第160話 湯の密談

 「こんな時間に、おれら以外だれもこねえよ。妙なのが来たって、おれたちにゃガリアがあるだろ? ちいせえことで心配すんな。ほら、石鹸だ。ウガマール産だぞ。おれはこう見えて、きれい好きなんだ。歯も磨けよ。温泉水を使んだぞ」


 ランタンを壁にかけ、素早く服を脱ぐとバルビィはカンナへタオル、石鹸、竜の毛の歯ブラシと真鍮のカップを差し出した。金属の入れ物に入った歯磨き粉は、塩と香料と貝殻を小麦粉のように細かく砕いたものでできた粉だった。


 バルビィの見るからにひきしまった浅黒い肉体はしかし、ほどよい脂肪に包まれ、完全に着痩せしていた胸元や尻周りの豊満さはマレッティの比ではなくカンナは驚いた。しかしそれより驚いたのは、その見事な乳の左側、脇腹、さらに背中と腰、右の太股にある竜に引き裂かれたような傷痕、そして数えきれない火傷や抉られたような痕、傷を縫った痕、そして何気なくとった眼帯の下にあった、ぽっかりと空いたかつて右目のあった穴だった。瞼も引き裂かれて、ひきつっている。眼は、かろうじてつむることができるようだった。


 いったいどれだけ人や竜と戦ったら、このようになるのだろうか。カンナは震えてきた。服を脱ぎ、メガネをとってなるべく見えないようにした。すきま風が冷たい。


 「おまえさん、ほんとに白いな。ギロアのやろうも白かったけど、おまえさんはそれ以上だぜ。ウガマールの高い日焼け止めでもぬってるのか? おれにも教えてくれよ。ほとんど毛もはえてねえしよ。つるっつるじゃねえの」


 カンナは答えることができずに、ただ恥ずかしくて身をよじるだけだった。それがバルビィには寒がっているように見えたのか、その手を取り、風呂場へいざなうとかけ湯をした。


 無言で髪や身体を洗い、歯も磨いて、それからゆっくりと風呂へ入る。狭いが、四人は入れる大きさだった。湯の温度もちょうど良い。透明な温泉の具合も、骨にしみる。


 「いやあ、生き返るねえ。これだけが楽しみよ」

 それからまたしばし無言で湯に浸かっていたが、やおらバルビィが云った。


 「……カンナちゃんよ、よく聴いてくれや。おれはな、自分より強いやつとは戦わねえのよ。それが、こんなチンケなガリアでいままで生きてこれたコツだ。おれは、あんたとたったの一回やりあって、あんたにゃかなわねえと思った。いや、云うな。おれの実感をあなどらねえでくれ。それで、頼みってのはよ……ギロアのやつをぶっ殺してくれねえかな」


 「ふぇえッ!?」

 カンナは湯の中で硬直した。


 「そうしたらよ、おれはカネだけもらって、こんなところとはおさらばよ。二年近くもこんな場所にいる身にもなってくれや。まるで島流しだぜ。あ、おれを見逃すのを忘れるなよ」


 「そんな……無理です……無理無理。絶対むり」


 とたん、ゲブルァハハハハ! と、独特の巻き舌っぽい発音でバルビィの哄笑が浴室に響く。竜の国の言葉の発声なのだろうか。


 「あんたは、自分のガリアに自信を持つ以前に、自分のガリアのとてつもなさに心のどこかで気づいてて、それを怖がってるんだ。そう怖がるなよ。自分のガリアは、自分だぜ? なあに、あと五十人もぶっ殺したら、なんともなくなるさ」


 「いやいやいや」

 殺し屋といっしょにすんな。思わず心がささくれ立つ。

 「じゃあ、竜が百匹だ」

 見透かされていた。カンナは何も云えなくなった。

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