第438話 神々の黄昏 4-2 謁見

 アーリ-は、窓すら風景の一部となっている別世界のようなしつらえの庭を見つめてつぶやいた。晩秋の、侘しい風景ですら感傷的に演出されている。庭の向こうには、山間の眼下に見渡す帝都が広がり、それは絶景だった。


 しかし、皇帝への謁見は予想をはるかに超えて、六日後には設定された。

 驚いたのはデリナだ。

 「なにか、あったのかしら」


 とにかく二人は体調を整え、用意していた礼服へ身を通し所作の復習をした。この日のため、グルジュワンで何度も稽古してきたうえ、解説本まで持ってきた。前日には湯殿で身を清め、酒も断って心身ともに充実させる。皇帝への謁見とは、そこまでする神事に近い。


 しかし、その六日後、確約の時間に挑んだ二人は、驚嘆することになる。皇帝へ謁見する大広間は、かつては何百人も高位高官の役人や貴族諸侯が居並んで謁見するものを威圧していたが、いまはどういうわけか寂しく数人が皇帝の前に侍るだけで、だだっぴろい空間に明かりすらない。装飾も古く、くすんでおり、空気は湿り澱んで埃とカビの臭いがし、まるで遺跡の中にいるようだった。これでは、グルジュワンの王宮のほうが規模は小さいが遥かに豪奢で現実感があった。


 二人のダールが並んで皇帝の前まで行き、両手を前に合わせて片膝をついて平伏する。御簾みすの開けられた高い玉台の上の皇帝は、グルジュワン王にも似て、小さな老人だった。皇帝のみ着ることの許された重そうな装束に埋もれ、人形かと思った。正直、威厳の「い」の字もない。


 香が焚かれ、側近がなにやら儀式めいた独特の抑揚の、呪文のような言葉を発し、二人は名乗りを上げた。


 「カンチュルク藩王国、赤竜がダール、『炎熱の先陣』アリナ=ヴィエル=チィ」

 「グルジュワン藩王国、黒竜がダール、『黒衣の参謀』バーレクデーリィナーンダラァー」


 「おもてをあげよ」

 その声があまりにか細かったので、緊張していた二人は聞こえなかった。

 「面をあげよ」


 皇帝ディスケル=カウラン九世が、もういちど、云った。「え?」という顔で、デリナがチラリと上目を向ける。


 「畏れ多くも、面をあげよとの御言みことである」


 玉台の横の、侍従長と思わしき壮年の痩せた人物が、落ち着いた声を出した。ようやく、二人が顔を上げる。


 皇帝が、その皺の奥の黒真珠めいた眼で、二人をしっかりと見た。


 二人も、しっかりと見返した。デリナは、グルジュワンが命を懸けて護るべき皇帝と教わっているので、紅潮し感激のあまり眼が潤んでいるが、アーリーはその冷徹な視線でつぶさに皇帝とこの状況を観察した。


 (これでは、我がカンチュルク藩王が帝位を親王家へ移すことを考えるのも納得だ……いったい、どういうわけで本家はこうなっているのか……)


 そして、帝国の将来を本気で考えるのなら、アトギリス=ハーンウルムが帝位の禅譲ぜんじょうを企むのも理解できた。ディスケル=スタルの最辺境を護るアトギリス=ハーンウルムにしてみれば、その最中央がこの有様では、いざというとき後ろから瓦解し巻きこまれて国が亡びる。


 (連合王国の崩壊したサティラウトウにこちらを攻める力は未だ無いとはいえ、ガラン=ク=スタルやホレイサン=スタル、さらに辺境諸族たちがどう出るか、見当もつかない。まして、あの聖地は……)


 アーリーはようやく、事態の大きさ、深刻さを実感できた。

 それはそれとして。


 謁見の後、デリナは、さっそく役人へ書庫閲覧を申請した。そもそもグルジュワンは帝立御書文庫へ立ち入る権限を有しているし、あらかじめ周到に根回しをすませてあるので、なんと「たったの」十日で許可が出た。


 「さあ、調べましょう!」

 デリナは気合を入れた。


 「宮廷外の者が書庫へ入るのはたぶん三十六年ぶりよ。どんな文献が出てくるか……楽しみでもあり、恐怖でもあり」


 大量の目録を前に、デリナは身震いした。目録だけで数十冊ある。目録に未記載の書物も、唸るほどあるに違いない。書庫から取り出し、隣室で書き写すこともできる。山のような墨と白紙は、宮廷で用意してくれた。


 「そっちはまかせる。私は、とにかく読むだけでいい」

 「たぶん、数年仕事になるわよ」

 「そうだろうな」


 「私たちには時間がたっぷりあるとはいえ、そんなに国を空けてもいられないでしょうから……見極めも大事よ」


 「それに……」

 「わかってる」

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