第399話 死の舞踊 1-2 火の粉

 たいていの者は、社会より逸脱した時点で、どこにも行けずにストゥーリアで地下へもぐるように生活する。まるでモグラ……いや、虫けらだ。マレッティは、そんな生活は想像するだに耐えられなかった。死んだほうがましだった。そのため、死を賭してパウゲンを越えた。パウゲンを越えるくらいなら、ストゥーリアでゴミのように生きるほうがましだと考える者のほうが、じっさいは多いのだ。それほど、パウゲン越えは厳しい。


 厳しいといっても、街道が整備されているのだから、越えて越えられない道ではない。精神的に厳しいのだった。社会の最下層へ転落する命運の者が越えられる山ではない。峻厳なる聖なる山々なのだ。


 しかしマレッティは越えた。越えることができた。もう少しだ。


 街道を遡ってパウゲンへ少し戻ると、東側に裾野を横断する道が現れる。これを滑落かつらくしないように伝ってゆくと、三日目には「燕の巣」とも形容される都市国家ラズィンバーグが見えてくる。完全に山を下りて、サラティス街道を東に行くと荒野を遠回りすることになるため、二十日はかかる。急ぐ者は、急峻なこの北回り街道を行く。


 昼間はだいぶん春めいてきたとはいえ、まだまだこのレムラ帝月の気温は低かった。春雪しゅんせつも降った。街道は、歩きづらかった。


 道中は全て野宿だ。夜は冷えた。火山岩の転がる道は荒涼として、心が寒かった。

 途中で一回だけ、ラズィンバーグから来る数人の隊商とすれ違った。

 自然と、フードを深くかぶる。

 そして三日目。


 遠くにラズィンバーグが見えてきた。岩肌に巨大な石垣が突き出ていて、そこへひしめくように建築物が乗っかり、山へ張りついている。多重構造物がもう何百年も増築され続けた結果で、燕の巣とは聞こえがいいが、実際は白蟻の巣だ。そこに、約二千数百人がすんでいる。サラティスやストゥーリアの十分の一以下の規模だが、周辺に在住小部族や住民家族が多くいて、村々を形成し、出入りしている。そこの人口を含めると、約一万に近い。つまり、昼間人口は八千人ほどに膨れ上がる。通いの工房都市なのだった。


 ストゥーリアで精錬された鉄や銅などの工業半製品や石炭を仕入れ、武器や防具、生活用品器具などへ加工するが、なんといってもメインはラズィンバーグ周辺鉱山より算出される希少金属や宝石の精錬加工だ。金銀の宝飾品、または延べ棒、宝石の原石から加工品に到るまで、かつては東西より商人がひっきりなしに訪れ、周辺山麓にいくつも街道宿ができた時代もあった。


 ちなみに大規模な隊商は荷物や警護の関係で、ほとんどサラティス経由の南回り街道を使う。


 いざ街が見えると、マレッティの足もとうぜん、速くなる。

 そのマレッティと、また数人の隊商がすれ違った。


 みな、マレッティと同じくフード付マント姿だが、見た目で体格が分かる。男が五人、女を取り囲むようにして街道をパウゲンへ向かって歩いている。マレッティは小柄というではなかったが、さすがに男というほど大柄でもない。どう見ても訳ありの杖を突いた女の一人旅が、そっと街道の脇によけ、一行をやりすごした。


 五人のうち、二人がマレッティを振り返った。フードの奥より、杖を握る手を見たようだ。華奢な、女の手だった。


 「おい、ちょっと待て」

 マレッティは最初、自分に云われているとは思わずに、無視して行こうとした。

 「待てったら」

 「あたし?」

 思わず振り返って、声に出してしまった。


 女だと確信した一人がつかつかと近づいて、マレッティのフードを素早くめくり上げ……ようとしたその手を、マレッティは右手の細杖でピシリと打ち据えた。


 「いてえ!」

 大げさにそやつめ、右手を抑えてうずくまった。

 「おい、どうした」

 「何をしてやがる」

 仲間たちも寄ってくる。中心の、女と思わしき人物が、うろたえ始めた。

 「こいつ、顔をみせろ」

 「先に見せるのが礼儀でしょ」


 マレッティは白樫の細杖を右半身みぎはんみに構えた。カントル流の細身剣術の構えだ。五つの時からほぼ十年、みっちりとやっている。遊郭で働きながらも、少しづつ稽古していたのだ。


 「こいつ、女のくせに」

 「剣の真似事かあ?」


 明らかに卑下し、四人ほどがマレッティを囲み始めた。それが意外と隙が無い。しかも、一人は女から離れず、逃げられないように腕をがっちりと抑えている。


 (誘拐屋か、人買いかしら……?)

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