フローズン・ウィザード

伊森ハル

Chapter 01 -Der Apostel-

1 暗闇より出ずるもの

 ――深い闇の底から、意識がゆっくりと浮上してくる。


 全身にからみついていた冷気が徐々に消えてゆき、肉体が感覚を始める。弱々しい心臓の拍動が強みを帯び、手足の先々に血液が巡りだした。


 甘い痺れが、まぶたを開かせる。


「ん……」


 吐息が漏れる。

 はじめに見えたのは茫漠ぼうばくと広がる薄闇だった。自分が仰向けに寝ていることに気づき、腕を上げる。手の甲に触れた堅い感触を手がかりに上体を起こした。

 身体の感覚が鈍い。

 彼はしばし身じろぎをしつつ、自分の置かれている状況を知ろうとする。だが、いかんせん視界が悪かった。


「明かりをつけてくれ」


 慣れた所作で上方に呼びかけるが、音声認識の調子が悪いのか照明に反応はなかった。


「動かない? ……壊れてるのか?」


 頭蓋ずがい硬膜こうまく下に埋め込まれた人工副脳組織セカンダリーブレイン――皮質回路デカールを介して、脳波での働きかけを試みる。電子拡張された視界の端に一行の操作履歴ログが現れた。

 数瞬の遅延ラグはあったが、今度はうまく照明が動作した。

 急増した光量に目が慣れるまでは少々時間を要したものの、これでようやく周囲の様相が明らかとなった。


 自分が着込んでいるのは入院患者が使うような薄青色の患者衣だった。ごく軽い生地で作られているはずだが、ひどく重いように感じられる。


 座っている物体に目を向ける。一時期流行した酸素カプセルのような形をした機械だ。天井に向かって中身をさらけ出しているそれは、既に動作を停止しているらしい。


 照明の光を受けて照り映えるカプセルの覆いに、自身の姿がかすかに反射されていた。

 痩躯の少年。ただし、服の隙間から覗く身体にははっきりとわかるほどに筋肉がついており、日頃から激しい運動を行っていることを伺わせている。

 頭髪は普段より少々長く、それが違和感を生じさせていたが――不機嫌そうにも見える鋭い目つきや、堅く引き結ばれた唇は紛れもなく見慣れた自分のそれだった。


「一体、なにが……」


 周囲を見回す。いまいるのは十畳ほどの広さを有する小部屋だ。

 真っ先に目を引くのは壁面に張り付く形で設置されたモニターと、それに付随する各種大型演算装置メインフレームだ。併せて部屋の片隅に小さくまとめられた作業スペースの配置は、使用者の無精ぶしょうな性格を窺わせる。


 自分の生家――父の研究施設として使われていた地下室。幼い頃から見慣れた風景だ。ただし、状態がひたすらに異様だった。


 人の痕跡が一つとして見られないのである。


 埃が堆積した机に、床。椅子の近くに投げ出された紙媒体の資料はボロボロに朽ち果て、読めるかどうかすら怪しかった。研究以外に無関心な父は掃除好きではなかったが、歩けば足跡が残りそうなほどになるまで放置されているというのはさすがに不自然だ。


 音は無く、聞こえるのはただ自分の息づかいと心臓の鼓動だけだった。思考がうまく回らない。疼くような痛みのある額へと手のひらを当てて、どうにか記憶を探る。


 自分はいつも通りの一日を過ごしていたはずだ。

 普段と同じように学校で教練を受け、いくつかの座学や実技の日程を終えた後、寮に戻って就寝する。さしたるトラブルもなく、規則正しい生活を送っていたはずなのだ。その記憶と現状とのかけ離れ具合がひどくもどかしかった。


「くそっ、思い出せない……。そもそも、どうして実家こっちに俺がいる?」


 皮質回路デカール記憶領域ローカルストレージには日常的な記録を残していない。しばらくの間そうして考え込んでいたが、記憶はどうも曖昧だった。

 カプセルから降り、床に足をつける。素足に冷たい感触が伝わってきた。

 同時に、うっすらと記憶が戻ってくる。


「そうだ、確か……父さんに呼び出されて、学校から家に帰ったんだ。それで……」

『――電源供給の途絶を確認。初回本起動シークエンスに移行します』


 無意識に漏れた彼のつぶやきに反応するように、そんな声が背後から聞こえてきた。驚いている暇もなく、視界に一つの影が入り込む。


『試作型・軍用第四世代総合補佐機器コンシェルジュ・暫定形式番号LCO-42〈メルクリウス〉です』


 ふわふわと空中に浮かびながらそうのは、黒色の球体だった。握り拳ほどの大きさで、表面に配された複眼のような五つの点が赤い光を発している。


 総合補佐機器コンシェルジュ


 その名の通り人間に対する様々な補佐を目的として作られた一種の端末デバイスだ。半世紀ほど前の携帯電話に相当するものだが、機能および性能はそれを凌駕している。


『登録を開始します、ご主人様マスター。IDナンバー2341213025。住基データベースへのアクセス――失敗。データ取得方法を切り替えます』

「どうして総合補佐機器コンシェルジュがここに? いや、それよりも……登録と言ったか?」


 驚愕よりも疑念がまさった。戸惑いながらも問いかけるが、眼前の機械――メルクリウスはそれには答えず、皮質回路デカールから読み取ったのであろう情報を羅列し始める。無機質で中性的だが、どちらかといえば男に近い機械音声だ。


『――登録名、早川ハヤカワ怜治レイジ。性別、男。年齢、17歳。出生、日本国。所属、国立第三士官養成学校』


 そこまで言ってメルクリウスは黙り込んだ。おそらく情報が読み取れずにいるのだろう。日本国軍の予備訓練校たる士官学校に通うレイジの個人情報には軍人と同程度の機密保護プロテクトが施されている。


 もっとも、登録をするだけならこれで十分なはずだ。予想通り、数秒の沈黙を経て、メルクリウスが抑揚の乏しい音声で話し出す。


『登録が完了しました。よろしくお願いします、レイジ。私のことは好きにお呼び下さい』

「じゃあ……メル、かな。早速だが、質問がある」

『なんなりと』

「……この状況は、一体どういうことだ?」

『質問の意味が理解できません』

「なら質問を変えよう。試作型、って言ってたな。お前の製作者は誰だ?」

早川ハヤカワ総一郎ソウイチロウ、という名前だけが記載されています。詳細は不明。――その他、一部の情報データに不具合が生じています。不良セクタの自己修復、失敗』

「父さんが?」


 父の名が出てきて、驚くというよりは納得した。彼は機械工学系の研究者だ。外に出ることを嫌って自宅に研究室を置くような人間だから、試作品がここにあったとしてもおかしな話ではない。身近な名を聞いてほんの少しだけ緊張が和らぐ。


「ひとまず俺の記憶に間違いは無いらしいな。……じゃあ、そうだな。これがなにかわかるか?」


 レイジは先ほどまで自分が座っていた独特な形の大型カプセルを指さした。メルは空中を移動し、走査スキャンを開始する。


『――解析が完了しました。製品ラベルコードが存在していないため断定はできませんが、一種の冷凍睡眠コールドスリープ装置と推測されます』

「はあ!? おいおい……なんだってそんな物に俺が?」


 予想だにしない回答に、大きな声が出てしまう。


 人体の代謝を極限まで低め、仮死状態にして保存する冷凍睡眠コールドスリープそのものはさして珍しくない。それこそ、相応の金さえあれば個人レベルでも運用が可能なほどには一般化された技術である。


 問題は、なぜ自分がそんな物に入っていたのかということだ。


『私には記録が残されておりません。現在、施設内の設備と通信を試みていますが、大部分は機能を停止しているようです。記録の復元作業サルベージは困難かと』

「どれくらいの間、俺は眠ってた? 今は何年なんだ? 西暦で構わない」

『その冷凍睡眠装置も機能を停止しているようです。限界を迎えたものかと。また、私の内蔵時計機能も設定前のため、年号及び時刻の把握は不可能です』

「つまり、何年経ったかはわからないってことか?」

肯定イエス。――ただし、十年や二十年では効かないでしょう』

「なっ……! どうしてそんなことが言い切れる!」

『装置が機能を停止したのはあらかじめ設定されていた年数に達したか、あるいは限界を迎えたためであると考えられます。冷凍睡眠コールドスリープ装置はその性質上、超長期に渡る運用を目的としています。法定最長耐用年数は五十年ですが――工業生産品ではないため、それを無視した構造である可能性もあります。無論、違法ではありますが』

「……」


 それを聞いたレイジは思わず額に手を当てて黙り込んだ。目を閉じて深く呼吸する。

 いくら精神的動揺をおさえるための訓練を受けているとはいえ、限度はある。意図せずして思考がそのまま口から漏れ出た。


「…………ちくしょう。恨むぞ、父さん……」


 まで過ごしていた日常が、文字通り遠い過去となる。戦場に赴けばいずれは起きることだと覚悟こそしていたものの、よもやこんな形で実現するなどとは思いもしなかった。


 毎日のように顔を合わせていた学校での友人も、厳しい教練を繰り返していた教官も、唯一の肉親である父でさえ。一瞬にして会うことのできない過去へと置き去りにしてしまったのだ。

 父の名を耳にして感じたちっぽけな安心など、どこかへ吹き飛んでしまっていた。


「あぁっ、くそっ!」


 沈みゆく気持ちを無理やり上向けるようにレイジは声を張り、思考を切り替えるために頭を大きく振った。


「……うだうだ悩んでてもしょうがない、外に出よう」


 いつまでも落ち込んではいられない。行動を起こさなければ事態は好転しないのだ。自分と同じように冷凍睡眠コールドスリープを行っている人間が近くにいないとも限らないし、ここ以外の場所には『なにが起こったのか』を知る方法が残されている可能性だってある。

 常に自分を取り巻く環境を考慮し、最善の策を講じること。学校で嫌というほど聞かされてきた言葉だった。


「さしあたって必要なのは装備……いや、それ以前に服か」


 顔を上げ、周囲に目を向ける。

 情報はまるで増えないが、自分を装置に入れたのはおそらく父で間違いない。

 ならば、目がさめたときのために衣服くらいはどこかに残してあるはずだ。


「――ん? これは……」


 拍子抜けするほど簡単にそれは見つかった。冷凍睡眠装置のすぐそばに軍仕様の長期保管用アタッシェケースが置かれていたのである。一度封をしてしまえば千年は劣化を極小に抑えることができるとうたった代物だが、実際のところは疑わしい。

 いくつかのロックを手早く外し、中身を確認する。一人分の衣料と頑丈そうなブーツ、簡素なサバイバルキットが入っていた。一見して不具合はないようで、新品同様とまではいかないものの、使用に耐えられるだけの強度は十分に保っていた。


「軍のうたい文句もどうしてなかなか、馬鹿にはできないもんだな。あとは、書き置きかなにかがあればいいんだが……っと」


 手がかりが残っていないかと中を探ってみる。堅い手触りに気づき、それを手に取った。


「……ガラス、か?」


 三センチ四方ほどの、ガラス片に似た透明な板だ。キットに含まれていたミニライトを当ててみると、中が白くぼやけているのがわかる。


「なにかの記録媒体か?」

 問いつつ、メルの前へと差し出す。

『照合を試みましたが、不明です』

「意外と役に立たないな」

『一部の情報データに不具合が生じています。不良セクタの自己修復、失敗』

「それはさっき聞いた。……仕方ない。どこか別の場所を探すしかないか」


 これからの行動方針を考えつつも患者衣を脱ぎ捨て、オリーブ色のズボンやジャケットを着込んでいった。小型のポーチとホルダーをベルトに通し、多機能型のアーミーナイフやミニライトといったいくつかの道具を取り出しやすい位置に入れる。


『――通信可能な機器を発見しました』


 最後に先ほどのガラス片をポーチへ放り込み、外に出る用意が整おうかという時、メルが唐突にそんな報告をよこした。


「……っ、なんだって?」


 驚きを押し殺し、努めて小さな声で聞き返す。


総合補佐機器コンシェルジュであると推定。照合を開始します』

《――相手の位置を割り出すことは可能か?》


 侵入者に声を聞かれる危険性を考慮し、皮質回路デカールを使用した念話通信に切り替える。音声による発話とほとんど変わらない聞こえ方でメルの返答が伝わってきた。


《同定に成功。フリージア社製、第二世代総合補佐機器コンシェルジュ〈アナザーオーガン〉です。対象は階段を降り、こちらへ向かって移動中。通信を開始しますか?》

《いや、通信は待て。……こっちの存在は、向こうに察知されてるのか?》

《不明です》


 状況がわからない以上、不用意に身をさらけ出すのはまずい。総合補佐機器コンシェルジュがあるということは少なくとも人間がいることになる。問題はそれがだ。


 相手が知っている人物かどうか、などといった次元ではない。対処を誤れば、それこそ命を落とす恐れさえある。


 中東以東のユーラシア大陸諸国が結成したアジア太平洋共同体APC英露欧州連合BREUと仲が悪く、いつ戦争が起きてもおかしくない緊張状態に陥っていた。技術提携を目的とした同盟を米国アメリカと結んでいた日本は無用な関係悪化を恐れてAPCの大勢から独立した方針を掲げていたものの、風向き次第では兵力の投入を余儀なくされるだろう。


 自分が眠っていた間にどれほど情勢が変化したのか、外部との通信ができない以上は把握のしようがない。冷凍睡眠コールドスリープ装置に入っていた時間がどれだけの長さかもわからないのだ。


 加えて、この不穏な雰囲気。


 父がどんな意図で自分を眠らせたのか。理由はいくつか考えられなくもないが、ろくな説明もできないほど切羽詰まっていたのは明らかだ。


(敵か味方か……どっちにしても、気楽に構えてられる状況じゃなさそうだ)


 ことによると日本にまで敵が侵攻している可能性もある。警戒をするに越したことはない。

 ――こつ、こつ。という硬質な足音が聞こえてくる。その音は徐々に大きく響くようになっていく。明らかにこちらへと向かっていた。地下には二つの部屋があるが、明かりに気づいてここへ来ようとしているのだろう。

 照明をつけたのは迂闊うかつだった。だが、いまさら悔やんでもいられない。消すこともできるが、それはそれで自分の存在を知らしめることになる。


 レイジはゆっくりと出入り口のすぐ近くまで移動した。壁に背中をはりつけて息を殺す。

 ポーチの中から先ほどのキットに含まれていたアーミーナイフを取りだし、刃を出して構えた。


(設備の誤作動だと思ってくれればいいが――)


 足音から察するに侵入者の数は一。先手を取ることは十分に可能だ。


 音が少しずつ大きく、近くなってくる。


 自分よりも一回り小さな影が部屋の中へと入ってきた瞬間、レイジは動いた。


「――動くな。妙な動きを見せれば殺す。お前の名前と所属、侵入の目的を答えろ」


 相手の背後に回り、脇から腕を差し込んで拘束しつつナイフの刃を首筋に突きつける。白兵戦用の装備ではなく殺傷力は低いが、脅しとしては有効なはずだ。


「ふむぁっ……!?」

「動くなと言ってるんだ!」


 不意を突かれたらしい相手は混乱した様子でもがこうとするが、できる限り相手を威圧するような声音でそれを制する。

 なにしろこちらはほとんど丸腰だ。先方が近接戦にどれほど熟達しているかはわからないが、どうであれ隙を突かれれば危うい。


 ナイフの腹を首に押し当てる。

 脅しが効いたのか、相手はすぐにおとなしくなった。侵入者はレイジに比べて身長が頭一つ分小さかったが、フードで頭をすっぽりと覆い隠しているせいで顔を直接見ることはできなかった。

 左の腿に堅い感触。

 拘束を固めたまま視線を下げると、相手は腰にを帯びているようだった。

 なぜこんな時代遅れの遺物を、という疑問を浮かべた瞬間。



「――う、うぁらるてゅ?」



 レイジの耳を、奇妙な音がくすぐった。


 草葉くさばを揺らすそよ風にも似た、薄く、澄んだ響き。メルの平坦な合成音声とは違って、明らかな肉声だ。

 女性の声であることに軽く驚いたが、いや、それよりも――


「……なんだって?」

 肝心の言葉がまるで理解できない。

「らぃえるうぃひ、いんげるにと」


 こちらの動揺を誘っているのかとも思ったが、相手はあくまで意味の通った言語としてこちらに話しかけてきているようだった。

 相手は首に押し当てられたナイフを意にも介さぬように、顔を横へ向けた。

 フードの中の顔が見えるようになり、二人の視線が交わる。


「……ひゅまねす」


 静かに驚くような声でそうつぶやいた少女の唇は、花弁のように薄かった。目鼻立ちのはっきりとした、ともすれば西洋人のそれに近い顔立ちである。

 白味の強い肌の色も、東洋人のそれからはかけ離れていた。大きく見開かれた琥珀色アンバーの瞳にはレイジの顔が大写しにされている。

 少女は先刻の一言を最後に口をつぐみ、アーモンド型の瞳でじっとこちらを見つめていたが――やがて諦めたように目を伏せた。


「えりん、うぁらるてゅ? えいれるにあ、れぃがすい? ……おるら、せんてるりあ?」


 そうしてまた、意味の通じない声を発し始める。

 しばしの間あっけにとられていたレイジはそこで我に返り、皮質回路デカールの翻訳機能を起動する。


 新定規準英語スタンダードイングリッシユ欧州連合統一語リンガフランカ、スペイン語、アラビア語、ロシア語、ドイツ語、中国語、ヒンディー語、……その他、いくつかの世界主要言語と照合を試みる。


 しかし、適合する言語は見当たらなかった。


「どういうことだ。……どうして翻訳ができない!?」


 もう一度試してみるが、結果は変わらなかった。

 視界の端でエラー表示が明滅するだけだ。おおよその主要言語をカバーしているはずのソフトで翻訳ができないという事実は、相手が少数言語話者である可能性を示唆していた。


『〈アナザーオーガン〉が当機へ相互通信を要請しています。ルィエル語の翻訳ドライバをダウンロードしますか?』


 傍らで待機していたメルが、そう報告をよこす。

 聞いたことのない言語名だ。やはり相手は少数派の言語を使っているらしい。


「……わかった、頼む。ただし、怪しいところがあったらすぐに通信を切れよ」


 躊躇が無かったわけではないが、意思疎通ができなければ事態が進展しないのも確かだ。

 数瞬の沈黙を経て、メルが再び話しだす。


『ウイルスチェックの結果、問題は検出されませんでした。自作プログラム――訂正、対象機の自動生成によるプログラムのようです』

「自動生成? こいつの総合補佐機器コンシェルジュが勝手に作り出したってことか?」

肯定イエス。対象機の近辺で交わされた会話から得られた単語を人間でいう普遍文法に当てはめ、各々の言語へと再翻訳しているようです。多くの自律型AIに備わっている記号創発きごうそうはつシステムによる産物であると推定されます』


 第二世代の総合補佐機器コンシェルジュはその多くが装着型端末ウェアラブルデバイスとして開発されている。少女がどこに装着しているのかは見えないが、おそらく普段から身につけているのだろう。


「なら、まあ……問題はなさそうか。インストールを開始してくれ」

『了解』

「くぃえてると、てゅーげんりっつぇれん――だっていうの? ……やっぱり変。あなたは、どうやってここまで来たの? この国の人間……じゃ、ないか」


 規格が違うとはいえ、さすがに機械同士の通信は早かった。十秒と経たない内に、こちらに向かって発せられていた無意味な音の連なりが日本語へと切り替わる。少女の声紋サンプルも同時に採取したのか、声質にも変化は無かった。


「まずはこっちの質問に答えてもらおうか」

「え? ……なんて言ったの?」


 おかしい。


 翻訳機能を使っているのに、こちらの言葉が相手に伝わっていない。翻訳は双方向に働くはずだ。相手の言葉が理解できる以上、誤作動や不調というのは筋が通らない。


「ねえ、聞こえてる? さっきからなにを言ってるの?」

 続く声を無視して、少しの間考え込む。やがて一つの可能性に思い当たった。

「……おい、メル。もしかしてこいつ」

『――はい。皮質回路デカールやそれに準ずる拡張臓器サイバーウェアを有していません』

「なんの手術も受けてないってことか? ……いまどき、どこの田舎者だよ」

『不明です』

「独り言には反応しなくていい。ひとまず、音声翻訳を頼む」

『了解』

「……さて、俺の言葉は通じるか?」

「ひゃあっ!? た、たまがしゃべった……!?」


 レイジの問いかけ――正確にはメルが発した翻訳音声に、少女は驚きの声を上げた。メルを介してでも会話が可能なら話は早い。


「いまのこいつは俺の言葉を翻訳してくれているだけで、実際に話してるのは俺だ。まあ、それはいい。ひとまず質問に答えてもらおうか。……名前と所属、侵入の目的を答えろ」


 少女は言われていることの意味がわからない風で、戸惑うように黙っていた。翻訳が上手くいっていないのかと思い、質問を繰り返そうとした段になってようやく答え始める。


「……な、名前はスライア。……スライア・ヘリェルテリア。所属っていうのはよくわからないけれど、一応センテルリアの出身。ここに入った目的は多分、あなたと同じよ」

「やっぱり日本人じゃないのか。セントラリア……米国アメリカの町だな。どうしてアメリカ人が日本にいる? 英露欧州連合BREUとの戦争について米国は静観を決め込んだはずだろう。漁夫の利を得るために途中から参戦したのか? ……日本はいま、どうなってる?」

「私の出身はセンテルリア。セントラリアなんて町は知らないし、ましてやアメリカなんて国は聞いたこともないわ。ニホンっていうのは国? 街? ……それとも、集落?」

「……帝国、だって?」


 思わず眉をひそめる。


 第二次世界大戦における太平洋戦争が米国とのに終わり、大日本帝国が解体されて以後、世界に『帝国』を冠する国は数えるほどしか生まれていないし、それらだって長くは保たずに消えていったはずだ。


 レイジの声に含まれる疑問の色を聞き取ったのだろう。スライアと名乗る少女はいくらか緊張した様子で答える。


「そう。西のエルニエストに渡る途中。正確に言えば、小国連合のうち、行こうとしてるのはサンキルレシア。新しい大遺跡が見つかったっていうから、どうにかそこまで行けば私も職に就けるかと思って」

「小国連合? アジア太平洋共同体APC成立直前の中東は確かにそう呼べなくもないが、そんな奇妙な呼び方はされていないはずだ。未だに自爆もいとわない狂信者がいるって意味じゃ〈連合〉ってのも的を射た名前かもしれないが……いや、それはどうでもいい」


 混乱も相まって話が妙な方向に進んでしまった。


 頭がうまく働かない。情報が少なすぎる。


「なにを……お前は、なにを言ってるんだ?」

「……それはこっちの台詞よ。さっきからわけのわからないことを言ってるのはあなたの方じゃない。変な球を使って話すし、かと思えば妙な質問ばかりしてくるし……」


 まるで話がかみ合わない。疑問を解消しようとすればまた新たな不明点が立ち上がる。だが、話し方を検分してみても、彼女が嘘をついているようには思えなかった。


「……質問を変えよう。目的が同じ、って言ったよな? それはどういう意味だ?」

「どういう意味って……そのままの意味でしかないわ。だってあなたも同業者でしょ?」

 訝しげな声音を隠そうともせず、彼女は続ける。

「同業者? まさかお前、軍人なのか?」

「軍人!? あなた、帝国常備軍の人間だっていうの?」

「どうにも話がずれるな。……見たとこ、敵じゃなさそうだが」

「敵じゃないって言うなら、まず刃物をどけて欲しいところね」


 小さく漏らした独り言まで翻訳されていたとは、やはり機械は細かいところで融通が利かない。レイジは傍らで浮遊するメルに非難の一瞥いちべつをくれつつ、スライアを解放した。ナイフをたたんでポーチにしまい込む。


 スライアは警戒するように二、三歩遠ざかると、こちらに向き直った。二人の距離が離れたことで、彼女の全身像が明らかとなる。


 フードが付いた枯草カーキ色のケープが頭からもも近くまでをすっぽりと覆っているためにわかりづらいが、身長は低く、肩幅も細い。年の頃はレイジと同じか、あるいはそれより少し幼いくらいだった。

 ちょっとした野営装備くらいなら入りそうな薄めのリュックを背負っているが、先ほど拘束したときも邪魔になっていなかったあたり、さほど大きな物は入っていないらしい。


 どう見ても軍人には思えないな、とレイジは内心で彼女をそう評する。重ねていえば、現代に生きる人間の格好とは思えなかった。


 ――大昔の西洋の旅装、というのがもっとも近い表現か。


 ケープの隙間から見えるインナーは、全体的に余裕のありそうな服装だ。すそにしつらえられている格子状の模様は、ともすれば民族衣装のようにも見える。腰に吊られた細身のさやと革製であるらしいブーツの物々しさが、軽やかな外套がいとうの雰囲気とは不釣り合いにも感じられた。

 左手首には白色の腕輪をつけていて、全体的に暗めな色調の中ではそれだけが浮いている。外観を見るに、おそらくあれが彼女の総合補佐機器コンシェルジュなのだろう。


「まさか本当に解放するなんて……」


 と、スライアが不思議そうに首をかしげた。それにあわせて、フードから覗く黒に近い深褐色ダークブラウンの前髪が揺れる。

 整った顔立ちも相まって微笑ほほえんででもいれば思わず魅了されそうなかわいらしい所作だが、その顔に張り付いているのは、どこか拍子抜けしたような憮然とした表情である。


「確かに早い者勝ちが同業者の決まりだけれど……それでいいの? 私を自由にしたら、あなたの取り分が減るだけよ」

「言ってる意味がわからないって言ってるだろ? いいも悪いもあるか。不法侵入で訴えたっていいが、この様子じゃ司法どころか警察が機能してるかどうかも怪しいからな」

「そう……?」

 なおも釈然としない様子で、彼女はこちらを見続ける。

「特になにもないなら俺は行く。……手違いとはいえ脅したりして悪かったな」

 一向に動きを見せない少女を尻目に、レイジは出口へ向かって歩き始めた。この様子なら、背後から刺されるという心配もあるまい。

「ねえ」


 しかし、予想に反して背中に声がかけられた。

 レイジは小さく嘆息たんそく。半眼になって振り返る。


「なんだよ、まだなにかあるのか?」

「……外に出るの? じゃあ、ここにある物は私がもらってもかまわない?」

「居住者にそれを訊くのか。きもが据わってるというかなんというか……。ま、どうせ機械類は全滅らしいし、手がかりも見つけられそうにないからな。好きにしてくれ」


 なおも不思議そうな顔でこちらを見返す少女から視線を切って、レイジは地上へ通じる階段に向かった。

 スライアが地下室に入る際に跳ね上げ戸を開けっぱなしにしていたようで、各部屋を繋ぐ廊下こそ暗かったものの、地上から差し込む明かりのおかげで移動には苦労しなかった。

 地上に続く階段をのぼる。急増した光量に思わず目をすがめつつ、レイジは外へと出た。

 広域関東圏第二軍事都市・通称〈弘波こうば

 その辺縁部に位置する住宅区画のさらに外れ。そこに彼の生家はあった。

 山裾を削り広げる形で開発されたこの区画は都心部よりも少しだけ標高が高く、広大な演習区画や数々の研究施設、高層ビルが立ち並ぶ壮麗な町並みを一望することができる。

 そうだったはずなのだ。少なくとも、までは。


「…………これ、は?」


 ようやく光に慣れた目の映す情景が現実だと理解するまでに、数十秒の時間を要した。

 自宅の地上部が、ほとんど崩れ去ってしまっていたのである。

 申し訳程度に残っている壁の一部だけが、かろうじてそこに家があったことを主張していた。周囲の隣家も同様で、近場にあったはずの国営高層マンションですら半分近くが倒壊していた。


「な、なんだよ、これ……」


 真夏のように照りつける日光が、容赦なく全てを明らかにしていた。


 汗が頬を伝い、むき出しの地面にシミを作る。


 視線を上向け、都心部に目をやったレイジはそこでまたも驚愕する。


 建物はある程度の形こそ残しているものの人気ひとけなど無く、まるで廃墟だ。大きな通りに乗り捨てられた自動車は原形を留められないほどにまで朽ち果て、走行どころか駆動さえ不可能であることが遠目にもわかった。

 無数に亀裂の走った舗装路からは雑草が茂り、場所によっては樹木すら生えていた。


 これではまるで、人々が消え去ったゴーストタウンではないか。


「おいおい……嘘、だろ?」


 愕然と、問う。


 自分が装置に入っている間に一体どれほどの年月が経過したのか。先刻メルが言っていたように、十年や二十年といった単位の話でないことだけは確かだった。


 眼前に広がる光景を、呆然と見つめる。


 いまは現実を受け止めるのに精一杯で、これからどうするべきかということに意識が行ってしまっていて、だからこそ――



「そこまでだ」



 ――背後から忍び寄る影への反応が、少しだけ遅れてしまった。

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