第679話 第1章 3-8 早鳴きの蝉の声

 スミナムチは器用にディスケル語を話した。パオン=ミがサラティス語へ訳すが、それは便宜上省略する。


 「あんた医者なのお?」

 布団の上で寝間着を着たままのマレッティが包帯と呪符だらけの足を思わず縮めた。


 「ええ、まあ。医師の資格も持ってます」

 「子供なのにい?」

 「いちおう二十六ですけどね……」


 困ったような作り笑いでスミナムチが答えた。

 「二十六ゥ!?」


 結婚適齢期が十代後半のこの世界のこの時代では、もう年増と云ってよい。二十歳そこそこのマレッティ達ですら、我々でいうアラサーの感覚に近い。


 「年齢詐称!?」

 「ちがいますよ。さ、足を……」

 マレッティの足を診察し、スミナムチはうんうんとうなずいて、


 「順調な回復です。この御札の天限儀てんげんぎが毒(腐敗性細菌を含む)を消してくれています。火の天限儀はたいてい浄化の力を持ちますが、それへ気づく人は少ないのですよ」


 確かに、パオン=ミはアーリーよりこの遣い方のヒントを教わった。アーリーの炎には解毒の力があるのは第一部に述べてある。


 「あと半月もすれば元のとおりになるでしょう」

 パオン=ミとマレッティが安堵して見合う。

 問題はマラカだった。


 事情を聴いたスミナムチが慎重にマラカへ問診し、身体の傷を診て、眼の奥や口の中も内診していく。


 二人は、心配そうに診察の様子を見守った。


 「身体的な傷は、ほぼ完治しております。ですが、心の傷は、思ったより深い……こういうのは個人個人でまったく異なるのです」


 マレッティがうつむく。

 「治るみこみはないのか?」

 パオン=ミも顔を曇らせた。

 「それは、なんとも……」


 スミナムチがすまなそうに云う。使用人が煎茶を用意し、隣の部屋で三人が話し合う。

 「ミナモ殿に会いたいのだが」

 「みこさ……ミナモは、いまお仕事が忙しくて、ここには来られないでしょう」


 「何の仕事してるのよお? 若いのに……もしかして、あいつも意外と歳くってるってことお?」


 スミナムチがあわてて手を顔の前で横に振った。


 「いいえ! みこ……ミナモは、かぞえで十七歳です。私より十も年下なのに、しっかりしたお方ですよ」


 しかし、この世界で十七は既に成人だ。特に高位のものであるのなら、逆にしっかりしてもらわねば困る。


 「それより、カンナはどうなのだ? いつごろ聖地へ来る? 聖地の妨害は無いのか?」

 「自分たちを滅ぼしに来るのを、黙って見てはいないわよねえ」

 「そのへんは、私はよくわかりませんが……」

 そう前置きし、スミナムチはミナモより受けた説明をする。


 「バスクスさんは、うまく聖地へ紛れる手段を得て、近々聖地へ来るとのことです。来てもすぐには動かず、どこかへ潜むと思われます。というのも、いくらバスクスさんが強くとも、この聖地すべて……湖と島ごと破壊するほどではありません。審神者さにわたちによる竜神との交信の儀式を狙うでしょう……というのがミナモの読みです。そのため、いろいろと下準備が必要なのです。……だそうです」


 マレッティとパオン=ミが見合う。そうは云ってもあのカンナだ。そこらの街など灰塵にできるし、そもそも聖地のガリア封じがどこまで通用するものか。


 「……その、審神者による竜神との交信とやらは、いつ行われるのだ?」

 「不定期と聴いております。いつ行うのか、見極めなくてはなりません」


 「カンナと接触しなくてはならんな」

 「そうね。デリナ様を助けるためにも……」


 二人は決意を新たにした。スミナムチへカンナが聖地に入ったら必ず教えてくれるよう念を押し、スミナムチはそれを確約して屋敷を後にした。


 縁側へ出ると、この北の地でも日差しが少しづつ夏へ近づいているのがわかった。北の空は薄く澄み、この島の端の隔絶された地区では、遠い聖都の喧騒も聞こえない。


 早鳴きの蝉が、庭のどこかに止まっている。

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