悪魔の知識

東上西下

第1話 はじまり

 「狩田が警察に捕まった!?」

 俺は持っているスマホに大声を浴びせかける。通学路の途中で大きな声を出したせいで、周りの人がこちらを注目してくるが、そんなことは一向に気にならなかった。それよりも、柄にもなく大声を出して喉がひりひりとする方が気になるくらいだった。

 これは別に周りの目を気にしない性格をしているからではなく、突然の知らせに気が動転して周りを気にすることが出来なくなっているからだろう。

 悪い兆候だ。

 俺の声は無事にスマホ越しの相手にも届いたようで、スマホの向こうにいる人物はうるさそうに返事を返してくる。

 「ああ、そうだ。智治ともはるって確か、中学時代にあいつと仲良かっただろ? だから一応教えとこうと思って」

 狩田は高校で別れてしまったが、中学時代は親友と呼んでも差し支えない存在だった。だからこそ驚いているのだ。

 あいつは警察に捕まるようなことをする奴じゃない。

 俺は声を大にして、自信をもってそう言い切ることが出来る。

 「あいつは何をやったっていうんだよ。わざわざ電話してきたっていう事はよほどのことなんだろうな」

 言いつつ俺は中学時代の狩田を思い出す。

 背は平均と比べると高い方で、体の線はしっかりしている。太っているわけではないが、特に痩せているわけでもない、いわゆる中肉中背の体格だ。眼鏡をかけた顔はいかにもインテリに見え、初めは文化部に入っているのかと思ったが、意外なことに卓球で全国大会に行くほどの実力者だった。

 そう言えば卓球筋とか言って右手の筋肉を自慢してきたことがあったな。

 昔の思い出に浸りかけていた俺にスマホからの声が聞こえる。

 「……殺人だ」

 え? 今なんて言った?

 耳に言葉が入ってこない。それは耳が聞くのを拒否しているからだろうか、脳が理解するのを拒否しているからだろうか。とにかくうまく聞き取ることが出来なかった。

 「悪い、もう一回言ってくれないか」

 絞り出すように声を出して電話相手に懇願する。なんていうか、無様だ。

 「殺人だよ。あいつは人を殺した容疑で警察に捕まっているんだ」

 今度はちゃんと聞こえた。

 殺人。

 人を殺すこと。

 人類の三大タブーの1つにも数えられるそれは、どんなに気が立っていたからといって、狩田がやるとは思えない。

 事故か、あるいは冤罪か。

 どちらにせよ狩田もやっかいなものに巻き込まれたものだ。

 「容疑ってどういうことだ? ただの容疑者の1人っていう事か?」

 一番可能性が高いのがこれだ。たまたま近くで殺人事件があり、その近くにいたため巻き込まれてしまったパターン。しかし、スマホ越しの答えは否定だった。

 「いや、違う。ただの容疑者の1人じゃない。狩田はもう被疑者扱いだ」

 その言葉に俺は少し首をかしげる。

 容疑者と被疑者の違いは何だっただろうか。確か、同じような意味で使われていたと思うけど……。まあ、容疑をかけられただけでなく、罪を犯したことがほぼ確実だと言いたのだろう。それは日ごろから鈍いとよく言われる俺にも十分に伝わってきた。

 「嘘だろ」

 「いや、本当だ。詳しくは知らないが、狩田が人を殺すのを見たっていう人がいるらしい」

 見間違い、記憶違い、勘違い。

 陰謀、共謀、謀略。

 いろいろ考えられるが、目撃証言というものは犯人探しにおいて決定的なものといえるだろう。……というよりアリバイの証明や現行犯においては目撃証言以外のものに頼ることが出来ないのが現状だ。

 「分かった。連絡ありがとう」

 そう言って俺は相手の返事も待たずに通話をきる。ついでとばかりにスマホ自体の電源もきり、誰からも連絡が来ないようにした。

 「なにやってるんだか」

 俺は独りつぶやく。誰に言っているのかは自分でも分からなかった。


 +++++


 俺はスマホをポケットにしまうと、重くなった足を何とか動かしながら近くの喫茶店に入る。高校と家との通学路にあるこの喫茶店はたびたび利用している場所だ。コーヒーがおいしいと学生の間で有名になっており、今も数組の学生たちが椅子に座って談笑している。

 高校に入学してから二ヶ月が経過した6月5日の今日。高校での生活にも慣れ初め、だんだんと頬を撫でる風が暖かくなってきたころだ。1年生の姿もちらほらと見受けられる。

 「ふう」

 席について一息入れる。俺はいつもの通りコーヒーを注文して心を落ち着かせる。中学時代の親友が逮捕されたというニュースは、テレビで見るようなニュースと違い、俺の心に重く響いているようで動揺しているのが自分でも感じられた。

 「今は何時だろう」

 先程ポケットに入れたスマホを取り出すと電源ボタンを押す。スマホの機能として電源が完全に切られた状態だと、電源ボタンを長押ししない限りスマホが起動することはないため、スマホの黒い画面に映るのは疲れた顔をした自分の顔だけだった。

 「……電源切ったの忘れてたな」

 しょうがないので喫茶店の壁についている時計を確認する。店の雰囲気とよく合っている木製のアナログ時計は午後7時ちょうどを示していた。

 コーヒーを運んできてくれた店員さんに軽くお礼を言いながら、考える。

 「狩田は何をやったんだろうか」

 殺人をした容疑があるという事は聞いたが、誰を、どこで、どうして、どのように殺したのかはまだ聞いていなかった。

 「なにやってるんだか」

 コーヒーを一口飲んだあと、吐き出すようにつぶやく。

 詳しいことは分からないと言っていたから、望み薄だろうが一応聞いておくべきだった。もう少し冷静になっていれば……。

 あの時はこれ以上話を聞きたくなくて電話を切ってしまったが、軽率だったかもしれない。

 「電話、かけ直すか」

 スマホの電源を入れる。予想以上に大きかったスマホの起動音が店内に流れていたゆるやかな音楽を妨げてしまう。慌てて店内を見回すも、皆談笑に夢中のようで誰もこちらを見てくる人はいなかった。

 「危ない危ない」

 内心冷や汗をかきながらほっと息を吐き出した。スマホが起動したと同時に音量を最低まで下げて安全を確保する。

 「えっと、どこだったかな?」

 電話帳の中から先ほど電話してきた相手を探す。受信履歴からたどると楽だったが、それには気付かずに電話帳をあさる。

 「確か『朝日』で登録していたっけ」

 中学時代の友人その2、朝日宗近あさひむねちか。サッカー部に所属していた朝日は、戦国武将のような名前に恥じない誠実なやつだったと記憶している。身長こそ少し低かったものの、鷹を連想させるような凛とした顔立ちは人気が高く、その性格も相まってかなりモテていた。ちなみに友達だった俺に恩恵はなかった。

 「あったあった」

 ようやく見つけた『朝日』の文字に満足して笑みをこぼす。

 「手間かけさせやがって」

 本人がいないのをいいことに、小さな声で理不尽な罵倒を浴びせかける。こんなことだから俺はよく器が小さいと言われるのか。……反省や改善や後悔はしないけれど。

 そして、朝日に電話をかけようと画面に指を近づけた瞬間にスマホが小さく震えた。

 「電話だ」

 スマホに表示されているのは知らない番号。少なくとも連絡先に登録していない番号だった。

 「出るべきか、出ないべきか」

 普通に考えると知らない番号からの電話は出ないほうがいいだろう。しかし、今かかってくる電話は狩田関連のものかもしれない。俺は画面に表示されている『応答』と『拒否』のボタンをじっと見つめた。

 少し考えた後、『応答』のボタンをタップしてスマホを耳に当てる。

 「もしもし」

 「もしもし、こちらは弁護士の村田というものですが」

 俺はスマホから聞こえる若い女の声と弁護士という言葉にほくそ笑む。狩田の弁護士に違いない。

 電話に出たのは正解だったな。

 俺は手さぐりでかばんからメモ帳を取り出し、話を聞く体制を整えた。

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悪魔の知識 東上西下 @Higashikami

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