第586話 第1章 1-2 フローテル

 「ここから、ユーバ湖ぞいにリュト山脈へ向かい、ふもとで天候を見つつ、スーリーを使って一気に越える。越える尾根筋も我のガリアで既に探ってあるから安心いたせ。一日で越えてみせようぞ。向こう側に案内役がおるとのことゆえ、そこから案内をしてもらう。行き先は、フローテルの集落ぞ」


 「いま、なんて?」


 マレッティが少し顔を歪めて聴き返した。聴き間違いと思ったのだ。そして、パオン=ミはその疑問の意味を分かっていたので、的確に云いなおした。


 「フローテルの集落ぞ」

 「フローテル?」


 マレッティが目を丸くする。その蒼い瞳の奥がきらりと光った。まさに、フローテル族の特徴だ。第六部に登場したカルマ第四のメンバー、モールニヤこそフローテル族そのものだが、それは秘されていた。部族としては、既にサティラウトゥ文化圏では百年ほども誰も見たことはない。


 「……やっぱり竜の国に住んでたんだ」


 マレッティは不思議な気持ちになった。自分の四代くらい前の先祖が最後のスターラ北部フローテルだと聞かされていて、幼いころより関心はあった。


 「で、そのフローテルに会って、どうするの?」

 案の定、食いついてきたのでパオン=ミも笑顔となる。

 「それは、聖地までの最短距離を案内してもらうのよ」

 「最短距離」


 マレッティが感心しておうむ返しに繰り返す。マラカもひそひそした声で会話へ入った。ここいら辺の下調べはマラカがずっと行っていたので、くわしい。


 「マレッティ殿、地図は後で示しますが、聖地は神秘と軍事の国ホレイサン=スタルの守護するところ。傭兵国ガラン=ク=スタルも通らねばなりません。なるべく面倒ごとは避けたほうが無難です。そのため、北方の大森林を踏破します。そこを案内できるのは、フローテルのみなのです」


 「ま、そおでしょおねえ」


 マレッティがカップをあおって冷めかけたハーブティーを飲み干す。すぐに女給が近よってきてお代わりを入れた。三人はとたんに押し黙り、愛想笑顔で女給が去るのを待つと会話を再開する。


 「で、ツテはあるの?」

 「例の、ほれ、バグ……あの、ほれ、あやつよ」


 マレッティ、アーリーの言葉を思い出す。カンナに負け、主人のホルポスごとカンナへ忠誠を誓った片腕のバグルス……シードリィが案内するということを。


 「ツテがあるんだ、あいつ」


 「もともと北方竜属はリュト山脈を越えてあっちとこっちで影響があるゆえの。あやつも、普通にフローテルの連中と接触しておったようだ」


 「へええ……」


 マレッティ、なんとなく今後のイメージがついてきた。聖地へ……聖地へ行ってデリナを救う……まったく途方もない、具体にまるで見えてこない目標だが、少しずつ、眼前が開いてくる気がした。


 「分かった。いいわ。行きましょう! 出発は?」

 「明日には出る」

 「特に整えておく装備は?」

 「防寒を密に。山の上はまだ厳冬期ぞ」


 マレッティの眼に精気が蘇ったのを二人は確認した。とにかく、マレッティのダールにも肉薄する無類の強さは今後の戦いに絶対に必要なのだ。


 その日の午後、マレッティはトロンバーの店を周り、特に厳重に防寒装備や糧食を買いこんだ。そして名残の蒸し風呂でゆっくりし、酒ものまずに早くに寝た。


 翌朝、三人はトロンバーの隅で合流し、リュト山脈へ向けて出発した。



 トロンバーよりリュト山脈方面へ向かうには、ユーバ湖ぞいの北方街道がある。ここはほんの数か月前に、ホルポスの幻像攻撃でストゥーリアのほぼ全てのガリア遣いを集めた対竜組織「ヴェグラー」が大敗を喫した場所だ。特にこの街道すじに陣取っていた第二大隊は、大隊長のアーボを始めほとんどが殺され、まさに壊滅した。凍りついた死屍累々の状況も、春を迎える前になんとか死体を回収し埋葬できた。いま時期にも死体が残っていたならば、動物や竜の良い餌となってしまう。


 雪がほとんど無くなったいま、まるでちがう世界に見える。


 ホルポスによる組織的な攻撃が終わり、竜はほとんど現れなくなった。出るのはホルポスの支配を逃れた野良竜のみで、それはそれで貴重なスターラ市民の食料となる。

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