短編「死の舞踏」

第398話 死の舞踊 1-1 逃避行

 1


 マレッティがバソ村で息を吹き返したのは、まさに、奇跡だった。


 命からがらパウゲン連山を抜けてきて、あと少しでバソというところでついに力尽きて雪道に倒れていたのを、たまたまバソからストゥーリアへ向かった小規模隊商の一行が発見し、天候も荒れてきたので、マレッティを救出がてら大事を取って引き返したのだ。


 宿で女たちの手により温泉療法がおこなわれ、死にかけていた……いや、凍りかけていたマレッティは、三日目にうっすらと眼を開けた。


 「よかった、この子、意識が戻ったようだよ!」


 温泉宿「竜の息吹」亭で、女将が主人のラッパートを呼んだ。若いころは色々あったが、いまはすっかり落ち着いたラッパートが、使用人室の一室へ横たえられていたマレッティを見舞う。やや痩せているが、きれいな濃金髪に蒼い瞳で、中堅商家のお嬢様のような雰囲気のマレッティの、はかなげな美しさは、宿の者たちの保護欲求を刺激した。


 「どうも強行軍だったようだな。この季節に、無茶をする……」


 厳冬期は過ぎたとはいえ、まだまだ標高の高いパウゲンでは、油断のならない季節だった。


 「すみません……お金なら……ありますから……」


 か細い声でマレッティが云う。きれいなストゥーリア語だった。なにやら訳ありというのは聞かずとも分かったので、宿の人たちはその後も手厚く看病した。七日もすると、すっかり歩けるようになって、マレッティの心づけをもらい、装備を整えてやった。


 「サラティスへ?」

 「いいえ、ラッツィンベルク……いや、ラズィンバーグに」

 マレッティは教養として、サラティス語の稽古もしており、話すのは問題ない。

 「街道を一回戻って、分岐点から東へ向かうんだ。本当に一人で大丈夫か?」 

 「なんとか……」


 「ま、一人でパウゲンを越えたほどだから、ラズィンバーグへ行くくらいは平気だろうけど、最近は盗賊も増えて物騒だよ。竜は、いま時期は滅多に出ないから安心して」


 「わかりました」


 「どっちにしろ、ラズィンバーグ行きの隊商が出るまで、待ってたらどうだい。うちは、宿代はいいんだよ。少し、宿を手伝ってもらえたら」


 ラッパートは、こんな器量よしが宿の仕事をしてくれたら、よい看板娘になってくれるだろうと期待したのだが、マレッティにはグズグズしている暇はなかった。


 「ありがとうございます。ちょっと急ぐので。大丈夫です。目立たないように、急いで向かいますから」


 防寒用フード付マントを厚くかぶり、マレッティは外見から何者かわからないほどに着こんで、登山用の杖を持ち、バソを出発した。バソからラズィンバーグまで、三日ほどだった。ひたすら尾根を横ぎってゆく。


 賊が多少現れても……いや、竜が現れたとしても、マレッティは切り抜ける自信があった。なんといっても、ガリアが遣えるのだから。


 そのガリアで、実の母親と双子の妹を殺し、有り金すべてをもってスターラを脱出したのがほぼ半月前だった。この時期のパウゲン越えは不安だったが、無理やり装備を整え、密かにストゥーリアを出てゴット村へ入り、天候が回復するのをじりじりと待った。通行証を持っていなかったので、一人は賄賂と、二人は身体を使って通行許可を得た。娼婦宿を飛び出してきたマレッティにしてみれば、どうということはない。


 心配なのは追手だったが、いまのところ大丈夫のようだ。


 が、油断はならない。サラティスではなくラズィンバーグへ行くのは、開放的な雰囲気のわりに城塞都市のサラティスは人の出入りがきびしく制限され、意外に隠れ住むには不向きだからである。町全体がスラムの塊のような、雑多な小規模工房都市ラズィンバーグのほうが、しばらくほとぼりを冷ますのにはよいと考えた。


 マレッティ、数えで十六の年だった。



 を冷ますといっても、何年も潜む必要はない。捜査機関も何もない世界で、ストゥーリアに留まるならいざ知らず、殺人とはいえ半年も過ぎればまず公的機関から追手が来ることはなかった。まして、要人の暗殺でも何でもない、ただの売春婦の尊属殺人で。


 あとは私的な復讐だったが、死んだ母や妹に自分以外の身内も郎党もないので、それもないだろう。


 問題は借財のほうだ。実家の商会が莫大な債務を残して破綻し、父親は自殺。母親は精神を病み、姉妹は遊郭へ売られた。十三から客を取り、約三年、歯を食いしばって耐えたが妹は発狂した。


 抱えきれないので二人とも殺した。

 借財は、たっぷりと残っているはずだった。


 だが、行方しれずや死人から取り立てるほどグラントローメラも暇ではないし困ってもいないはずだった。ストゥーリアにさえ帰らなければ。


 (だから……ラズィンバーグへ行きさえすれば……)

 マレッティは必死だった。

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