猫ばなし

只ノ一一

〔ひとつめ〕 2匹の黒い子猫

 川べりを、散歩していた。

 遠い昔のことだ。

 夏の終わりの夕方で、空模様は茜色ならぬ鈍色。そろそろいつ雨が降り出してもおかしくはない、といった様相だった。


 川のへりは、幅広の遊歩道が造られていた。そう。この川は、実際に日本でも有名どころの大きな川の一つだった。周辺に、住んでいる人もたくさんいることだろう。

 だろう、という断定を避けた言い方をしたのは、単純にそこを歩いていた人間が、その地元の人間ではなかったから、というだけの話だ。その人間は、その辺りの地利周りのことを、あまりよくは知らなかったのだから。まあ、腐っても都会、その端を流れる有名な川でもある。周辺は住宅も実に多かった。だから、この見立ては間違ってはいないだろう。その程度。

 それにまあ、そのまま川沿いを上流へ、西へ、とテクテクと歩いて行けば、大きな駅があることは知っていた。そこにアクセスすれば、その路線からまた別の路線、家の傍を通る私鉄へと乗り換えがきくだろう。その程度の、呑気な散歩だった。

 


 川の大きな遊歩道に、小さなちいさな段ボールハウスがあった。

 造りは、よくあるサイズの段ボール1つ。それが、横向きに倒されて、中には何かが敷き詰められていた。新聞紙だったか、ボロ布だったかは、今ではもう思い出せない。

 そこに、小さく、動く影があった。


 にゃー

 にゃー


 声は、2つ。いや、2匹分。


 気がつくと、黒くて丸くてフワフワで、けれどもどこか薄汚れた小さい生きものが、ぐるぐるぐると、通りがかりのその人間の足元へとやってきて見上げていた。


 ……かわいい。


 恐らくほとんど、大多数の人間が抱くであろう感想は、そんなところだろう。その生きものたちに関しては。

 警戒心も何もないその小さくてフワフワで真っ黒い生きものたちを相手に、暫し、遊ぶ。


 ……面白い。


 小さな生きものと触れ合う経験は、実はこの人間にはあまり無い経験でもあった。

 気がつくと、ポツポツと、雨が降り始めていた。まあ、小降りだが。

 どうしよう。

 そう思う前に、普段着の、ご近所のおばちゃんといったオーラを纏ったオバサンが、こちらを妙に睨みつけていた。

 この人がどこの誰なのかは、今もわからない。ただ、今の微かな記憶では、エプロンを着けていてもおかしくはないくらい、そこのご近所さんらしいオバサンだった。


 オバサンは、猫が嫌いだと言った。


 そこの川へ、流してしまおうか、とまで、言った。


 憎々し気な、その口調のままに。


 鬼の、形相で。


 この川べりを、生まれて初めて散歩をした人間は、半べそをかきながら、猫が川に流されるくらいなら、と2匹の子猫を抱き上げた。そして、すたこらさっさと怖いオバサンから逃げるように、駅へと歩き出した。


 雨が、先程よりも少し、本格的になり始めていた。



 駅前で、とりあえず傘を、そして猫と一緒に電車に乗る為の箱を買った。

 駅は栄えていて、小さいながらも東急ハンズがあった。Do It Yourself。ああ、ありがたい、ありがたい。

 そこで400円(税別)かそこらのダンボール製の即席ペット用キャリーバッグ(小)を買った。猫の兄弟は元気ではあったものの、箱の中に納まると、やはり疲れていたのか大分おとなしくなった。

 因みにこの2匹の子猫がどちらも雄だと判明したのは、それから後、家で確認してからのことだ。この時はまだ、性別などは確かめてはいなかった。


 次いで拾い主は、猫たちのお腹がすいていないかどうか、が気になった。

 先程の猫のダンボールハウスでは、それなりにご近所の人たちが餌をやっていた様子で、猫のエサ皿も水皿もあった。餌は確か、食べ掛けで食い散らかされていたような感じであったような気もする。

 けれども、こいつらは通りがかりの人間相手に「構え」とニャーニャー鳴いたのだ。何らかの要求があったのことだろうし、何より空腹は生きものの三大欲求の一つだ。

 しかし拾い主は、これまで猫を「飼育」した経験は皆無である。

 よくわからないままに、そのハンズの隣にあった、ファーストキッチン(たぶん)へと出向き、ミルクのホットが可能かどうか、店員さんに聞いてみた。若い男女の店員さんは同情的で、本来はメニューは無かったらしいホットミルクを、快く作って販売してくれた。

 ひょっとしたら店員さんではなく、どちらかはチーフなり店長なりといった立場の人だったのかもしれないが。当時観察眼ゼロの拾い主は、そのあたりのことはあまりよく判らぬままに、感謝した。ありがたい。ありがたい。

 後ほど、猫の飼育に慣れてきた頃には、「あー猫に牛乳なんかやるなよ、ヴォケ!」と自分にツッコミを入れてしまったものだ。猫に牛乳は良くないという事実を知ったのは、もっとだいぶ先になってからのことだ。

 だがこのときは、自分も、周囲も、このファーストキッチン(たぶん)の若い店員さんたちも、そんなことは知らず、少しでもこの2匹の猫に幸あれと、それぞれの出来る範囲で尽力をしたまでのこと。本当に、ありがたい。

 因みに今は、その駅前のファーストキッチン(だったと思う)は無くなっている。


 何とか猫たちにミルクをやり、再度箱に押し込み、生まれて初めて猫用の切符を買って、電車に乗った。窓の外は、夕闇の昏い青色が夕刻の終わりを告げていた。

 乗り物の中でも、猫は騒ぐことは無く、実に大人しくしていた。拾い主の心情を察してのこと、というよりも、たぶんは疲れと不慣れな状況に声が出なかっただけなのかもしれないが。ともあれ、初めて猫を抱えて電車に乗った人間にとっては、有難い状況であった。

 そうして乗り継ぎ、乗り継ぎ、乗り継いで、最後は家の近くまで行くバスに乗る。

 バスを終点を降りて、テクテクとまた、あるく。そこからは、すぐだった。

 そうして2匹の子猫を抱えて、新しいビニール傘をさして、家に帰った。




(つづく)



 

 

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