第2-2話 ギフトとロスト
その日、涼宮はいつになく上機嫌な様子だった。花屋の看板娘兼狙撃手こと森さん曰く、《神人》は涼宮の無意識化の精神的ストレスの発露だそうで、それを俺たち能力者に倒されることで、奴の心は若干の安定を取り戻すことができるのだそうだ。つまり俺らは奴にとって、ストレス解消用のサンドバッグのようなものなのである。全くもっていい迷惑だ。
しかし、後ろで鉛筆を回しながら適当なメロディを撒き散らしてるナチュラルハイ女が、無意識のうちに世界を壊す力を持つ大元凶だとは、世界の狭さここに極まれり、大迷惑な話である。
『機関』とやらの方針は、「涼宮にストレスの少ない自然な日常生活を送らせて、力の減衰を待つ」というものであるらしい。万が一にも「危険な存在だから排除する」っていうんなら話は別だが、そういうことなら俺も協力するにやぶさかではない。世界が壊されて作り変えられるなんざごめんだし、まあ、俺個人が涼宮に何か思い入れがあるわけではないが、夢見がちな小娘がそのせいで不幸になるのは、それはそれで勘弁だからな。
そんなわけで俺は涼宮を過度に刺激しないように、これまで通りにその他大勢のクラスメートの一人として振舞えよという指示を受けて、昼は日常的な学校生活に復帰したのである。
しっかし、意識すると背筋に冷や汗が出るな。俺がもし後ろの席に向かって素っ頓狂なことをやらかしてストレスを与えようものなら、またあの灰色の超能力バトル時空こと閉鎖空間が発生して、《神人》とやらと死闘を繰り広げることになるわけだ。火薬庫の隣で花火をしろと言われているようなもんだぞこれは。
中臣はよくもまあこんな状態で3カ月近く、にこにこ笑顔で過ごせていたもんだ。この点については素直に尊敬してもいいな。
背後で小さく響き渡る涼宮の鼻歌を聞き流しながら、俺はぼんやりと昨日の森さんの言葉を思い出していた。
「人付き合いが苦手な子だから、友人になってあげてほしい」
頭髪が寂しいことからヅラなどと不名誉なあだ名を拝命している国語教師が板書している枕草子の序文をノートに生真面目に書き写している中臣を見る。
森さんは中臣のことを何やら屈折した性格のように語っていたが、その分析はどこまで正しいものなのやら。
クラスでも涼宮と競うレベルで成績優秀、小学生っぽくも見えるが十分に眉目秀麗、運動も決して苦手ではない……というか体育の授業じゃあ地味を装っていやがるが、仮にもこいつは、俺の背後に音もなく近づき、足払いを成功させやがったのだ。何を修めているのかはしらないが、体の運用について素人であるはずはない。文武両道と言っても間違いないだろう。
『機関』のバックアップがあるとはいえ、リムジン出迎えつきの生活で経済的余裕も十分、人当たりもいいとくれば、天は何物をこいつに与えやがっているのか。これだけ恵まれていれば、屈折する要素などありはしない気がするがね。
それに、もしも閉鎖空間で使える超能力が個人の性格に起因するなら、あいつの「未来を見る能力」っていうのは、文字通りどこまでも前向きなものだろう。
まあ、森さんの言い分もわからくもない。あいつが「今を見ていない」感じっていうのは、なんとなく近くにいて感じられるイメージだ。自分のことも含めて色んな事がどうでもいいような、どこか投げやりで他人事のような雰囲気が、たまにあいつの言動からは感じられる。Aランク級の可愛い先輩に告白されてもさらっと断りやがるとかな。許せん。うらやましいぞ。少しはそのモテ成分を分けてくれ。まあそれはいいとして。
と、ぼんやりした俺の様子を見てとったのか、ヅラが俺を指して質問を投げて気やがった。くそ。なんでそんなところだけ目ざといのだ。というか、指すなら俺の後ろで鼻歌4曲目に突入しやがった涼宮の方にしてくれないか。
と、俺の机に、小さな紙切れが差し出された。手元で開くとそこには、どうやらヅラが聞いてきた文章の現代語訳。しとろもどろで立ち上がりそれを読み上げる。どうやら正解だったらしく、俺はひとまず胸をなでおろした。溜息をついて席につくと、こちらを見ながら中臣が肩をすくめている。
くそ、気の利かせ方まで完璧超人かよこいつは。
放課後、教室で赤っ恥を回避することができる恩を購買の隠れ人気メニューであるところのチョコラスク1袋で返そうとしたところ、中臣は早々に帰宅するという。珍しい。いつもなんのかんのと図書館や放課後の校舎をうろうろとしているというのに。まあ、今となってはその行動が涼宮の放課後の動きを監視するためのものだったとわかるんだが。
「悪いね? 今日はどうしても外せない予定があるんだ」
『機関』絡みのなんかか?
「違うよ? 完全に僕の個人的な予定だね。……ああ、新川さんには先に帰ってって言っておいて」
俺にメッセンジャーを頼むなよ。行きがけに新川さんに伝えておくとかそんな機転はないのかおまえは。
「ははは、ごめんね? んじゃ。チョコラスクは明日に楽しみにしているよ」
おう、期待しとけよ。おまえなら家でもっと高級菓子を食えるんだろうが、我らが東中購買部のチョコラスクの味はそのチープさこそが醍醐味なんだからな。
小走りで教室を出る中臣の背中を見送ったところで、俺はあるものに気が付いた。
それは、中臣の椅子の上に残された、一刷の手帳だ。
おいおい、中臣、忘れ物だぞ。
地味ながら設えのよいそれは、どこか年齢不相応な落着きを見せる中臣にぴったりのイメージだった。無造作に表紙を開く。別にあいつの個人情報をつまびらかにしようなどという出歯亀精神があるわけではない。ただ、これが中臣のものであるかどうか確認するため、名前くらいは書いていないだろうかと確認するためだ。まあ、数%の好奇心がなかったと断言はできないが、それくらいはまあ、落とし物を確保してやった分の役得といったものだろう?
と。
表紙の裏には、1枚の写真が貼られていた。
写真に写っているのは、2人の少年少女。
不安げに涙ぐむ少年は、その表情こそ今の様子とは大違いだが、間違いなく中臣の奴であった。ただし、数年前くらいの幼い姿だが。
そして、もう一人の少女は、これがまたすんげー美少女だった。
リトル中臣と比べれば背は高いが、やはり小柄である。ついでに童顔である。齢の頃はわからないが、顔だけこれば小学生と言ってもまあ納得できる。微妙にウェーブした栗色の髪が柔らかく襟元を隠し、怯えたリトル中臣を庇うように半歩前で踏みとどまる姿は、ロリっぽい可憐さを持ちながらも気弱さと芯の強さが同居した理想のお姉さんオーラを兼ね備えて姉とロリが合わさって最強に見えるなんかを醸しだし、おまけにその胸は豊満であった。容姿も相まってクリスマス商戦で売り出されがちなキラキラな女児用玩具を持たせたら本当に
もしかしてこれがあいつの彼女か。いや、違うだろうな。だったらもっと最近の写真を残しておくはずだ。誰かと自分が写った、こんな昔の写真を手元に残して肌身離さず持ち歩く理由。
……あー、わかるよ。わかっちまうよ。わかっちまったよ。
そんなのは、決まってる。他の奴にはわからなくても、俺だけは多分断言できる。
それは、後悔だ。未練だ。もう触れられなくて、更新できなくて、それでも手放せないものだからだ。古びて、それにすがることに意味なんてないとわかっていて、握りしめてしまうものだからだ。
俺は自分の生徒手帳を胸ポケットから取り出すと、それを開いた。
そこには、ガキの自分の、あいつの写真。
そりゃあどこか似ていると思うはずだ。
始まりが同じで、傷が同じで、選ばれ方が同じだったからだ。
「ようこそ、『機関』へ。ここは、女の子一人助けられなかった敗北者たちの、溜まり場だ」
あいつは、そう言っていなかったか。
「私では「姉さん」を思い出させてしまうかもしれないから」
森さんは、そう言っていなかったか。
ばらばらだったものが組み上がる感覚。『機関』っていうのは、そういう場所か。
超能力者っていうのは、そういう人間の集まりか。
窓から校門を見ると、黒リムジンがちょうど学校前に止まるところだった。
俺は生徒手帳と黒の手帳をポケットに突っ込むと、駆けだした。
新川さんは、俺の姿を見つけると、いつものように完璧な角度の慇懃な礼をして見せた。
「こんにちは、谷口様。中臣様はいらっしゃらないのですかな?」
中臣なら早退だよ。先に帰ってくれと伝言を受けてる。
「……ああ、今日は7月6日でしたか。それは、気づきませなんでしたな」
それだけで、新川さんは何かを悟ったようだった。全くもってできた執事だよ、この人は。
あいつ、姉さんの命日にはいつもこうなのかい?
俺の問いかけに、新川さんは珍しく驚きの表情を浮かべた。
「中臣様がそれを?」
いいや、完全な鎌かけだ。まあ、そういうことなんだな。そんなとこだろうと思ったよ。
「……驚いた。竹を割ったような体育会系男児と思いきや」
それより、聞きたい。新川さん。『機関』の超能力者っていうのは、全員が、誰か知り合いと死別しているとか、そんな共通点があったりするのか?
「ええ」
あっさりと、新川さんは頷いた。逆に拍子抜けだな。少しは言いよどむかと思ったんだが。
「いずれ話そうと思っていましたよ。私たちだけが谷口様の過去を知っていて、谷口さんが我々のことを知らないのは不公平だ。私たちは同志なのですから」
その言葉は少し意外だった。大人ってのはもう少し、俺たちに何かと隠し事をするものだと思っていた。
「あの空間で命を預け合うのに、大人も子供もありますまい」
微笑むと新川さんは、俺はリムジンの後部座席へと誘った。初めて《神人》と戦った日以来の座席は、相変わらず笑えるくらいの柔らかさで俺を出迎えた。
運転席に腰かけると、新川さんはエンジンを起動させながら話し出す。
景色が流れていかなければ止まっているままだと錯覚するほどに、新川さんの運転技術は丁寧なものだった。
「『機関』の超能力者、《神人》と戦うことのできる者は性別年齢ともにランダムに選ばれます。ただ、全員にある共通点がある。一つは、涼宮ハルヒと出会ったことがある人物であること。親しくなくとも構わない。ただ、出会って簡単にでも言葉を交わしたことがあれば、条件が満たされます。そして、もう一つの条件が」
わずかに車体が揺れる。俺には、運転手の心中を代弁しているような気がした。
「――心理的に大きな役割を占めていた少女を失った人間であること」
溜息が漏れる。
「これを参考に、『機関』は新たな能力者候補者を探してマーク、スカウトしています。谷口様の危機に中臣様が駆けつけられたのも、その経歴を把握して、閉鎖空間に巻き込まれる可能性を頭に入れていたからですな」
なるほどなあ。なんで俺なんかがあんな異能バトルもの展開に巻き込まれたんだと思っていたが、そんな条件だとしたらまあ、選ばれちまってもしょうがないよなあ。
「私の場合は孫ですな。涼宮様のような快活な娘ではありませんでしたが。いや、あるいは、病気さえなければああなったかもしれない」
車の揺れは、もう発生しなかった。
「治療法の確立していない難病というやつでしてな。八方手を尽くしても如何ともしがたかった。古泉様が言うには、その悔悟が『
滑るようにリムジンは走る。新川さんにとって、このことは、もう整理されたことなのだろう。一体どれだけの時間をかけてそこに至れたのか、俺には想像するべくもなかったが。
「どこか、私は涼宮様に孫を重ねているのでしょう。そしてそれは、他のメンバーも似たり寄ったりなのかもしれませんな」
あのすまし顔の中臣も、「姉さん」を、涼宮に重ねているって?
「さあ、どうでしょうな。数年共に暮らしているだけですが、中臣様にとって、死別した姉君への想いは思慕を越えて崇拝に似ている感があります。それを他の誰かのと重ねるような真似はしないでしょう」
そうかい。
……で、あんたらは、姉を失って心乱れた少年のトラウマを利用して、涼宮を守るっていう目的に利用しているというわけか。
「私は中臣様も、谷口様も、同志だと思っていますよ。だから、そう反応されるとわかっていても、能力の発現条件も隠しませんし、あなた方が『機関』と手を切りたいと言うならば、最大限の配慮もします。私に答えられるのはこんなところですが、他に何かご質問は?」
俺は、握りしめた拳をほどいて、柔らかい背もたれに身を投げ出した。
すみません、新川さん。あなたに八つ当たりしたって意味がないことっすよね。
そういう無茶でデリカシーのないルールに巻き込まれたって意味で、あなたと俺らは間違いなく同志ってわけだ。
「お気になさらず。古泉様の言葉を借りるなら『
しかし。だとしたら。俺はこの苛立たしさを何にぶつければいい?
無意識のうちに俺らに能力を押し付けたであろう涼宮か? いや、あいつにそんなじめっとしたルールを意図的に作れるとも思えない。だったら、涼宮にそんな力を与えた神様って奴にか?
ぐるぐると思考が檻の中で車輪を回すハムスターのように循環しているうちに新川さんのリムジンは見慣れた我が家へと辿りつき、俺は母親から謎のリムジンから出てきた理由を説明するのに四苦八苦をする羽目になったのであった。
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