第2章 笹の葉エレジィ
第2-1話 力の源
地球を電子レンジに放り込んだらいい感じに茹で上がりましたとかそんな説明書無視の暴挙を神様がしやがったのではないかというくらいにうだるような暑さの夜だった。
それもそのはず、その日と今年初めての熱帯夜であるからだ。7月頭でこんな気候とか日本の天気はどうなっているのだ。これも温暖化だのロナウジーニョ現象などという奴のせいなのか。
だが、そんな風に母なる大地の健康を気遣う余裕など今はなく、俺が汗だくになっていたのは単に温度の問題ではなくて、明らかに冷や汗からくるものが大半を占めていた。
ぶうん、とにぶい音を立てて、ぬいぐるみのそれのような丸い腕が迫ってくる。
俺は両の手を構えると、体を迂回させるようにして回転させた。左右の腕に帯びた赤い光が円の軌跡を描き、墓石すら軽々と打ち砕くようなバケモノ、《神人》の一撃を受け流す。道場でやっていることと内容は変わらないが、違いは相手に明確な害意があることだ。少しでもタイミングを間違えば、たちどころに俺の体は全治数週間の大怪我を負うこと間違いなしである。
救いといえば師匠のご無体な拳速と比べればゆったりした攻撃速度であることだが、破壊力に関していえばこちらの方が段違いな上寸止めなんて手心も皆無なわけで、緊張感は比ではない。
目の前で非日常のモンスターが暴れまわり、俺の両手が光って唸っていることからもわかるとおり、この空間は既に日常のそれとは切り離された、閉鎖空間とかいうSFトンデモ時空になっていた。
昨日と違うことは、最初からタイマンバトルではなく、背後にサポートメンバーが3人控えていることだ。
集中力が途切れて逸らし損ねた攻撃が脚を掠める。後ろにいた中臣が俺のパーカーのフードを猫掴みして引っ張ってくれなかったらぽっきり脚の関節がもう一個増えていたところだろうな。くそったれ。激痛に叫び声をあげかけたところで、新川さん、というらしいダンディ執事が傷口に手を当てる。すると、まるで早回しのように傷口が塞がり、痛みが嘘のように消えていった。
そうして五体満足になった俺は再びバケモノの前に送り出される。ああ、テレビゲームのRPGで戦士系のキャラクターが前線に立って攻撃を引き受けるが、あれは完全な貧乏くじだな。頑丈だからって喜んで痛い目怖い目に合いたい奴がいるはずがない。いるならそれは天職だろうが、あいにく少なくとも俺はそんなザッヘル=マゾッホ先生的な趣味嗜好は持ち合わせていないんだ。
それでもまあ、適材適所という耳障りのよい理屈によって、俺は《神人》の足止めに勤しんだ。埒が明かないと睨んだか、《神人》の攻撃が大振りになる。と、さらに、その腕が粘土のように変形し、捻じれてまるで錐のように尖って突きが繰り出された。
おいおい、こんな行動パターンこの前の奴にはなかったよな!?
腕に薄く広がる赤い光の膜では若干心もとない。俺は反射的に掌に赤の光を収束させると、ぶあつい肉球のようにして切っ先を迎え撃った。青の穂先が赤の光の玉を貫く……が、俺の掌の皮に触れるか触れないかのところでぎりぎりその軌道が逸れた。
大振りで身の泳いだ《神人》の脇の下を潜り抜けると、俺は赤の光を固めた左右の掌で目いっぱい後ろからその背を押しやった。自分の攻撃の勢いと俺の掌打によって《神人》が地面に倒れ込んだ。
「――お見事です」
クールな言葉とともに、赤い光の弾丸が降る。まず体の中心に一発。そして、四肢を弾き飛ばすように四発。最後に、頭部に一発。
なんでも、最初は命中を重視するために多少狙いがぶれても当たる体の中心を撃ち、そしてそこを基準点として反撃能力を削いでトドメを刺すための手順なのだとか。
これを説明したときのエプロン美人の口調が、花屋の軒先で墓参りのお作法を教えてくれたときと同じだったときには、さすがの俺もきれいな薔薇に棘があるとかいう先人の言葉の正しさを理解したね。
ともあれ、物陰で待機していた花屋の看板娘、森さんのスナイピングによって、《神人》の体には容赦ない致命傷が叩きこまれた。
青の肉体が砕け、煙となって消えていくと、無音の世界に音が復活し、灰色の空はまともな星空へと塗り替えられた。
「おつかれさま、みんな」
「お疲れ様です。谷口さん、いい動きですね。二日目であそこまで立ち回れるとは」
勘弁してくださいよ。俺は彼女募集中のしがない男子中学生だ。あなたみたいに謎めいた過去を持ったミステリアス美人に目をかけてもらうような特殊スキルなんざ、基本持ち合わせてはいない一般人ですよ。
「と、『機関』に入るような人間が言っても説得力がありませんがな」
新川さんが笑う。親父以上に年上の大人と会話することなんてそうそうないのだが、どうやらこのダンディ紳士は思ったよりも気さくな性格をしている人らしい。
しかし、今回は散々俺が肉の壁をやって森さんの攻撃の機会を作ったが、これまではどうやって《神人》に立ち向かっていたのだろうか。
「それは、私が谷口様の代わりに」
マジですか。新川さんの能力は回復であって防御じゃない。一発もらったら俺どころじゃい深手を負うわけで……いくら回復するとはいえ、悶絶ものですまない致命傷を幾度も喰らっていたかと思うと、ちょっとその過酷な状況は想像し難いものがある。
「まあ、これまでは1m級の《神人》がほとんどでしたから、今ほど大変ではなかったのですが。いずれにせよ谷口様には感謝していますよ。老骨に鞭打つにはつらい仕事でしたからな」
『機関』とやらも人手不足なんだな。こんなご老体にそんな無茶をさせるとか。
「本当はもう一人、閉鎖空間に入れる能力者はいるのですけけれどね。彼はどっちかというと政治向きで後方支援に徹しています」
「臆病者なんだよ、あいつは」
森さんの言葉を、中臣が一蹴した。そういえば昨日もそんなことを言っていたな。その後方支援担当の能力者を、中臣はどうしても好きになれないらしい。
「悪く言うものではありませんよ。古泉の活動があってこそ、私たちは十全に動けるのだから」
「森さんは奴に甘いんだ。あいつの小賢しいだけの戯言にはヘドが出る」
なんだ。中臣。おまえ、ちゃんと感情を外に出せるんじゃないか。いつもにこにこしてるだけの薄っぺらい様子が地かと思ったが安心したぜ。
俺の指摘に、あわてて中臣は首を振った。そして、向き直ったときにはいつもの笑顔を繕っていた。なるほど、器用な奴だ。俺にはとても真似できないね。
「ごめんね? 恰好の悪いところを見せたな。どうしても、古泉さんのことは色々思うところがあって。わかってるよ、森さん。あの人は大事な仕事をしている。新しい仲間も見つけてくれたらしいしね。スカウトが成功すれば、少しずつ巨大化している《神人》にだって対抗できる」
「中臣様は疲れているのですよ。家までお送りしましょう」
新川さんにつれられ、リムジンで中臣はつい先ほどまで戦場になっていた、東中のグラウンドを後にした。
「谷口さん」
取り残された俺に、森さんが声をかけてくる。見た目は穏やかな美人だが、これがバレーボール大の光弾で的確に《神人》を狙撃するスナイパーだと思うと、ちょっと思うところがないでもない。
「中臣は、あなたを気に入っているようです。人付き合いが苦手な子だから、友人になってあげてもらえますか」
そりゃあ別にいいですけれど。俺なんかよりあいつはよっぽど社交的で小器用な奴だと思いますがね。
「そう見えるように振舞うのが得意になってしまっただけですよ。あの子は今を見ていない。ずっと、やり直しばかり考えている。だから、現在の時間軸が、薄っぺらで曖昧に見えてしまう」
随分と観念的な話に、俺は曖昧に頷いた。美人の言葉を拝聴するのは嫌いではないが、その内容は漠然としていて、今一つ俺の万年国語の成績がんばりましょうな頭脳には噛み砕けなかった。
「私たちの能力は、その精神性に起因する、という仮説があります。たとえば、誰かの病や痛みを癒せなかった悔悟が『治癒』を生み、誰かの敵を撃ちぬけなかった記憶が『弾丸』となり、誰かを守れなかった過去が『防護』へと結実する。誰かと苦しみを分かち合えなかった後悔が『共有』を生み、そして――あの子は」
森さんの愁いを帯びた表情に、俺は不謹慎にも胸を高鳴らせてしまった。
それにしても、森さんの言う仮説とやらがどこまで信憑性があるものかは知らないが、もしもそれが確かだとしても、中臣の能力は未来を見る能力だ。随分と前向きなそれのような気がするがね。
「とにかく、あの子には、今に繋がるため、今を見つめるための友達が必要なのですよ。私では「姉さん」を思い出させてしまうかもしれないから、谷口さんには、できれば。そうすれば、あの子も現在をきちんと生きられると思うんです」
まあ、とにかくよくわかりませんが、美人の頼みとあれば是非もありませんよ。
俺もあいつは別に嫌いじゃあない。あいつが殴りかかってこない限り、仲のいいクラスメートでいられるはずさ。
俺の言葉に、森さんは花の咲くような笑顔を見せた。ああ、この表情を向けてもらえただけでも、俺は自分の言葉にハナマルを上げていいと思ったね。
ともあれ、こうして俺の、二度目の《神人》討伐は終わりを告げたのだった。
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