第377話 第3章 6-2 凍りつくホルポスと響きあうカンナ

 炎が渦を巻いて空中に陣を作り、グルグルと回りながらホルポスの氷を融かしにかかったが、まるで効果はなかった。さらに呪符を発し、連続して炙るも、やはりあまり効果は無い。三度目の呪符火炎乱舞にも、まったくホルポスは蘇生しなかった。


 「やんぬるかな」


 パオン=ミは半ば愕然とホルポスを見つめた。純粋な人間のガリアの力だけでは、どうしようもない。ホルポスの凍りつきかけの美しい顔より、涙が一筋零れ落ち、たちまち悲しい宝石と化して頬へ張りつく。


 「ああ……!」

 ボルトニヤンが、がっくりとうなだれた。

 「そこをどけ、ボルトニヤン」


 振り向いて、ボルトニヤンもパオン=ミも息をのむ。荒く息をつき、残った左腕で右肩を抑え、左目の潰れた傷だらけのシードリィが立っているではないか。


 「ど、どうするつもり、シードリィ!」

 「しれたこと……わが命と引き換えに……ホルポス様をお助けする」

 「どうやって……いま、むやみに触れたら……」

 「嘆いて見ているだけで救われるというのか!?」


 シードリィが、左手をホルポスへ向けた。超振動が発せられる。それによる熱が、ほぼ全身を覆い尽くしかけているホルポスの凍結化を、ほんの少しだけ緩めた。


 シードリィの顔がゆがむ。せめて、せめて両手があれば……。

 「うああああ!」


 シードリィの雄たけび。こめかみの血管が切れて血が噴き出た。酷使した左手はもはや限界に近く、自らの超振動で自らの肉体が崩壊しはじめる。


 「シードリィ!!」

 ボルトニヤンが泣き叫んだ。

 「もう……我が眼前で……カルポス様のお子を……死なせはせぬ……!!」


 シードリィ、悲壮な表情のまま、もはやこれまでと、全身より振動を発してホルポスへ抱きつかんとしたそのとき、一同の耳をまるで神の啓示がごとく福音が包んだ。


 「…………!?」


 その目へ、幻の後光すら見えかねないほどに、はるか上空よりその音は重層的に響いてきた。圧倒的に周囲を包みこむ、ふくよかな音響。慈悲と慈愛に満ちた、心を満たす音感。そして気づく。これは、ホルポスの竜毛絃りゅうもうげん幻像げんぞうきん小箜篌こくごと同じ、完全なる五度の和音による、鄙びた旋律を奏でている。


 「な、なんたる耳福じふく……!!」

 パオン=ミが、思わず天を見上げる。そして感嘆の声をあげた。


 ゆったりと降下して来たのは、カンナだった。その手にあるはずの雷紋らいもん黒曜こくよう共鳴剣きょうめいけんは、二股の長槍のようなものへ変化している。剣身が柄元より半分に割れ、さらに細く伸びている。柄も槍か長杖のように伸びている。二股に分かれた剣身の合間を、電光が走っている。カンナも稲妻を帯び、プラズマが翼のように背中より羽ばたいて見えた。その目は、眼鏡の奥で、変わらず蛍光翡翠に輝いている。


 「なんと、自在に変化するガリアとは……」

 パオン=ミ、そのようなガリアは、聞いたことも見たことも無かった。

 「しかもあれは槍ではない!」

 それは、音叉だった。


 雷紋黒曜共鳴剣は、巨大な音叉となって、ゆっくりと連続する五度の音程を上下に、懐かしげな旋律を発していた。


 「ホ、ホルポス様!!」


 ボルトニヤンが叫んだ。カンナの音に包まれて、ホルポスの力が沈静化されてゆく。凍結を封じるのではなく、ホルポスの力そのものを鎮めていた。


 氷が融けて、ホルポスは次第に元の姿を取り戻した。完全に白化していた髪が、黒く艶やかに戻りだす。


 カンナは、天使か神にも見えただろう。自然と、氷河竜が頭を垂れて平伏する。ホルポスの前にゆったりと降り立ったカンナは、右手にガリアを持ったまま、膝を折って、ホルポスを優しく抱きしめた。


 「おお……!!」

 バグルスたちが、その眼より涙をあふれさせた。


 まだその三分の二ほどは寒々しく氷結し、触れると火傷をするというのに、カンナはかまわず抱きしめ続けた。


 ホルポスの肉体は、少しずつ、少しずつ融けていった。

 日差しが心地よい。

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