晴れ晴れサタデー

 起き抜けに牛乳を飲みリビングの窓から外を見つつ「朝日が目に染みるぜ」なんて言ってたら、妹に「そのまま染みるに染みて使い物にならなくなったら良いのに」と言われた。お前、俺にどんな恨みがあるんだ。

 妹の毒舌にいちいちショックを受けていたら切りがない。せっかくの土曜日なのだ。優雅な休日を過ごさなくては。ちなみに、共働きの両親は土日は昼過ぎまで寝ていることが殆どだ。毎日お疲れ様である。

 平和な日常を噛み締めつつリビングにある二人がけのソファーに腰掛けると、先ほど郵便受けから取ってきた朝刊を開いた。政治、経済、地域、国際、事件事故と、それらのページは一切開かず、スポーツ欄を軽く眺めてからラテ欄を熟読。読み終えてからパンと新聞を閉じて「俺、新聞を読んでやったぜ」みたいな清清しいほどのドヤ顔を一人でしていると、先ほど俺が先ほどまで立っていた窓辺に妹がいつの間にやら佇んでいて、俺と同様に牛乳を呷りながら侮蔑的な眼差しで俺を見てた。俺が妹の存在に気づくと、妹は「フッ」と小ばかにしたように鼻を鳴らして自室へと引き上げていった。

「……」

 ど、どうせラテ欄すら見ないような妹だ。好きなだけ馬鹿にしろ。お前だって俺と同じ穴のムジナなんだよ。

 なんて事を一人で考えながら、新聞をソファーに置き、そこで違和感を覚える。

「ん?」

 再度新聞持って、それを開く。何と無しに開いたページは国際欄だった。

 ……何か、新聞とは違う何かを開かなくてはいけなかったような。

「……あ」

 はたと思い出す。

 そうだ、卒業アルバムを開く約束を月島さんとしていたのだ。いい加減、その約束も果たさなくては。

 早速、腰を上げて新聞紙を放りながら自室へと向かう。

 道すがら、昨日のことを思い出す。

 結局、昨日の俺の悪行の数々を誰かから糾弾されることはなく、停学はおろか、放送部を辞めろと言う人間すらいなかった。

 まぁ、俺みたいな矮小な存在が何をしようと、パーソナリティーであらせられる五人の少女達の前では比べるまでもなく些事。特に、昨日の総目高校はアンケート一色だったのだ。皆、その結果のみが気になっていただろう。

『今回のアンケートで一位を獲得した曜日は――』

 全員が息を飲み、部長の次の一言に耳を傾けていた。

 もしも俺がここで邪魔をすればあるいはもっともっと悲惨な目にあっていたのだろう。それぐらい、生徒も、放送部の部員も真剣な表情だった。

 そうして読み上げられた名前は、少しばかり予想とは違ったものだった。

「木曜日です!」

 ……え? 木曜日? 月島さんでなければ、火ノ元でも水上でもないの? うそーん。

 自らが担当する曜日を呼ばれた木戸は、心なしか嬉しそうな顔をして拍手をしていた。

 人畜無害な少女の勝利。予想はしていなかったが、火ノ元や水上が勝利するよりは平和そうだ、とホッと胸を撫で下ろしていたのも束の間。木戸が部長からマイクを受け取り、語りだしたその内容に度肝を抜かれた。

「こんにちわ。木曜日の木戸です。実は、放送部の中で、これからの放送スタイルについて議論されてたんですが、今回のアンケートで一位を取った曜日の放送者がスタイルを決定する権利を貰えるという話でした。なので、これからの放送部がどうなるのか。ここで発表させてもらいます」

 ……え? 木戸って普通に喋れるの? じゃない。いや、そこも多少は驚いたが、一番驚愕したのはそこじゃない。

 一番アンケートに興味を抱いていなさそうな素振りだったくせに、ここにきてその馬脚をあらわすとは。このことを事前に知っていた部員はいないらしく、皆一様に戸惑っているようだった。

 だが、そんなことお構い無しに木戸は続ける。

「これからの総目高校放送部は――」

 ……。

「っと、あったあった」

 自室に放ってあった学生鞄を開けて卒業アルバムを取り出す。何故こうして鞄の中に卒業アルバムが入っていたかと言うと、栄一くんの中学校の卒業アルバムと、俺の持つ小学校の卒業アルバムを交換したからだ。栄一くんは火ノ元の過去の姿を見ることで満足をしてもらい、俺は火ノ元と水上の仲直りのための道具として使った。

 ぺらぺらと卒業アルバムを開く。

「文集文集っと」

 月島さんは言っていた。中学の時に俺の文集に救われたのだと。鼻垂れ小僧でしかないような当時の俺に、そんな大層な文章が書けたのか謎だが、彼女自身がそう言っていたのだ。何か、突発的に天才の亡霊でも俺に取り付いて、高尚なものでも書いたのかもしれない。

「あった」

 月島さんのページを見つけた。文集は名前順に並んでいるので、次が俺のページだ。

 特に感慨もなく、はらりと捲った。

「……」

 夢。

 そう、題字が記されたページがあった。題字の横には、俺の名も記入されている。

 内容はこうだ。

『夢。

 六年二組 土田夕日。

 僕はラジオが好きです。

 顔の見えない相手が、ただしゃべっているだけですが、それでも好きです。

 テレビの方が好きと言う人もいますが、それでも好きです。

 僕は一人ぼっちの夜には、いつもラジオをつけます。そうすると、心細かった気持ちも、楽しくなってくるのです。

 誰かが、僕のために喋りかけてくれている気がして。一人じゃないんだって思えるんです。

 特にお父さんとお母さんはいつも家にいないから、僕にとってラジオは家族みたいなものです。

 この前も、妹の朝日がお母さんとお父さんがいないって泣いてて、その時にラジオを聞かせてあげたら喜んでました。それからというもの、毎日毎日、妹がラジオラジオとせがんできます。もう僕よりもラジオっ子かもしれません。

 僕は妹も大好きです。だから、妹をこんな笑顔にできるなら、僕もラジオをしたいと思っています。

 やり方とかはよく分からないけど、いつの日か、絶対なってやります』

 ……

「……」

 はっず! 何シスコンこじらせてんだよコイツ。そりゃ俺もこんな黒歴史忘れるわ。いちいち思い出してたら道端で赤面して卒倒するわ。

 でも、これを見て月島さんは救われたのか。もしかしたら、俺の文集を読んでから、ラジオを聴いてみたのかもしれない。それは俺が救ったかどうか微妙なところだが、きっかけという意味では確かにそうなのかも。……それにしても月島さんにこれを読まれたってのが恥ずかしい。俺のこと影ではシスコン野郎とでも言ってやしないだろうか。

「はぁぁ……」

 体が熱くなり、ベッドに仰向けに倒れこむ。

 手の甲を額に当てながら、ぼんやりと天井を眺める。そして、目を閉じる。

 この一週間、色々なことがあって、ゆっくりと休めることが少なかった。眠ろうと思えば今にでも夢の世界に旅立てそうだ。

 ……だが、何か忘れてる気がする。結構、重要なこと。

 まぁ、いっか。寝よう。さっさと寝よう。

 そう思ったとき、机の上に置いていた携帯が震えた。

 無視を決めこもうとしたのだが、あまりにも長くしつこいそれに、俺は結局出るはめとなる。

「はい、もしもし」

「あ。もしもし」

 女の子の声だ。木戸だろう。

「どうかしたか?」

「……まさか、忘れてる?」

 忘れてる? 何のことだ。

 俺は壁にかけられた時計を確認する。八時ちょうどだ。こんな朝っぱらから誰かと約束なんて。

「……」

「あと十分だけあげる」

 約束なんて……してました。

「わ、悪い、すぐ向かう!」

 返事を待たず通話を切ってから、直ぐに身支度を始めた。持っていく物は少ない。制服に着替えておくだけで良いだろう。

 鞄も持たず、一階へと降りていくとリビングのソファーに妹の朝日が座っていた。どうやら、新聞を開いているようだ。しかも経済のページ。ちょっとだけ敗北感。

 と、朝日が俺に気づいて見てきた。互いに無言のままでは気まずいので、一言声をかけておくか。

 コホンと咳払いをしてから口を開く。

「今度さ」

「うん」

「……久しぶりに一緒にラジオ、聞くか?」

 すると朝日はびっくりしたように目を見開いてから、柔和に微笑んだ。

 久しぶりにこいつの笑顔を見たなぁ、なんて思っていたら。

「聞くわけ無いでしょ、ばーか」

 と、言われた。









 約束と、昨日の木戸の一位獲得。これはイコールで結ばれている。

 というのも、木戸がこれからの放送部のスタイルとして答えたものがこうだったからだ。

『これからの総目高校放送部は、皆がしたい放送をしていきます。真面目にやりたければ真面目に。ラジオのようにやりたいならラジオ風で。そうやってやっていきます』

 まぁ、盲点といえば盲点ではあったが、そもそもそんなものが受け入れられるのかどうか。そこが気になった俺だったが、そんなのは杞憂だった。

 むしろ大歓迎だとばかりに歓声をあげる生徒達ばかりで、火ノ元や水上は「望むところよね」と互いに目を合わせながら微笑みあい、金井部長は「はわわあわわ」とおろおろとしていて、月島さんはただただ満足げに笑っていた。

 自分の存在とはいかほどなのか。そんなことを考えて肩の力を抜いた俺の耳に届いたのは、木戸の続きの言葉。

「それで、以前から要望が多かった土曜日の放送の件についても、ここで発表します。明日から、早速放送を開始します。担当は週変わりで変更していきたいと思っていますが、とりあえず明日、記念すべき第一回放送をしたいと思っています。その放送者は――」

 そこで、木戸はくるりと身を翻し、俺を見てきた。

「土田夕日です」

 ……あの時の場の盛り下がりようは半端なかった。そりゃ俺だって落胆するわ。まぁ、一回だけだからお互い我慢しようや。

 そんなこんなで、土曜日の放送室にやってきた。

 記念すべき一回目の放送と言うことで、全部員が勢ぞろいしていた。ちなみに向けられる視線は怒り半分、呆れ半分である。

「す、すいません、遅れました」

 頭に手をやりお辞儀をする。

「あんた、放送部舐めてる?」

 水上がターンっと床を踏み鳴らしながら、一歩前へ出てきた。眉を顰めて本気で睨みつけてきている。怖いっす。

「まぁ、何か事情があったんでしょ?」

 フォローをしてくれるのは火ノ元。だが、俺は首を横へ振る。

「いや、ど忘れしただけ」

 瞬間、全部員が表情を凍らせた。嘘をつくのは嫌いなんです。

「ふふ」

 そんな中、急に金井部長が笑い出した。木戸が怪訝そうに見やる。

「どうかした?」

「いえね、土田くんが初めてここに来たときと重なるなって思って」

「そうなの?」

 木戸から水を向けられ、一つ頷く。

「そう言えばそんなことがあった気がする。初日から思いっきり遅刻した」

「結局、放送時間ぎりぎりにやって来て、けど、それでも放送自体は滞りなくやり遂げたのよね?」

「それは褒め過ぎな気もしますけどね。ただ、前日から台本は頂いてましたから、それで練習はしてましたし、努力の賜物ってやつです」

 と、水上が喉を鳴らした。

「ふーん。じゃあ、今日も練習はしてあるのね?」

「いや、全然。ぶっつけ本番」

「……」

 まぁ、嘘であるが、ここで練習してあると言おうが言うまいが変わるまい。

 と。

「土田くん」

「え?」

 月島さんが、集団の中から出てきて声をかけてきた。そして。

「夢、叶って良かったね?」

 そんなことを言ってきた。

「……そうだね」

 副部長がパンと手を叩いた。

「よし、それじゃあ主役も来たことだし、放送の準備を進めよう。時間もあまりないからね」

「ええ、そうね。急ぎましょう」

 副部長と部長が力を合わせれば鬼に金棒である。俺は調整室からマイク室へと移動をし、台本を黙読する。

 ……半年前には当たり前に読み上げていた台本。感慨深いものがある。

 そうして放送時間となった。

 キューを振るのは月島さんだ。

 防音ガラス越しに、調整室から微笑みがちに合図をくれた。

 それを視認して、俺は喋りだす。

「七月十四日。土曜日。朝の放送の時間です――」

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