第80話 撤退

 「……そうはさせん!」


 デリナがドレスの裾を翻して飛びかかった。ガーン! 黒剣が鳴ったが、デリナがかまわず槍を打ちつける。また黒いもやが出て、染みとなったが夜の闇で分からなかった。穂先の近くに彫刻された竜の骸骨から、そのもやは染み出た。


 「……ええいっ!」

 「いやあ!」


 二人が剣と槍を打ちつけ合う。バッツと電光が飛び出る。デリナは顔をしかめ、一足でその雷撃から後退った。カンナの追撃。横殴りに黒剣を叩きつける。デリナが黒槍でそれを弾いた。また、靄が出る。穂先を返して突きつけるデリナの攻撃を、カンナは避けて下がった。振りかぶって稲妻をまとった剣撃。これはデリナがその剣先へ槍先を合わせつつ素早く下がった。デリナが連続で突きを見舞うが、その速度はカンナが受けられないものではなかった。デリナの槍からまた黒いもやが出て、二人とも構え直す。二人は、しばしお互いに攻撃をし合っては順番にそれを受け合った。


 少なくとも今の二人は、手練の戦士が端から見ていたら、訓練か遊んでいるかのどちらかに見えただろう。しかし、カンナが必死の形相で剣を振るっているのに対し、デリナはにやにやして、じっさいに遊んでいる。明らかに本気ではない。


 「ハアーッ、ハアーッ」


 カンナの息がみるみる荒くなる。気のせいか、目がかすむ。不気味に笑うデリナが二重、三重に見える。これは緊張なのか、疲労なのか?


 視界の向かって右側にはマレッティの光が明滅して、猪突や山嵐の炎が照り返す。左側にはアーリーの炎が吹き上がり、バグルスの叫声が轟く。さらに、巨大な気配が闇を押しつぶして動いた。大王火竜が山のような巨体を動かし、轟然と猛火を吹き下ろした。バグルスの他に、駆逐竜も結集してアーリーを取り囲んでいる。二人とも、いつまで持つだろうか。自分が速くデリナと結着をつけなくては。そんなことができるのならば、だが。


 (な……なんだろう……眼が……眼……息が……きもちわるい)


 黒剣が急速に鳴りをひそめ、稲妻が小さくなる。カンナのただでさえ白い顔が、さらに白くなる。目の下へ豪快に隈ができており、口の端から泡が吹き出ていた。デリナがひょいとその穂先で黒剣を払いのける。カンナはがっくりと膝をついた。はね飛ばされたガリアが、そのまま消え失せた。夜の闇に、デリナだけが浮かぶ。デリナはカンナの前に立ち、その槍をうなだれる胸元へ突きつけた。


 「バスクス……意外と他愛なかったのう」

 楽しげにデリナが声を出して笑った。


 そのデリナの鼻っ面に、何かが当たって破裂した。非常に細かい粒子が飛び散る。凄まじい刺激臭がして、デリナは猛烈な痛みとクシャミに襲われた。眼を抑え、鼻をこする。何者かが目潰しを投げつけた!


 「こっ、小癪こしゃくな……!!」

 クシャミと涙と鼻水が止まらない。デリナはたまらずよろめいた。


 とたん、カンナの気配が消える。姿も無い。デリナは竜を呼び寄せたが、クシャミでうまく号令を発することができなかった。


 さらに、少し離れた場所から夜空に向かって何かが飛んだ。弓矢か? それが大きな甲高い音を立てて飛ぶ。鏑矢かぶらやだ。


 それは、撤退の合図だった。

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