第382話 蝸牛の舌 2-1 ドレイソ

 当たりが良かったのか、早々に竜を退治でき、バソ村では安堵感に包まれた。

 彼女たちがああだこうだと云って、いつまでも村に居座るまでは。



 二十四歳の村の青年、ドレイソは、肉屋の徒弟だった。この畜産村で肉屋は、ごくごく当たり前の職業であって、ハムやソーセージなどの加工肉製造職人と兼務する者も多い。ドレイソはバソの生まれだったが十四のときに村を出てストゥーリアへ行った。最初は製鉄工場で働いたが、剣術を習い、十九歳で衛視としてグラントローメラ商会に雇われた。ゆえあって、二十二の時にバソへ戻ってきた。戻ってから、遅まきながら肉屋の修業をはじめたという、変わり種だった。


 とうぜん、村人の評判は、あまりよくない。


 若衆の中でも、いまいち孤立している。もう独立して親方になっている幼馴染もいるほどだから、あたりまえだった。


 ドレイソは今日「しめる」予定の肉牛を、農家より預かって店まで曳いているときに、遠目にラカッサがダブリー村長と話しているのを見た。ラカッサ達はこの一年近く村で一番の宿の最高級の部屋で好き放題にうまいものを食い、酒をのみ、温泉に浸かって遊び呆け、すっかり丸くなっていた。じっさい、竜をこの九か月で三頭、撃退している。……したがって、まるで無駄に滞在しているわけではない。しかし、最初に少々の被害があろうと、サラティスまで依頼をしに行ったほうが安上がりになっていた。それほど、三人の滞在費は嵩んでいる。


 (ま、おれには、関係ない……)

 冷めた目つきで、ドレイソはラカッサを見た。

 (ガリア遣いめ……)

 胸に思うものがないわけではない。いや、ドレイソはガリア遣いをむしろ憎んでいた。


 毎日、十歳近くも年下の同輩に紛れ、あまり歳の変わらない親方や年下の徒弟の先輩にこき使われている状況に、鬱憤鬱積がないわけではない。いやむしろある。しかし、都落ちしたドレイソは、完全に負け組だった。こんな大の大人を徒弟として拾ってくれた親方に感謝する心くらいは、持っているつもりだった。それがなくば、実家で無職の引きこもりだ。この世界の、あまつさえ竜の跋扈ばっこするこの時代で無職の厄介者など、どんな都市政府の上官の子弟にもいない。ましてこんな辺鄙な村では、子供ですら働いている。


 牛をのんびりとく姿に、村人は、特に年配者は気を使って挨拶を欠かさない。状況を心配してくれる者もいる。だが、それは自分を警戒し、監視しているのだとドレイソは分かっていた。また、軽蔑の視線もある。そりゃそうだ。自分の息子だったら恥ずかしくて、表を歩かせられぬだろう。


 ドレイソの父親は寡黙な鍛冶職人で、黙々と農器具を作っている。母親と弟はそれを手伝っている。家事一切は弟の嫁の仕事だった。子は一歳の息子がいた。ドレイソの甥にあたる。弟と嫁は、触らせもしない。姉と妹は嫁に行った。そもそも実家の鍛冶仕事を嫌って家を出たドレイソに、弟の下で徒弟に入る選択肢はなかった。家の敷地内の納屋に住まわせてもらっているだけで御の字というところだろう。


 そんなドレイソが、親方を通じてダブリー村長に呼ばれたのは、数日後だった。

 「親方、なんでしょう」


 達観したように無表情で、無気力な声で、呼ばれたドレイソが親方の部屋へ行くと、村役場の人間がいた。


 「村長が呼んでいるそうだ。午後の仕事はいいから、役場へ行け」

 「はい」


 訝しがる様子も見せず、無表情でドレイソは答えた。どうせ益体もない雑用だろう。肉屋だろうが、役場だろうが、自分にできることはそれくらいだとドレイソは思っていた。


 役人と共に役場へ行くと、村長室へ通された。ダブリーがいた。やや太っているが精悍な顔つきと体つきで、さすがに迫力と貫祿がある。髪も濃い。歳は五十三くらいのはずだった。父親より少し下というくらいだ。互いに、親しくもないが、知らない顔ではない。


 「ま、座れ」


 応接椅子にドレイソを座らせ、ダブリーもその向かいについた。竜角製の手作りバイプに火をつける。


 「ドレイソ、おまえ、ストゥーリアで衛兵をやってたって、本当か」

 「ええ。グラントローメラで」

 「剣術を修めたというのは?」

 「アーレグ流を、いちおう、師範代の資格まで」


 何の話か。この村で、それが何の役に立つというのか。ドレイソはようやく、顔を不審げにゆがめだした。


 「そんな顔をするな。仕事がある」


 「あのガリア遣いたちに代わって、竜を退治しろなんて云うんじゃないでしょうね。無理ですよ」


 「わかってるよ、そんなことは」

 ダブリーが嘆息交じりに手と首を振った。

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