第7部「帝都の伝達者」
第585話 第1章 1-1 トロンバーにて三人
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アーリーがカンナを追い、ストゥーリアを飛び出た三日後。
マレッティが密かにトロンバーへ出発した。
ガイアゲンの女大番頭レブラッシュのみに別れの挨拶を済ませ、旅装のマレッティは一人でまだ残雪の深い北方街道を往く。
トロンバーでパオン=ミ、マラカ両名と合流する。正直、二人とも苦手なタイプだったが、どうしようもない。なんとしても命の恩人で主人でもあるデリナを救わなくてはならない。苦手も何もない。やらねばならない。
雪が融け、地面が見える場所も出てきているので犬ぞりも使えず、一人で黙々とマレッティは歩いた。厳冬期ではないが気温はまだまだ低く、特に夜間は油断すると凍死する寒さがまだ襲ってくる。トロンバーへ近づくにつれて雪も降り始めた。暦上は春だというのに……。雪は湿って重く、白竜の孫のダール・ホルポスと死闘を繰り広げた時期の粉雪と比べると、ほとんどみぞれみたいなものだ。しかし、完全に氷点下の砂漠の砂めいた雪より水分を多く含んだ今時期の雪のほうが衣服を浸透し冷たい。
地面もグジョグジョに雪解け水が混じってぬかるんでおり、火が使いづらく旅をするにはむしろ厳冬期より厳しい。そもそもこんな泥沼めいた地面の上で眠れないので、ところによっては木の上でまどろむだけだ。
「まいったな、こりゃ……」
マレッティは七日のうち三夜を木の上で過ごし、思っていたより疲労を抱えてトロンバーへたどり着いた。トロンバー住民と警護のヴェグラー要員はホルポスとの戦いで鬼神のような強さを発揮したマレッティを歓迎し、マレッティは宿へ入ってようやく人心地ついた。新鮮なユーバ湖の魚と乾燥ハーブのスープが五臓にしみる。
焼きたてのライ麦パンをかじり、満腹するとトロンバー名物の蒸し風呂で身体を温め、疲れを癒した。竜毛の寝具で一晩ぐっすりと眠り、起きると既に明るいので春になったなあと感じる。洗面器の水も凍っていない。真冬は昼近くまで真っ暗で夕刻前には日暮れだったし、室内でも窓際では洗面器や水差しは凍っていた。口を漱ぎ洗面して旅装に着替え、食堂へ向かうとパオン=ミとマラカがいた。竜国カンチュルク人のパオン=ミとラッツィンベルク少数諸部族の一つスネア族のマラカは、ここでは完全に異邦人で異彩を放っている。先祖がトロンバーより北方にいた今は部族ごと行方不明となった北方遊牧民族出身のマレッティは、むしろ全く違和感がない。故郷に帰ってきたという感じだ。
スネア族は大昔より竜属国カンチュルクと交易を通じた深い親交があり、「こちら側」ではあまり評判は良くないが竜国側では「橋渡し」として信頼が厚い。現に、パオン=ミとマラカは初対面のはずだったが、マレッティを待つ数日間で幼馴染のごとく既に仲良しだ。
「いやねえ……あたしだけ仲間はずれってこと?」
朝食の雑穀粥に硬い山羊のチーズ、竜肉の干物の炙り焼きを前に、マレッティが容赦のない仏頂面で二人を睨みつけた。サラティス語だった。
「そんなことありませんよ、マレッティ殿」
マラカが、何かしら知ったかぶったマレッティが大嫌いなタイプの顔つきで笑う。もちろんマラカもサラティス語に堪能である。マラカとマレッティは、ちょうど十か月ほどまえカンナがデリナと戦った日に初めて会った。
「すべてはマレッティ殿の気持ち次第ですとも、シャシャ……」
もう、第一声から気分が悪い。神経を逆撫でする声だ。その歯の隙間から空気が漏れるような変な笑い声も、不愉快の極みだった。
「顔はスティッキィと同じだが、中身はずいぶんと違うようだのう」
じろじろと不躾に値踏みするパオン=ミに到っては、アーリーの部下でなかったらガリアで攻撃するところだ。よくスティッキィは一緒にラズィンバーグまで行ったものだ。
「余計なお世話だっつうの」
「ま、そう云うでない。我らは仲良し旅行ではない。アーリー様の命で、それぞれの仕事を果たすだけよ。好きでも嫌いでも結構だが、仕事はしっかり頼むぞ」
「わかってるっつうの」
マレッティが木のしゃもじで粥を口中へかっこんだ。味付けは岩塩のみだが、むしろストゥーリアよりうまい。新鮮な湖の魚よりとったブイヨンで煮ているから出汁がきいている。
少し表情をゆるめて無言で黙々と粥を頬張るマレッティを見据えつつ、二人も食事を始める。特段会話というものも無く、雑穀粥を一皿とチーズ、竜肉の炙りものを平らげた。
「では、さっそく、明日からの行程を打ち合わせようぞ」
食後のハーブティーを木のカップでのみ、パオン=ミがそう云った。パオン=ミも流暢なサラティス語を操っている。この宿で……いや、トロンバーでもサラティス語を使うものはいまこの三人しかいないはずだ。つまり、自然と間諜対策をしている。別に、ホルポスも秘密裏に味方となった今はだれがどことつながっているというわけでもないのだが……強いて云えば、ガラネルがこれから向かうガラン=ク=スタルへどこまで深く入っているかだが、それはもう想像もつかないことだ。
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