2 荒れ野には正義が横行し



 声に驚いて振り返る。


「なん――」

「動くな」


 相手の姿を認めた瞬間には、既に胸元へ剣先が突きつけられていた。


「いいか、動くなと言っているんだ。それ以上動くなよ。……少しでも抵抗してみろ、すぐに首を飛ばしてやる」


 冷たく鈍い光を放っている武器の持ち主は、油断無くレイジを睨みながらそう警告する。


 翻訳された音声――先ほどの少女と同じ言語を使っているらしかった。


 剣を持つ男はレイジと同じくらいの背丈で、歩兵のヘルメットを少しばかり無骨にしたような金属製のを被り、胸と肩を覆う簡素な革鎧かわよろいを装着していた。


 男の肌は一般的な日本人より白く、かぶとの下から睨みつける双眸は空のような青色だ。

 中世の西洋における兵士。そんな風体だった。

 自分にとって見慣れない格好であるからか、どこか作り物めいた印象さえ抱いてしまう。

 だが――こちらに向けられている剣と敵意は、紛れもない本物の質感を伴っていた。


「お前の名前と出身、侵入の目的を言え。答えによってはタダではおかんぞ、けがらわしい墓荒らしめ」


 碧眼へきがんの男は侮蔑ぶべつするような目つきでレイジを睨みながら、高圧的な声でそう言った。

 どこかで聞いた台詞だ。自分の妙に冷静な部分がそう思うが、口から出てきたのはぼんやりとした問い返しだけだった。


「墓荒らし、だって……? なにを、馬鹿な。ここは俺の実家だぞ……?」

「家だと? 戯れ言はやめてもらおう。神々の遺した神聖なる場に許可無く住み着くなど、それだけで死に値する重罪だぞ」

「なにを、言ってる……?」


 ――抜かった、と。


 レイジは動揺を表情に出さないよう努めながら、自身の失態を悔いていた。

 目が覚めて最初に会った人間が無害そうな少女だったこともあって、油断しきっていた。

 外が安全な保証などどこにもない。心構えはしていたというのにいざ出てみればこれだ。


 加えて、相手はわけのわからないことをわめき立てているときた。

 眼前の男もスライアと同じ言語を使用しているらしく、日本語に翻訳された音声が聞こえはするのだが、言いたいことがわからないのではまるで用をなさない。中途半端に言葉が通じるからこそ、焦りが加速してしまう。


 苛烈な日光に肌が焼かれ、汗が吹き出る。あるいはそれは気温のせいではなく、緊張によるものだったのかもしれない。


「黙って時間を稼ごうとしても無駄だ。さっさと答えろ」

「……名前は早川ハヤカワ怜治レイジ。出身は日本。あと、侵入なんて言葉は不適切だ」

「ニホン? 聞いたことがないな。どの所領に属している町だ? いや、我々が知らないとなると、集落かなにかか? あるいは、外国からの旅人か?」


 最後に付け加えた抗議を完全に無視して、男は怪訝そうな顔で問い返す。

 先ほどの少女と同じ反応だ。それを見て、レイジは確信した。


 ――おそらく、この世界に日本という国はもう存在していない。


 みずから導き出した結論にショックを受けながらも、自分の立場をどう釈明したものか考えあぐねる。男の反応を見るに、日本に関する記録さえ残っていないのだろう。

 うまい言い訳を考えて押し黙っているうちに、ふと男の視線が自分から逸れた。目が向いているのはこちらの肩付近――どうやらくうに浮いているメルに気づいたらしい。


「その妙なたまころは〈遺産〉か?」


 口を開いたかと思えば、またも妙なことを訊く。質問にどんな意図があるのかを訝りつつも、レイジはそれに答えた。


「いや、まあ……遺産といえば遺産、になるかもしれないけど。父さんが作ったのを考えれば、どちらかといえば遺品の方が正しいようにも……」

「くだらん言葉遊びはやめろと言っている。それ以上続けるなら斬り捨てるぞ。……ともかく、それが〈遺産〉であることに間違いはないわけだな」

「あ、ああ……。多分、そういうことになるとは思うが……」

「なら――、っ?」


 何事かを切り出そうとした男は、どういうわけかそこで口をつぐんだ。

 それを不審に思う間もなく、レイジの耳にも砂を擦るような足音が聞こえてくる。


 発生源は、先ほどレイジが出てきた地下室への入り口だ。


(……おいおい、いくらなんでもタイミングが悪すぎるぞ)


 これまでとは別種の焦りを感じるレイジに構うことなく、その音は徐々に近く大きくなっていく。


 数秒と待たずに、地面に開いた四角い穴からが顔を出した。


「明かりが急に消えるなんて……。ランプの類じゃないことはわかっていたけれど……」


 視線を下向けて、独り言をもらしながら階段をのぼってくる。最後の一段に足をかけたところで彼女はようやく面を上げ――こちらに気づいた。


「…………え?」


 動きが固まる。


 旅装の少女、スライアはぽかんと口を開けて、レイジと彼に剣を突きつけている兵士風の男を見やる。


 数秒の沈黙が、場にわだかまった。


「ま――まずっ!?」


 その間に状況を理解したらしい彼女は焦燥の色をあらわにし、すぐさまレイジらと逆の方向へ走り出した。そちらに本来あるはずだった家屋の壁は既に無く、通行用の細い道路へ向かって駆ける。しかし、


「おおっと、逃げようったってそうはいかねえ!」

「やれやれ……面倒なことになっちまったな」


 あと数歩で道路に出ようかというところで、彼女の進行上に影が躍り出た。


 新手――いや、先ほど男が『我々』と言っていたところから察するに、隠れていただけで元々そこにいたのだろう。二人の男がスライアの行く手に立ちふさがった。彼らの風貌はレイジに剣を突きつけている男とほぼ同じだ。


 スライアは腰に帯びていた剣を抜いて構えるが、二人のうち一人が声で制した。


「おっと、妙な動きは見せるんじゃねぇぞ。下手に動けば……わかってんだろうなぁ?」

「…………」


 その言葉を聞いた彼女は黙したままこちらを一瞥する。少しの間迷うように視線を行き来させたが、やがて武器を下ろした。


「それでいい。……得物を捨てな」


 スライアは苦々しい表情を露わにしながらも、おとなしく

 手から離れた剣が地面に当たり、澄んだ音を響かせる。


(な……! なにをしてるんだ、あいつは!)


 それを見たレイジは少なからぬ動揺を覚えていた。


 敵を前にして武器を手放すなど愚の骨頂だ。逃走のために身を軽くしたいのならともかく、彼女は逃げようとするそぶりも見せない。いや、そもそも剣一本くらいであれば邪魔にはならないはずだ。背負っている背嚢リュックを捨てた方がよっぽど身軽になる。


 降伏も同義――いや、それよりももっと酷い。相手の出方次第では命の危険もあるのだから。


 何故そんなことを、とまで考えて、はたと一つの可能性に思い当たる。


 武器を手放す直前に、彼女はこちらへ視線を向けた。

 剣を胸元に突きつけられたまま動かずにいるレイジを見て、剣を捨てたのだ。


(まさか、俺を殺させないために? …………?)


 つい数分前に出会ったばかりの、名前すら明かしていない少年を助けるために、自分の身をなげうつ心づもりでいるというのか。


(――馬鹿げてる)


 助けられた当事者でありながら、彼は胸中で少女の決断を愚行と断じた。

 想定される危険に対してまるで見返りが釣り合わない。彼女にとって欠片の利益も無い、単なる自己犠牲。まったくもっておかしな話だ。

 しかし、他に理由も見当たらなかった。だからこそ彼女の行動の意図が理解できない。


「よし、顔を見せろ」


 戸惑いを覚えるレイジなど意にも介さず、少女の行く手を阻んだうちの一人が命令するように言う。スライアはそれに従って視線を男に合わせた。

 しかし、男はむしろ苛立たしげな表情を形作る。


「違う、かぶり物を取れと言ってるんだよ。手間取らせるな。……武器を隠されていても面倒だしな、それは地面に脱ぎ捨ててもらおう。背嚢はいのうもだ」

「っ、それは……」

「早くしろ。それとも、仲間が死んでもいいのか?」


 脅迫にも似た言葉と共に、彼はレイジの方に目を向ける。スライアに見せつけるような形で剣が近づけられた。あと一押しで容易に刃はレイジの胸を貫ける。


「彼は関係ないでしょう!? 偶然はち合わせただけで、仲間じゃ……」

「なら、逃げるか? そうなれば、もう一人の身は保証しないが」


 逃げてしまえばいい。彼女の言葉に嘘はなく、スライアと自分の間にはなんの関係も無いのだから。

 どんな考えがあって自分をかばい立てしているのかは知らないが、わざわざ命を捨てる理由もないだろう。

 そんなレイジの考えを知るはずもないスライアは、リュックを背から外すと、ためらいがちにフードが付いた丈長の外套がいとうを脱ぎさった。

 深褐色ダークブラウンの、女性にしては短めな髪の毛が一瞬だけひるがえり、元に戻る。

 何故そこまでして助けようとするのか。そんな疑問を覚えるよりも先に、レイジは驚きに目を見開いた。


 彼女の身体には、人間が本来有しているはずのない部分パーツが存在していたのである。


「あれは……耳、か?」


 器官としては普通の人間にも備わっている。問題なのはその形状だ。


 怯えるように固く目を閉じてうつむくスライア。その頭部には動物――猫のそれを思わせる形をした、一対の耳が生えていたのである。場所も通常のような側頭部ではなく、位置としては頭頂部に近い。


 いや、違和感の原因はそれだけではない。彼女の腰、尾てい骨があるあたり。太くゆったりとした形状のズボンにあけられた穴から、これまた猫に似たが伸びていた。膝下まで届く長さから察するに、いままではわざわざケープの下にしまい込んでいたらしい。


「なんだぁ? お前、デミスじゃねえか?」

「正確にはクオルタだ。……通達されていた墓荒らしのうち、一人の特徴と一致するな」


 レイジが固まっている間に二人の兵士が反応を見せた。

 一人は意外そうな声を上げ、もう一方がそれを訂正しながらどこからか手帳を取り出して何事か確認する。

 ところどころに意味の通じない単語が混じっていた。おそらくはスライアの総合補佐機器コンシェルジュ内に概念が存在していない言葉だったのだろう。


「へっ、通達されていようがいまいが、することは変わらねえくせによくやるぜ」

「確認はしておかないと面倒なんだよ。お前は知らないかもしれんがね。……で、どうします?」


 後半はレイジの前にいる碧眼の男に対する問いだったようだ。

 彼はこちらを視界から外さないまま、それに答えた。


「どうするもなにも、突き出すに決まっている。……大方、食うに困って荒らしに入ったというところだろう。愚かな〈けがれ混じり〉の罪は、我々ヒュマネスが裁かねばならん」

「貧民街の出、ってところかぁ?」


 スライアに近づいた男が言いつつ――いましがたスライアが地面にほうった、鋭い銀の光を発している剣を拾い上げる。


「にしては、この剣も業物わざものだな。材質と言い、装飾と言い、そこらの盗品とは思えねえ。食うに困ってるなら、まずはこいつを売っぱらっちまうんじゃねえか?」

「――それに触るな!」


 少女の鋭い叱責が、それを咎める。


「…………あん?」


 しかし、それは相手をいたずらに刺激しただけだった。


 レイジは彼女の行動に困惑し、狼狽していた。生殺与奪の主導権を相手に与えておきながら、その人間の怒りを買うような発言をするなど、正気の沙汰ではない。


「なんか言ったか? ……なあ?」


 彼女もそれを理解はしているらしい。言葉は咄嗟に出てしまったものなのか、苦い表情をあらわにしていた。


 しかし、両目は相も変わらず彼女の剣を手にした男へとまっすぐ向けられている。相手の怒りを鎮めるどころか、むしろ燃え立たせかねない行為だ。


「なんか言ったか、って、聞いてんだよ! あぁ!?」

「ひ――きゃ!?」


 頭に血が上った様子の男は乱雑に剣を投げ捨てると、手の甲でスライアの頬を張り倒した。地面に倒れ伏した彼女に、彼は怒りに震える声音で問いを投げる。


「お前、自分の立場わかってんのか……?」


 スライアは無言のまま地に手をついて上体を起こし、みずからを害した男を真っ向から睨み据えた。反抗の意思を隠そうともしないその表情を見て、男は小さく舌打ちをする。


「気に入らねえ。……気に入らねえなあ。畜生は畜生らしく、無様に這いつくばってりゃ良いものを。……ホント、気に入らねえゴミだぜ」


 自分の感情を抑制し切れていない様子の男を見て、もう一方が口を開く。


「おい、変な気を起こすんじゃない。不審者を捕まえたら報告をしろって言われてただろ?俺は面倒なのはごめんだ」

「構いやしねぇよ、どうせ手配犯だろ? 早いか遅いかの違いでしかねぇ。……それに、穢れた血は浄化してやらねぇとな」


 そう言って男は下卑た笑いを漏らし、みずからの腰に吊っている剣の柄に手をかけた。


「……どうなっても俺は知らんぞ。お前が勝手にやったことだ。――そうでしょう?」

「……いいだろう。できれば生かして突き出したかったが……死体でも見せしめにはなる」


 彼と眼前の男は特に動揺するような様子も見せず、平然と言葉を交わしていた。


「ひひっ。……そうだよなぁ、ゴミの味方をする奴なんぞ、いるわけはねぇよなぁ?」


 会話の一部は理解できなくとも、なにを言っているのかはおおよその予測がつく。理由まではわからないが、スライアを殺そうというのだ。

 そして、仲間であろう他の二人にそれを止める様子はない。

 武器を向けられているとはいえ、言葉は通じるのだ。話せばどうにかなる。先ほどまではそう考えていた。


 しかし、どうやら見通しが甘かったらしい。


「なぁおい。感謝しろよ。……俺のおかげで余計に苦しまねえで済むんだからよ。なあ?」


 にやにやと相手を見下すような笑みを浮かべながら、男はスライアに歩み寄る。


「……ッ!」


 その姿を見て、レイジは全身の血液が沸騰するような激情を覚えた。

 無意識のうちに歯が食いしばられ、ぎり、という音が頭に響く。


 ――こいつらは、紛れもなく悪だ。


 いかな道義にのっとっていようとも、年端もいかない少女を、それも捕虜として降伏した人間を殺すなど許されるはずがない。


 ――許していいはずがない。


 そこにあるのは紛れもない不条理で、あまりに理不尽な暴力だ。


 他でもない自分自身が、目の前で繰り広げられようとしている凶行を黙って見ていられなかった。


 そこから先の判断は速かった。視線だけを動かして相手方の戦力を把握する。


 敵の数は三。近くに増援の気配は無く、いずれも軽装。

 直剣で武装しているが、肩と胸部、頭部の他に防護装備は見られなかった。その防具にしてもレイジからしてみれば非常に粗末で、拳銃のひとつでもあれば容易に制圧が可能だと彼は結論づける。


 だが、現在こちらの手元にまともな武器はない。唯一ゆいいつ使えそうなものといえば――


《――メル、俺との完全フル接続リンクは可能か?》


 念話通信で傍らのメルに呼びかける。発話に頼らないこちらの方がいまは都合が良い。

 さすが機械AIというべきか、返事はすぐに来た。


《可能です。基本的な補佐機能としては知覚の強化、演算能力の向上などが挙げられます》

《他に、近接戦闘に使える機能はないか?》

《音声認識のほか、手動あるいは皮質回路デカールによる制御を必要としますが、反重力デバイス・重力制御機構アドグラヴを使用できます。低出力ながら白兵戦への応用も可能》

《すぐに予備点検を始めてくれ、……戦闘に移行する》

《了解。完全接続フルリンクへの予備点検を開始……――適応準備が完了しました。初回のみ、音声照合による承認が必要です》



「――承認する! 状況、目標の設定は省略。俺に全機能を委任しろ!」



 叫んだ途端、メルが背後へと移動する。


 金属の擦れる音をたてて半円筒状に変形すると、首筋――延髄部に止まった。即座に伸縮性合金で形成されたベルトが首に回され、メルの機体がチョーカーのように固定される。


 直後、脳に小さな刺激が走った。視界がほんの一瞬だけ暗転し、すぐさま復旧する。


 その時点で既にメルとの接続は完了していた。


 人間のそれよりも遙かに高性能な各機関が、そのまま自分の感覚器官として機能し始める。知覚可能範囲が広がり思考が鋭敏化する。


「っ……おい、貴様! 動くなと――」


 いきなり大きな声を出したレイジに対し、眼前の男が語気を荒げたが――遅い。


 瞬時に腰を落とし、体側たいそくへの体重移動で剣を避けつつ距離を詰め、握り固めた拳で相手の鳩尾みぞおちを的確に打ち抜く。


「が、は……っ!?」


 呻き声を上げながらくずおれた身体が地面に倒れ込むよりも早く、手からこぼれ落ちた直剣を拾い上げた。


 余勢を殺すことなく次の一歩を踏み出す。

 朽ちた建材が散乱している足場の悪さをものともせず、レイジはスライアを尋問していた二人の男に向かって一直線に駆けだした。


「なんだぁテメェ、俺たちに盾突こうってか? それがどういう意味かわかってんだろうなぁ!?」


 耳障りに片方の男が吠え、前方の二人がほぼ同時に剣を抜く。


「っち、意外に重たいんだな、これは……!」


 レイジがいた『学校』の近接戦闘術は、基本的に武器を持たない状態での護身に重きを置いている。


 彼我の距離によっては拳銃程度の武装を有する人間も制圧できるが、こんな中世以前の骨董品アンティークを扱う訓練など受けていない。無論、敵が持っている場合など想定外だ。


 相手も軍人の端くれである以上、剣術では勝てないだろう。


 だから、まずはその武器を無力化する。


「伏せろ、スライア!」


 鋭く叫ぶ。彼女が咄嗟に地面へ伏せると同時に、レイジは剣を力の限りに


「な――ぐぅっ!?」


 回転しながら飛来する銀閃を、スライアから離れている方の兵士が剣の腹で防御する。弾かれた長剣はそのまま直上高くへと跳ね上がった。


 胸の前にまで持ち上げられた武器を迎撃に使うには構え直す必要がある。ほんのわずかな隙だが、その一瞬で十分だ。投げつけた剣の影から既にレイジは相手に肉薄している。


 驚愕に顔を歪める男の顎先へ、横から抉り込む形で掌底しょうてい打ちを喰らわせる。脳を揺さぶられた相手はそのまま仰向けに倒れ込んだ。


 先ほど弾かれた剣が地面へ落ちる直前、それを後ろ手に受け止める。

 曲芸のような芸当だが、鍛えられた肉体と適切な演算補佐、皮質回路デカール動作補正機能フィードバックシステムがあればこの程度は造作もない。


「の、野郎ぉ……っ!」


 残る一人がようやく反撃を試みる。背後から剣で斬りつけようとするが、それはもう。メルと視界を共有している現時点でレイジに死角など存在しない。


「――危ない!」


 遅れてスライアの警告が耳に入る。

 だが、言われるまでもなく対策は済んでいた。


 空いている左手を後方に向け、座標指定の基軸とする。強化された演算能力を駆使して出力計算を即座に完了させ、レイジは脳内でコマンドを叩き込んだ。



 ――重力制御機構アドグラヴ、起動。



 ぶん、というかすかな振動が周囲の空気に伝播でんぱする。


 それとほぼ時を同じくして、高々と掲げられていた直剣が全力で振り下ろされた。


「……なっ、……なんだ、こいつぁ!?」


 直後、男は怒気を帯びていた顔色を一変させ、慌てるような声をあげた。


 無理もない。振り下ろしたはずの剣が、レイジの掌に触れる直前で押しとどめられていたのだから。


 まるで不可視の盾――いな、レイジの手と剣とを隔てる空間が、ゆがんでいた。


 透明なレンズ状の物体が存在しているかのように、その一帯だけ光が奇妙にねじ曲げられている。その歪曲した場によって、剣の刃がぴたりと空中に固定されていたのだ。


 男は顔を真っ赤にしながら腕に力を込めるが、やはり結果は変わらない。せいぜいてのひらまでの距離を数ミリ縮めた程度だ。


「んな、馬鹿な……テメェ、テメェは……!」

「安心しろ。状況もわからない以上、殺しはしない」


 言いつつ、使用している機構デバイスの出力を増大させる。

 直後、下から砲弾でも喰らったかのように剣が跳ね上がり、勢いを殺しきれなかった男は大きく体勢を崩した。


「――ふっ!」


 鋭い呼気こきと共にレイジは一歩を踏み出し、そのまま相手の懐に潜り込む。


「まさか、魔術師ウィザード――ッ!?」


 怯えるように発せられた言葉が最後まで紡がれることはなく――繰り出した直剣の柄が喉笛に突き刺さった。


 緩やかに崩れ落ちた男はしばらく苦しげに呻いていたが、やがて意識を途絶させたらしく、地に伏したまま動きを止めた。


「っ、はぁー……」


 汗粒が頬を伝い、吐息が漏れる。心臓の拍動がやけに早かった。


 超低度にまで代謝が抑えられていたとはいえ、長期に渡って激しい運動を行っていないのだ。身体を慣らしもせずに急な動きをすれば、当然肉体へのダメージは大きい。


 念のためにメルのセンサーを用いて近くに敵の気配が無いことを確認してから、接続を解除した。


『お疲れ様でした、レイジ』


 メルがレイジの首筋から離れ、半円筒に近い形から球体へと戻る。


 張っていた緊張が緩み、脱力。

 手から離れた剣が地面に落ちて気の抜けた音をたてた。


「重力子の局所的集中による重力偏向へんこう力場――擬似的な斥力場の生成。……お前が浮いてるのも同じ原理か」


 脈拍は落ち着きを見せない。レイジは気を紛らわすために先刻使ったメルの『機能』について軽く質問を投げる。


『厳密に言えば異なりますが、内蔵の重力制御機構アドグラヴを使用しているという点では同じです』

「そうなると、人間も生身で空を飛べるのか?」

『数十秒程度であれば不可能ではありませんが、長時間となると無理でしょう。私が開発された段階では、未だ出力の増大には至っていなかったようです』

「それでもその機体に入るような小さい動力源と機構でこれだけの出力だろ? 大型化すれば戦車だって飛ばせるんじゃないか?」

『技術的な問題から、単に大型化すれば最大出力が上がるというわけではないようです。小型化や効率化という面では成果を上げたようですが、本格的な軍事転用はまだ先かと』

「はっ。、か……」


 その言葉に思わず自嘲的な笑いを漏らしてしまう。もちろんAIであるメルにしてみれば、皮肉を込めた言い回しなどではなかったのだろうが。


 動悸が収まったところで周囲を見回す。目的の物はすぐ足下にあった。


 かがんでそれを拾い上げる。細身の剣――スライアの持ち物である。

 これまた骨董品を思わせる両刃の直剣だが、よくよく見てみれば柄の部分には銀細工のような意匠が施されており、美術品としても見栄えしそうな一品だ。

 確認もそこそこに、それを本来の持ち主に渡す。

 

「ほら」

「…………え?」


 地面に座り込んだまま呆然とこちらを見上げる少女は、差し出されるままに受け取り――理解できないとでも言いたげに、剣とレイジを交互に見やっていた。


「いくらなんでも敵の前で武器を捨てるなんて愚策にもほどがある。大事な物だっていうならなおさらだ。……どうした、いらないのか?」


 スライアはなにやら物言いたげな視線をこちらに向けていた。彼女はしばらくは黙り込んでいたが、やがて意を決した様子で口を開く。


「どうして――」

「どうして助けたのかって訊きたいんなら、それは言いっこなしだ」

「……私は、逃げようとしたのよ?」

「俺のことさえ気にしなきゃ簡単に逃げられたはずだろ? それでもお前はあの場に留まった。逆に訊くけどな、それはどうしてだ?」

「それは……」

「その答えがそのまま俺がお前を助けた理由になる。そういうことだ。俺が勝手にやったことだから礼はいらないし、そのかわり俺も礼は言わない。それで手打ちにしよう」


 レイジは話を切り上げるようにそう言って、気絶したまま地面に横たわっている男たちを一瞥する。


「襲ってきたこいつらの素性が知りたいところだが……いや、それよりも先に訊いておく必要があるな」


 目の前の少女に――彼女の頭部に生えている、明らかに人間と異なる部位に視線を戻して、彼は問うた。


「お前は何者――いや、?」

「…………」


 唇を引き結んだままうつむく彼女の姿は、黙秘を貫こうとしているというよりは、むしろ自分の中にある答えを探しているように見えた。


 無論、質問の意図が伝わらなかったというわけではあるまい。レイジの両目はいっそあからさまとも評せるほどの直接さで、獣のような彼女の耳と、背後にゆらめく尻尾を見つめている。


「……私は、――っ!?」


 長い長い沈黙を経て、スライアがようやく言葉を紡ぎ出そうとしたとき、彼女の耳がぴくりと動いた。


「待って。なにか、変な音が聞こえる」


 違和感を覚えた様子で言って、目を閉じる。じっとしている彼女の、異様な形をした耳だけがただなにかを探るように小さく動いていた。


 不審に思いつつもレイジは黙り、同様に耳を澄ませる。


 風に揺られる木々のざわめきと、その幹に止まる蝉のけたたましい鳴き声、鳥の羽ばたき。安らぎすら感じるような自然の音に混じって――ずん、ずん、という低く重い音が遠方から聞こえてきた。

 少し遅れて、かすかな震動が足下に伝わってくる。


 それは次第に大きく近くなり、やがて注意せずとも聞き取れるまでにはっきりとした輪郭りんかくを帯び始めた。


「これって――まさか」


 スライアの顔色が変わる。彼女は緊張と焦りの混じった表情で自分の荷物と外套を手早く拾い集めると、そのままレイジの手を掴んだ。


「早く行かないと。……いまならまだ逃げ切れるかもしれない」

「逃げる? どういうことだ? いや、それよりこの揺れと音は……」


 レイジにしてみても、それはやけに聞き覚えのある音ではあったのだが――おそらく急激な戦闘行動の疲労がまだ尾を引いているのだろう。記憶の底から正確な情報を引き出すことができずにいた。


 戸惑う彼の腕を少女が掴む。見かけによらず、その力は強かった。


「いいから早く!」

「お、おいっ!?」


 手を引かれるままに、レイジは駆けだした彼女の後をついていったのだった。


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