第1-7話 エンドレスエイド
謎の巨人を圧倒的な火力で殲滅した乱入者。
それは、俺に墓地用の花を見繕ってくれたエプロン姿の美人の女店員さんと、いつか中臣を校門まで黒リムジンで迎えに来ていた、ロマンスグレーの執事のおっさんであった。
「彼が、新たなお仲間ですかな」
渋いロマンスグレーの紳士が話しかけてくる。その隣のエプロン姿の花屋の看板娘さんは無言でこちらを値踏みするように眺めていた。
もういい加減異常事態が詰め込まれ過ぎて飽和水溶液状態になった俺の思考でも、この法則性の意味は理解できた。
東中の生徒と、その家の雇われ執事、中学校の近所の花屋の看板娘。この謎空間にびびりもしない怪しげな「能力」とやらをひっさげたびっくり超人の面々が、たまたまそんな表の顔を持ったやつらだった? 偶然? まさか、そんなはずがないだろう。こいつらは目的があってそれぞれの立場に身をやつしているのだ。
即ち、東中に通っている、この空間を展開している張本人を見張るために。
「新川さん、彼に『
中臣の指示に頷くと、エプロンの女性は掲げた掌の上にボウリングのボールほどの光の球体を発生させた。先ほど、巨人にトドメを刺したのはこのエネルギー弾なのだろう。彼女が、中臣曰くの「最大戦力」というわけだ。見ただけでも歩法姿勢に無駄がなく、俺程度のぺーぺーにも「できる」人なのだと理解できる。下手をすると師匠とどっこいのレベルではなかろうか。
立て続けに放たれる赤の弾丸が、消滅したあと靄のように漂っていた、巨人の名残の青い煙を完全に吹き散らす。
「大変でしたな。初戦であの大きさの巨人の体勢を崩すとは、立派なものです。おかげで、森さんの集中砲火が効果的に使えました。感謝を」
赤い光を指先に宿し、白髪紳士が俺の体に軽く何点か触れていく。右拳。肘。肩。肋骨。途端に、焼けるような痛みが一斉に襲い掛かってきた。
経験がある。これは別にこの紳士が何か触れるだけで肉体を破壊するような攻撃をしたわけではない。単に、興奮状態で麻痺していた痛覚が、正常に働きだしただけのこと。巨人との戦いでできた負傷を、体がようやく認識したのだ。
「失礼。動かないように。空間が崩壊する前に治癒しないと面倒なことになりますので」
と、その負傷の箇所を、新川さん、と呼ばれた紳士が次々と掌で押さえつける。まるで、宿った赤い光を、俺の体に擦り込むように。と同時に、痛みが引き、あまつさえ擦り傷のできていた皮膚までが、録画した画像の巻き戻し映像のように早回しで塞がっていく。正直言って気持ちが悪い。
痛みが引いた代わりに、全力で組手をこなした後のような虚脱感が全身を襲ってきた。
「傷は塞ぎましたが、私の能力は、他人の疲労までは抜けません。今宵は栄養のあるものを召し上がって、早々にお休みになられますよう」
――他人の傷を回復する、白髪のリムジン運転手。
――光の弾丸で敵を撃つ、花屋の看板娘さん。
――5秒先を予知する、昼飯仲間の男子中学生。
――そして、自分の身を護る守りの力。
それは、昔憧れて、いつか諦めて背を向けた、あるはずのない非日常の世界。
パリン。
音はしなかった。だが俺はガラスが砕けるような擬音を脳裏に感じた。
天頂の一点から明るい光が一瞬にして円形に広がる。光が降ってくる、と思ったのが間違いで、ドーム球場の開閉式の屋根が数秒もしないで全開になった、というのが近い。ただし、屋根だけではなく建物すべてが、だが。
つんざくような騒音が鼓膜を打って、俺は顔を歪めた。が、その音は無音の世界でしばらく過ごしたことによる単なる錯覚。俺の耳を刺激したのは、東中や母校の小学校のグラウンドで遊ぶ子どもたちの声、あるいは、道路を走る車の騒音でしかなかった。
世界は、元の姿を取り戻していた。
崩れた墓石も、灰色の空も、どんなに力んだところで俺の腕に謎の赤い光が灯ることもない。
墓地は生前と並んだ墓石と静けさが支配し、山向こうには見慣れたオレンジ色の太陽が輝き、世界をあまねく照らすその光は恩恵を受ける物体すべでに長い影を生じさせていた。
風が、吹いていた。
「どこから、説明しようか?」
何度か校門で見たことのある、中臣家のリムジンに乗り込みながら、中臣が尋ねてきた。
運転席には俺の傷を回復してくれた紳士、助手席には花屋の看板娘さん。シュール極まりないでたらめな取り合わせであった。
どこから説明もなにも、まずは俺は狂ってしまったのか。まず心療内科とか精神科とか、あるいはスクールカウンセラーとか、そういうところに洗いざらい先ほどのジュブナイル的展開を白状してこの精神状態に病名をつけていただけばよろしいのか。そこから確認すべき事態のような気もする。
そんな俺の反応に、中臣は胡散臭い笑顔を浮かべると、俺の質問は丸無視で解説を始めた。
彼らはつい先日から、この「閉鎖空間」を認識できるようになったこと。
この中には謎の人型の怪物……中臣らは《神人》と呼んでいるそうだ……が決まって暴れており、それを倒すことで、空間は崩壊すること。
なぜだか知らないが、《神人》を放置すると世界が崩壊することが、彼らには「わかってしまった」こと。
彼らは閉鎖空間の中でのみ、赤い光を媒介として超能力でも言うべき異能を使えること。
そして。
「――閉鎖空間と、《神人》を創り出している元凶が、涼宮ハルヒだということ。彼女の憂鬱が、葛藤が、世界を揺るがせにして、崩壊の種を生み出すこと」
どこまでも理不尽で、荒唐無稽な話だった。
涼宮は確かに挙動不審な奇人だが、それにしてもあまりに吹っ飛んだ設定だ。
だが、それを俺は、理屈はさておき「そういうものなのだ」と理解してしまった。
閉鎖空間に取り込まれた直後、脳裏に流れ込んできた情報とイメージを思い出す。
あのとき、俺は一瞬だけ、自分のものではない強い後悔と怒りの感情に触れた気がした。
たぶんそれが、涼宮ハルヒの憂鬱の核。世界を壊す卵の種。
ああもう。俺も大概齢の割には現実的なガキのつもりだったが、なかなかどうして経験とやらは理論に対して強固に立ちはだかる説得力を持つらしい。
……ともあれ。ってことは、何か。涼宮が閉鎖空間を展開したのは俺と口論した直後という訳で、つまり俺は、俺の八つ当たりのせいで、世界を壊しかけたということか。
「まあ、そういうことになるかな? 僕も焦ったよ。あんなサイズの《神人》が出たのは、初めてだったから。それだけ、君の言葉は彼女に刺さったんだろうね」
しっかし、涼宮は確かにエキセントリック少女ガールではあるが、世界を壊そうなんて大それた破滅主義者ではないような気がするんだが。それに万が一にも涼宮が世界に絶望するとすれば、そりゃあ見た感じ「普通過ぎる世界がつまらないから」じゃないか? だとしたら、中臣。お前らみたいな超能力者組織のことを話してやれば涼宮も今の世界に満足して、万事解決万々歳じゃないのかよ。
「僕らは、涼宮さんが世界を壊したいと思ったとき限定の能力者だよ? 涼宮さんが世界に満足した瞬間、僕らの特異性は無意味になる。彼女の前で能力の存在を証明することもできない。それにね、上の連中は、涼宮さんには無自覚な能力者のままでいてもらいたいみたいなんだ。世界を壊して作り変えるような能力を彼女が自覚したら、それこそコントロールしようがなくなるし、彼女を狙う人間も増えるだろうからね」
それで、お前さんらは涼宮を監視しながら、さっきみたいな空間が出たら《神人》とやらがが出たら叩き潰していると。給料も出ないだろうに、よくやるもんだ。ボランティアにしてはちょっとハードルが高すぎると思うんだがな。割と死ぬかと思ったぞ何度か。
「給料は出るよ。世界がかかっているからね。ここ数カ月で『機関』っていう組織を作ったバケモノがいる。そいつがどこかから金を引っ張ってきて、活動資金や危険手当を払ってくれるんだ。そいつも能力者なんだけど、臆病者だから閉鎖空間には入ってこないんだよ」
珍しいな、中臣。お前がだれかを悪しざまに言うなんて。
「僕にだって嫌いな奴はいるさ? ……とにかく、僕らは「そういうもの」だ」
中臣が、車窓から東中の校舎を眺めながら言う。
「君が能力者である以上、僕らに協力してくれると助かる。けれど、強制はしないよ? ただ、今言ったことを涼宮さんや他の人に漏らすようなことがあれば、相応の対応はさせてもらう」
物騒な話になってきたものだ。まあ、世界の危機なんざがちらつけばそうもなるか。少なくとも一介の中学生が絡んでいいような話ではない。正直、スケールがでかすぎてイメージが追い付かない。そもそも、あいつの墓が壊されそうだったから俺はアレに立ち向かっただけで、基本的に俺はいのちだいじにがモットーの
「そっか。わかった。気が変わったら、いつでも言ってほしいな」
中臣はそう言うと、家の前で俺を降ろして、他の連中とともにどこへともなく去っていった。
翌日。新川さんとかいう執事紳士の言うとおり、圧倒的な疲労感により泥のように夢も見ないほどマリアナ海溝めいた深い眠りについた俺は、危うく遅刻ぎりぎりのところで布団の誘惑を脱し、これまでのタイムラップを更新するほどの全力疾走で通学路を駆け抜けるはめになった。
残念ながら件の墓地の横を駆け抜けた際に念じてみても赤い光が足に宿って急加速するようなご都合のよい展開は発生せず、俺は生活指導の先生のお目こぼしでぎりぎり校門を潜り抜け、鐘とともに教室へ飛び込んだ。
窓際、俺の席の後ろに、涼宮はすでに座っていた。何だろうな、あれ。頬杖をついて窓の外、墓地の方を眺めている姿は、まるでしぼんだ風船のようなみすぼらしさを感じさせるものだった。
「よう」
俺は、その日初めて、涼宮に自分から挨拶をした。
涼宮が大儀そうにこちらを向く。
「ねえ」
固い椅子にどっかと腰を下ろし、俺は涼宮の顔を見た。
全然似ていない。でも、やっぱりそっくりだ。俺は窓の外の墓地に心中で詫びを入れた。
「昨日、悪かったわね」
「ああ、あれ、嘘だ」
そして、涼宮の謝罪を遮った。
「あんまりお前がマジだったんで、ちょっとからかってやろうかと思ったんだが、すまん。ありゃタチが悪い嘘だった」
パシン。
視界が20度ほど強制的に回転させられる。頬が熱い。ビンタを喰らったのだ、と認識するまで、丸々一秒。
「……最低。アホ」
フルスイングで人の頬に全力攻撃を叩きこんだ涼宮の表情を見る間もなく担任が教室へやってきて、俺はそのことに内心感謝しながら、黒板へと向き直った。
たぶん、これでいい。これが一番いい。たった一つの冴えたやり方ってやつだ。そうだろう?
中臣はいつも通り、昼飯になると机を寄せてきた。
「よかったの? あの事件は、君にとっては汚しちゃいけない、絶対に譲れない話だろうに」
何をどこまで調べてやがるお前は。
「そりゃあ、色々と」
このストーカーめ。
「まあ、君の葛藤と心痛を無視するとして、涼宮さんの心の安定という意味では、悪くない手だったと思うよ。あれでデリカシーのない自分、から、君へと怒りの対象が切り替わった。閉鎖空間は他への怒りより、自責を要因とした方が大きく展開される。攻撃性の対象が漠然と世界に向きやすくなるのは、敵が明確でないパターンの方なのだろうね」
いいのか、こんなところでそんな話を始めて。昼休みの教室は障子のメアリーも比にならん情報筒抜け空間だと思うんだがな。
「涼宮さんはいないし、ほかのみんなもゲームの話としか思わないんじゃないかな?」
あっけらかんと笑う中臣。
俺はたくわんをつまんだままの箸を、その笑顔に突きつけた。
なら、そのゲーム、俺も一枚かませてもらうとしようか。
「いいの? いつ区切りがつくかもわからない。コストも相当かかるけど」
それでもだ。
俺はヒーローでも何でもないろくでなしだが、それでも、無視はできないだろう。
「わかったよ、谷口。ゲームのタイトルは……『
かくて、俺、谷口の、SFめいた無期限介護活動は幕を開けた。
涼宮本人からは一切認識されない、されてはいけない、彼女と世界を守る、状況限定の超能力者。
せめてべたべたな思い出話を記録して、近々地獄に落ちた日には、あいつに語ってきかせてやるとしよう。
信じなくて悪かったな、世界はお前の言った以上にトンデモに満ち溢れてやがったぜ、と。
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