第710話 第2章 4-5 密書

 マラカは再びニヤニヤして、何も云わなかった。きっと、二人が寝静まったころに深夜の聖地を一人で探索し、自らガリアを遣える場所と遣えない場所を検証して、それを発見したのだろう。


 「パオン=ミ殿、その密書はいかがしましょう。私が持参しましょうか? それとも、ここでミナモ殿の帰りを待ちますか?」


 難しい。時間を稼ぐには直接ミナモへ見てもらう方がよいだろうが、マラカに何かあったら密書は失われるか、敵方に渡ってしまう。


 「密書は我が預かる。この館内で、よもや敵の襲撃はあるまい。一刻も早う、ミナモ殿を連れ帰ってくるのだ」


 「承知」


 見る間にマラカがそのガリア「葆光彩ほこうさい五色ごしき竜隠りゅういん帷子かたびら」をまとうや、周囲の景色に紛れこみ、ガリアの力で身体能力が数倍にもなった風のような足音を残して、行ってしまった。


 二人が、聖地の蒼い空をいつまでも見上げていた。



 その日は二人で食事も喉をろくに通らずじりじりとマラカの帰りを待った。そうして日も傾いてきて、美しい夕焼けが湖と対岸や遠くの連峰を染め抜くころ、ようやくマラカが帰ってきた。


 「遅かったじゃない!」

 半泣きでマレティがつめよる。何もかもが心配で、不安で、感情が暴発しそうだった。


 「ミナモ殿がどこにもおりませんで……いよいよ進退窮まり、カンナ殿らへ会ってきました。ライバ殿、スティッキィ殿とも」


 「なんですって!?」

 マレッティが驚愕する。

 「アーリーは!?」

 「アーリー様はおられませんでした。未だウガマールとのことです」


 マレッティが口へ手を当てる。なんということか。想定がどんどん狂ってきている。パオン=ミを横目で見ると、見たことがないほどに渋い顔で奥歯をかんでいた。


 「どうし……」

 そこまで云って言葉をのむ。パオン=ミでも判断がつかない事態になってきている。


 「ディスケル皇太子殿下は、なんと?」

 パオン=ミが絞るような声を発した。ミナモが捕まらない以上、頼るのはそこしかない。


 「ミナモ殿は皇太子殿下の依頼で、聖地を出て最も近いヤマナ城へ行っており、明日戻ってくるとのこと」


 「明日では遅くないか。嫌な予感がする」

 「はい、そう思って……殿下の配下を連れ、ライバ殿が」

 「瞬間移動か……!」


 「はい、ガリア封じの隙間の話をし、対岸まで行ってしまえば、あとはもう。城までは八ルット半(二六キロメートルほど)ほどとのことで、往復でも深夜には」


 「そうか。待つしかあるまい」


 三人はじっとりと時を過ごした。彼女たちにとって待つのも重要な仕事であり、慣れきっているつもりだったが流石に焦れた。一刻が半日にも感じる。


 と……。


 静寂の支配する真夜中、三人の待機している一室の襖をぶちやぶってミナモとライバが突っこんできたので、さしもの三人もひっくり返って言葉も無く固まりついた。


 「も、申し訳ありません、距離の憶測が……」


 マレッティの光輪の光へまぶしげに目を細め、畳へ倒れこんだライバがもはや懐かしいストゥーリア語で云う。


 「ハハハ、しかし楽しかったぞ!」


 珍しく正装し、真っ黒い衣冠束帯のくるの皇子みこしゃくを片手に見事に空中でバランスをとって着地していた。


 「よく連れてきてくれた!」

 パオン=ミが立ち上がって涙目となる。マレッティとマラカも手を取り合った。

 「どれ、件の密書を見せよ」


 だがその不敵な笑みも、パオン=ミが出したデリナの短い手紙を見るや激変する。見たこともないほど険しくなり、


 「墨と紙を!」


 ホレイサン語で云うや、すぐさま既に丁寧にられた墨と紙と細筆が文机ごと用意される。重そうな装束を慣れた感じで捌きその場へ座るとミナモは目にも止まらない速さでディスケル帝国の共通語である北部ディシナウ語で書きつけ、折りたたんで封書へしまうや、


 「これを皇太子殿下へ!」

 ライバへ託した。


 ライバは何を云っているかわからなかったが、云われずともわかる。ペコリと頭を下げるとそれを受け取り、すぐさまその場より消えた。


 「で、殿下、いったい何が……!?」

 パオン=ミも緊張する。こんな狂皇子の顔は見たことが無かった。

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