3 廃都市を巨人が闊歩する

 湿り気を含んだ土と苔の香が辺りに充満していた。

 葉を大いに茂らせた樹木が揺れるたび、地に差し込んでいた木漏れ日もまた波しぶきのような動きを見せる。

 都市外縁の、侵入防止壁だったのであろう灰色の残骸。その崩落した部分から外へ出た二人は、そのまま木々が茂る小高い丘を駆けのぼっていた。


「……ここまで、来れば。……っは、……大丈夫、かな」


 丘の頂点に達しようかという頃になって、先行するスライアがようやく歩を緩めた。レイジの腕から手が離れる。

 彼女は肩で息をしながら振り返り、走って来た方向を確認した。

 つられて視線をそちらに向けると、都市の全体像が視界に広がる。


 なにもかもが様変わりしていた。


 数百万の人口を擁していた町は、もはや見る影もない状態だ。過去の栄華や活気といった諸々をまとめて忘却の彼方へ捨て去ってしまったかのように、数々の残骸を白日の下に晒していた。

 しかもその大部分は草木の緑に侵食されており、どこからどこまでがなんの区域だったのか、住人だったはずのレイジにも判別できなかった。

 かつては都市の中ほどを悠然と流れていた第一級河川さえも例外ではない。川の形も変化しており、橋や護岸が崩れているのみならず、ほとんど水が流れていなかった。


「これが、俺のいた町だって言うのか……?」


 誰に問うともしれない言葉がこぼれる。


 既に見たものであっても、既に頭で理解したことであっても、やはりショックは大きかった。

 自分の生まれ育った町がこのような末路を迎えることになろうなどと、一体どうしたら想像できるというのか。


「なにを言いたいのか、よくわからないけれど……大丈夫?」

「ああ……いや、気にしないでくれ。……少し気分が悪いだけ。それだけなんだ」


 疑問げなスライアに対して、ごまかすようにそう言った。

 額に手を当てて、思考を切り替えるために深呼吸を一つ。


 ――いつまで動揺しているつもりだ。事実は事実として受け入れなければならない。早く現実と向き合え。

 頭の隅に残っているわずかな理性が、そう叫んでいた。

 未練にも似た感情を無理やりに振り切って、故郷を視界から外そうとした――その時。


 風景に、奇妙な変化があった。


 地上から数階分だけを残す高層マンション。その奥で、なにやら巨大な物体が動いていたのである。


「……なんだ?」


 ひび割れた壁にをかけながら、それは姿を現した。


 崩れかけた建物の後ろから現れたのは、まばゆいばかりの白色に染まった大きな影。

 あたかも人間をそのまま三倍ほどの大きさにしたような形をしているそれは、先ほどレイジが制圧した三名の兵士へと視線を落とすと、周囲を警戒するように頭部を左右に回し始めた。

 背を向けているうえ、草葉に遮られているために全身像は把握しきれない。しかし、五メートルを優に越すほどの巨体はいやでも目に付く。

 スライアに説明を受けるまでもなく、彼はその正体を知っていた。


「あれは……歩行戦車ヒトガタ、だよな?」


 ――局地歩行戦闘車。


 導電性高分子と特殊展延てんえん形状記憶合金による合成素材で形成された人工筋肉群ソフトアクチュエーターを無骨な複合装甲の外殻で覆った巨人だ。特殊車両という扱いではあるが、形状は明らかな人型である。

 開発以来、長らく戦場の覇者として君臨し続けた陸戦二足歩行兵器。


「やっぱり、神像しんぞう。逃げて正解ってところね」


 それを見つめながら、傍らの少女が独り言のようにつぶやいた。


「神像?」


 遠方に見える機影は中世の板金甲冑プレートメイルにも似た外形フォルムに加えて、各所に絢爛けんらんたる装飾の施された追加装甲を有しており、確かに最新兵器というよりはどこか神聖な像のように見えた。

 背部の武装固定点ハードポイントに装着されている機体の半身ほどもあろうかという幅広の巨剣ブロードソードが、その印象をさらに強めている。


「見たことのない形だな。どこの新型だ? ……メル、照合できるか?」

『識別信号を発していないため、外形からのみの判断となりますが、既存のデータベースには該当する機体は存在していません。照会用データのアップデートを行いますか?』

「どうせ繋がらないだろうからそれは無しだ。下手に信号を飛ばして察知されても厄介だしな」


 ここから白い機体が立っている地点まで五百メートルは離れているが、その程度の距離など歩行戦車からすればあってないようなものだ。


「見たところさっき気絶させた奴らのお仲間らしいが……どう見ても日本軍じゃないよな。あいつら何者なんだ?」

「……え?」


 何気ない独り言に対して反応を見せたのは、意外にもスライアだった。


「……ん?」

「ええっと……まさかとは思うけれど、ひとつ訊いてもいい?」


 おずおずと問いかけてくる彼女に対して、うなずきで続きを促す。


「――犯罪歴は?」

「そんな物あってたまるか! ……ちょっと待て。どうして話がそう不穏な方に向かう!?」

「変だ変だとは思ってたけれど……ここまでとは思わなかったなぁ」


 誰にともなくため息をつくスライアだが、やたらと不安をかきたてるような単語が出てきた後ともなると、レイジとしては気が気でない。

 まさか自分は気づかないうちにとんでもないことをしでかしてしまったのではないか。確信めいた予感を抱く彼の前で、少女はどこか疲れの見える表情と共に続けた。


「前科もない人間がいきなり遺跡調査の駐留警備兵ともめ事を起こすなんて……あなた、これで私と同じ犯罪者よ」

「…………おいおい、冗談だろ?」


 ある意味で予想通りの口上に、彼は諦めにも似た苦笑を口元に浮かべながらも、もはや口癖のようになってしまった言葉を発することしかできなかった。


「どういうことだ? 犯罪者って言葉が聞こえたんだが……もしかしてそう言ったか? 翻訳のミスか? それとも、ハンザイシャって音の新概念か……」

「あきれた。自覚無かったのね」


 どうやらどちらでもないらしい。


「確かに三人ほど気絶させはしたが、あれは正当防衛だ。特になにを盗んだでもなし。まさかあれで死んだはずはないだろうから、過剰防衛が適応されるなんてことも……いや、そもそもこの状態で司法がまともに機能してるはずが――」

「そういう話じゃないでしょうに。……まさか、本当にわかってないの?」


 問いにうなずくレイジを見て、彼女は困ったようにため息をついた。いましがた脱出した都市を肩越しに瞥見べっけんしたのち、口を開く。


「説明をしてもいいけれど……それより先に、できるだけ離れたいところね」

「……それもそうだな。いつあの歩行戦車ヒトガタが追いかけてくるかわかったもんじゃない」


 色々と聞きたいことはあったが、ここで話を続けるのは得策ではない。歩行戦車の件ももちろんだが、スライアのげんを信じるならば、自分は先ほどの一件で『犯罪者』となってしまったのだ。下手に動くよりは彼女の話を聞いておいた方が賢明というものだろう。


「なら、早く動きましょう」


 そう言って歩き出すスライアは、夏の盛りに近い気温だというのに、先ほど脱ぎ捨てた外套を再び身に纏った。

 頭と身体をすっぽりと覆い隠すその姿は、少し動いただけで汗を噴き出させていたレイジからしてみれば暑くないのかと思わずにはいられない格好だ。

 もっとも、薄手の素材であれば気候によっては半袖より過ごしやすいのも確かではあるから、彼女の服装は案外長旅に適したものなのかもしれない。


 少女の後をレイジは黙ってついていく。今日はこの少女の背中を眺めてばかりだな、などとぼんやり思いながら、に比べてすっかり多くなった木々を縫うように進んでいった。


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