3月14日の私③

「ふぅ……」


 3月14日のホワイトデー、朝起きてからずっと何十、何百、何千、いや何万人もの彼氏君に囲まれる時間を過ごしてきた私だけれど、お風呂の時間だけは私1人でのんびり過ごす事にした。

 彼氏君からは一緒に大浴場に入らないかと言う誘いもあったけれど、こんなにたくさんの彼氏君と一緒に入るなんて、お湯よりも先に私が沸騰して蒸発しちゃうかもしれないので、私は断り、家にあるお風呂で一息つくことに決めた。とは言えマンションの部屋にたどり着くまでは、たくさんの彼氏君を引き連れていたけれど。


 人間は辛いこと、悲しいことばかりではなく、嬉しいことや楽しいことが連続して起こりすぎても、それがストレスや疲れの原因になってしまうと言う。私もずっと数え切れないほどの幸福を味わいつくしてきたからか、温かいお湯に浸かった途端に体からどっと力が抜けたような気がした。

 でも、まだまだホワイトデーは終わらない。私がお風呂でくつろいでいる間に、数万人にも増えた彼氏君たちは今日の締めくくりとして大掛かりな準備をしてくれると言うのだ。だからゆっくりと暖かいお風呂で疲れを癒して欲しい、と言われた私けれど、正直お風呂にのんびり浸かるよりも、早く彼氏君からの最後のプレゼントを見てみたい、そんなワクワクする気持ちでいっぱいだった。


 濡れた体をタオルで拭き、髪もしっかり乾かした後、私は外出用の衣装に身を包んだ。学校に通う私が暮らすマンションが立ち並ぶ通りを抜けた先には、様々な行事が行われる非常に巨大な大ホールがある。そこで彼氏君は私のために、ホワイトデー最後の行事をするらしい。さすがに学校から帰ってきたのにまた制服を着るというのはなんだか気分が悪いし、彼氏君も自由な服装で来て大丈夫だ、と言う連絡があったから、服装についての心配は無いだろう。

 鏡を見ながら髪を整え、彼氏君お勧めのアクセサリーも身につけ、準備は万端だ。そして扉を開けた私の顔は、驚きと嬉しさ、そして少しの恥ずかしさも加えて一気に真っ赤になってしまった。


「「「「「「「「「「行ってらっしゃいませ、お嬢様」」」」」」」」」」


 私の家の玄関から外の廊下、エレベーター、そして遥か下に見下ろす道まで、大ホールへ続く道の両側に、またまた何百、何千もの数の彼氏君が並び続けていたのだ。しかも、全員揃って白いワイシャツと黒い燕尾服と言う、端正な顔の彼氏君にあまりに似合いすぎる格好で。


「え……彼氏君、これって……?」

「はは、悪い悪い」「執事だよ、執事」「俺たちも一度着てみたくてさ、な♪」「うんうん♪」「そーそー♪」「似合うだろ?」

「……あぁ、そうか!」


 そういえば、前に彼氏君や私の中で漫画の話で盛り上がった時、一度こういう感じの服装を着てみたい、と漫画やアニメの衣装で盛り上がったことがある。確か私は、普段の衣装とは違った格好良さが出るんじゃないか、と彼氏君に執事の燕尾服を勧めた記憶があるけれど、もしかしてそれを覚えてくれたのだろうか。そう思うと嬉しくない、つい感極まって涙が出そうになってしまった。でも何とかこらえ、私は夢のような道を歩き続けた。


「お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」お嬢様♪」……


 四方八方から、彼氏君の声が私のほうに飛んでくる。お風呂に入って疲れを癒した体には最高の刺激だった。たくさんの『執事』を従える大金持ちの気分を味わいつつ、彼氏君との『主従ごっこ』をたっぷりと堪能した私は、立ち並ぶ大量のマンション群を抜け、ようやく大ホールに到着した。 

 そこに広がっていたのは、彼氏君の用意してくれた3月14日、私のバレンタインデーへの『何万倍ものお返し』の最後を飾るのにふさわしい光景だった。


「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「お待ちしてました、お嬢様♪」」」」」」」」」」……


 広いホールの中に、家や学校、そして町のあらゆる場所で私を待っていた彼氏君全員の声が響き続けていた。一体何万人いるのか見当もつかない数の彼氏君は、全員とも整った髪型、笑顔に包まれた顔、綺麗な手を包む白い手袋、そして体を包む燕尾服まで、あらゆるところが全く同じ『執事』になっていたのだ。

 私に忠誠を誓うように整列するたくさんの理想の美形たちによって開かれた道を進んでいくと、そこには少し大きなテーブルと、その上に置かれた美味しそうな料理があった。朝食や昼食とは違う、まるでホテルのフルコースのような、数え切れないほどの彼氏君が本気で作り上げた料理だ。


「これ、全部作ってくれたんだ……ありがとう!」

「どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」どういたしまして♪」……


 思う存分食べてくれ、と言う言葉に甘えるべく、早速私はいただきますの一礼をして、心の篭った夕ご飯に手をつけた。


 程良い柔らかさに仕上がったステーキ、私の好物のドレッシング付きのサラダ、健康に良い五穀米が備わったご飯、野菜の美味しさがたっぷり染み込んでいるスープ、どれを食べても、一番美味しいものはどれか選べないほど、彼氏君の作った夕食は心に残るものだった。でもそれ以上に、周りを囲む執事衣装の彼氏君の満面の笑みや笑い声で、私のお腹はいっぱいになりそうだった。私だけの彼氏君が大ホールの一面を埋め尽くすこの情景を忘れないようにする、と言う思いがあったからかもしれない。


 そして、食後のデザートとして用意された1枚の板チョコと共に、1人の彼氏君が私の方に歩み寄ってきた。


「ふふ、どうですかお嬢様?

 最後に俺から、このチョコを――」


 ――口移しでどうか、と言われた私はすぐにそれを断った。

 確かに、彼氏君からの口移しと言うのはまさにホワイトデーにぴったりだし、恋人同士にとっては最高のイベントかもしれない。でも、さすがにそこまで気を配られてしまうと逆に申し訳ない気分になってしまうし、何より数え切れないほどの彼氏君に見守られながら口移しなんて、ずっと恋人同士の私でも気絶してしまいそうだ。


 それを聞いた彼氏君は、1枚の板チョコを半分に割り、片方を私のほうに、もう片方を自分のほうに置いた。同じものを2等分して共有する、それだけでも2人の心はいつも繋がっている。大ホールを埋め尽くす大量の彼氏君の声を聞きながら、私は隣に居る執事服の1人の彼氏君と同時に、ホワイトデーの最後のプレゼントの味を堪能した。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おやすみー!」」」」」」」」」」」」」」」」」……


 大ホールを埋め尽くす、執事衣装の彼氏君に見送られながら、私は家路に就くことにした。本当はもっと一緒に、何万人もの『執事』との時間を過ごしたかったけれど、私たちは明日も学校があるし、何よりちょっぴり眠くなってしまった。私の小さなあくびを見て、この辺で帰ったほうが、明日も爽やかな一日が過ごせる、と彼氏君が勧めてくれたのだ。


 そんな私の隣に、1人の彼氏君がついてきてくれた。3月14日、たっぷり楽しむことが出来たか、と言う彼氏君の問いに頷きながら、私は彼氏君の逞しい腕や体に擦り寄ってみた。


「とっても楽しかった。たくさんの彼氏君と一緒に過ごせるなんて……」

「ふふ、そう言ってくれると、俺も嬉しいよ」

「でも……」

「ん?」


 やっぱり、私の彼氏君は1人だけの方が良いかもしれない、と私は言った。

 確かに、理想の存在が何万人もあちこちに溢れ、360度あらゆる方向から私に向けて優しい言葉や明るい笑顔、そして格好いい服装を見せてくれると言うのは本当に嬉しいし、楽しい事だ。でも、何万人も彼氏君がいると、それを受け止めるには1人だけの私じゃ多すぎて疲れてしまう。あまり良い事に興奮しすぎてしまうと、人は逆に体にストレスを溜め込んでしまう事にもなる。

 

 私1人に、彼氏君1人。2人合わせて1組のカップル、それが、私たちにとってずっと一緒にいることが出来る理想の形、なのかもしれない。


「何だよ、そういう彼女ちゃんだって、この前のバレンタインデーにを……」

「えへへ、あれはあれだよ、彼氏君♪」


 相変わらずだな、とつい彼氏君は苦笑いしてしまった。でも、今日は双方ともとても幸せな気分に満ちたホワイトデーだったのは間違いないだろう。


 1人の彼氏君は、そのまま私の部屋まで一緒に来てくれた。お風呂は私が居ない間に入ってきたらしく、服装もいつの間にか寝巻きの代わりのジャージに着替えている。これ以上興奮したら、疲れた私をまたまた沸騰させそうだと彼氏君は考えたのかもしれない。でも、一緒に寝てくれる、と言うのは私も賛成だった。今日のお祭り騒ぎの最後の締めくくりを、いつも通りの2人で迎える。名残惜しさはあるけれど、祭りの終わりは静かに迎えるのが一番なのかもしれない。


 そして、枕を隣り合わせにして、私と彼氏君は長いホワイトデーの一日を終えた……。


「おやすみ」

「おやすみなさい」

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