月の涙
時野マモ
月の涙(全)
月に落ちた涙が蒸発するまでの間、その表面に映ったのがこの物語です。
降りそそぐ星の光に照らされて鳴り響く、音の無いファンファーレ。さあ物語が始まって、舞台はここ。——宇宙の下の月の上!
そこに在るのは街でした。一瞬に現れて、一瞬に消えてゆく、夢の欠片に浮かぶ街。一点に現れて、全てを映し込んでいる。
百の街路に百の秘密を隠し持ち、百の秘密の中に百の街路が紛れ込む、とても奇妙な嘘の街。
街路と秘密が絡み合い、たちまちのうちに増えてゆく、影を追う影の舞う、虚空に浮かぶ、君と私の目。合わせ鏡に映る街。
落ちた涙が消えるまでのその間、有限の中に無限が織り込まれ、瞬間の中に永遠が畳み込まれ、街にはすべてが現れます。空間も時間も、いやそれ以上、無いものも有るものも。宇宙の果ても、過去も未来も、ありえた世界も、無かった世界も、ここにはすべてがあるのです。
ここでは何でもできるのです。何でも生まれてくるのです。街には百万の道。百万の道の、百万の分かれ道。角を曲がる度に新たな道が生まれ、振りかえれば暗闇。
道の中に道が生まれ、道の中に道が消える。無限の街、永遠の街。涙一滴の消える中に封じ込まれた、無限の街、永遠の街。月の上、落ちる涙の中、鏡像の中の月は、現実さえも飲み込んで果てしなく、広がる偽の街。
光ります。水銀を湛えた月の海、星々を映し、たおやかに揺れるその上に浮かぶその街の華やかさ。
歌います。街を称え花たちが、無の海を揺らす歌声で、夢が紡いだドレスをまとい。歌う、失われた夢の哀。
夢から生まれたうつろうものたちよ。物の中に沈む失われた想いを吸い上げて、咲く花は幻。その果実は甘く、姿は麗し。
失われた宇宙の残光を浴びて、街の中には何物でもあるのです。かつて見た夢が花となり、芳香とともに、あふれ出します。
何物もあり、何物でもない、この街よ。光に溢れ、暗闇が浮かぶ、この街を、
——私のロボットは、主人を探して必死に歩き回っていたのでした。
*
ロボットは、大きな通りを、きょろきょろとしながら歩きます。
街は人に——人でないものにも——満ち溢れ、活気に満ちた様子です。
大通りに沿ってずっと続くショーウィンドウには、宇宙の各地からの名品が、所狭しと並べられ、行き交う人々がそれぞれに群がって、楽しそうに笑っています。
アルクトゥルスのアクセサリーににタウ・ケチ自慢のハイファッション。今年の冬の流行は、アルデバランのカバンにアンタレスの赤い靴を合わせ、アンドロメダのラメをつけて、煌きながら歩くこと。
——通りには、ショーウィンドウを抜けてきたかのような人ばかり。
シリウスの乙女がベガの情夫を連れて歩いています。ゴージャスなマントはカペラのダイヤ。虹色のネオンにそれが光ります。
「ここは月の街、心の底からたのしみましょう」
それを見てロボットが深くため息をついた瞬間、
ネオンから飛び出して宙を飛ぶポップ。
〈楽しめ〉
〈楽しめ〉
〈限界はない〉
〈楽しめ〉
〈楽しめ〉
〈制限はない〉
欲望がそのままに言葉になって光りながら飛んでます。そして光る言葉はそのまま欲望に変わります。
——フラッシュライト。
言葉が街中を埋めつくし、通りを歩く人々に当たっては砕け。欲望がそこで爆発します。それはまるであちこちで点滅するフラッシュライト。街では瞬間の欲望を爆発させる人々の群れ。次々に商品は売れ、腹が減ってなくても美食に溺れ、満腹したら裏の暗がりでは性欲の爆発。
ここは月の街。瞬間の街。瞬間の中には歴史なく、歴史無いところに倫理もありません。ここではすべてが許され、すべてがある街。でも、もしかして、すべてがあるがゆえに何も選べない街。なにもかもがあるために、何かを探すのには無限の時間がかかる街。
——だから、私のロボットはまだ探し人を見つけられず、通りから通りへ。
ありえるものすべてがここにあるのならば、きっとロボットが探すものもここに有るはずなのですが、それには無限の時間がかかるのです。無限を追いかける有限のもの。無限に追いつくには無限になるしかありませんが、それもできぬロボットは、偶然にすべてをかけるしかありません。
通りから、通りへ、凄い勢いで風景の変わる街の中、ひたすら歩き、ひたすら探す。
この街は、あらゆる街の集合体です。実在の街も想像の街も。未来の街、過去の街、ユートピア、ディストピア。ステンレススチールの街並みは、たちまちのうちに崩れ落ち、廃墟に降るのは酸の雨。そそり立つピラミッドを建設し、降臨するUFOを称える人々は、槍を持つ野蛮人に串刺しになる。——空を飛ぶエスパーの目に映る。過去未来、現在が幻に過ぎぬこと、誰も教えてくれなった、この現実が旅人の休息に過ぎぬこと、——映るのは街、すべての街。緑の宇宙人の襲撃に、逃げ惑う人々の持つスプレー缶、吹き付けられた宇宙人は金星の美女に変わり、できたのは大ハーレム。闇近し。こっそりと、待ちきれぬ始めた、秘め事の、あえぎ声漏れる街中はたそがれ時。あやふやな、昼でも夜でも無い光に照らされた街を行く、スーパーヒーローは後ろにどくろの影を引き。倒された敵の爆発で出来たきのこ雲、その前を飛ぶ飛行船からはサーチライト。——照らされて浮かび上がる今夜のホストは君と僕。——さあもう少しこの町の紹介を続けましょう。
一瞬の中に永遠が詰め込まれ、一点の中に無限が詰め込まれたこの街。空を飛ぶ二六○○年スタイルのエアカーの下を行く、ベラドンナ狂いの魔法使い。空飛ぶ箒がひっかけた洗濯物につかまる猿人が落とした骨が沈んだ無意識の中、夢中船が闇の中で光り、更に奥深く旅を続けます。闇の中、落ちてゆく様々なもの達。全ての重力の失われたこの街で、漂うのは失われたイコン。深く、深く、沈む意識は、未完の夢たちとともに。超光速で、夢は、夢中船につかまって、数々の文明が遠くに行くときに忘れたもの、夢の岸に流れ着いた蛭子達、夢は沈み、現実が泡の中浮かぶ。消えた夢、大砲で飛ばされた月ロケット、地下の空洞の恐竜達。宇宙を支配する大コンピュータ。火星で王になる男の夢。消えた夢。ジャングルの中の失われた世界。太陽の反対側のもう一つの地球。電脳世界のジャンキーの夢。
君は、探している。帰るべき場所を、文明を乗せた潜睡艦にのって。変わってしまった地上の、上がるべき岸を求めて。ここか、そこかとうろついて、しかしたどり着く場所もまた夢の中の、——街。それは沈み行く夢たちの上に浮かぶ場所。千階建ての摩天楼では煌びやかな灯りが舞い、間の暗闇には虚無の舞う。正義と悪とが跋扈して、溶け合ってどちらでもないものに変わる場所。街、そこは瞬間であり永遠である場所、一点であり無限である場所。
月の街、その街角で、私のロボットは、探し人も見つからず、疲れ果てて、座り込んだ公園のベンチの上、思わず瞼が閉じてしまい、降る雪もかまわず寝てしまい、あっという間に夢の中。降り積もる雪の中、冷えた身体もかまわずに、落ち続けるのは夢の中。夢の中の夢の中。多分またその夢の中。何処までも落ちる、終わりなき夢の階層に落ちる、スピードは、光を超えて時を超え、空間を越えて次元を超え、現実を超えて虚構を超えて、たどり着く真っ白な、全てのものがあつまって互いに打ち消しあった白色の、何も無いその場所は、果たして声の集まる場所。
「始まるよ」
「始まるよ」
ざわめく周りに思わず目をあけた私のロボットは、思わず、
「何が始まるんですか」と尋ねたら。
「パーティだ」と。
*
そこにあるのは、真っ白の無。可能性だけが蠢く真空、白いゆえの真の闇。何物もあるがゆえ何物もない真の闇。この闇の中では、時々薄暗い力があちこちで煌いています。それは回り、集まり、もしかしたら、なにかが起きようとしています。それは可能性が転がり落ちて、それが現実に衝突しようとしているところかもしれません。しかし、光、いやまだ光とその他のエネルギーが分かれる前の原初の光。その中にはまだ何もありません。時さえも無い始まり前の闇、何かが始まりそうな予感はあるが、このままいではいつまでたっても何も起きないように思えます。待とうと思ったって、だいたい、まだ時間も存在しないのですから、どうやって待てば良いと言うのでしょう。時間の無い永遠の中にずっと我々は閉じ込められてしまうのか? すべての過剰が相殺された、その平板の中に閉じ込められた我々は、このまま無として生きてゆかなければならないのか。可能性の蠢動としてだけ存在していかなければならないのか?
いや安心ください。その無は、今、無から出でて無ではない世界を作ろうと動き始めました。宇宙が始まりつつあります。何かが始まる予感に無が満ちてきます。ワクワクする可能性。その引き起こす不思議な胸騒ぎに、私のロボットは、その中で目を開きます。その瞬間、周りは光に包まれました。有があつまって無となった場所に原初の光があり、宇宙が始まったのです。歓声が上がり、ひな壇に整列したオーケストラの演奏が始まる。無限の夢の連鎖の中に降りたロボットは、いつの間にか周りに現れた群集に囲まれて、きょとんとしながら立ちすくみます。
すると、——パーティが始まります。宇宙の始まりを祝うパーティの始まりです。始まりの力の舞う空の下、光の中のパーティ。ついに始まったパーティを、待ち切れなかったかのように会場に殺到する参加達。狭い入り口から次から次へと参加者達がなだれ込み、用意されていた会場はあっという間にいっぱいになってゆきます。ロボットの横を、次から次へと、パーティの参加者達が通り抜けて行き、このままではテーブルも料理も直ぐにいっぱいになってしまうのではと、思えます。
しかし不思議なことにテーブルは決していっぱいにはならないようです。人が増えれば増えるだけテーブルの数も増え、どんどんと料理が運ばれてきて、ウェイターの数も増える。オーケストラのメンバーもどんどんと増え、音もどんどん大きく演奏されるようになりますが、音が届かないくらい会場が大きくなっていったらオーケストラが分散して会場のあちらこちらに現れ始める。
パーティはますます大きくなります。まさに幾何級的に。参加者が携帯で電話をかけているのは友達のようで、さそわれてやってきた友達がまた別の友達達に電話をかけて、さらにパーティは大きくなります。この瞬く間の出来事に、ロボットはびっくりして目を丸くしています。
でも、もしかして、祭り事の大好きな自分の主人は、この騒ぎにつれられてこの場に現れるのではと少し期待もしたのですが、あっという間に地平線を越えて広がって行った、このパーティの広さと人数では、やはり目的の人物を探し出すのは至難の業です。そうであれば私のロボットもこのパーティをひとまず楽しんで見たらどうかと思うのですが、
「ああ、このままではとても落ち着かず、探す人が見つからぬまで、落ち着かず」と、とてもそんな様子でもなさそう。
周りでは楽しそうに杯を重ねる、男も女も、老いも若きも、人間もそれ以外も。明るい声の溢れるパーティ会場。宇宙中から集めた美味に美酒。ゆったりとした音楽の中、皆心から楽しんでいます。
そんな中、ただ一人、途方にくれて立っているロボットにウェイターがワイングラスを渡します。
「あの、私はロボットですから」とワインは飲めないと断ろうとすると、
ウェイターがウィンク。
よく見るとワイングラスの中は上質のオイルでした。
その一杯を飲み干すと、ロボットも少し落ち着いてきました。探し人は有るとは言え、あせっても何か変わるわけでなし、それならばこの場は楽しむが良し。
いつの間にかロボットも、陽気な集団の仲間入り。
杯に杯を重ね、互いに高らかに叫びあいます。
「あめでとう」
「おめでとう」
何がおめでとうなのかロボットにはいまいちよく分りませんでしたが、それは周りの連中も同じよう。なんだか良く分からないままに騒いで気分が良くなればそれでよし。たまには浮世のうさを忘れ、こんなのも良いと美味に埋まり、美酒に溺れる。
乾杯、何百回目の乾杯でしょう、
そして音楽はスローに、するとダンスが始まります。
手を取られてロボットも踊ります。次から次へとパートナーがかわり、音楽も変わり。
ダンスの輪は瞬く間に広がって、いつの間にか会場中が踊りだす。いつの間にか見渡す限り一面のダンスの輪。
酔いもまわり良い気分のロボットも、さらに踊る、舞い回る。
乾杯。手渡された杯を片手にまた乾杯。
そして、また、良い気分で踊る今の相手は、ずいぶんと立派そうな風貌の男でした。
古めかしい格好、ローブのような、日本の着物のような、ゆったりとしたした服に身を包み、威厳に満ちた顔は王の様にも哲学者の様にもみえました。
周りと違う威圧感のある姿にロボットは少し酔いもさめてしまいそうなくらい。ステップを失敗しないように踊りも恐る恐る。
足元が気になり、よろりよろり、ひどく酔っているのか相手の足も突然によろめき、このままでは何時足を踏んでしまうかと心配でたまらないのですが、二人してよろけて思わず倒れてしまいそうなのを何とか抑えたその瞬間、
——と、その時ちょうど音楽が止み、ダンスの時間は終了します。
ロボットはほっとしました。この相手にダンスをしくじって足でも踏んでしまったらどうなるのだろうと内心心配でしょうがなかったのです。
ダンスが終わり一礼するロボットに、男はにこやかにほほ笑んで、杯を高らかに上げると、一気に飲み干します。
人の良さそうな赤ら顔になった男を見て、ロボットは、思ったよりこの人は怖い人でもないのかなと思い直していると、
周りでは、
「皇帝陛下だ」「……銀河帝国」とか言う言葉がささやかれています。
この立派そうな男の事でしょうか。
気がつくと、周りは、男よりさらに怖そうなボディガードらしき屈強な宇宙人たちに取り囲まれています。
やはり只者ではなさそうな男とこの場の雰囲気に飲まれて、ロボットはあっという間に酔いも醒め、動きも止まりますが、
「おや君は飲まないのかね。このめでたき日に、この始まりで終わりの饗宴で何を遠慮しているのかね」とその男。
「あ、いえ……」
といつの間にか横にいたウェイターからグラスが渡され、
「それでは乾杯」と男。
ロボットも一気に杯をあおり、それを見て男もうれしそうな顔。
「飲みたまえ、宇宙の子らよ。この輝く星の下、生まれた不幸を笑い、幸福に涙しろ。果てしなく続く歴史の旅人よ、この世は、暗黒と光の交じり合う、表が裏へと続くメビウスの、始まりが終わりを呑みつくすウロボロスの、因果の消え去る今宵こそ、杯をあげ、飲みつくせ」
「……はい」
しかしもうすっかり酔いの醒めたロボットは浮かない顔。酔いが醒めるとまた思い出すのは探し人の事。よく考えたらこんなところで酔っ払って騒いでいる場合ではなかったのです。
「なんだ、何を悩んでおる、おぬし、かまう事はないぞ、この宇宙に在るものならば、全ては私の臣下であり子らである、この帝国の王たるもの名にかけて、我は力になろうぞ。我は……」
男の話はそのままずっと続きそうだったのですが、ロボットはさえぎるように、
「あの……すみません、少し用事がありまして」と。
「用事? 今このパーティの最中に他の用事とは何事ぞ」
銀河皇帝の周りの怖い風貌の宇宙人たちに睨まれてロボットはビクッとしてしまいますが、
「私は探しているのです」と勇気を振り絞って言います。
皇帝はなんだそんな事かと言うような表情をしながら、
「探す? それは物か、人か」と。
*
——そういえば、と私は思います、私は物なのか人なのかと。
物語を語るこの私は何処にいて、何者なのだろうかと。いや何物? いやいやそもそも私などと言うのが、物であれ人であれ存在するものなのかと。確かに、今、物語をひねり出し、言葉を重ねてゆく何ものかはここに存在します。それは人間のように見えるでしょう。それは、その何ものかが手を動かしてこの物語がこの世に現れ進んでゆくのは、間違いないのですが、それは「私」と同じなのでしょうか。なかなか出てこない次の言葉に業を煮やし、手を止めて天井を見ている男は「私」なのでしょうか。そんな気もしますが、どうにもあやしいような気もします。その瞬間、何処からか現れた言葉は、私の表面を滑り落ちて、いつの間にか、ちゃっかりと物語の中に埋まります。
で、その言葉と言えば——
銀河大戦
果てしなく続く宇宙。悠久の時の流れの中で、輝く星々に満ち、幾多の生命を育んだそれは、時には、光無き闇の中、幾多の生命を、戦士達の叫びを、血を吸い尽くしたのでした。それは、銀河大戦と呼ばれたその戦いは、何時から始まり、いったい何時になったら終わるものか、それを知るものはもちろんの事、考えて見ることさえできるものはいないのです。分かるのは、今も戦いが続いていると言う事と、それはずっと続いてきたと言う事と……そして今終わる気配さえ無いと言うことでした。戦いは、もう一万年は続いていると言うものもいるし、いやいや一億年は続いていると言うものもいる。あるいは戦いはまだ数秒しか続いていないのだが戦いの衝撃で時間が歪み永遠のように感じられているだけだけだと言うものもいる。果たしてどちらが本当か、その言いあいのために、また一つの銀河大戦が起きているくらいであるが、その戦いもすでに悠久の戦い、いや一瞬と言う者も現れると……時間定義の戦いが起きてまた一つの銀河大戦が起きる。
——永遠に永遠が重なり瞬間となる。
——永遠に永遠が繰り込まれて永遠が膨張してゆきます。
——何度も何度も永遠は繰り返し、
——最後には、
——空っぽ。
銀河の戦い。それは果たして本当に行なわれているものなのか。ここ、星々の果てで、静かな夜空を眺めていると、とてもそんな風には思えないのですが、彼は、自らの生涯の無為をその空の中に思い出します。彼は若いときには敵どころか味方にも恐れられる戦士として結構名の知れたものでした。幾多の敵の戦艦を単身乗り込んだ身一つで破壊して行く姿は今では伝説となっていました。
「しかしすべては幻だ」
彼は小さな声でつぶやきます。失った片足の幻肢の痛みを感じながら、あれほどリアルに感じた戦いの数々が、今では薄れ行く記憶の中にしか存在しないことに寂しさと、そしてちょっとの安堵を感じます。
「俺ももう終わりだな」
戦士としての自分の死と、残された生の絶対を感じながら空を見る、彼の目に映る、瞬く星がその光を消します。今日も銀河のどこか戦いは続き、人々が叫び、星が砕けます。今、空から消えた星はそんな戦場の中にあったものなのかも知れません。
星、流れ星を見て、彼は星々を流星に変える戦いの事を思い出します。無数の光線の飛び交う光年の戦線でした。宇宙船が、密集し、すれ違います。あちらこちらで起きる爆発に、巻き込まれてさらに爆発する宇宙船。割れる空間に吸い込まれて消える者達の叫び声も、敵を打ち倒した勝利の雄叫びも、虚無がすべて吸い取ってしまいます。鼓動と呼吸、自分自身のリアルだけが残る、激動の中の孤独。
光、光、衝撃。彼は興奮して叫んでいます、劣勢の共和国軍が起死回生で試みた電撃戦、敵の陣深く、次第にその数を減らしながらも、彼の軍団は食い込んでゆき、終には帝国皇帝の宇宙船を照準に捉えて、最後の加速。
……しかし、気がつくと、宇宙を漂う瓦礫の中、彼は漂っています。彼の最後の戦いが終わった時、爆発する宇宙船から脱出した後の事は覚えていません。最後の攻撃の結果も、どうなったか。そのままかれは漂い続けます。動くもののない、先頭の残骸とともに、漆黒の闇の中、自らの無意識につながってゆくその大海の中、男は目をつむりその中に沈み、沈み、幾年がたち、
——目を開けると一面の星空。
男は、今も戦いが何処かで続いているだろう空に向かって、優しくほほ笑みながらその生涯を閉じるのでした。
*
私のロボットは、いっこうに要領を得ない話ばかりの上、飲み過ぎで、終には立ちながらいびきをかき始めた銀河皇帝とその取り巻きから、やっとのことで逃げ出して、他に、主人の消息を尋ねる事ができそうな人を探してテーブルからテーブルへと歩きます。ところが、みんな話すのに夢中で、会話にはロボットが入り込む余地はありません。
酔いが醒めると、内気なロボットは、相手の関心も向かないのに無理やり会話に入り込む事などできないのです。あてどなくテーブルとテーブルの間をぐるぐると、回り、誰か話しかけてくれるのを待つばかり。しかし誰もが仲間と話すのに夢中なので、ロボットはしょうがなくテーブルからテーブルへと渡り歩く。
しかし、いやいやどうも、ここではいくら探しても主人などいないような気もしてきます。ここは酔っ払いばかりで、そういえば酔っ払った時の主人は違う人と言うことを散々思い知っているロボットは、ならばここにいてもしょうがないと思い至り、さっさとこのパーティから出てしまおうと思います。ところが、不思議なことに、どんなに歩いても、ロボットはパーティの外に出る事はできません。
確かに、あっという間に大きくなって、地平線も越えて広がったパーティでしたが、もうさすがに出口に届くだろうと思って歩き続けても何処までもテーブルと饗宴が続きます。いや時々、パーティの終わりらしき場所近くまではいけるのです。ウェイター達が待ち構え、料理が次から次へと運ばれてくるパーティの端近く、垂れ幕のかかった会場の境界。しかしどんなにそこに近づいていったとしても、いつの間にかまたロボットはパーティの真ん中に戻っています。
思いっきり走ってその境界を抜けようとしたならば、なんとか極近くまではいけるのだけど、どうしてもそこを突破できずに、やはり気がつくとパーティのど真ん中。目に見えない達の悪い迷路にでも入ってしまったのでしょうか、とロボットは思うのですが、それが目に見えないならば抜ける方法も考える事も出来ず、何度も何度もダッシュを繰り返すうち、
それを見かねたのか、
「あんたはもしかしてここから外に出たいのかい」と言う声がします。
話しかけてきたのは古風なSF映画に出てきそうな銀色のプラスチックの服を着た男でした。
ロボットは頷きます。
「それなら空間をいくら移動してもだめだ。ここはそう言う構造になっている」
「じゃあ……」
「……『どうしたら出れるのでしょうか』かい?」
ロボットはまた頷きます。
「どうしてだい、こんなパーティに参加できるなんてめったに無い事なのに。ここから出ても別に良いことがあるとも思えないけどね……」
「でも私はやらなければならないことがあって」
「……ここで見つからないものなのかい」
また頷くロボット。
「なるほどね……それなら手伝わないでもないけれど。どっちにしても俺もここから出るとこなので、一緒に連れていっても良いよ」
「ありがとうござ……」
「……でもその前に一仕事」
男は、足元のカバンから何やら銃らしきものを取り出すと、それを無造作に構えます。
銃からは虹色の光線が出て、周りの人たちにあたります。光線にあたった人は、悲鳴をあげる事も無く、ただ目の前から消えて行くのでした。
何が起きているのかと目を丸くしているロボットを見て、
「ああ心配しなくていいよ、奴ら犯罪者だから」と男。
楽しそうに杯をあげている善良そうな顔をしたカップルや、その隣で行儀良く座っている子供、横のテーブルの車椅子の老婦人に、空のグラスをトレイに載せて忙しそうにしているウェイター、本当に彼らが犯罪者なんだろうかとロボットは心配になりますが、男は自信満々な表情で、光線の向かうまま次から次へと人々を消し去ります。
しかし、不思議な事に、目の前で起きている虐殺を見ても、誰も、悲鳴を挙げるどころか騒ぐものさえいないのです。光線が当たり、消える者の横で、何事も起きていないかのように談笑していり他の者達。
どう見ても、ロボットには、適当に銃を撃っているようにしか見えませんが、
「それ、悪人どもめ、もう少しだ」と自信満々な口調で男。
男は、そのまま、鼻歌を歌いながらしばらく銃を撃ち続けましたが、終には引き金を引いても光線が出なくなると銃を下げ、
「……よしこれで終わり。待たせたね」とロボットに向かって振り返って言います。
ロボットが呆然として返事をできないでいると、
「あれ、出発するけど、良い? ここにやっぱり残りたくなった?」と男。
ロボットは首を振りながら、
「いえ、でもびっくりしてしまったのです」と。
「何がだい?」
「あの……あの人達は」
「あの人達? 犯罪者達の事?」
「……その、あなたの犯罪者達と言うあの人達は本当に悪い事をしていたのでしょうか。あんな風に消え去ってしまわなければならないような」
男は、ロボットの質問を聞いて笑い出しながら、
「あれ、君は何にも知らないんだね、この宇宙の誕生の事を、もしかして……」と男。
ロボットは男の言葉にドキリとします。自分がこのパーティに紛れ込んでいた闖入者と言う事がばれて、男に消されてしまうのでは、と心配になりますが、
「……こういうパーティは初めて?」と男。
「……はい」とロボット。
「ありゃま、そりゃ失礼しました。驚かせてしまったようで。説明も無しにいきなり打ちまくったりされたら、びっくりしたでしょう」
ロボットは頷きます。
「彼らが悪人だから撃たれたとのでなく、打たれた彼らが悪人になるんだよ。分る……それがここに、この生まれた宇宙に秩序を与える。俺がね、極適当に、フィーリングで打ちまくった銃に当たって消えた奴が、この宇宙の誕生に明暗を与える。偶然と、俺のグルーヴの中から悪が生まれるんだ。まだ、善も悪も分かれていないこの始原にそれを与えるのが俺の役目でね、いきなり銃の乱射をするいかれた奴だと思っちゃったかもしれないが、怖がる必要はないんだよ。これが仕事なんで、申し訳なかったが……」
「何か悪い事をしたから撃たれた訳では無かったのですか?」
「彼らが? 違うね、撃たれたから悪いんだ」
「でも、なにも罪も無いのになぜ撃たれなければならないんでしょうか」
「罪? 罪ってなんだね、君の言う」
「悪い事でしょう。他人の迷惑になるような」
「迷惑? ここはまだなんの秩序もない宇宙の始まりなので何が迷惑でなにが迷惑でないとも決まってないのにかい? 悪なんてまだ無い始まりなんだよここは。なので俺が悪を今作り出したと言う事だ」
「あの人たちが悪になると言う事ですが。善良そうな人たちに見えるのに」
「あれ、まだ分らないの。ここにはまだ善良も邪悪も無いんだよ。この後、撃たれた者達がこの宇宙の邪悪を作るんだよ」
「でも、あの罪のなさそうな子供やおばあさんが……」
「その罪がまだここでは決まってないので、俺が決める役割に成ると言うわけ」
「……でも」
「でも? でも、そうだとすると?」
「あなたは何者なんですか」
「俺? 俺はね……」
タイムパトロール
時間を色に直すとどんな風に見えるのだろうか、タイムマシーンに乗って超時空間を動く時、外は何も見えないのだけど、そんな事を俺は想像する事が有る。遠ざかって行く過去は赤方に変異し、近づいてくる未来は青く光るだろうか。過去は想い出のようにセピア色で、未来は光沢がついた極彩色なのだろうかと。
今、超時空から帰った俺は、帰還を告げる警告の赤色に包まれてタイムマシーンを止め、入り口の回廊の青い光を抜け、そのまま本部の中央へ走ってゆく。
さて、俺が、今、向かうのは未来か過去か。
俺はどちらへ向かおうとしている?
とある、宇宙の始まりでの善悪を作る任務から帰還した俺は、今日こそこの組織の謎を明らかにしてやると勢いよく司令のいる部屋に向かっている。俺の帰還をみて、ご苦労様とか声をかけようとしてきた同僚達は、俺の勢いに押されて思わず出しかけた声を飲み込んでしまう。
階段を駆け上がり、俺は、いままでの任務を走馬灯のように振り返りながら、司令の部屋の前に立つ。そう、俺は、時間を遡って歴史を改変しようとする連中を取り締まる、いわゆるタイムパトロール。駆け出しの頃からベテランの域に達した今現在(ってなんだ)まで、数々の死線を越えて、ナポレオンを勝たせようとした奴から当たりロトくじを買いに行こうとしたものまで、幾多の悪人を取り締まって来た男だ。
何の因果かこんな商売選んでしまって、今となっては後悔極まりないが、この世界の正当な時間を守らねばと、当時は純粋な若者だった、俺は、激しい選抜競争に勝ち残り、その半数以上が逃げ出す厳しい訓練にも文句も言わず耐えたもんだ。
そうして始まったこの稼業、まだ最初の単純な任務のうちはそれは迷う事もなく単純な勧善懲悪の営みだった。超空間に位置する本部が歴史を乱す時間波動をキャッチすると、俺らがその時代に送り込まれて悪人を取り締まる。時間を飛び回るのはちょっと変わっているけれど、それを除けばそこらの警察がやることとかわりは無い。命令されて悪い奴取り締まって署に帰って祝杯をあげる。それだけのことだった。
そこでは因果は決して揺るがなかった。自分の守っている時間線はゆるぎないもので、それは決して変えてはならない物であっった。そう自分は信じて、ヒトラーを暗殺しようとした男も、原爆を乗せたB29を打ち落とそうと飛び立った二十二世紀の戦闘機も全て阻止して消し去ったのだった。
この過ぎ去った時間線は絶対で揺るがないもの、揺るがしてはいけないもの、そう俺は信じていた。そのために俺は時間を遡り、危険を顧みずに悪と信じる改変者たちを殺していった。
しかしその内に、幾多の歴史の危機を取り締まる内に、その改変を取り締まる瞬間、俺は不思議な感覚に捕らわれるようになった。今、その瞬間、俺は歴史を救ったのではなく、歴史そのものなのではないかと。俺の知る歴史は、俺が関わって初めて出来上がったものではないのかと。
その眩暈するような感覚に囚われ始め、身体まで不調になってきたその頃、その日有給を遣って休んでいた俺に突然、司令から俺に呼び出しがかかる。具合が悪いと言っても無理やり呼び出されて行った、司令室では、その時初めてその超次元的正体を明かした司令が、
「君は第二段階に進んだのだ」と言う。
その、司令の言葉で引き起こされた、稲妻の落ちたかのような衝撃的な悟りの後、俺は第二段階タイムパトロールとして新たな任務に入る。それはなんと歴史の改変だった。
いや正確には改変ではないのだろう。宇宙の始まりに行き善悪の因果を作ったり、宇宙の終わりで善悪を融合させたりする、任務になった。その任務が宇宙の時間線そのものを作り出していると言っても良いものなのだ。俺がやらなければ単調な世界に終わっただろうういろいろな平行宇宙に陰影を与える仕事。
地獄の最初の悪人がそこの大王になれたように、最初の時間改変者は罰せられる事は無く、数々の宇宙を俺のフィーリングによる影に染められた。それは凡百のタイムパトロール作業とは違う真のやりがいがあり、俺はその仕事に寝食も忘れて溺れていった。
——しかしだそれも今日までの事だ。
——帰還のタイムマシンの中で気づいた点と点を結ぶ線。
俺はそれを確かめるため、こうして指令の前に立ち、銃を構える。
「なんだどうした」とうろたえた様子も無く指令。
「気づいたんだよ。あんたの正体に」
「何をだ」
「お前が歴史改変者のリーダーだ」
「馬鹿な」
「俺も他の第一段階のパトロールの連中も改変者たちの組織も、全部お前の手の内にあったんだ。そしてお前は一見歴史を守ろうとしたり、壊そうとしたりしながら、自分のための歴史を作ろうとしている」
「まあ、落ち着け、なあ……それには理由があって……」
俺は指令に向かい虹色の光線を発射する。ところが、指令は消えるどころか、その光を吸収して、何事も無かったかのようにほほ笑んでいる。
「おいおい、このくらいでやめとけば、始末書くらいで許してやるぞ」
「いや、やめる気は無いね」
俺は銃を捨て、指令に掴みかかろうとする。
するとひどい乗り物酔いのような、眩暈が来て、俺は床に転がる。
「もうそろそろ冗談じゃすまなくなるぞ、君。このまま、この馬鹿げた反抗をやめないと、この時間線どころか全ての時間線から君が消えてなくなる事になるんだが」
「……知るか」
俺は立ち上がり、もう一度司令に掴みかかろうとする。また眩暈が俺を襲うが、今度はそれに耐え切って俺は指令の襟首を掴み、床に転がして馬乗りになる。
「なんと……」
「なんとどうした」
「お前はさらに段階を昇ったのか」
「なんだと」
「さすが俺の見込んだだけの事はある……第三段階にたどり着いたタイムパトロールはお前が始めてだよ、お前は時を統べる者に……」
俺の殴る拳で司令は黙り、浮かべていた薄笑いも取れ、
「馬鹿な事はするな、この私が作り出した計画は、このばらばらの時間線に満ちる宇宙を次の段階に進めるものなのだ。私が死んでしまったら、全ては水の泡になるのだぞ」と少々哀願する様な調子に。
第三段階に入った俺の目には、司令の、超次元的実在の中にいるちっぽけな老人の姿が見えた。その目は恐怖に満ちて、怯えていた。これがあの司令? 俺は怒りよりも情けなさの方が勝り、司令を離し、そのまま机の上に書いてきた辞表を起き、部屋から出ようとした。
「待て」司令が銃を構えながら叫んでいた。「俺をコケにしてこのまま許されると思ったのか」
引き金が引かれた瞬間、俺はその光線を捻じ曲げて、倍にして司令の元に返す。驚き、目を見開いた司令はその光の中、疲れきった老人の姿になって、メラメラと燃え始めるが、最後の力を振り絞って、
「哀れよのう」と語る。「私がいなくなり、この世の陰影を誰がつける。この無数の乱れた時間線を誰が統べる……ははは、そうだ」
燃えつきかけ、もう顔だけが残りながら司令は語る。
「そうじゃ、お前じゃ、きっとお前も同じ結論に至るぞ。時間線をお前はいじりたくなるのだ、数多の時間線を統べる、その力があるのはお前だけなのだ。きっとお前はやりだすはずだ」
ははは、と燃え尽きながら司令は語り、俺はそれが灰になるまでじっと見つめていた。それでもいいさ、と俺は思った。その時には今の俺のような男が現れて俺を倒すだろう。それがこの宇宙の本当の時間の摂理、タイムパトロールの存在なのだと。
*
私のロボットは星々の中を漂っています。時は遥かな未来。タイムパトロールと名乗った男にに手助けを受け(なんか重要な仕事があると彼は途中で分かれて行ってしまいましたが)、時間軸を未来に進みパーティから抜け出そうとロボットは、アンドロメダと我々の銀河が引き合い、ぶつかり合うそんな時代に今はいます。銀河の融合により、倍となる星々に増して、宇宙には次々と星々生まれ、満天は光の祭り。亜光速で潜り抜ける、そこは、青く揺れる光の回廊となり、その中でまどろむロボットは、タイムパトロールの男に手を引かれ、彼の指し示す出口に向かって飛んでいるのでした。
光が渦巻き、その中心にロボットは吸い込まれてゆきます。男は手を離し、その渦の中に吸い込まれるロボットに向かって笑顔で手を振ります。ロボットは少し不安になりますが、男はどんどんと離れてゆき、ロボットはさらに光の奔流の中、時と空間を更に進みます。
回る、時と空間の混ざり合う、渦巻きの中、宇宙に生まれた全ての夢、ありえた筈の物すべての中にある、天球は今は百万の光の合。百万の光が百万の光を作り出す。天が光ですべてを包み、包まれる地の創造物も光となる。
ロボットは、光に溶け、光であらず、光の中泳ぐ、私は、私の、ロボットは、光の消えたその場所に、いつのまにか立っていることに気づきます。
見渡す限りの荒野でした。何も動いていませんでした。何もありませんでした。ひたすら広がる荒野には草一本生えていないばかりか、石ころ一つさえ転がっていません。
ここは、無い以上に無い、時間と空間の果てでした。終わりでさえありませんでした。終わりがすでに終わった後、時間さえ終わり散り散りとなったのがここでした。そんな果てに一人来て、ロボットはどうすれば良いのかわからずにただ周りをきょろきょろと眺めるばかり。
しかし、荒野にも雲ひとつ無い空にも、何も、動くものさえ、ありません。少し歩いてみても風景は何も変わらず、いい加減歩き疲れて、どのくらい歩いてみたか考えて見ようにも、時間も空間もなくなっているここでは「どのくらい」と言われても閑上げる事もできません。
困り果て、
「ああ、こんな所にくるくらいなら元のままの場所にいれば良かった」とロボットは独り言を言いますが、
すると、その声が誰かに届いたのか、
「あらら、こんなところで動き回るお前はいったい誰なのだ」と、何処からか声がします。
声がしたと思われる方向に向かってロボットは振り向きますが、そこには誰もおりません。
しかし、
「誰ですか、誰かいるのですか」とのロボットの呼び掛けに答えて、
「『誰』だって、〈我〉は誰とか呼ばれるものでは無いが、おぬしが聞こえた声のぬしの話なら〈我〉である」と言う声。
「〈我〉って何の事でしょうか、あなたの事でしょうか」
「〈我〉は〈我〉であり、あなたと呼ばれるようなものではないのだが、おぬしが話しかけている相手と言うのならば、その通りである」
「じゃあ〈我〉さんと呼びますが……」
「それでも別に良い」
「ここは何処なのでしょうか」
「『何処』とな?」と少し馬鹿にしたような口調。
「……何かまずい事を言ったでしょうか」
「まあ、しょうがあるまい、ここは普通の者の来れるところではない。どう言ういきさつかは知らないが、おぬしのような者がひょいひょいとこれるところでは無いのだから、いきなり迷い込んで戸惑っているのもしょうがないだろうて」
ロボットは頷きます。その声は、今ひとつ掴み所はなさそうですが、割と物分りの良さそうな、話し合いのできる相手のように思えます。
しかし、
「この宇宙の終わりにいたって達成した超意思足る〈我〉のバランスを崩すような、余計な意思が現れるのは迷惑極まりない事なのだよ」と、ちょっとドキッとするような事を言われ、
「迷惑と言うのは私の事でしょうか」とロボット。
「そうだが、まああまり気を悪くはしないでおくれよ。罪を憎んで人を憎まずというか、おぬし自身に悪気はあるまい、しかし……」
さらにドキッとしながら、
「しかし、なんでしょうか」とまたロボット。
「おぬしがここにいてもらっては困ると言う事なんだよ。おぬしの存在によるここのバランスの崩れは許しがたい。ここはおぬしには分らないだろうが、何も無いように見えて、絶妙なバランスの上に成り立っているのだよ。せっかくの〈我〉の思索の場、〈我〉の思考のために作られたこの静かな宇宙の平衡が、バランスが崩れて動き出したら困ってしまうだろ。なので許しがたいのだよ」
意味は良く分からないながら、更に不安になりながら、
「許しがたいとどうなるんでしょうか」とロボット。
「そりゃ消えてもらうしかないが」
「消える! 消えるって私を殺すってことでしょうか」
「殺す? 消滅だよ。ここにいてもらっても困るので、存在を消え去ってもらうしかないな」
「そんな!」
「まあ可哀想だがしょうがないだろう。それにお前がここにいても何もできないだろうし」
「でもまだ私は消える分けにはいかないのです」
「何故だね」
「だってまだ探しているのです」
「何を」
「私のご主人です」
「なるほどな……」
「なるほど……? それなら、どうにかなるんでしょうか」
「なるほど、と言って、どうにもならんが、なるほどなと分ったというだけで……」
「そんな、何とかならないでしょうか、私もここに着たくて来た訳ではないですので、ここにいるのが迷惑ならば、元の時代に戻してもらうのでも結構ですので」
「そうだな……それもよいが」
「それならばお願いします」
「でも面倒くさい」
面倒くさいなんて、そんなことで消滅させられたらたまらないと思いつつ、
「でもなんとかならないでしょうか」と哀願するような声でロボット。
「〈我〉はこの宇宙最大の三つの謎に取り組んでいる最中なんだよ。もうちょっとでそれが解けそうなのに、面倒くさい事をやって集中が途切れてしまうと元も子もない」
「三つの謎ですか」
「そうだ」
「せっかくなのでそれを教えて貰う事はできないでしょうか」
ロボットは何とか話題をそらすのに必死です。
しかし、
「何故に、知ってどうなるものでもあるまい」と超意思は乗り気にはならない模様。
「いやせめて冥土のはなむけに」とさらにロボットはねばります。
「冥土? そんなところに行かなくて良いように完全に滅してあげるのに。謎なんて知ったところで余計な煩悩を抱え込むだけになるぞ」
「いやそこをなんとか」
「なんとかと言われてもこまるが、そうだな、でも話しをしてやるくらいはいいかな」
「お願いします」
「そうだな、三つの謎だ、つまりだな……」
*
宇宙の最後に残された謎は三つあり、その謎を解けたものが次の宇宙の支配者になるとも、死に行くこの宇宙を再生できる(そしてやっぱりその再生した宇宙を支配する)とも言われている。しかしそれに何故とも、どのようにとも問いかけてはならぬ。
お前ら地球人類(とその眷属)にとっては説明されても分らぬこと。意思と論理の究極の戦いの意味は所詮惨めな物体に過ぎないお前らの能力の限界を超えてしまっているのだから。
ただしお前ら地球人類にとって誇らしいことには、その三つの謎のうち二つがお前らの中に問題と答えがあったことだ。
残りの一つは気にすることは無い。聞いたところで何を問いかけているかさえ分らぬ、お前らとは可能性でさえまるで交わることの無い、ある星の生物の出した哲学問題となる。ちなみにその問題はすでに解けているが、その瞬間、その影響のために宇宙の寿命が半分になったとだけ言えばその凄さが少しは分るだろうか。
次の一つは、お前らになじみ深い問題で、Tシャツの神秘に関わる問題だ。果たしてだ、Tシャツの綿とレーヨンの混紡比率はどの割合が最善であるのかと言うことだ。ふざけているのではないぞ。なぜそんな問題が重要なのかは、お前えらの理解を超えているのだが、それが解き明かされた時には宇宙の寿命はまた半分なってその上広さも半分になるのだ、と言えばその重大さは分かるかな? ちなみにその最善比率は一九八○年代の地球のアメリカで作成された約綿十二パーセントでレーヨン八十八パーセントのある一品であることでほぼ間違いないと思われているのだが、これが地球人類以外の一般においても最善と呼んでよいのか、そもそもTシャツを着れないどころか着るという概念さえあわなさそうな生命体においての最善とは……この解決までまだ〈我〉内で議論がかかりそうだ。
そして最後の一つそれは……
〈宇宙ドミグラス大決戦〉
坂下味三は今日もまた深夜の厨房で明日の仕込を始めている。店のスタッフは終電前にすべて帰らせたのでここに残っているのは彼一人だけとなるが、その事には、一人ぼっちで残って仕事をしている事には何の不満も無い。自分の店の責任を負うのは自分であると、毎日、彼は思って仕事をしているのだし、こうして自分の力の続く限り、明日の準備をしている事が何よりも彼の楽しみでもあるのだ。
何しろ彼の料理を一流としている霊感はこんな時にこそ現れるのだから。
今日もばたばたとした一日が終わり、落ち着いて朝から閉店までを振り返るその瞬間、ばらばらに起きていたと思われる色々な出来事が相互につながり、からみ合い、一つの光の構築物が彼の頭の中に現れるのだった。それは彼のひらめきの元、霊感の出所であった。
彼は、それを塔と呼んでいた。それは光り輝く螺旋の構築物であった。料理にとどまらない幾多の創造物が、その塔の中に渦巻きながら吸い込まれ、一つの大きな塊を作り出しているように彼には感じられた。
空間と時間を越え、この世のすべての物事の、その波動が集まり、揺れる、それじゃ音楽であった。それは無数の音が集まり奇跡的に共鳴する、和音の、そして、その進行のように思えた。ありえるものすべての集合。それがそこに在った。玉ねぎの皮を剥きながら、彼は、その塔に問いかける。明日の世界の調和を。見えない蝶の羽ばたきがつくる世界の揺らぎを。
塔は七色に光を変えながら答えるだろう、坂下がフォンの灰汁をすくいながら嗅ぐ、その匂いの中に答えを潜ませ、彼のふる塩の、宙を舞う中その答えはこの世に出る。その瞬間雷鳴に打たれたような悟りをもって、彼には「分る」。この世の営みが、宇宙を統括する意思の実在が。
光る、揺らぐ蒸気を光らせる白熱灯の明かり。坂下は厨房から店内を眺める。スタッフがしっかりと掃除してから帰った店内はぴかぴかに磨かれていて、清潔で気持ちが良い。 椅子が角につまれテーブルだけになった店内は広々として、彼が考え事しながら歩くのにちょうど良いのだが、それでも明日のレシピに夢中になると腰をテーブルの角にぶつけてしまったり。
坂下は、今、自分の中に溢れるインスピレーションを、どのように実在のものにしたら良いのかと考える。それは明日のドミグラスソースのレシピであった。彼がいま実在の物としようとしているのは、まだ自分の中でもイメージから明確な手順に落とし込めていないのだが、何か昨日と違う確信をもって仕込みを始めたその料理、それは今だかつて無く完璧なドミグラスソースであった。
「この宇宙の法則を変える事になっても、必ず完成させる」
彼が呟いたその瞬間、光り輝くその身体は震え、時空は大きく揺らいだ。彼の身体は時空の中揺らぐ。その姿は、消え、また現れる。彼は今、この二十一世紀の東京にだけあるのではなく、あらゆる時間、あらゆる空間、次元に向けて広がる連続体として存在していた。彼は時間と空間を越えて存在する新たな人類の祖としてその後知られるのであるが、現在のところその超次元生命体としての覚醒はまだ限定された条件にとどまり、いつの間にかまた彼はこの時間この空間に固定されてその姿を現す。
いつのまにか閉じていた目を開けると、
「よし、決まった」と大声で坂下。
彼は、厨房に戻るとすべての迷いが消えた表情で、寸胴の火力を調整する。
宇宙最高のドミグラスソースの誕生が迫っているのだった。昨日届けられた肉の筋の入り具合を見て、坂下は今までで最高のソースができると確信していたのだった。
炒める時間も、そのフライパンを揺らすリズムも完璧。彼は、何か、目の前に見える物以上の、何か、宇宙を貫くリズムに合わせて、自分が、今動いている、そんな気がしていた。
宇宙の真実に命じられ動いている、彼は、フォンの味見をしながら、そんな考えとらわれる。
——しかし実は、坂下は勘違いをしている。逆なのだ。宇宙のリズムを作り出しているのは坂下であったのだ。彼の作り出す料理、その動きが宇宙を動かし変えつつあった。
宇宙の暗黒が胎動し、生まれ変わろうとしている。煮え泡立ち、渦を巻くソースの中に宇宙が現れる。星々、渦を巻く星雲。星雲たちは互いに引かれ合い、ぶつかり、また離れ。
——光が生まれ消える。時が動き止まる。
坂下は今、時と空間を越えて広がった自我となり、宇宙の意思と向き合っている。
「お前は誰だ」
「お前をずっと見ていたものだ」
「何故俺を見る」
「お前は自分の重要性に気づいていない」
「俺はただの料理人でそんなたいそうなもんじゃない」
「その通りでよい」
「どういう意味だ」
「ただの料理人だよお前は。それでかまわない、その通りだ。お前はお前の思ったとおりのものだ。しかし宇宙はお前を待っていた」
「俺は俺のやりたい事をやるだけだ」
「その通りでよいといっただろ。哀れな人の身では分らないかもかもしれないがな、お前はこの宇宙の歴史の中重要な鍵を握っている」
「鍵?」
「鍵だよ。お前の今作っているドミグラスソースがそれだ。それがこの宇宙の再生の鍵となる」
「再生?」
「そうだ再生だ。この行き詰った宇宙が生まれ変わるための鍵穴にはまるのがお前の作るドミグラスソースだ」
「ふざけてるのか……」
坂下は、宇宙の始まりと宇宙の終わりを同時に体験していた。それは一つの大きな絵のようにも見えたし、誰かに語って聞かされた偉大な人物の伝記の様でもあった。
虚無から生まれた光の玉が次第に物質を作り、物質は意思を作り、その意思が宇宙に大きな塊をつくる。意思は生命を生み、それを吸収してさらに大きくなった。
その意思は坂下の事を見ていた。しかし意思は坂下の生命を見ているのではない。その手が作り出す、ドミグラスソースが完璧なものと鳴る瞬間をじっと待っていたのだった。
そう言えば、と坂下は思い出す。今までの人生、常に監視されていたような感覚のあった事を。
「その通りだ、我はお前を監視して、常に完成を心待ちにしておった、そしてそのかいあって、お前のドミグラスは明日完成すると言う事なのだよ」
「覗き見か。感心しない趣味だが、男が覗かれても何がどうするわけでもあるまい。で、それはどうでも良いとして、そのドミグラスが完成するとどうなるって?」
「ああ、悲しき地球人よ。気にする事はない。お前には理解の範疇を越える事が起きるのだ。光栄ではないか、おろかな肉に縛られた未熟な魂よ。そのお前が宇宙を次のレベルに向かわせるのじゃ」
「信じないね」
「なに?」
「俺は信じない」
「何をじゃ」
「お前の言う世界のことだ。お前なんかにこの宇宙の事は分らない」
「おろかな、おろか過ぎる肉体よ。この世のものすべての結実であるこの意思に分らぬものがあるというのか」
「ああ、そうだ。お前には分っていない」
「なんとも、あわれな。一介の肉のかたまりにすぎぬお前がこの宇宙の意思に意見をするとはな」
「その肉が語っているんだ」
「何?」
「お前が捨てた肉だよ。出汁がらのようにすてたその滓が知っているんだ。俺の腕が、鼻が、舌が知る。この宇宙にあるものすべてがお前に吸収されたとしても、その先があるということを。……ありえないものがでてくるのだ」
坂下には宇宙がひっくり返るかというほど鳴り響く高笑いが聞こえた。それは通常の人間であればたちまち気が狂ってしまっても可笑しくないほどの圧力に満ちていたのだが、彼は、少しもひるまず、
「何故だか分るか」と。
高笑いはおさまり、
「……ほほお、なぜだ」と問う声。
坂下は、ゆっくりと、言葉を区切りながら、
「それは、俺が、料理人だからだ……」と。
——東京、中目黒付近、山手通り近い坂下の店は今日も客がひっきりなしに訪れている。
ランチの始まりと同時に、通りに溢れるまで並ぶ彼の料理のファン達は店内になだれ込み、あっという間に席は埋まる。そして戦争のような昼休みが過ぎ、やっと少し客の姿も少なくなった午後一時過ぎ、いつものように店に入ってきた常連の老人が席に着くと、坂下は声をかける。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「うむ」
「今日のおすすめは和牛ハンバーグのドミグラスソースがけですが……」
「うむ」
老人は気難しげにメニューを眺める。
坂下の会心のできのドミグラスソースは今日のランチだけでまたたくまに売れて行き、残りはもうわずかしかない。
坂下はこの老人に今日のドミグラスソースを食べて欲しいと思っていた。昨晩の妙にリアルな夢、と坂下は思っている、の中で見た宇宙の運命などどうでも良かった。いつも彼の料理を信頼して食べに来てくれる人がいてその人に会心の作を食べて欲しい、それだけの事だった。
老人は坂下の進める通りにドミグラスソースのハンバーグを食べ終えると、
「シェフ……」と。
「はい」と坂下。
「この”デ”ミグラスソースおいしいね」
「はい!」と満面の笑みを湛えながら坂下。
その瞬間、この宇宙のすべてのもの、ありえるものはすべて以上のものがそこに現れていた。
ほほ笑み、ありえるものすべて以上のほほ笑み。
坂下には、それは、この瞬間、この宇宙以上の物の様に思えたのであった。
*
私のロボットは、いつのまにかまた月に帰り、まだ見ぬ主人を求めて街を歩きます。
あれほど大げさに万能を語った〈我〉も街の雑踏の中、そのざわめきの中呑み込まれ、裏返しになった宇宙の中、文字に姿を変えて本の中へ。あなたがそれを開く日をまって、じっと書店の角で埃をかぶりながら、時は過ぎます。流れます。
月は闇。蝕に入り街には灯り。果てしなく続く街灯が、そのまま星になってゆく。
影が語ります。影こそ語ります。星の光でできる影。私のロボットは、幾多の自分の影と語ります。
何もかもをいっぺんに語り、何の意味も持たなくなったその言葉。すべてが語られて何も選ぶ事のないその言葉。
相変わらず途方にくれたロボットは、ため息をつくと、また路地から路地へと彷徨い歩き、街の奥深く、深く、呑み込まれ、消えます。移ろうこの街が、月の海を吹く風に、乗ってどこかに消え去ってしまう、その風に乗り、街に生まれた夢と一緒、私のロボットも、この街と一緒に旅立ったのでしょう。
夢の後。
月の上には何もなし。
街も人もそれ以外も消え、残るのは、輝く星の光に照らされた、砂ばかり。涙が虚無に消え、何億年も、宇宙から降る塵が積み重なったこの月の大地、立つ旗ははためきもせず、そこを歩くものも今はいない。
宇宙は今日も黒く深く、遠く、未来へと、過去へと、ひたすらに伸びるその中で、物事はすべて有る様に有る。無いように無く、有るからこそ有る、有るものも、無いものも、たぶん、きっと。
月の涙 時野マモ @plus8
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