第243話 瑠璃色の空

 空が瑠璃色に染まっていた。

 全ての力を出し尽くし、一歩も動けない状態だ。敵の腹の上で寝転がって、警戒心が無いどころの話ではないが、動けないのだから仕方ない。目だけは開けていられたから、ただただ、明るくなっていく空を見ていた。

 視界の端に、近づいてくる何かを見つけた。これが信者共なら僕は終わりだ。反撃する気力も無い。無抵抗のまま殺されるだろう。

 そうはならなかった。近づいてくるのは、よく知った顔だ。その顔が、嬉しそうな、泣きそうな顔をこっちに向けている。

「タケル!」

 彼女の声が聞こえた。返事をしようとしたが、声が出ない。返事が返って来ないことで、彼女の顔の泣き割合が増加した。泣き七割喜び三割ってとこか。

「タケル!」

 もう一度彼女が僕の名を呼んで、僕の体を抱きかかえた。

「よ、う・・・」

 その一言を返すのでも精一杯だ。だが彼女には充分だったようで。

「もう、馬鹿!」

 全力で抱き絞められた。ぐ、ぎ、い、痛い、無茶苦茶痛い! 全身の傷口同士が擦れ合って、痛いぼろ雑巾を絞ると余計にボロボロになる、あれと同じ原理だ。制止の声も出ないほどだ。

「何であなたはいっつもいっつも空から落ちてくるの?! 学習能力ないの?! それともお約束?! 守らなきゃいけないルーティンなの? 天丼? 天丼なの?!」

 適当に教えたお笑い用語を連発する。学習能力が高くて何よりだ。

「誰が、好き好んで空から落ちるんだよ・・・」

 かすれた声が漏れた。腹を絞められてるから、横隔膜を動かさなくても肺から空気が出てくるからだろうか。あ、ダメだって、そんなに締め付けたら、死ぬ・・・。僕の青い顔は、彼女には見えない。

 しばらく力の限り抱き付いて、ようやく僕が虫の息だという事に気づいたクシナダが慌てて体を放し、息を整えられた。クシナダに肩を借りてゆっくり立つ。

「終わった、のよね」

 横たわる、足元のティアマットを見下ろしながらクシナダが言った。

「多分」

「多分って何よ。そこはハッキリしてよ」

 僕だってハッキリさせたいところだが、何せアジ・ダハーカの前例がある。あの時も首を落としたにも関わらず、中でドゥルジが生きていたり、悪魔の欠片はそのままだったりで完全には死んでいなかった。

 かといって、疲れきっている僕にどうしろと。ようやく自分の足で立てるようになったが、それでもフラフラだ。風が吹いたら倒れる自信がある。

 せめて視線を動かして、異変がないかを確認していたら、目の前でティアマットの腕がもげた。もげた箇所からサラサラと分子結合がほどけていくように崩れていく。次いで足、首と胴体から離れた箇所から失われ、徐々に僕たちのいる体の中心に向かって崩落が近づいてきていた。

「掴まって!」

 クシナダが僕の体に手を回した。力の入らない腕を懸命に彼女の首に回して不恰好に抱きつく。クシナダがティアマットの体を蹴って浮かび上がってすぐ、僕たちがいた場所も崩落した。

「崩れたって事は、流石に死んだって事、でいいのよね?」

 他の信者たちも同じように崩れていったし、とクシナダは続けた。その辺り良くわからないんだけど、そうなの?

「うん。ティアマットが落ちていくところを見た辺りから、信者たちは次々と、今みたいに崩れて消えてった」

 信者たちはティアマットのエネルギーを受けて今の姿に変質した。彼らの信仰心はティアマットに流れて、ティアマットは更に強力になって彼らに力を送る、循環型エネルギーサイクル風味になっていた。信仰心、ティアマットを崇め奉り神聖視する感情だが、もしかしたらその神聖視していたティアマットが落下した事で、一気に失われたのではないだろうか。有名人がスキャンダルで一気にファンを減らすような、あんな感じで信者から信仰心が失われた。信者からの信仰心の供給が失われたからティアマットの力は失われ、ティアマットから信者たちへ還元される力もまた失われたってところか。還元型サイクルは、滞ると全てが悪循環に陥るものだ。

 遠くで僕たちを呼ぶ声が聞こえた。思考を止め、声の方を見ると、こちらに向かって近づいてくる軍団がいる。先頭にいるのはトウエンとライコウ、後ろにタケマルか。隣に居るのはアンドロメダにメデューサ、ドゥルジ、クルサ、ウルスラ。勢ぞろいだ。

 彼らを見下ろしていた僕の上空を、高速で戦闘機が飛んで通過していった。あの飛び方はカグヤだろうか。

「随分と、派手にやられたみてえだな。ざまあねえ」

 後ろから声をかけられる。肩越しに振り返るとミハルがいた。彼女が乗っているのは随分と成長したライザだ。僕にそんな口を叩いてはいるが、彼女たちだって負けず劣らずボロボロだ。

『母上。我らもタケルとそう変わらぬぞ』

「喧しい!」

 親子漫才も、相変わらずのようだ。

「生きて戻ったか」

 ふわりと近づいてきたのはルシフルだった。

「あんたも、来てたのか」

「ああ。リャンシィにリヴ、あの戦いでお主らに世話になった者たち全員だ。誰も彼も、嫌な顔一つせず、返事一つでこの戦に参戦した」

「お節介な連中だ」

 そういうと、ルシフルは苦笑を漏らした。

「彼らも、お主に言われたくないだろうな。人の戦いに頼まれてもないのに飛び入りして、最善の結果を出し続けたお主には」

「だからさ。それは僕が、僕のためにやったことなんだってば。恩に着せるためじゃない」

「ならばきっと、私も彼らも同じ事を言うだろうさ。自分のために戦ったのだと。お主の事など知った事ではない、とな」

 そうかよ。もう、どうでもいいや。

「ちなみに、お主。自分の武器はどうした?」

「・・・あ」

 訊かれて気づいた。完全に忘れていた。ティアマットに突き刺したまんまだ。真下に視線を移す。ティアマットの崩壊は既に収まり、巨体は跡形も無く消えていた。突き刺した胸の位置がどこだったか判別が付き難くなって、少し視線を彷徨わせる事になったが、何とかみつけた。ジックラトの頂上に、朝日を反射して槍のまま突き立っている。そして、その槍の下には人の姿が確認できた。

「あれは、イスカリオテ、か?」

 大の字になって倒れているのは、ティアマットの一部と自分の事を呼んでいたイスカリオテだった。クシナダに頼み、彼の元へと降下してもらう。僕が降り立ったころ、地上を行軍していた連中もジックラトに到着した。

「ティアマット・・・」

 声を漏らしたのはドゥルジだ。視線を向けると、彼女は頷いた。

「人であった時の奴だ」

 その声が届いたのか、イスカリオテ、ティアマットが口を開いた。

「ドゥルジ、か」

 その声に誘われるように、彼女はティアマットに近づいた。僕たちも後に続く。

「久しぶり、だな。何千年ぶりだ?」

「お前に殺されかけたのは、千年ほど前だ」

「ああ、あの戦いのときか。あの頃君は、アジ・ダハーカと名乗っていたね。あの頃の君は醜い怪物だったが、何だいそのすっきりとした顔は。まるで悪い憑き物が落ちたようじゃないか。あの頃の、レヴィアタンの元で共に過ごしていたときと同じじゃないか」

 ティアマットが声を立てて笑う。その振動か、腕が崩れた。

「悪いな。思い出話を語るには、少々時間が少ない。私が消えるのは時間の問題だ。その前に、契約を果たさなければならない」

 倒れたままのティアマットの視線が僕を見つけた。

「勝者は、君だ。私の中の悪魔の欠片、受け取れ」

 こちらに向かって手を差し出す。正直、別にいらないのだが。

「受け取る事を、お勧めする。受け取らない場合、私から飛び出した悪魔の欠片がどうなるか、私でも予想は出来ん。いつかの、アジ・ダハーカの欠片を奪った人間のような存在が生まれんとも限らんぞ?」

 その話を持ち出されると、少々弱い。あの時、僕はわざと欠片を奪ったシュマたちの行動を様子見していた。その結果、ウルスラやクルサたちの街アケメネスは悪魔の欠片の力で変質したシュマが暴れ周り、多大な被害を出している。近くに彼女たちの目があるのもどうにも気まずい。向こうは僕のした事を知らないが、知っているこっちは、やっぱりちょっとだけ、後ろめたい気がしないでもない。しかたなく僕は近づき、手を伸ばす。間もなく届く、その瞬間。

 耳を劈く騒音が周囲を満たした。

【緊急事態発生!】

 上空のカグヤ機からだった。

【皆さんのいる建築物より、高密度のエネルギーを検知! 反応元は・・・その男! ティアマットと呼ばれた個体からです!】

 カグヤ機から視線をティアマットに移す。さっきまでの安らかな顔から一変、邪悪な笑みを浮かべて、奴は刺さった槍のせいで体が千切れるのも構わず、僕の方へと身を乗り出してきた。今の僕に、それに反応出来る余力がない。

「タケル、危ない!」

 クシナダが矢を構えるが、遅い。やつが、僕の手を掴んだ。

「・・・うぐっ」

 掴まれた腕から、膨大な何かが僕の中に流れ込んでくる。蹲り、溢れそうになる何かに抗う。

「ああ、約束通り、くれてやるとも! 私の全てをな!」

 高笑いするティアマットの額にクシナダの矢が突き立つ。ティアマットは気味の悪い笑い声だけ残して消えた。

「タケル!」

 クシナダが、皆が駆け寄ってくる。

「来るな!」

 手を突き出して、彼女たちを制止した。

 くそ、そうか、そういう魂胆かよ。やってくれる。ティアマットめ。やつは、こういうタイプか。《自分のものにならないのなら壊してしまうタイプ》か。一番厄介なタイプじゃないか。

 この状況を打破するには、方法は一つ。

 僕は、ゆっくりと立ち上がり、槍に近づいた。柄を握ると、槍は、僕の策を具現化するように形を変えた。形の変えたそれを、僕は彼女に向かって投げる。

 クシナダの足元に、朱色の矢が一本落ちた。どういう意味か理解できず、当惑する彼女に向き直って、告げる。

「いつかの、約束を、ここで果たしてくれ」

「・・・え?」

「クシナダ。最後の頼みだ」

 ゆっくりと両手を広げる。

「僕を、討て」

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