15 その問いは落日に霞み


「――古い馬車だから、ちっと揺れはでかいけどな。そこまで悪いもんでもないだろう?」


 と揺れる馬車の中でそう問うてきたのは、大柄な亜人種デミスの男だった。比較的長身であるはずのレイジよりも体躯は大きく、容貌は狼に近い。


「この程度の揺れなら兵員輸送車PCで慣れてる。問題無い」

「ぴー、し……?」

「簡単に言えば、前線に兵士を送るための乗り物だ」

「つまり馬車ってことだろう? おめぇ、やっぱり軍隊の人間なのか?」

「正確には違う。本格的な実戦を経験する前に事情が変わったんだ。教練だけなら嫌ってほどこなしてきたが……いや、それは良い。遺跡いせきにはあとどれくらいで着けそうだ?」

「途中で面倒ごとがあったからなぁ……ちっと待ってろ。訊いてくる」


 彼はそう言い残して御者台へ出て行った。

 手持ちぶさたになって、他に目を向ける。人員輸送用であるためか馬車の中は余裕のある作りになっていた。レイジを含めて十人ほどが座っているが、狭くは感じない。

 隣に座っているスライアと目が合う。彼女は腰から外した剣を大事そうに抱え込んだまま口を開いた。


「まさか遺跡に向かう途中だったなんて……都合の良い偶然もあったものね」

「あぁ。徒歩でも通れる場所を選んで針路コースを決めたから、そのうち道に行き当たるだろうとは思ってたが……」


 ――運が良いことに、山賊から助けた商隊の目的地は自分たちと同じだった。それを知った一行の長が同乗を提案してきたのである。レイジたちにとっても、それは願ってもない申し出だった。


「ま、しばらくは休めそうでなによりだ」

「あのう……」

「ん?」


 目を閉じた直後、こちらに向かって声がかけられる。片目を開けて確認してみると、声の主は亜人種デミスの少年だった。

 小犬のような顔立ちを見て思い出す。山賊に襲われていたとき、前に出て捕まった少年だ。

 彼は茶色の尻尾をゆっくりと左右に揺らめかせながら、伏し目がちにスライアを見上げていた。


「どうしたの?」


 話しかけられたのが自分らしいと気付いた少女が、小首をかしげる。少年はしばらくためらうそぶりを見せていたが、やがておずおずと話し出した。


「その……ありがとう、猫のねえちゃん。助けてくれて」


 それだけ言うと、恥ずかしそうに目を伏せる。対するスライアは頬を掻きつつ、困ったような笑みを浮かべた。


「……ええっと」

「どうした? なにか返事は無いのか?」

「あの時のことはあまり覚えてなくて……だから、なんだか居心地が悪いのよ」

「人の感謝は素直に受け取っておけ。ことの善し悪しはどうあれ、そこに嘘は無い」

「そう。……そうよね。じゃあ、どういたしまして、かな」


 どこか自信なさげに言って、少年の頭を撫でる。当の彼は照れくさそうな表情で、されるがままにしていた。


「でも、これから似たようなことがあっても、あんな風に飛び出して行っちゃ駄目よ?」

「……お前がそれを言うかね」

「ど、どういう意味?」

「わからないなら良い。忘れてくれ」

「――すまねえ、遅くなった。ちっと話し込んでたんでな」


 そうこうしている内に男が外から戻ってきた。なおも疑問げなスライアから視線を切って、彼に向き直る。


「どうだった?」

「心配しなくても大丈夫だ。予定よりは遅いけどな、日が沈む前には着ける」

「思ってたより早いんだな。日が長いとはいえ、夜までに到着できるとは思わなかった」

「あんまり遅くても、山賊に襲われやすくなっちまうからな。基本的に速度は緩めねぇ」

「その割には襲われてたようだが」

「さっきは休憩中にやられたんだ。運が無ぇ。……いや、兄ちゃんらに助けてもらえたから、逆に幸運か? まさか通りすがりの魔術師ウィザード様が助けてくれるたぁ思わなかった」

「……俺としてはありがたいが、信用するのが早すぎないか?」

「なに言ってんだか。力に任せて悪いことばっかしてる奴がいんのは確かだが、兄ちゃんはそうは見えねぇよ」

「そういうものか? 帝国じゃ、の魔術師は犯罪者として扱われると聞いたが……」

帝国あっちは最近、ちっとおかしいからな。はっきり言って異常だ。俺らみたいなのを嫌う連中がああまで暴れ回ってる国も他に無ぇしな」


 商隊を構成する人種がまるでばらばらだったから予想はついていたが、どうやら亜人種差別が強いのは帝国に限った話であるようだった。

 それにしても、山賊の頭目はスライアに対して『亜人種ごとき』というようなことを言っていたから、やはり亜人種が下等生物だという意識を持つ人間も多少はいるのだろうが。


「アポステル、か」


 現状の大きな原因であるという人物。帝国における亜人種の迫害を先導する男。

 ――なぜ、彼はそのような行動に至ったのか。

 わかるはずもなかったが、考えずにはいられない。

 眼前の男、傍らの少女、その対面に座り込んだ幼き少年。

 程度の差こそあれ、みな一様に獣の特徴を有している。彼らが人為的に『作られた』存在であることの確たる証拠などは無いが、もしもそうであるならば、彼らの存在とそれに起因する数々の弊害――差別や迫害は、レイジと同時代の人間が発端ということになる。

 そして、その基盤にあるのは『人類の生存』を目的として研究されてきた技術だ。

 もちろんそれらを研究していたのは自分ではないし、また亜人種の存在が人の手によるものと決まったわけでもない。


(だが、もしメルの仮説が正しいのだとしたら……)


 が生きるために用いていた技術が、彼らをこの世に産み落とした遠因になっているということになる。


 しかも、ことによると亜人種の目的は――


「……どうしたんだ、兄ちゃん?」


 男が不思議そうに問うてくる。思考の渦にはまり込んでいた意識がそれで元に戻った。

 疲れているせいか、どうも妙なことを考え込みすぎる。


「なんでもない。少し疲れただけだ。これまで歩き通しだったからな」

「おぉ? そりゃそうか。すまねぇ、気が利かなくてよ。俺もやんなきゃならねぇことがあるからよ、もう一回出てく。遺跡に着くまでゆっくり休んでくれや」


 そう言ってこちらに笑いかける男に、軽く手を挙げて返事に代える。再び御者台の方へ赴く彼の背中を、なぜだか直視することができなかった。



   ●



「――おい、にいちゃん。とっくに着いてるぞ。いい加減に起きろ」


 野太い男の声で意識が覚醒する。起き上がると、思わず口から大きなあくびが出た。


「ふあ……ここは?」

「あん? まだ寝ぼけてんのか? もう遺跡だぜ?」


 移動中にも色々と教えてくれていた狼のような見た目の男が、笑ってそう答える。


「遺跡……。もう着いたのか」

「そら、寝てりゃ一瞬だろうな。外出て見てみな、もう日が傾いてら」


 凝り固まった身体の節々をほぐしながら周囲の様相を観察する。そこはほろで覆われた荷馬車の中だった。

 そこまで見て、自身のおかれていた状況を思い出す。どうやら昨夜の睡眠が短かったこともあって、揺られているうちに寝入ってしまったらしい。


 到着してから少し時間が経っているのか、中に他の人間はいなかった。数日前に『目覚め』て以来、どうも調子が出ていない。


「スライアはどこに?」

「連れの嬢ちゃんなら俺らの寝床の準備を手伝ってくれてる。こうまで遅くなっちゃ、俺らも帰るに帰れねぇしな」

「……すまない。俺は俺で少しやりたいことがあるから、手伝いはできそうにない」

「なあに、兄ちゃんとあの嬢ちゃんがいなけりゃ、もっと厄介なことになってたんだ。そのくらい構いやしねぇよ」


 幌を開けて馬車の外に降り立つ。その直後、レイジは思わず息を呑んだ。


 視界いっぱいに広がる夕景。ところどころを木々に覆われながらもなお形を留めている幾多いくたの建築物が、夕日を受けてオレンジ色に染められていた。

 直線的な人工物と曲線を描く植物。両者が織りなす影の連なりは、いっそ幻想的にさえ感じられる。


「……〈神々の遺産〉か。こうして見ると綺麗なもんだ」


 数日前、荒廃した故郷をはじめて見た時のような絶望感は不思議と無かった。目に映る風景を素直に綺麗だと感じることができている。少しばかり心に余裕ができたのかもしれなかった。

 おおよその都市に備えられている分厚い外壁は存在していない。根本から折れ、ほとんどさびに侵食された案内板からはかろうじて『――積拠点』という部分だけが読み取れた。


「物資集積所の一つか? この範囲にあった拠点となれば、多少の推測は効くが……昔の地図が使い物にならない以上、正確な地名はわからないか」

『しかし、劣化や崩壊は〈弘波こうば〉に比べ軽度のようです。地殻変動の影響がさほど大きくない地点ポイントだったのではないでしょうか?』


 メルの言う通りだった。レイジの故郷である〈弘波こうば〉と同様、町はほぼ全域が草木に埋もれてしまっていたが、劣化が酷い建物の数はそれほど多くはない。


『貴方の望む記録が残されている可能性は、極めて高いかと』

「そうだな。……これなら望みがあるかもしれない」


 しばらく歩いてみると、やがて荷車を引く幾人かの集団に行き当たった。話を聞いてみると彼らは調査隊の面々らしく、建物に潜って〈遺産〉を発掘してきたところだという。


「話は聞いてる。あんた、魔術師ウィザードなんだろ? 目利きはできるか?」

「あ、あぁ……。多少なら」

「そいつぁ良い。そんならこれ、ちょっと見てくれないか。いくら〈遺産〉とはいえ、使いようの無い物ばかりを運ぶのも手間なんでね」

「構わないが、精度については保証しないぞ」


 荷車に積まれていたのは液化戦闘糧食レーションや合金製のサバイバルナイフなどといったレイジにとって馴染みの深い物ばかりで、十分ほどで全て片付けることができた。スライアが着けていた腕輪型総合補佐機器コンシェルジュに近い独立電源型の機械類もいくつか動作する物が混じっており、この遺跡にある〈遺産〉の保存状態の良さを物語っていた。


「いや、助かった。目利き屋に頼んでも良いんだが、町の連中は鑑定にムラがあってね。魔術師ウィザードのお墨付きとなりゃ、面倒が省ける」


 随分な歓迎のされようだ。つい昨日まで帝国の領内でこそこそと隠れ回っていたのが嘘のように思える。


「そいつはどうも。代わりと言っちゃなんだが、俺も少し遺跡の中を調べても良いか?」

「うん? 大丈夫だとは思うけど……中にある物を勝手に持ち出されちゃ困るぜ? 一応、俺らも国から要請を受けてやってんだ」

「そこの辺りは帝国とあまり変わらないってわけか。……安心してくれ、ちょっと調べたいことがあるだけだ。物品は取らない」

「そうか? なら、本部の方まで一緒に行くか? どっちにしろ許可はいるからな」


 調査本部(と銘打たれたテント群)まで行ってみると、意外にもあっさりと許可は取れた。その場に居合わせていた商隊の人々が後押しをしてくれたことも大きい。

 できるだけ損壊のなさそうな建物を探したいと申し込んだところ、ちょうどそういった場所があるという。

 簡単に道だけを教えて貰うと、すぐにそこへ赴くこととした。

 

 テントから出て息をつく。


(――手がかりを得られたとして、それが望むモノとは限らない。お前はそれで良いのか? ……本当に?)


 期待と不安の入り交じった奇妙な気持ちを抱き、彼は胸の内で問うた。


 なにかを知ることができるかもしれない。

 だが、同時になにかを失うかもしれない。


 それならば、いっそのこと――


「……いや、いまさらだな。本当にいまさらだ」


 自嘲気味に唇を歪め、彼は一歩を踏み出した。

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