第479話 第2章 3-3 契約
スティッキィが、小さく息をのんだ。さすが、抜け目ない。スティッキィは自分の感情が優先し、まるでその肝心なところが抜けていたのを恥じた。カンナは……事態がまだ呑みこめず、眼が泳いでいる。
だがレスト、これもあっさりと、
「はい、これが依頼状」
パオン=ミが素早くそれを受け取り、念入りに確認する。
「……封蝋は本物のようだが……そなたの身分証などは無いのか?」
「ありませんよ。わかるでしょう?」
「そなたは、使い捨てか?」
「猫ですから」
パオン=ミが鼻で笑い、封を開け、依頼状を読みこんだ。スティッキィがそれを感心して、
「あんた、読めるのお?」
「いちおうな」
さすがは諜報員というわけか。スティッキィが片眉を上げる。
目を通し終えたパオン=ミ、依頼状をスティッキィへ渡す。スティッキィもざっと眼を通した。最後に両肩をすくめたスティッキィがカンナへ渡したが、カンナは読まなかった。というより、実はまだストゥーリア語は読めず、サラティス語の混じるラズィンバーグ語も似たようなものだから、読めない。というより、サラティス語も読み書きはまだ怪しいほどだ。
「よかろう」
パオン=ミが云い放ち、レストは不気味なほど満面の笑みで肩下げ鞄より契約書を出した。しかし、パオン=ミがそれを止めた。
「待て。詳しい話も無しに、いきなり契約など、できるわけがあるまい。話が先ぞ」
パオン=ミの抗議に、レストはしかし、すましたもので、
「それは通常のお仕事の話……これは、都市政府の極秘裏の任務とお考え下さい。僕がここに座っている時点で、皆さんには既に守秘義務が課せられる。まずは契約いただいて、その後、詳細をご説明します。なあに、契約書には、必要最低限のことしか書いてありません。暗殺のお仕事も、だいたいそんなもんでしょう?」
レストが、冷たい光を放つ目でスティッキィを見た。
(こいつ……)
既に、こちらの素性は調査ずみということか。スティッキィは当然無視した。余計な回答など、レストの思うつぼだろう。
「ま、よいわ。よこせ」
奪うようにパオン=ミがその契約書を凝視し、これも入念に読みこんだ。スティッキィが横から覗く。読み終え、パオン=ミは卓上に契約書を置いた。
「内容は、特段怪しいものではなさそうだが……」
「高いウガマール紙だ」
一人だけ読めもしないし読んでも内容の分からないカンナ、ぼそりとつぶやく。
「なに?」
「これ、ウガマールが他の都市政府に卸す、高い紙だよ」
「そうなのか? これが?」
カンナに指摘され、思わずスティッキィを見たが、知らないわよお、と眼で訴えられた。植物の繊維より作る「紙」は古代より両文化圏に存在するが、ディスケル=スタル以前のなんとやらという古代の国で発明された楮科の植物より作られる特上質紙文化圏の人間であるパオン=ミにしてみれば、こんな何の草で作ったかも知れない薄汚れた荒紙ともいえぬ硬い紙は、鼻もかめぬ代物だ。
「これがのう」
そういえば、先ほどの政府依頼文も同じ紙であった。随分粗末な紙を使っているなとパオン=ミは思っていたので、政府の封蝋がしてあるのが逆に怪しいと思っていた。しかし、確かにこちらは竜皮を紙みたいに薄く鞣して使う竜皮紙が主な紙で、ウガマール紙はそれだけで高級品なのだ。
「これがのう」
パオン=ミは同じことをもう一度云った。
「ま、そうなのだろうのう」
納得したようだ。
「では、契約書にご署名を」
レストに云われ、パオン=ミがペンをとったが、
「カンナさんがするんですよ」
確かにそうだ。パオン=ミは口頭で契約書の内容を説明した。
「うん、わかったよ」
カンナが無邪気に云う。
「ほんとに分かってるう?」
「大丈夫であろう。カンナが助っ人として我らを雇うことに関しては何も書いてない。雇おうが雇うまいが、カンナの取り分の問題だからの」
「そういうことです」
スティッキィは猫と少年を一瞥しただけで無視した。レストの冷笑が、また彼女の神経を逆なでする。
カンナがそれだけ何度も練習し書けるようになっているサラティス文字でサインをし、ようやく詳しい話が始まった。
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