第111話 出発準備
黒猫とは、カルマの塔の一切の経理を担っている女性のことである。いつも一階のホールにいて、ひたすら書類を作成している。
「はあ? あの女にい? ちょっと、なに云ってるの?」
「黒猫は、実はコーヴ級のバスクだ。いや……ほぼカルマと云ってもいい。彼女にコーヴ有志の統括をまかせる。なんだかんだと、大金をつめば動いてくれる者もいる。たとえバグルスが来ても、一匹、二匹ならば大丈夫だ」
アーリーは、変なところで現実的だった。
「お金で解決ねえ……ま、いい考えかもねえ。だけどお、あの書類書きがバスクだったとはねえ……カンナちゃん、知ってたあ?」
「えっ、あ、う……」
フレイラと云い合ったあの決戦前夜。たしかにカンナは黒猫の蜘蛛の糸のようなガリアを見た。しかし、すっかり忘れていた。なんと答えればマレッティの気分を害さないか考えている内に、マレッティは気分を害したようだ。
「知ってたんだあ。来たばっかりなのにねえ。へええ、ひとっこともないのね」
「あ、いやその、す、すみ、すみま、すみません……」
「あなたって、抜け目ないわよね。何をどれだけ知ってるのか、得体が知れないし……」
「そっ、そんなこと……」
「べつにいいけどお!」
カンナへ抱きつき、マレッティはいつもの割れ鐘めいた高い笑い声を発した。カンナは背筋が凍りついた。鳥肌がたつ。
「では、準備をしておけ。長旅になるぞ。少なくとも来春までは戻ってこない」
「はあい」
アーリーが螺旋階段をおりてしまってから、マレッティはカンナを素っ気なく突き放した。そして、無表情のまま何度も大きく息をついて、アーリーの後に続く。カンナを見もしない。
カンナは語りかけようと口を開きかけたが、それ以上口が開かなかった。何かが、マレッティへ語りかけるのを制止した。
それが何かは分からない。
長旅の準備は得意だった。そもそも、カンナはウガマールから一か月かけてここにきた。船便をうまく使えば、ウガマールからサラティスまでは速くて七日で到着するので、四倍の時間がかかったことになる。理由は、早船に乗る金が無かったのでひたすら歩いてきたからだ。護衛のつく隊商にも参加せず、一人で歩いてきて、よく無事だったとカンナは自分でも思った。途中で盗賊だの、竜だのに一度も遭遇しなかった。運がよかった。
一人で歩いてきたのは、無関係の者が旅の安全を確保するために隊商へ同行する、気持ちていどである些少の同行料すらも無かったからである。可能性の鑑定料のみが、持ち金の全てだった。その可能性鑑定で、まさか自分が驚異の……いや、狂気の99であるとは、黙然として街道を歩き続けていたころには、夢にも見なかったが。
身体は粗食に耐えるように生きてきたし、食おうと思えば虫など平気のカンナだった。ウガマールの奥地では、昆虫は重要な食料であった。
したがって、長旅の用意といっても、頑丈な衣服と金銭以外、ほとんど用意するものがない。街道沿いを北上すると聴いていたし……気がかりなのは、未体験の寒さのみだ。
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