第112話 鏡の死

 街へ出て衣服屋で北方行のための装備を買い揃えようとしたが、まだ塔の外に出るのがはばかられたため、下女に云いつけて、適当に外套や下着を含めて厚手の衣服を買った。後に思えば、それが今回の旅の大きな転換点となる。


 現に、下女が買ってきた北方用の衣服を見ても、いまいちピンとこない。いまここで着こんだら暑そうだな、というだけだ。


 出発予定の四日後まで、カンナはただ部屋で寝て過ごした。

 一方、マレッティは……。



 ふだんは信用ある貸し金庫へ隠してある金属板の鍵を用意し、自室の、暖炉横の石壁の隙間へ差し入れる。石壁が自動的に開いて、狭い隠し階段が現れる。入ると思わせて、やおら厳重に玄関ドアまで戻り、部屋の外に誰もいないこと、それから塔の窓の外まで確認し、ようやく素早く隠し階段へ身を踊らせた。


 完全に扉を閉めると、中はまっくら闇となる。ガリア「円舞光輪剣えんぶこうりんけん」の光を集め、明かりとしてゆっくり螺旋隠し階段を下りる。


 やがて塔の地下へたどりつき、地下通路を歩きだす。通路は長く続き、次第に天然の洞穴へ至る。サラティスの地下を流れる地下水脈の一部が、こうして地下浅いところを流れ地下河川と地底湖を作り、天然の地下迷宮を都市の下に作っている。


 サランの森の真下辺りに着いたころ、とある窪みにマレッティは入り込んだ。地上のどこかに通じており、月光めいて明かりが差し届いている。


 「あっ……!」


 マレッティが声を上げた。鎖につながれ、死人のようになってはいるが寄生竜の力で死にながら生きていた、遠隔連絡のガリア遣い。マレッティですら名も知らぬ、ましてやなんという銘のガリアなのかも知らない、サラティス攻略竜軍総司令のデリナと連絡をとるためだけに捕えていたガリア遣いが、死んでいた。肉体はもともと半分屍蝋化していたが、完全に固まっている。胸が内側から大きくめくれ上がっており、寄生竜が逃げ出したのだと分かった。


 これは、マレッティからデリナへ連絡をつけるために利用していたもので、デリナからはまた異なる様々な方法でいつも連絡が来る。その後、改めてマレッティからデリナへこのガリア遣いを使用して連絡を入れる。


 今回はあれから三か月たっても、何も云ってこないうちに北方行が決まったので、せめて報告だけでもと久しぶりに訪れたのだが。


 「……どうして……?」


 寄生竜は、半年は何も食べさせなくとも平気だ。そのために、三か月前にたらふく食わせた。したがって飢餓のためとは考えられない。もしかしたら、宿主がもう限界だったのだろうか。それとも他に理由が……?


 マレッティは竜退治の専門家だが、竜の生態研究の専門家ではないので、まったく分からなかった。


 まさか、デリナが何らかの方法で、自分と連絡をつけさせなくするために……? 一瞬、そう考え、マレッティはじっとりと冷や汗をかいた。この、吐く息も白い冷たい洞穴の中で。


 だが、考えていてもしょうがない。事情は分からない。とにかく、旅より戻ったら、新しい連絡方法を考えなくては。


 マレッティは汚物を見る眼で、かつて自らが捕え、目も当てられぬほどに変わり果てたガリア遣いである少女の死骸を見下ろすと、踵を返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る