第471話 第2章 1-3 ナタルナタル
「そうではない」
パオン=ミの声や雰囲気は、スーナー村を出てよりずっときびしい。
「ガラネルよ」
「ガラネル!?」
スティッキィは眉を潜めたが、カンナはドキリとして、息をのんだ。パオン=ミが言葉を続ける。
「そこらの竜やガリア遣いの暗殺者など、我らの敵ではない。分かっておろう……。スーナー村で、何が起きたのかを。ガラネルめの死竜の教団。思ったより手は長いぞ」
「なあによお、それ……」
スティッキィも色めいた。確かに、ラズィンバーグで親しくなった者が実は隠れ信者で、密かに薬など盛られては、ひとたまりもない。現にスティッキィは体調が悪いのをよいことに眠り薬を盛られ、殺されかけた。
「この街にも、あの生贄の宗教があるってことお!?」
「それはわからん」
「ま……確かにそれは、心配よねえ。じゃ、夕方まで休んでるから。時間が来たら、呼んでよねえ。おなか空かしておくからあ」
スティッキィは自室へ戻ってしまった。
パオン=ミ、ため息まじりにやや肩をすくめ、自分も部屋へ戻った。
カンナも、あてがわれた部屋へ向かう。少し疲れたので、がらんとした部屋でベッドへ横になった。
「お風呂、はいりたいなあ……」
ラズィンバーグも、ストゥーリアよりマシとはいえ、大がかりな風呂の設備は無い。山肌にへばりついており、伏流水がたっぷりとあるため水路を引き水回りは良いのだが、なにせ建物が密集しており、火事の予防にあまり大がかりな風呂焚き施設は発達していないのだ。
大きく息をついているうちに、カンナはねむってしまっていた。
「カンナちゃあん、寝てるの? 晩御飯、いかなあい?」
ドアノッカーの音が細かく神経質なキツツキめいて響き、カンナは驚いて飛び起きた。春先とは云えまだ空気は冷たく、暖炉の火が落ちかけていたので適当に石炭を入れ、ドアを開ける。
「パオン=ミが、納得したみたいよ。行ってみましょ」
「はあ……うん」
寝ぼけ眼で答え、もそもそと身支度を整え、スティッキィについてゆこうとするも、
「いやねえ、カンナちゃん、顔くらいあらいなさいよお。寝てたんでしょ?」
「う、うん……」
水差しより洗面器へ水を入れ、いまかけたメガネを再びはずし、ばしゃばしゃと顔をぬぐう。冷たくて身震いした。タオルを探そうとしてよく見えず、手でまさぐる。
「ほらあ、ちゃんとおきてよお……」
スティッキィが清潔な木綿の高級タオルをとり、カンナの顔をぬぐった。
「あ、ありがと……」
手早く暖炉の火も見て、帰りの時間を予測して足りない石炭を追加し、ついでにベッドのシーツも直してしまう。ずっとストゥーリアで独り暮らしをしていたせいか、カルマで全て女給にやらせていたマレッティより、こういう面倒みは得意のようだ。
「さ、いきましょお」
スティッキィに続いて廊下に出て、鍵をかける。暗い廊下には、既にランタンが吊るしてあった。ちゃんと管理人兼使用人が仕事をしている。口の堅い中年女性だ。
パオン=ミは一階のホールで待っていた。三人で、アパートを出る。
「あの竜はどこに隠してるのお?」
スティッキィが暗い影に無数の街明かりを見渡してつぶやいた。
「街中は、さすがに無理ゆえ、ちょいと遠くへ逃がしている……」
「麓の森のほう?」
カンナも気になった。おとなしい、躾けられた竜とはいえ、こちら側では、竜は退治の対象だ。見つかっては、ちょっと面倒だろう。
「いや、麓でもない。村が多いゆえ、騒ぎになろうからの。山の方にな……幸い、思っていたより、山が近い」
「山ねえ。たしかにねえ」
スティッキィは街明かりの向こうに厳然とそびえる、黒々としたタンブローナ山のシルエットを仰ぎ見た。
それはそうと、ナタルナタルという店は、アパートの見える範囲の裏通りにあった。既に賑わっている。
「どういう意味い?」
看板を見上げてスティッキィが云う。たしかに、ここいらでは意味の通じない、不思議な言葉だった。
「なんとか族の古い言葉で、美味という意味らしい」
どうしてパオン=ミがそんなことを知っているのかは知らないが、それを聴いてカンナはマラカがここいらの少数部族の出だったことを思い出す。何族といったか。
三人が中へ入ると、満員というでもないが混んでおり、ホールの中央で楽団がにぎやかな音楽を奏で、若い踊り子がその部族の衣装であろう極彩色の服で、片手に小さな鈴のついた片面の小さな革太鼓……すなわちタンバリンを持って踊っていた。
「いらっしゃいませ、さ、あちらへどう……」
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