5 朽ちた家屋で今を知る

 日が沈み、辺りがすっかり暗闇に包まれた頃。


 雑木に覆われた林の中、ある一角だけがぼんやりと明るさを保っていた。

 折良く見つけた建造物の遺骸――地面から一部だけが突き出る形で残っていた建物の陰に、二人の人間が身を落ち着かせていた。


 もとは集合住宅かなにかの一角だったのだろう。一辺が三メートルほどの立方体から上面と二つの側面が剥がれ落ちたような形をしていた。

 むき出しになったコンクリートの硬さは寝るのに適しているとは言い難いものの、湿り気のある土よりは幾分マシというものだ。


 レイジの目前では小さなたき火が柔らかな明かりを放っている。サバイバルキットに入っていた火打ち石ファイアスターターを利用しておこしたものだ。


「……今日はここまでだな。さすがにこうまで暗くちゃ、動くのは危険だろう」


 傍らで膝を抱え込むようにして座っている少女――スライアは、その言葉に黙って首肯した。

 火に照らされて橙の色味を帯びた肌と、揺らめく炎を魅せられたようにじっと見つめる大きな瞳が、目深に被ったフードから覗く。


 ――あの後、意外にもあっさりと同行の許可は取れた。


 一応は剣で武装しているとはいえ、少女の一人旅である。素性もわからない会ったばかりの男と連れ合うなど拒否するのが当然だろうと覚悟はしていたところだったから、これには少し拍子抜けだった。


 案内人を必要としていたレイジとしては願ったりだが、反面、それで良いのかと心配に思わないではない。


 彼女には少し危機感が足りないのではないか。


 そんなことをぼんやりと思いながら少女の姿を眺めていると――視線に気付いたのか、彼女は不意にこちらを見返してきた。


「……どうしたの?」


 考えていることがいらないお節介だと理解はしていたから、どことなく正直に答えるのがはばかられて、別な話を振ることにする。


「あぁいや、ここまで結構な距離を歩いたつもりだが……目的の遺跡ってのは遠いのか?」

「そうね……あと二日もあれば、うまく行けばたどり着けると思う。途中に一つ……国境の辺りに大きな町があるはずだから、そこに立ち寄りましょう」

「これでもまだあるのか。まあ、移動は基礎体力練成で慣れてるが……」


 日中は途中で何度かの休憩を挟んだ以外は歩き通しだった。


 移動中もっとも驚いたのは、道路がほとんど壊滅していたことだ。

 スライアから同行の許可を得た後――丘を下りると、都市への主要道とでもいうべき幹線道路にぶつかった。

 都市部と同様、まるで大規模地震でも起きたかのように舗装はあらかた割れてしまっていた。

 そこまではある意味予想通りだったのだが、問題は都市から数キロほど離れた地点で起きた。


 唐突に道が途切れていたのである。


 まるでそこから先にはもとから道など存在していなかったかのように、鬱蒼と木々が立ち並んでいたのだ。

 そのまま小一時間ほど森をまっすぐ歩いてみると、今度は舗装のされていない小道が現れた。スライアによればそれは遺跡――〈弘波こうば〉が発見された後になって、本格的な発掘調査を行うために作られた物であるらしい。


 もともと道路として存在していたはずの交通網は完全に崩壊している。いま座っているここ以外にも、いくつか地面に埋まりかけている建物があった。


 こうまで情報が揃えば、もはやその原因は明白だ。


 すなわち、大規模な地殻変動である。


「多少の変化はあるだろうと思ってたが、まさかここまでとは……。どうやら、昔の地図は役に立たなさそうだな」

『事実、私に記録されている地図データとは合致しませんでした。もし必要なら、新しく作り直さなければいけないでしょう』

「……驚いたわ。一人でも喋れるのね、あなた」


 レイジのつぶやきへ反応を示したメルに、スライアはかすかに目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、数秒後にはむしろ興味深げにメルを指先でつつき始める。

 皮質回路デカールによる自動翻訳が適応されているために忘れていたが、ルィエル語とやらを使ってメル自身が話すのはこれが初めてだったかもしれない。


『やめてください』


 平坦な音声で抗議するメルを意に介するでもなく、少女は黒い機械球をつつき続ける。


「やっぱり面白い動き。……私はスライアよ。あなたは?」

『申し遅れました。試作型・軍用第四世代総合補佐機器コンシェルジュ・暫定形式番号LCO-42〈メルクリウス〉です。メルとでもお呼び下さい。登録主マスター早川怜治ハヤカワレイジ――貴方がたの習俗にならうなら、レイジ・ハヤカワといった方が良いでしょうか』

「こ、こんしぇる……? ますたあ……?」


 どこか場違いな自己紹介を行うメルに、スライアは目を白黒とさせていた。


「少し説明が厄介だが……まあ、俺の相棒とでも思ってくれればいい。――で、メル。話を戻したいんだが、地図の生成はできるのか?」

『GPS機能を使用できないため、正確性には欠けますが――視覚情報に基づいたマッピングは可能です』

「なら一応、ここからはそれを頼む。使うかどうかはわからないが、持っておくに越したことはないからな」

『了解』


 旧来の地図があてにできないほどの変化が起こったにもかかわらず、よくも自分がいた地下室は無事だったものだ。

 生き埋めになっている自分を想像して内心恐々としながらも、彼は火に薪をくべる。昼間は非常に暑かったはずなのだが、日が落ちてからはむしろ肌寒いくらいだった。


 夜風が肌をなでる。


 寒さに身震いをしつつもジャケットのファスナーを閉め、さらに乾いた木をくべて火勢を強めた。


「気候まで違ってるときた。この分じゃ日本列島の形もかなり変わってるんじゃないか?」


 誰にともなく口にした疑問に対して、対面に座るスライアが不思議そうな表情を見せる。


「列島? ……島?」


 ――猛烈にいやな予感がする。


「…………あー。まさかとは思うが、一応訊いてもいいか?」

「なに?」

「この島――いや、つまり俺たちがこうして立ってる地面のことなんだが。この島はいったいどんな形をしてる?」


 彼女はたき火に両手をかざしたまま、質問の意味が理解できないという様子で答えた。


「島、っていう言い方はおかしいんじゃない? ……ここは大陸の端っこだもの」

「…………」

「どうしたの? 陸に揚げられた魚みたいな顔してるわよ?」

「…………たい、りく?」

「大陸」


 ようやくひねり出した一言に、対するスライアは平然とした様子だ。


 会話の齟齬を減らすために『亜人種デミス』のような新しい概念を翻訳できなかった場合は視界の一部に表示するよう設定したのだが――見たところ、その様子はない。


「……からかってるのか?」

「それ、私の台詞よ?」

「…………おいおい、嘘だろ?」


 レイジは手のひらで目の辺りを押さえながら、力なく嘆いた。



   ●



「細かいところは知らないけれど、だいたいはこれで合ってるはずよ」


 スライアが石で壁を引っ掻いて描いた図説によれば、日本列島は既にユーラシア大陸と繋がっているらしかった。日本海に相当する部分は一種の塩湖と化しているとのことだ。


 もはやなにが起きていても驚くまいと思っていたレイジだが、さすがにこれには閉口した。

 まさか、自分の生きていた時代とここまで大きく違う世界に目覚めてしまうとは。


「地図にはアフリカやらヨーロッパ――いや、それじゃ通じないか。他の地域が描かれてないみたいだが、それは?」


 まさか他の大陸が沈没でもしたんじゃないだろうな、という言葉を続けるより先に、少女は軽くうつむいた。石を持たない方の手で頬をかく。


「これより西や北は細かく覚えてないのよ。ぼんやりとで良ければ描けるけれど」

「いや、いい。それよりも、ここらの地理についてさわりだけでも教えてくれ」


 確かに世界がどうなっているかも興味はあるが、それ以上に重要なのは現在地周辺だ。

 スライアはうなずいて、説明を始める。


 日本列島だった部分のうち、関東地方より東はほとんどが帝国の領地となっている。帝国はその西端を目的地でもあるエルニエスト連合国、通称〈小国連合〉と接している。

 今日出てきた都市――スライアたちからしてみれば、それは遺跡だが――である〈弘波こうば〉は、その国境から比較的近くに位置しているらしい。

 目的地である『新しい大遺跡』とやらは、国境を越えてから南西へ徒歩で約一日、二十キロほど行った辺りにあるのだという。


 それを聞いて、ふと思いつく。


「そういえば〈遺産〉を探してるって言ってたが、昼間のチップ以外にも持ってるのか?」

「え? ええ、あるにはあるけど……」


 答える瞬間、躊躇うような間があった。まるで危機感の無い少女だと思っていたが、多少の警戒心は残っているらしい。一時とはいえ行動を共にするのだから、それくらいの分別を持っていてくれた方がこちらとしても都合が良かった。


「安心しろ、別に盗ったりしない。ただ少し見るだけだ」

「……目利きができるの?」


 その一言を聞いた彼女は意外そうにこちらを見て、おずおずと問う。


「ま、そんなところだ」


 とはいえ――一言であっさりと態度を改めるあたり、もう少し疑うことを知った方がいいだろう。苦笑しつつ、スライアが背嚢から取り出してみせた物品をひとつひとつ点検していく。


 品数自体はさほど多くなかった。運ぶ手間を考えてか大きい物もなく、全てを調べ終えるのには五分とかからなさそうだ。


「機械類は軒並み故障してるな。部品パーツ取りには使えるだろうが……これじゃあどれも二束三文のガラクタだ。まともに使えるような代物じゃない。多分、昼間に見たチップもダメだろう。そもそも、単体で使う物じゃないしな」


 カレンダー機能でも使えればいまの年代を知ることができると思ったのだが、それも叶わないらしい。

 わずかな落胆を感じながらも、せっかくなので残りも見ていく。


合成肉フェイクの缶詰に……こっちのパックは液化戦闘糧食レーションか。何年経ってるかは知らないが、どのみち食べられはしないだろう。金属が使い回せる機械はともかく、食糧は捨てた方が良いな」


 見終えた品を返しながら言うレイジに対し、スライアは面食らったように目をしばたたかせた。


「……そんなにあっさり済ませられるとは思わなかったわ。腕の良い目利き屋でも、その倍は掛かるものなのに」

「多分だ、多分。文字がかすれててよく読めないから、細かい中身については保証しない」


 それを聞いた彼女は、なぜだかやけに驚いたような表情で訊いてきた。


「あなた……真言しんごんが読めるの?」

「真言? なにを言ってる。これはただの日本語だ」

「ねえ。まさかとは思うけれど……もしかしてあなた、魔術師ウィザード?」

「確かに俺は特殊機甲科の士官候補生だからハッカー戦の知識はあるが、魔術師ウィザード級の技術なんて持っちゃいない。それでも、そこらの工科大学ポリテクニーク通いよりはいくらかマシだけどな」

「さっきから言ってることがさっぱりわからない。あなたは一体……」

「ただの学生さ。研究職志望の連中とは違って兵科訓練の毎日だったが――」


 そこまで言って、返答が意味を成していないことに気付く。前提の知識が共有できていない状態というのは、どうも会話がうまく成り立たないようだった。


「……いや、そういう意味じゃなさそうだな。日本語に訳されないってことは、そのまま使ってるらしいが……。魔術師ウィザードって単語に、なにか特別な意味が込められてるのか?」

「特別な……? ああ、そうか。そこも説明しなくちゃいけないのね」


 レイジの問いに、スライアは少しの間呆けたような表情を見せていたが、やがて合点がいったというように話し出した。


「簡単に言えば、大昔から伝えられてきた神話に出てくる魔法使いのことよ。かつて世界を覆ったとされる〈死の霧〉を退け、数々の魔法を使って人々を救った英雄。神の使いとも言われている存在。その名が『ウィザード』ってわけ」

「神の使い。……神の使いね」


 彼女の言葉を反芻するようにつぶやく。


 その単語でレイジが連想するのはアポステルという顔も知らない男だが、文明崩壊以前の言語――真言とやらを知らないスライアは、皮肉ともいえるその言い回しに気づけないのだろう。


「神像も含めて、〈遺産〉は本当に人が作り出したのか疑いたくなるような物もあるわ。それこそ、魔法でも使わなくちゃできないようなことも〈遺産〉を操れば可能になる。だから、それらを扱える人を魔術師ウィザードって呼ぶことがあるの」

「十分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない、か……」


 確か、どこぞのSF作家がのこした言葉だ。それ自体はよく言われることだが、文明が失われた後ともなればなおさらだろう。

 多くの人間がコンピュータや電子レンジの原理を知らないまま使っているように、レイジも総合補佐機器コンシェルジユの構造や各機能の原理などほとんど理解していない。そういう意味ではスライアとレイジの間に違いは無い。

 しかし、スライアをはじめとする多くのにとって、それは魔法にも等しい術である。ならば、それらを意のままに操る人間はそれこそ魔法使いとなんの変わりもない。


 人間が営々と積み上げてきた技術の結晶か。

 あるいは、人智の及ばない奇跡による産物か。


 レイジと彼女の認識には、前提となる部分をどう捉えているかという差しかないのだ。


「ま、そういう意味で言うなら、俺は魔術師ウィザードってことになるのかもな。こいつ――メルはお前たちの言う〈神々の遺産〉だし、昼間の戦闘で使ったのも、その機能の一つだ」


 その言葉を受けたスライアの表情が、わずかに硬くなった。


「どうした?」


 不思議に思って声をかけるが、彼女は言いにくそうに口を開く。


「ええと。他の国ではともかく、帝国じゃ教会に属していない魔術師ウィザードは犯罪者として扱われるわ。それも、多くの場合は重罪として裁かれる」

「…………またかよ」

「あなた、犯罪歴が無いなんて言ってたけれど、もしかして嘘を?」

「そんなわけあるか。ただ知らなかっただけだ」


 しばらくは探るようにこちらを見ていたスライアだったが、レイジが嘘をついているわけではないらしいと判断したのか、ほっと胸をなで下ろしていた。

 一方のレイジはといえば、知らず知らずのうちに罪歴が増えているという事実に安心などしていられるはずもなく、疲れ切った表情で頭を抱え込んだ。


「…………あぁ、うん。もう考えるのが面倒だ」


 そして、そのままコンクリの床に倒れ込む。


「ちょ、ちょっと――」

「慌てるな。別に、どこも怪我はしてない。……寝るだけだ」


 にわかに気色ばんだスライアの言葉を遮る形で言う。少し弱々しい言い方になってしまったかと思い直して、付け足すことにした。


「この世界について知りたくないわけじゃないが……これ以上話を聞いてると、頭痛がしてきそうだ」

「頭痛って……本当に大丈夫?」


 なおも心配そうにこちらを覗き込んでくる彼女に手だけで返事をしながら、彼は目を閉じた。



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