第222話 風呂無し

 風呂が名物であり習慣のサラティスを出て、バソ村、そしてパーキャス諸島においてもたっぷりと温泉に浸かってきた。それが、スターラでは湯に浸かる習慣そのものがないというのはマレッティから聴いていたカンナであったが、いざそう念を押されると、あからさまに嫌そうな面構えとなる。独特の長い黒鉄色こくてつしょくの髪を後ろで馬尾にしばり、漆喰めいた白粉おしろい肌と丸い水晶レンズのメガネが火を反射して、オレンジに光っている。そのメガネの奥には濃い翡翠色の瞳がある。これこそ、どこの民族部族とも異なる彼女の特徴だった。人々は、しかし、世の中には見たことも無い人種がいることを知っているため、最初こそは驚くが、きっと彼女の出身であるというウガマールのジャングルの奥地には、人知れぬ神話の時代より続く古代の部族がまだ生き残っているのだろうと勝手に想像し、納得して、いずれ気にしなくなる。この町でもそうだった。


 そのカンナ、風呂が無い生活というのを考えることすら恐怖に感じてきた。それほど、ウガマールからサラティスにきて、風呂に馴染んでしまった。加えて、これからこの寒空を十日も野ざらしで歩き、スターラまで行かなくてはならない。それも憂鬱だ。


 「やっぱり、お風呂が無いのはいやです。……それと、マレッティ、ストゥーリア語って……どうなの? 難しい?」


 「難しくは無いわよお。もともと古代サティス語から別れた言葉だし……発音や単語がちょっとちがうだけよお。云い回しとかね。一か月もいれば慣れるわよ。そうだ、ウガマール語より簡単よお」


 「そうなの……」


 カンナは不安げに黙りこんだ。マレッティに教えてもらおうとも思ったが、何かがひっかかってそれを口に出せない。マレッティとの距離は、離れもしないが絶対に近づきもしない。


 「二人とも、隊商の護衛の話は、どうなんだ!?」

 答えを出さない二人にアーリーが少し苛ついた調子で迫ったが、

 「イヤにきまってんでしょ、そんなもの!!」


 マレッティが青い眼をつりあげてつばを飛ばした。その濃厚な長い金髪が、暖炉に当たって橙色に光っている。


 「これ以上、面倒事はごめんだわ!」

 マレッティは歌鼻っ面を歪め、むっつりとそれ以上は頑として口を開かなくなる。

 「カンナはどうだ?」


 ここのところ、アーリーはよくカンナにも意見を求めるようになった。ようやくカンナを対等の仲間として観るようになった……とも考えられ、カンナは密かにうれしかったのだが、だからと云って、うまい判断ができるほど経験がないのも事実だった。


 「どうせ同じ方向に行くのなら……という気もしますけど、分かりません。それより、アーリーさん、ストゥーリアにはお風呂が無いって……」


 「風呂は無くとも工房都市だ。火と湯は、それこそ嫌というほどある……。湯浴み程度ならできる宿を手配するから、しばらくそれで我慢しろ」


 「そんなにお湯があるのに、お風呂に入る習慣がないなんて」


 「寒いからよお。排水設備も悪いし、すぐぬるくなって湯冷めしちゃうわけ。でも、もっと北の村じゃ、蒸し風呂があるところもあるわよ」


 「蒸し風呂ってなんですか?」

 「蒸気で暖まるのよ。悪くはないわよ」

 「へええ……」

 「おまえたち、風呂の話はいいから」

 「だから、あたしはイヤだって云ってるでしょ、アーリー!」

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