第395話 蝸牛の舌 7-2 風向き

 おもわず、ラカッサの表情が緩む。それが、真の目的だ。この村を裏で支配する肉乳にくにゅう皮革卸ひかくおろしの組合。その長の権利を力ずくでダブリーから奪い、村の支配者になるのが最終目標だった。遊んで暮らしているのも確かだが、この半年で村の仕組みを調べあげ、誰を倒せば村を乗っ取れるか、ラカッサは周到に研究していた。そのうちに、ニアムが行方不明となり、雲行きが怪しくなってきたので、焦ったのは事実だった。その焦りもあって、


 (こいつ、うまい具合に向こうから転がりこんできた……)

 と、ラカッサが思ったのは無理もない。


 「ま……そうですね。それならば、こちらも考える余地があります。我々がどういった立場で村の行政に参加でき、どの程度の報酬が約束されるのか。まず、そこから伺いたい」


 ラカッサは、ニアムが行方不明というのを悟られないよう注意しながら、ダブリーからなるべく良い条件を引き出そうとした。さすがに、この一年近くダブリーとやり合ってきただけの政治力がある。そうでなくば、とてもダブリーを倒して村を乗っ取ろうなどとは思わないだろう。


 「わかりました。まず、私の考えですが……」


 ダブリーはあらかじめ考えていた、もっともらしい条件を少しずつ出して、ラカッサと交渉を始めた。


 午後から雨になり、夕刻近くまで、二人は談合した。


 ラカッサが、悪くない話だったと思い、少し上機嫌でパウゲンの夜明け亭へ戻ったころには、とっくにベルケーラとクレールが森の片隅に埋められていた。



 「おい、ベルケーラ、ちょっと風向きが変わってきたようだよ」

 部屋へ入って、そう呼びかけるも、誰もいない。

 「ベルケーラ?」

 トイレかとも思ったが、いない。風呂かと思って温泉へ行ったが、泊り客しかいなかった。

 「おい、ベルケーラを知らないか!?」


 宿の支配人を呼びつけ、誰何すいかした。支配人は顔の表情をほんの少しだけ、たまりかねるようにして喜悦に歪ませ、


 「ラカッサ様がお出かけになられてから、すぐにベルケーラ様もお出かけになられました」


 などと云う。ラカッサは色めいて、

 「ど、どこに行ったか聞いてないか!?」

 「さあ……」

 「本当か!?」

 「本当ですとも」

 ラカッサはしかし、老年の支配人の細い腕をつかんだ。


 「何を隠している……正直に答えろよ……!」

 「な、なにも隠し事など……」

 「様子がおかしいと思ったんだ……あの村長がうまい話などと……」

 ラカッサの顔が、怒りと後悔にひきつった。二人で村長のところへ行けばよかったのだ。

 恐怖も相まって、支配人が半笑いとなった。長年の鬱憤が、つい、出た。


 「……ふ、ふふ……お前たちもここまでだ……さんざん好き放題にしやがって……バソ村を甘く観るなよ……適当に遊んで、頃合いを観計らって素直にサラティスへ帰っていればまだよかったんだ……」


 「なんだと……!」


 「こいつ、村を牛耳ろうなどと大それたことを考えなければ……いい眼を見て、命も助かったものを……」


 すると、既にベルケーラも。


 ラカッサは怒りをなんとか抑え、支配人を突き飛ばした。老年の支配人がよろけて、足元を乱し、腰から砕けて後ろに転んでしまった。そのまま、後頭部を柱へぶつけ、床に横倒しとなった。


 「ちくしょう、どうするか……」

 ラカッサは焦りで支配人へかまう余裕がなかったが、給仕の悲鳴で我へかえった。

 支配人、苦悶の表情もなく、床へ横たわったまま、ピクリとも動かない。


 「ま……まさ……」

 ラカッサの全身から、冷や汗が出た。

 「だ……誰かーッ、人殺しーッ!!」

 「ま、まて!」


 給仕が転がるようにして行ってしまう。ラカッサは慌てて支配人を助け起こしたが、打ち所が悪かったようで、本当に死んでいる!


 「しま……!」


 もう、他の泊り客や、従業員、そして、パウゲンの夜明け亭の主人であるリデルがドカドカと足音を鳴らしてやってくる。


 「こいつ……!!」

 床へ片膝をつけ、動かない支配人を抱えたラカッサを見て、リデルが息をのんだ。

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