第52話 湯あたり

 「ますます分からないわよ、そんなの。塔には、顔も知らない人がたくさんいるし」

 「大丈夫、大丈夫」

 「あなた、そんなに凄いのなら、自分でやったらどうですか」


 「いやいやいや……さしもの拙者も、カルマに忍びこむのは骨が折れます。それに、拙者の身体はひとつしかありません。いろいろと他にやることが、あ、る、の、です……」


 マラカは笑みを崩さない。嬉しそうにカンナの肩へ頬ずりをする。そして頬ずりしつつ、脇の近くに鼻をうずめて匂いをかいだので、カンナが反射的に身をよじる。


 「いや、ちょっと待って、何を……なんなんです、あなた」

 「カンナどのは、まだまだ強くなりますよ。あの黒い剣と共に、成長します」

 「……だといいですけどね」


 余計なお世話だった。しかし、早急に黒剣と自分の関係を考え直さなくてはならないのは事実だ。ガリアと、自分の。前のままでは戻れない。


 「分かりました。がんばってもっと強くなって……カルマに戻る。それでいいんでしょ?」


 「けっこうけっこう、たいへんけっこうです。アートどのには内密に……巻きこんでは迷惑をかけます。カルマへ戻ってからの指示は、おって、し、ま、す、から……」


 そう云うと、マラカは手慣れた手つきでカンナの両膝を押し広げ、と身体を重ねた。


 「……白い肌……ふつう、白い肌の人は、温まると赤くなるものです。でもカンナどのは雪のように白いまま……まるでバグルスのよう……」


 そして、犬みたいにペろりとカンナの口をなめた。

 カンナは驚きを通り越して、恐怖で硬直した。

 「ちょ……な、なんなの!? さっきから、あんたの部族の習慣かなにか……!?」

 マラカはそんなカンナの顔をみつめて目を細め、さもうれしそうに、


 「この匂い……この味……覚えましたぞ、カ、ン、ナ、どの」

 シャ、シャ、シャ、シャ、と笑って、湯も揺らさずにその場を去った。

 カンナは云われたことを反芻するだけで一刻を要し、完全に湯あたりした。



 「ただいま~」


 ふらふらしながら戻ってきたカンナを見て、クィーカは何がそんなに面白いのかというほど笑い転げた。単純に、湯あたりして戻ってきたのが面白いらしい。


 「一体どれだけお湯に入ってたんですかあ~、ふごふごふご……!」

 腹を抱えて椅子から転げ落ちる。

 「めしはなんにしようか?」


 アートは気にもしていない。カンナはマラカのことを話しそうとしたが、やめた。情報を洩らして、何をされるか分からない恐怖が先だつ。


 「あんまり食欲ない……少しでいい」

 「はやく寝ろよ」


 カンナは雑穀粥を作ってもらって軽く腹へ収めると、早々に納戸を整理した狭い自室へもぐり込んで寝てしまった。あの広いカルマの塔の部屋に比べると、物入れのような面積だが、なぜかカンナは塔より心地よかった。



 翌日からカンナは裏手の空き地で、一人でガリアと対峙した。風を受け、陽光に照らし、ウガマールで習った剣の形をやり、また剣をひたすらみつめ、何かを感じようとした。剣と共鳴しようと、朝から晩までそれこそ一日中、雷紋黒曜共鳴剣らいもんこくようきょうめいけんと向き合った。


 四日目にして、何も感じず、ただの一回も剣は鳴らなかった。

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