々が集まっていた。周囲に人がいないのは、そういう理由からだろう。だが、問題はそのさらに奥、遺跡の境界近辺である。


 そこには、が三つ並んでいた。


「おいおい。あれは、まさか」


 驚きに目をみはる。少々遠いために見づらくはあったが、間違いない。


歩行戦車ヒトガタじゃないか……!」


 三機の内、中央に立っている一機には見覚えがあった。

 中世の板金甲冑プレートメイルにも似た外形フォルムに加えて、各所に絢爛たる装飾の施された追加装甲を有した、白銀の機体である。背部の武装固定点ハードポイントに装着されているのは、機体の半身ほどもあろうかという幅広の巨剣ブロードソード。レイジが『目覚め』た日にも見た機体だった。

 両脇に控える二機は独特ともいえる形状をしていた。

 全体的に丸みを帯びた形をしているのだが、肩の装甲だけが上へと突き出ていた。前方にせり出した胸部と、スカートのような形の腰部は、和製甲冑を着込んだ侍を思わせる。


 ――六三ロクサン式局地歩行戦闘車、通称〈御劔ミツルギ


 全高五・七メートル、全幅二・五メートル、乾燥重量六・八トン。日本陸軍が制式採用している機体だ。


「日本軍の機体……。あいつら一体、何者なんだ?」


 各機の両肩には、見慣れない図案が鮮血を思わせる明赤色で描かれていた。痩せた月のように一部分が欠けた大小二つの同心円が、それぞれの欠落を覆うように重なり合っている。


「あれ、帝国教会の聖印よ……!」


 隣のスライアが絞り出すように言う。それが意味するところをレイジが理解するよりも先に、



『――私の名はアポステル。帝国教会の枢機すうきを担う神の代弁者にして、執行代理者である』



 いっそ慇懃いんぎんとも評せるほどに厳然たる声音で、中央に立つ白銀の機体を駆る男――アポステルはそう言い放ったのだった。

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