第4話:VSゴブロル①
「ウガアアアア!」
新しい場所に踏み込んでから三分と経たず、そいつは現れた。
緑色の肌に醜い顔をした、子供ほどの背丈しかない小人。そいつはファンタジーにお馴染みらしい小鬼のモンスター《ゴブリン》に近い姿をしていた。近い、であって、伝え聞いたゴブリンとは差異も見受けられる。
その体形は小鬼というより小太り鬼というか、腹が脂肪で大きく膨れ、腕が太く長い割に足が短い。図鑑で見た【ごりら】みたいで、特に腕からは相当な腕力が窺い知れた。サイズと肌の色を別にすれば、醜悪な巨人だという《トロール》の方が近そうだ。
つまりミニトロル? ゴブリントロル? ええい、適当に混ぜてしまえばいいか。
命名《ゴブロル》は雄叫びを上げて茂みから飛び出すなり、小ぶりの丸太を削った棍棒で俺に殴りかかってきた。
小ぶりと言っても、ゴブロルの腕より一回りは太い棍棒の一撃。間抜けにも散歩気分でいた俺は完全に不意を突かれ、それをモロに喰らってしまった。
「シャガッ!?」
幸い喰らった個所は、特に頑丈な銀殻で守られている頭部。
それでも目から火花が飛ぶような衝撃が脳を揺さぶり、フラついたところをさらに棍棒で殴り飛ばされる。宙を舞う身体は背中から木に叩きつけられ、せっかく食べた肉を危うく胃から吐き出しそうになった。
この野郎……! やりやがったな!
ゴブリンといえば、スライムと同レベルの雑魚敵だったはず。
実際こいつ力ばかりの馬鹿っぽいし、装備も棍棒の他は股間を隠す腰布だけだ。
それなら毒角トカゲの肉体を持ち、さらにパワーアップさせている俺が負けるわけない。
不味そうだけど、お前も腹の足しにしてやるよ!
手始めにこいつを喰らえ!
動きを封じてやろうと、ゴブロルの顔に向かって毒液を吐く。
が、それは棍棒を持たない左腕であっさり防がれてしまった。
まずい。心なしかゴブロルの目がキランと光ったし、早くも弱点が露呈したか?
俺の、つーか毒角トカゲが持つ毒は、相手の体を腐蝕させるような強力なものじゃない。目鼻や耳の粘膜を通して浸食し、感覚神経を潰す神経毒だ。皮膚から浸食できるほど強い毒性はなく、つまり口や目に入れさえしなければ効果はない。
小癪にもそれを見抜いたようで、ゴブロルは左腕で顔を庇いつつ向かってきた。
何発か毒液を浴びせかけるけど、怯みもしない。
くそ、だったらこれだ!
俺は身体を回転させ、尻尾ハンマーをゴブロルへ叩きつけようとする。
しかしゴブロルの振るった棍棒と、俺の尻尾ハンマーが激突。
弾かれたのは、俺の尻尾の方だった。
な……っ! 俺の尻尾より、こいつの腕力の方が勝ってるのか!?
でも、ゴブロルも今の激突で足が止まった。
「シャアアアア!」
俺は威嚇しつつ、尻尾をブンブン振り回して牽制する。
ええい、上手いこと腕に当てて棍棒を叩き落せないか? ああもう、尻尾を使うには相手に背を向けなくちゃいけないから、狙いなんてつけようがないんだけど!
「フン、ガ!」
げ! 棍棒で地面に叩き落されたところを、踏みつけで尻尾が押さえつけられた!?
外見に似合わぬ小賢しさに、しかし俺は三度驚かされることになる。
ゴブロルは腰布の後ろ、その身体を死角に隠していたもう一つの武器を抜いたのだ。
精巧な造りからして自作ではなく、人間の物を盗むなり拾うなりしたのだろう、鉄製の斧を。
「ガアッ!」
「ジャガ!?」
分厚く、重く、鋭い刃が、甲殻の隙間を捉えて尻尾に突き刺さる。
肉が裂け、血を噴き、神経は焼けた。
痛い痛い痛い! 寄生したトカゲの肉体を通して、痛覚もしっかり伝わってきやがる!
「ゴアアアアッ!」
ゴブロルが刃の食い込んだ尻尾ごと斧を持ち上げ、地面に叩きつける。
刃は一層深く突き刺さり、ブチブチと筋肉の千切れる音が、やけに大きく脳内に響いた。
一切の容赦なく、何度も何度も繰り返し斧が叩きつけられる。
転生してから初めての激しい痛みに、俺は抵抗もままならなかった。
そしてとうとう、
「ジャ、ギィアアアア!」
半ばから切断された尻尾が、血飛沫を散らしながら地面を転がる。
たまらず苦痛でのたうち回った拍子に、運良くゴブロルの手から斧を弾き落とすことに成功した。でも相手の手には、まだ棍棒がある。
「ガアアアア!」
「ギィ!」
そのまま、尻尾を失った俺は反撃もできず棍棒で滅多打ちにされた。
頭に、背中に、顔に、足に、全身くまなく振り下ろされる棍棒。
体が強化されているおかげで即死こそしそうにないが、どしゃぶりのような殴打にダメージは着実に積み重なっていく。
……ああ、覚えがある。このどしゃぶりには覚えがある。
転生前、人間だった頃にも幾度となく味わった感覚だ。
自分より体の大きい野郎どもに、こうして殴られて蹴られて。あいつらに食い物は全部持っていかれて。弱いヤツを痛めつけるのが、なにもない村での数少ない楽しみだったんだろう。あいつらはいつも醜い笑顔を浮かべて楽しそうだった。
俺はただ殴られるがままで、奪われるがままで。
貴重な水分まで目や鼻から垂れ流しにするままで。
ゴミ溜めみたいな村の中でも、俺は一層惨めに這いずり回る虫けらだった。
「ブフウウッ!」
いくら棍棒を打ちつけても、致命打にならないと悟ったらしい。
ゴブロルは手を変え、後ろから抱えるように持ち上げつつ、俺の首を締めつけ始めた。
筋肉のミチミチに詰まった腕が気道を圧迫し、呼吸が利かなくなる。
でもこれは窒息させるなんて生温いモンじゃない。首の骨をへし折るつもりの力。
骨の軋む嫌な音と共に、暗闇へ引きずり込まれるかのごとく意識が遠のいていく。
ここまでか。ここまでなのか。
生まれ変わってみたところで、結局俺は踏み躙られるだけの存在なのか。
――冗談じゃない!
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