第5話:VSゴブロル② そして……
「ジャァァァァガアアアアアアアアッ!」
俺は吼えた。腹の底から叫び声を上げた。
あらん限りの力で身を捩り、ゴブロルの拘束に隙間を作る。
そして、かろうじて確保されたスペースを通して毒液を――角から噴射し、ゴブロルの顔面に浴びせかけた。
「グギャアアアア!」
モロに目と鼻に毒液を摂取したゴブロルが、汚い喚き声で暴れ出す。
放り出された俺は素早くゴブロルと距離を取り、一旦深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
……なるほど。この後ろ向きに伸びた角は、背後に組み付かれたときなんかのためだったわけか。首に噛みつかれないよう生えてる、ライオンのたてがみと同じ役割だな。
つーか、馬鹿か俺は。
自然界は弱肉強食。草を食べる虫を小動物が餌にし、その小動物も大型の肉食動物が餌にする。だったら俺を餌として狙ってくる肉食獣がいて当然じゃないか。トカゲにしては大きくても、今の俺より何倍も大きい動物は地球にだってゴロゴロいた。
なのに警戒もせずそこら辺をフラフラ歩いて、あっさり不意を突かれた。
先制を許しただけじゃ飽き足らず、なんの策もなく正面から挑んで殺されかけた。
なんという無様。これじゃあ村のチビガキどもに笑われるな。
俺はなにをやっているんだ。新鮮な肉の旨さに浮かれて、頭がボケたのか。
「フウウウウッ」
己の愚行を深く戒めると同時、二度深呼吸して意識を研ぎ澄ます。
思い出せ。
確かに転生前の俺は、奪われてばかりの弱者だった。
でも、常にやられっ放しだったわけじゃない。
ときに策を巡らし、ときに同じ境遇の弱者たちと徒党を組んで、何度でも一矢報いることで生き延びてきたのだ。
死んで人外に生まれ変わろうが、俺が俺である以上、やるべきことは変わらないはず。
この世は弱肉強食。しかし強いヤツであっても、病気や思わぬ事故で死ぬものだ。
強い弱いは重要じゃない。死ねば負け、最後に生き残っていたヤツだけが勝者なんだ。
だから、どんな手を使ってでも勝つ! 勝って俺は生き延びる!
「ウギィ!?」
視界を奪われ、闇雲に棍棒を振り回していたゴブロルの悲鳴が潰れたように途切れる。
事実、膝が潰れて本来とは逆方向に片足の関節が折れ曲がっていた。俺が切り落とされた尻尾を咥え、棍棒代わりに突進から叩きつけてやったのだ。
四足歩行の獣は、総じて首が太く力も強い。直立する人間と違い、頭を首の力だけで支える必要があるためだ。だから武器を咥えて振り回せば、骨をへし折るぐらいの威力を引き出せる。
倒れるのを支えようとした腕の骨も砕き、バランスを取れなくなったゴブロルが横倒しになる。さっきまでのお返しとばかりに、今度は俺がゴブロルを滅多打ちにした。
「ガ! ギ! ギィ!」
ゴブロルは無事な方の腕で頭を庇い、背中を丸めて蹲る。
ああ、そうだよな。袋叩きにされているときなんかは、その体勢を取るのが一番耐え忍べるんだ。俺もそれが常套手段だったからよく知ってるさ。
だけど、お前のそれは首がお留守なんだよ!
「ジャアアアア!」
ゴブロルの背中に圧し掛かり、首根っこへ思い切り牙を突き立てる。俺の顎の力なら、こいつの首の骨を噛み砕くことも十分に可能だ。
俺を引き剥がそうとゴブロルはもがくが、俺は折れている腕側から噛みついている。
この位置なら、ご自慢の長い腕も届くまい!
「ウギィィ!」
骨が軋むにつれ、甲高い唸り声を上げてジッタンバッタン身を転がすゴブロル。
無駄だ、無駄だ!
地面との間に挟んで全体重をかけようと、それじゃあ俺の身体はビクともしない!
が、俺はまたしてもゴブロルの賢しさを見誤っていた。
こいつが仰向けになって俺に圧し掛かったのは、俺を潰すためじゃない。俺を背中にピッタリ張り付くような姿勢にさせて、自分の手が届くようにするためだったのだ。
ゴブロルの手が、俺の残っている部分の尾を掴んで引っ張ってくる。
「ギイイイイ!」
「フウウウウ!」
そこからは、見るも泥臭い綱引きだ。
俺がゴブロルの首を噛み砕くが早いか、ゴブロルが俺を引き剥がすが早いか。
身体を引っ張られて俺の首も、可動域を超えた角度に曲がろうとして悲鳴を上げる。
しかし無理な体勢のせいか、ゴブロルが俺を引っ張る力もそこまで強くない。
こうなったら根比べだ……! とことんやってやる!
俺の爪が、相手の背中で踏ん張り肉を抉る。
ゴブロルの腕が、鉄のごとく筋肉で隆起する。
俺の牙が、引き抜こうとする力に負けて数本根こそぎ抜け落ちる。
ゴブロルの手が、俺の尻尾の切断面から流れる血で滑る。
まさに一進一退の攻防。二頭の獣が吐き出す、か細くも激しい吐息だけが森に響く。
そして――
「ウ、ガアアアアアアアア!」
綱引きの軍配は、緑の小太り鬼に上がった。
ゴブロルの首から引き剥がされ、俺は地面に勢いよく叩き落とされた。
ま、だだ。意識を閉ざすな。思考を止めるな。
牙がもげようと、手足が千切れようと、最後の最後に生き残った方の勝ちだ。
折れている暇もないと心を奮い立たせ、俺は起き上がって身構える。
でも、もうその必要はなくなっていた。
「ガ、ギィ、エッ」
自分でも、なにが起きたかわからなかったのだろう。
ゴブロルは傾げた首から噴水のように血を噴き出し、そのままドサリと倒れた。
目に生気の光は失せ、もう指一本動かない。
どうやら無理やり俺を引き剥がした拍子に、俺の牙が頸動脈――血管の中でも特に太く、傷つけば致命的な出血を招く血管を引き裂いていたらしい。それでたぶん、大量出血からのショック死を起こしたのだ。
勝った。勝ったんだ。俺が勝ったんだ!
「シャアアアア!」
息も絶え絶えの体で、力一杯に勝利の雄叫びを上げる。
転生前に、こんな充足感を味わったことはなかった。
勝っても負けても、あそこに明日なんてものは存在しなかったから。昨日と同じ、辛くて苦しいだけの一日を繰り返すばかりだったから。
でも、今生では違う。今の俺には、明日に希望があるのだ。
…………とまあ、勝利の感動に震えるのもほどほどにして。
すっかりズタボロになってしまった、この身体はどうしたものか。
牙が何本か根元から引き抜かれ、尻尾に至っては切り落とされた。特に尻尾が重傷で切断面からの出血がまだ止まらない。寄生した肉体が致命傷を負った場合、本体の俺も一緒に死んでしまうんだろうか? 死なないしても、この身体の動きは鈍るだろう。こんな状態でゴブロルの二体目にでも出くわしたら、今度こそアウトだ。
これが【げーむ】なら回復薬を飲むなり、宿屋に一泊するなりで綺麗に治るモンだけど……当然そんな便利アイテムは持っていない。
そもそも【えいちぴー】なんて言葉で簡単に一纏めにしてるけどアレ、骨折とか病気とかはどうなるんだ? 今の俺みたいに体の一部が欠けた場合は? まさか新しい腕がニョキニョキ生えてくるとか? 想像しただけでゾッとするな。
第一、宿で寝るだけで回復ってどういうカラクリなんだ。宿に成りすました実験施設かなにかじゃないだろうな。つーかモンスターの俺は何処に泊まれと。巣穴か、巣穴なのか。
どうしたものかと何気なく周囲を見回し、ふとゴブロルの死骸が目に留まる。
ふむ。片腕片足の骨折と、頸動脈が千切れてる他に損傷らしい損傷はないな。
ここは肉体を毒角トカゲからこいつに乗り換える、というのも一つの手だろうか。
毒角トカゲに寄生したときも、腹の深い傷は綺麗に塞がった。ゴブロルの体もこれくらいなら元通りにできるかもしれない。基本スペックは毒角トカゲより上っぽいし、醜い顔が気にならないこともないけど、どうせ外面を気にする機会なんて今生じゃ尚更無縁だろう。
問題は、実際に肉体の乗り換えなんてことが可能かどうか、だな。
とりあえず俺はゴブロルの死骸に前足で触れてみて――予想以上のことが起きた。
触れた前足がドロリと崩れ、俺の本体である真っ黒な粘液と化した。それが急激に体積を増やし、あっという間にゴブロルの死骸を呑み込んでしまう。消化もしないで死骸はどこに収まったのか、縮んだ粘液が俺の方に戻ってきて――
そこから俺を襲った感覚は、もうとても言葉で説明できるものじゃなかった。
敢えて例えるなら、意識せずとも心臓が脈打ち、臓器が活動するのと同じ。
呼吸よりも遥かに自然に、ごくごく当たり前に俺は「それ」ができていた。
毒角トカゲとゴブロルの肉体が、俺の中で境界線を失って混ざり合う。二つの能力が、要素が、特性が、遺伝子レベル・原子レベルで組み合わさり改変されていく。それは二色の粘土細工が混ざり合い、新たな色の彫像を作り上げていくようでもあった。
もっと単純に結論だけ述べると、だ。
俺の姿は、毒角トカゲとゴブロルを足して二で割った感じに変貌していたのだ。
ファンタジーでいえばトカゲ人間の《リザードマン》……いや、ゴブロルと混じったのだからトカゲ小鬼だろうか? 元のゴブロルに比べ腕はやや短く細くなり、逆に足はやや長くなっていた。ゴリラだったゴブロルよりも小人らしい体形だ。小太りだった腹も引っ込んでるし。
全身を包む鱗は相変わらず黒一色だけど、ゴブロルの筋肉が詰まって強靭なパワーをひしひしと感じる。触り心地からして、顔は毒角トカゲそのままのようだ。
そして銀殻が両腕と頭、それに胸の部分を覆っている。今の自分が直立していることもあって、鎧みたいだ。
つまり、これこそが俺の授かった【ちーと】の真価ということだろう。
単に寄生するだけではなく、他の生物同士を合成してより強靭な肉体を作り出す能力。
うん、やっぱり欠片ほども主人公っぽくない。しかもあくまで強い肉体を製作し、それに寄生する能力だから、俺自身が強化されるわけじゃないっていうのもなんか微妙だ。
とはいえ、前も言ったけど贅沢言える立場じゃないし、なにもないよりマシか。
それに、これから進むべき道がハッキリと示されているのは有難い。
俺は数多のモンスターを打ち倒し、その力を取り込んでもっともっと強くなる。
この色鮮やかな世界を、どこまでもどこまでも堪能するために。
バケモノ・ワールド 夜宮鋭次朗 @yamiya-199
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