都市:歴史の終着駅

冷泉 小鳥

「歴史の終わり」

「おはよう」

 俺は誰もいない部屋の中で、電波ソングを奏でるスマホに起こされて目を覚ました。


 俺は現在1人暮らししているので、俺を起こしてくれる便利な妹(あるいは幼なじみ?)的な概念は存在しない。


 要するに、俺はほぼ自力で目を覚まさなければならなかった。


 寂しい朝だ。


 もっとも、今日的地点においては、人類の99%は1人暮らしを行っているので、他の皆も恐らくは、俺と同じように目覚まし用の音楽によって目を覚ましているに違いなかった。


 かつて、王侯貴族はオーケストラの音によって起こされていた、とネット上のSNSに記されていた。


 その情報のソースは示されていなかったが、面白かったので俺はその情報を信じることにした。


 仮にその情報がデマであったとしても、それは俺にいささかも損失をもたらさないし、もしその情報が正しいのなら、俺はまた1つ真実を知り、また1つ全知の神へと近づいたことになる。


 おお、真実よ!


 真実とは素晴らしきものだ。


 人はかつて無知なまま、猿から進化してきた存在であるが、やがて人は火を扱い、言語を操り、石器を使って狩猟採集時代を築いた。


 人間の心理、つまり感情のようなものは、概ねこの狩猟採集時代に合うように作られている。


 だから、現代都市にありふれているデスクワーク、あるいは低賃金でマニュアルが整備されたサービス業のようなものに、人間がストレスを感じるのは当然のことだ。


人は本来、狩猟採集のために作られたメンタリティーを抱えて生きている。


 しかし、如何なる理由によってかはタイムマシンでもなければ分からないが、人類はある時から土地に杭を打ち込み、農耕を始めた。


 こうして私有財産権が明確化され、進歩が始まった。


 後の工業化のインパクトは、狩猟採集から農耕へのスライドを見ると霞んでしまう。


 農業から手工業、そして工業化へのシフトは、少なくとも欧米においてはスムーズに進行したけれど、狩猟採集時代から農耕時代へのシフトは、ゆっくりと、しかも行きつ戻りつしながらでしか進まなかった。


 その理由は明白だ。人類はどこかで、農耕はやがて都市へと至る一方通行であると分かっていたに違いない。


 人類は果てしない欲望を持っていたが、農耕開始による、ゆっくりとではあるが着実に進む技術革新は、社会を変えずにはいられなかった。


 農耕と並行して、商業もまた発展を開始した。より多く生産すれば、より多く交換することができる。


 都市は交換に満ちている。


 もっとも、都市はあまりに文明化されてしまっているため、ほとんど全ての交換は貨幣を介した無人格的なものへと変化している。


 これは確かな進歩の証だ。


 そう、貨幣!


 我々は完全な物神化の頂へと到達したため、この科学的には価値のない紙切れに、ほとんど全ての物と交換可能な信頼を刻印することに成功したのであった。


 貨幣を利用して買えないものはほとんど存在しない。


 そうだ、ここで貨幣で直接買うことができないものをリストアップしておこう。


 例えば、友達は金で買うことができない。


 「友達料」がやり取りされる関係は、もはや友達とは呼べない何かだ。


 それでは、友達は貨幣とは無関係なのだろうか?


 そんなことはない!


 友達は仕事を見つける際にコネを提供してくれる。


 もちろん、仕事は大半の人にとって、貨幣を得るもっとも合理的な手段であることは、わざわざここで言及する必要はないだろう!


 そして、友達関係を維持するためには、何かと貨幣を消費する羽目になる。


 一緒に買い物やカラオケなどに行ったりすれば、必然的に貨幣を消費する必要がある。


 都市の人間は、こうして資本主義市場経済に完全に絡めとられているので、金を全く消費せずに遊ぶような行為は、たとえそれが可能であるとしても、好んで行おうとはしない。


 ああ、資本主義はなんと素晴らしいのだろう!


 みんな都心部へと行く!


 今日的時点においては、もはや田舎は存在しない。


 田舎のような、非人間的な(まさしく、それゆえに自然的な)概念は、もはやフィクションの中にしか存在しない。


 そう、田園風景の中で、黒塗りの日傘を差し、麦わら帽子を被り、ニコニコしながら誰かに手を振っている白ワンピースの少女(病弱であり、死期が近くに迫っており、最後の思い出作りをしようとしている)のような、幻想(あるいは妄想?)の中だけに、田舎は生きている。


 それでいい。


 アスファルトで舗装されていない道を知らない人だけが、あの雨降り後の泥濘の中へ転んだことのない者だけが、水田の用水路の中へ落ちたことのない者だけが、あの何もない苦しみを知らない者だけが、田舎に対して良い印象を抱くことができる。


 俺は空腹を覚え、ベッドから立ち上がった。


 俺はワンルームマンションに住んでいた。


 住空間は高度に都市化されており、日常生活に不要な余計なものを省いたシャープな印象を伝えている。


 俺は本棚からとある古典(この古典は表現の自由の望ましさを説いた名著である)と古典化したライトノベル(よくあるファンタジー小説のアーキタイプを築き上げた小説」を取り出し、器用に立ち読みしながら、朝食が機械から吐き出されてくるのを待っていた。


 前日のうちにメニューを入力しておけば、朝起きてすぐに部屋に朝食が届けられる。


 このマンションに備わっている機能だが、現在では総人口の9割以上に普及した、全世界的なサービスと化している。


 食事の用意の手間を省き、「おふくろの味」のような馬鹿げた神秘的概念を追放した栄誉ある地位において、この食事供給サービスはノーベル平和賞を受賞した。


 食事の手間から受けるストレスが人類を戦争へと向かわせていたことは、現在においては確かな事実として受け入れられている。


 今日の俺の朝食はピザ。


 トッピングはシーフードのような奇を衒ったものではなく、チーズ+ピザソース+サラミ+ウィンナー+ブラックペッパーというスタンダードなもの。


 俺はごく普通のありふれた人間なので、没個性的なありふれたものを食べるのが習慣となっている。


 俺はいつも「ピザは野菜だ」と信じている。


 そして、ピザ生地は炭水化物だ。


 チーズは脂質だ。


 サラミやウィンナーは蛋白質だ。


 それゆえに、ピザとは全てを兼ね備えた万能食品だ、というのは俺の信仰として定着しており、もはやいかなる科学的事実によっても否定することはできない。


 ピザの味は、いつもと変わらず美味であった。


 もっとも、工場直送の、加熱されて運ばれてくるピザの品質は、安定していて当然なので、特に感動する必要はない。


 俺は働かなくても生活手当によって生きていくことができる。


 都市は全ての人々を受け入れ、その内には生活困窮者も含まれていた。


 しかし、俺には働ける時に働く義務があり、俺は働ける程度には十分に健康だった。


 俺はかつて高校を卒業したが、その時点で学業にはうんざりしていたため、高校卒業と同時にピザ生産工場に就職した。


 俺が愛してやまない食べ物を実際に生産する工程の一部に加われる事実に、俺は深い喜びを感じた。


 ピザ生産工場の時給は安かったが、俺の生活費はそれ以上に安かった。


 満ち足りた生活。


 幸せな生活。


 俺はそうしたものに囲まれていることを喜んだ。


 歴史上、俺たち以上に幸福な人類は存在しなかったに違いない。


 俺たちは物質的に満たされており、精神的にもまた満たされている。精神とは、結局は物質的満足に反応するものに過ぎない。


 都市は俺の望みを叶えてくれた。


 こうして「歴史の終わり」へと到達した人類は、エンドロールも流れないままに、幸せなハッピーエンドの中で、幸せに微睡み続ける。そう、恐らくは永遠に……。

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