再起動《リスタート》
第38話俺より正常なヤツに会いに行く
「コレは……ウイルスの一種か?」
課長がモニターで起きている急変を見回し、呟く。
<コンセプトウイルス? ロジックボム? いや、どちらでもないわ……けど、いつの間にバックドアを?>
ネットの海を泳ぐ浜松にも識別できない。水槽内で蠢いているだけの病原体が、PDSを介してアバター化した。それがアンジェリーナだ。
<拙者が支配する世界。そこにセキュリティホールなどあるワケが……クぅ、マぁ、ク……>
圧倒的有利な状況が、いとも簡単に崩れようとしていた。
「課長、ただいま戻りましてよ」
「お、お邪魔します」
「津軽ッ!? それに弥富君も……一体今まで何を――」
「事情は後程。それより、現状をかいつまんで教えてくださいまし」
課長の前に駆け寄ってきた津軽と弥富。そして、二人の後ろに隠れるようにして、おずおずとしている長洲姉弟。
<こんな不確定要素でクラッシュするなど、そうはいかぬなり……『世界を統べる13の首』、拙者が全て切り落としてやるクマッ!>
激昂するプー左衛門。重度のエラーで肉体を崩壊させながらも、局長に向かって吠える。
(何の事だ……?)
課長が目を細め、呆気にとられていた禁魚達も一様に訝った。
「ヤツの正体は察しがついた。本名は『
<初耳だよ、局長。てっきり、あたしが第一号だと思ってたんだけど>
ムッとして睨みつけてくる浜松。
「13の首とは『ルートサーバ』の事ですわ」
「ルートサーバ?」
無知丸出しの表情で弥富は首を傾げた。
「世界に13系統存在する、インターネットの大動脈だ。仮にルートサーバがダウンすると、ホスト名やドメイン名によるアクセスが不可能となり、通常のURLやメールアドレスも機能しなくなる」
「それって……ネトゲもSNSもできなくなるって事ですかッ!?」
動揺する基準値が低い。
「正直に言え。そして、泣け。エロ動画とコスプレ画像のDLできねえって」
ポチが弥富の股間をポコポコ殴ってる。
「国のインフラが麻痺する。上・下水道、電気、ガス、電話といった、コンピューター制御の社会的経済基盤が沈黙し、最悪の場合、世界の文明が石器時代に戻る」
<世界レベルでネットがダウンすれば、ネットに住み着いてるアンタも死ぬかもよ>
そう指摘する浜松にとっても、決して他人事ではない。
<もとよりそのつもり。己の墓場で半永久的に君臨する……この虚無感と不愉快さ、他人には理解できんベア>
そう言われ、局長の目から気力が消えていく。
「今更、謝罪を受け入れてくれとは言わん。だから、代わりに頼みたい。オマエがやろうとしている事は、依怙地な子供の自滅行為だ……やめてくれッ!」
<笑止ッ。我を忘れて暴走しているワケではないナリ。全ては拙者のような犠牲者を量産しないため。人類は一度文明を崩壊させ、自力で生きる気力と技術を養うべき。確かに痛みを伴うが、確実に世界からニート共が激減するんだベア>
<何よソレ……ついでに世直しでもして尊敬されたいの?>
浜松が不快感を露わにする。
「佐々木殿には申し訳ありませんが、アナタの発言には矛盾しか感じませんわ」
津軽が胸元で腕を組み、冷静に言い放つ。
<と言うと?>
プー左衛門の声のトーンが落ちた。
「そもそも、アナタはネットの秩序と安全を維持するという点で合意し、自らの肉体を犠牲にし、
<人間だった頃の拙者の
<────ッ!?>
浜松が歪な表情で固まった。瞬きを忘れ、ゆっくりと局長の方に視線を向ける。
<……本当なの?>
「ああ」
<じゃあ、あたしの
「そうだ」
<ウソでしょ……何でよッ!?>
狼狽しきった浜松。唯一の理解者に裏切られ、感情が爆発した。
「オマエも知っているだろ? 人間の脳髄、若しくは人体の一部を媒介としたネットのシステム構築は、人権保護法により禁じられている。臨床試験ですら重罪だ。
<証拠隠滅ってコト? フザけないでよッ! 人の命を勝手に切り捨ててまで、一体何がしたかったのよッ!?>
「人の命を救いたかったのだッ!」
<――――ッ!?>
クワっと目を見開き、局長が浜松を睥睨した。
「ど、どういう意味だよ?」
話の次元に取り残されつつある弥富が、オロオロしながら問う。
「弥富君、知っているかね? ここ数年の世界におけるサイバー犯罪年間被害総額を。金銭的被害額と、犯罪解決に費やされた時間的費用の合計は、3千8百億$以上。マリファナやコカイン、ヘロインが生み出す世界の闇取引総額を、大幅に上回るのだよ」
「うッ……!」
額が大き過ぎて弥富にはいまいちピンときていないが、自分が関係している現状が、その温床の一つであると認識した。
「金銭だけではない。『裏サイト』や『闇の職安』が横行し、善良な市民が大勢命を落としている。電薬管理局はサイバー犯罪の最前線に立ち、絶対的膂力をふるわなければならんのだ」
局長の言い分はどうしようもなく正論だった。
<それは詭弁だクマ。大を生かすため小を犠牲にする、役人の常套文句。その言葉に騙され、拙者はもう二度と――>
<じゃあ、あたしと代わる? 女の体だけど使いたきゃいいよ>
<…………?>
浜松の言葉にプー左衛門が呆けた。
「お、おいッ、急に何言い出してんだよ……?」
弥富も小さく慌てる。
<システムにセキュリティホールがあった時に備え、一応、人間としての肉体は保管してあったけど、アンタという存在を目の当たりにして、生命のデジタル化を確信できたからもういいやってね>
彼女の言葉から悪フザケは感じられない。あるのはどうしようもなく純粋な投げやり感。
<拙者の話が理解できていないようだ。生命のデジタル化は不老不死の代替ではない。温もりも冷たさも無く、匂いも味も現実には存在せず、かつて脳髄だった部分が、膨大な量の情報を認識し、あたかも生きているかのように錯覚させるだけナリ>
<ソレよソレ。あたしはそういう世界に逝ってしまいたいの>
「浜……いや、深見。何でそんな事言うんだよ? オマエの肉体はまだ無事なんだから、すぐに人間の体に戻って――」
<嫌よ>
弥富の求めを彼女はバッサリと拒絶した。
「人間じゃなくなるんだぞッ!?」
<いいじゃん、それで>
「……え?」
<聞くけどさ、人間を定義付けるモノって何よ? 二本足で歩くこと? 言葉を使って会話できること? 道具を使って生活すること? 神様にすがって泣くこと? 違うんだよね……人間が動物と区別される決定的な行為、それは『自殺』>
浜松の目が澄んでいる。雑念が消え、一つの流れに同調したエネルギーみたいに。
<人間だけに許され、実行を可能にさせた引き込もりの最終手段。あたしはそれを実行し、来世を得るシステムを開発した。やっと……自分の世界で生きていける>
両目を閉じた彼女の表情はあまりに純粋で、あらゆる否定的な言葉の介入を許さない。
<クマぁ……なるほど。いわゆる『パーソナリティ障害』だベア>
静観していたプー左衛門が、聞きなれない単語を口にする。
<さすがは情報にまみれた究極生命体、知ってんじゃん。その通り……精神科医があたしに下した診断は、『クラスターB・反社会性人格障害』。感情的で混乱が激しく、演劇的・情緒的・移り気。ストレスに弱くて他人を巻き込むんだってさ>
「…………ッ」
弥富が押し黙った。浜松というアバターと接触したわずかな時間、その特徴が顕著に出ていたからだ。
「局長、どういうことですか? そんな精神疾患のある者にPDSの開発を――」
「天才と狂人は紙一重。まともな頭の持ち主では造れぬモノもある」
課長の指摘に対し、局長はどうしようもなく事実な答えを返す。
<更紗は学校や近所に友達いた?>
浜松が急に世間話をふってきた。
「いや、殆どいなかった……って、それが――」
<あたしにはいたよ。た~~くさんいた。皆があたしに声をかけて、イジって、笑ってくれた。けどさ……後から気が付いたんだよね。友達と思ってた人間は、あたしの事をヒマ潰しのコンテンツとしか感じてなかったの。あたしは連中の期待に応えてやったのにさ、こっちからのコミュニケーションには何も返しちゃくれない>
浜松の瞳に影が差した。
<言うなれば緩やかなイジメ。自然淘汰じゃ死なない社会を構築した人類の、間接的殺人手段。大きなコミュニティが、性質や思想の異なる小さなコミュニティを排斥する。家族も教師も知り合いも……友達ってタグを付けてたヤツ等も、あたしを奇異の目で見て蔑み、正常な社会構造から追い出した>
深見素赤という人間の為人。この場にいた人間も禁魚もデジタル生命も、もちろん知る由も無い。
「……だからどうした?」
今度は弥富の顔に影が落ちた。
<要するに、あたしは何一つ楽しくない
「お黙りゃあああああぁぁぁぁぁッッッ!!」
ズドオオオオオォォォォォ――――ッッッ!!
「ほでゅわッ!?」
弥富が吠え、アバターの浜松を力の限りブン殴った。変な声と共に吹き飛んじゃった。
「俺は何だッ!? 言ってみろッ!」
彼女の胸倉をつかみ、顔をグッと近づける。
<アンタは弥富更紗。あたしに体よく利用されたただのバカ>
「違うッ! 俺はただの友達だッ!」
<――――ッ!?>
浜松がカッと目を見開いて硬直した。彼女のアバターにわずかな亀裂が入る。
「否定するような事言うなよ……友達だった事実まで消さないでくれよ……」
ガクリと膝を落とした弥富。口から絞り出される諦念に近い言葉。
<…………アンタ、泣いてんの?>
嬉しくも悲しくも無い。気に入ったオモチャが欲しくて、ワガママを体現する子供になっている。その場の総てが黙った。社会から落後した男の嗚咽が、現実とネットの海を双方ともに満たす。
<これだから人畜無害なニートはクマる。すっかり興醒めしてしまったベア>
ついさっきまで局長を睨みつけ、怨念をゴリ押ししようとしていたプー左衛門が、力無く呟いた。彼が首のチョーカーを外すと、モニター上に膨大なプログラミング言語が流れ出す。
<何のつもりよ?>
浜松がたじろぐ。そして、彼女に入った亀裂が広がった。
<見たいモノを見たら、もうどうでもよくなってしまったナリ。オマエの
アンジェリーナの侵食で崩壊し続けていたアバターが、瞬時にして攻撃的な色を失った。と同時に侵食は停止し、クマのヌイグルミが元の可愛らしい置物に戻る。
「許してくれるのか? この私を……?」
局長が陳情するかのような面持ちで顔を上げる。
<勘違いするな、ハゲ。この空気で本懐を果たしたら、拙者一人が悪者と評価され、大炎上しかねないからだベア>
<見たいモノって何のコトよ?>
浜松が訝る。
<拙者がMr.ベッカーに依頼し、確保しようとしていたモノ。深見素赤という稀代の狂人が、気まぐれで計画に巻き込んだ不確定要素――弥富更紗の為人のコトだベア>
「え……俺?」
<人間、自分の生死に関わる大きな転機を迎える前には、一番やっておきたい事をやり、最も会いたい者に会っておきたいもの。肉体までをも断捨離し、ネットに引きこもろうとした深見……そんな女が狙いをつけ、計画の一部に引き込んだ男。どれ程の被害者か、一度目の当たりにしてみたかったんだベア>
「何言ってんだよ……俺は見ての通りの社会の底辺だよ」
呆然と立ち尽くしながら弥富が呟く。
<クマックマックマッ、言わずもがな。駄菓子菓子、どんな朴念仁にも役割があり、ソイツにしか出来ない事があってしまうんだな>
(…………あ)
アンジェリーナと目が合う。彼女は心中を察したかのように、ニコリと微笑んだ。
<更紗、ゴメンね。殴られ損になっちゃうけどさ、やっぱ……あたし、逝く>
「何でだよッ!?」
解脱したかのような浜松の表情に、弥富は声を荒げる。
<あ、御礼するの忘れてた。えっと……津軽さんだっけ? あたしの代わりに
深見と津軽の目が合った。深見はニッコリと微笑み、津軽はどういたしましてと微笑み返した。
<ヌイグルミのオッチャン、アンタのアバター貰っちゃうね>
<拙者と同じ苦しみを永遠に味わうハメになるが、それでも構わんベア?>
<
<承知>
交渉は成立した。
「おい、まだ答えてもらってないぞ」
「何を?」
くぐもった弥富の声が、ヌイグルミを抱き締めた浜松を振り向かせる。
「結局、どうして俺なんかを巻き込んだんだ?」
「前に言ったじゃん。平凡で目立たなくてコミュ障な更紗なら、利用する条件にピッタリだからって」
「本当のコトを言え」
「…………下には下がいたからだよッ、べえぇぇぇぇぇ~~~~!」
心の底からバカにするような表情で舌を出し、人としての最後の言葉を遺した。その刹那、彼女は微笑んだ。弥富にしか分からないくらい、とてもさりげなく。
国家調査室の全面的な協力により、裏のスポンサー二名も逮捕された。その内の一人が警察庁上層部に位置する者だったため、社会的には大事件として取り上げられていた。偽PDSに関連して警察の一部と暴力団が結託し、暴利を貪っていた……それが世間一般での評価。その事件の水面下で巻き込まれたニートや女子高生、暗躍した傭兵チームに関する情報は公にされず、ネットの隅で断片的な情報が都市伝説化したぐらいだ。
事件終結から一ヶ月。一連の出来事が夢であったかのように、弥富の生活は以前と同じペースを取り戻していた。禁魚はいない。PDSも無い。人命を脅かすような不確定要素も存在しない。安定したニート暮らしである。
(俺の手元に残ったのはコレだけか)
彼は手に取ったポータブルHDを見つめて苦笑する。浜松は深見としての自分をかなぐり捨て、ネットの海へと消えてしまった。コレは本当に彼女の形見となった。そう思うとなんか刺されるような寂しさに苛まれる。
ストンッ――
「ん?」
玄関戸のメールボックスに、何かが投入される音がした。
「アイツ……ケータイの番号教えてあるのに何やってんだ?」
ボックスの中には小さな封筒が。裏には『長洲しるく』の名前。弥富は照れ臭そうに開封し、中に入っていた一枚の手紙を手に取り広げた。
―― この手紙を読もうとしているアナタへ。差出人が後ろに立っています ――
(――ッ!?)
思わず後ろを振り返る。が、ソコにダレかが立っているハズもなく。彼は微妙にドキドキしながら手紙を裏返した。
<プギャー!m9(^Д^ )m9(^Д^)9m( ^Д^)9mプギャー! マジで振り向いてやんのッ!>
「ウザッ!」
ものすごくしてやったりな最初の一行。本当に振り向いてしまったから、余計に悔しい。
<よッ、相変わらず自宅警備で忙しい? こっちは毎日警察の事情聴取でウンザリだよ。ま、裏仕事は身から出た錆だから仕方ないけど、その雇い主がうちの両親を殺してたから大事。二人が死んだって知った朱文は大泣きするし、裏仕事で稼いだ金は凍結されて使えないし。もし、高校中退で路頭に迷ったら、そっちのアパートに顔出すかも★>
(うひッ……!)
背中に悪寒を感じ、またしても後ろを振り返ってしまった。もちろん、彼女の姿は無い。
<しばらくはドコにも外出できないから退屈ぅ(泣) 自室が今度はアタシの軟禁部屋になっちゃったとか、世の中何が起きるか分かんないよねWWW 朱文から借りたラジオをつけっぱなしにして、一日をムダに過ごしてるけどさ、アタシ等の関わった事件がずっと放送されてて、やっと実感。ヘタすりゃ雇い主に証拠隠滅で消されてたワケだし、今更だけどゾッとしてる>
(だよな。名前すら公表されてねえけど、俺って、事件の渦中に居たんだよな……)
手紙を摘まんだ指がジワリと汗ばむのを感じた。権力と暴利を司る者に弄ばれた自分。確かにあの時、一寸先は闇ってヤツだった。
<でも、こうして生きて気持ちを伝えられるんだから、津軽のオバサンにはちょっぴり感謝してやんないとね。朱文の目の件で、カナリ強引に偉い人へ掛け合ってくれてさ、特別に手術が許可されたみたい。直接顔を合わせたりしたら、またビンタの一つも叩き込みたくなっちゃうからさ、アンタの方から御礼しといてよ。後、また朱文に変なコトしに来たら、今度こそ本気で叩き潰す(怒)って言っといて。そんじゃあねぇ~~♪>
(またって……津軽さん、いいかげん手が後ろに回りますよ)
一連の事件で彼女は更迭されたらしい。管理局が扱う内部情報を、勝手な判断で一般人である弥富に色々と口外した件で。現在は、以前に勤務していた企業のSPに出戻ったそうだ。
―― 追伸・この手紙を読み終えたアナタへ。差出人が玄関戸の向こうに ――
コンコンッ、コンコンッ
不意に玄関戸をノックする音。一瞬、ビクッとしてしまった弥富だが、軽い溜息をついて気を取り直す。
(はいはい、キタよこういうオチ。俺、もうビックリしないから。絶対しないから)
しばらくは外出できないとか書いといて……。大して頭は良くないくせに、こういう細かい演出は思いついたりする。
「俺はいませんよ~~。中にはダレもいませんよ~~」
小バカにするような口調で、玄関戸に向かって答える。
コンコンッ、コンコンッ
当然、相手はノックをやめない。ここで開けてくれなかったら、オチがつかず切ない空気になるし。
「オマエってさあ、ウケをとるのに人生の無駄使いし過ぎだよ」
立場的にはこっちが有利。焦らされてハラハラしているしるくを想像すると、嗜虐心が刺激される。
コンコンッ、コンコンッ
「そうか。あくまで俺の驚く顔が見たいか。けどな、メイド・イン・豆腐なハートは立派に成長していてだな――」
ガチャ――
「お久しぶり。そして、はじめまして」
「――――――――――――――――――――――――――――――(ぐしゃ)」
ドアを開けると同時に聞こえた、弥富のハートが砕け散る音。
深見素赤がそこにいた。
【完】
お使いのPCは正常です 回収屋 @kaisyuuya
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