第242話 黙祷

 バシリアで抗い続ける全ての者が、同時に上空を見上げた。

 ストレスすら感じる耳障りな異音が響き渡り、突如として何もなかった空間に亀裂が入ったのだ。亀裂は蜘蛛の巣状に広がり、やがて限界を向かえた。空が砕け、隙間が開く。

 隙間から現れ出でたのは巨大な龍。神と崇められた龍は、ゆっくりと、やがて重力に惹かれて速さを上げながら、背中を下にして力無く落ちていく。その胸に、光り輝く槍を刺したまま。

「タケル!」

 クシナダが呼んだ。彼女の目は、満身創痍という言葉でも足りないほどの傷を負い、それでも槍を手放さない男の姿を捉えていた。弓を仕舞い、彼の元へと飛ぶ。

 龍の体は、バシリアの祭壇ジッグラトに落下した。地響きを立て、粉じんを巻き上げながら落下した龍は、四肢をだらりと垂れ下げたまま動かない。

『神が・・・神が・・・』

 龍を信奉する信者たちの動きも、また止まっていた。彼らの目の前では、ありえない事が起こっていたからだ。

 ルゴスがクシナダに言っていた。神に連れ去られたタケルが戻ってくる事はない、と。なぜなら、神の空間に連れて行かれてしまったら、戻るためには神と同格の力が無ければならず、神の力を超える事は不可能だ、と。

 戻る事が不可能なその空間からタケルは戻ってきた。神たる龍を討ち、神の力を超えたからだ。

 その光景を呆然と眺めていた信者たちの体に、変化が訪れる。最初は体の一部がボロッと欠けた。ひとたび欠ければ、そこから連鎖的に、あるいは別箇所から、体が崩れていく。

「なんだ? 何がどうなってんだ?」

 ミハルが声を上げた。自分を取り囲んでいた信者たちが崩れて落ちていく。下を見れば、銀狼たちも戸惑っている。戦っていたはずの信者たちが、動きを止めて、勝手に崩壊していく。まさかこれも奴らの策か、また融合かと警戒を怠らずに相対しているが・・・。

 視線を横へ。そこには対巨大生物兵器クトゥグアと、敵の融合の結晶である巨大生物ががっぷり四つで組みあっていたが、例に漏れず、巨大生物も崩れている最中で、動く気配が無い。クトゥグアが何かしたわけでもなさそうだ。

【どうやら、自壊していくようですね】

 彼女の上空を飛ぶ戦闘機のパイロットが、バシリア全土を見渡しながら結論を出した。敵は元凶と思われるドラゴンからエネルギーを供給してもらい、力を振るっていた。おそらく生命維持に必要なエネルギーも供給されていたのだろう。その供給が途絶えたため活動を停止、つまりは死を向かえた。元凶が居なければ自立出来ない不完全な生命体だったのだ。おそらくこれは、元凶の方が用意した安全装置でもあったのだろう。信者全ての命を掌握し、仮に反乱等を起こそうとするなら、すぐに切り離せるように。神を名乗るドラゴンにとっては、信者は結局の所自分が顕現するための道具でしかない。使えない道具はいつでも捨てられるようにしていたのだ。

【各員、聞こえますか? こちらアトランティカ軍総司令臨時補佐官カグヤ。現在、敵勢力が自壊していきます。各員の担当地域の状況を報告してください】


「呆気ねえ」

 ずんと棍棒の先を大地に突きたて、タケマルは傷だらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。彼の目の前では、騎士の姿の信者が膝を付き、四本足が突っ伏した体勢の状態で崩れていくところだった。周囲を見渡しても、自分の部下や、傭兵団が切り結んでいた信者たちは動きを止め、魔女たちの道具で封じられていた信者の体は跡形も無く失われ、後に残った道具が物哀しげにその場に佇んでいる。

「何でまた急に」

 タケマルの背後、彼と互いに背中を守りながら戦っていた戦士ウルスラが、兜のバイザーを上げた。

「さあな。あのデカブツが落ちてきたからか?」

「なるほど、アレが、こいつらの本体だったってわけか。本体が死んだから、こいつらも消滅するって訳か。あの時とやっぱり同じだね」

「なんだって良いさ。難しい事を考えるのは、俺の役目じゃねえ。ライコウたちの仕事だ」

「確かに。私たちが理解すれば良い事はたった一つ」

 ウルスラがタケマルに向かって拳を掲げた。タケマルも自分の拳を彼女の拳に軽く当てる。

「ああ。俺たちの勝ちってわけだ!」

 タケマルの声が聞こえたのだろう。周りの連中が勝ち鬨を上げた。その声は円状に波及し、やがてバシリア中で聞こえる事になる。


「どうやら終わったようだな」

 剣を収め、ルシフルが呟いた。天使の目の前には崩れかけたルゴスがいた。恨みがましい目で呪詛を吐きつける。せめて言葉でもって、純白を穢さんとするように。

『神の、真意もわからぬ、劣等種どもが。我らの理想を理解せぬ愚者共が』

 しかし、天使の白は一片の汚れも受け付けない。白とは、何かに染まる色ではなく、何にも染まらぬ決意の色だ。代わりに天使は滅び行く種を哀れむ。

「これも元を辿れば、全て我ら天使と悪魔の所業によるもの。許せとは言わぬ。憎むが良い。だが、その憎しみは全て私に向けよ。他の者たちは関係ない。明日を生きる者たちは、ただ明日も愛する者達と生きたかった。だから滅ぼそうとするお前たちと戦った。互いに滅びたくないから戦い、彼らが生き残ったのだから、それを憎み恨むのはお門違いと言うものだろう」

『その、考えこそが誤りなのだ。他者を滅ぼしてでも生き残りたい、生存本能という全ての悪事を正当化する機能がある限り、貴様らはいつか互いに殺しあう。同族であってもだ。他者を受け入れられぬ者たちは、いつか最後の一人になるまで殺しあいを続けるだろう。我らの戦いは、以降全ての禍根を断つ。全てが同じになれば、争いも無く、憎しみ合うこともなかった。ここでの戦いが、未来の礎となるはずだった。尊い犠牲となるはずだった』

「私は、お前たちが目指した理想を拒絶はしたが理解出来ないわけではない。なるほど、確かにその世界は、憎しみも悲しみもないのだろう。心が引き裂かれそうな出来事が皆無の世界なのだろう」

 でも、やはり。天使の胸の中にあるのは、かつて結んだ約束と、彼女の言葉。

「仕方がないではないか。愛してしまったのだ。私は。憎しみも悲しみも無ければ、喜びも楽しみも無い世界よりも、憎しみも悲しみもあるが、喜びも楽しみもある、誰かが誰かを愛する世界を。理屈ではないのだ。こういうものは。お前たちがその姿となる前。人であった頃があるのなら。覚えがあるのではないか。体を変質させるほどの怒りに隠れてしまった、幸福であった頃の記憶が」

『そんな、もの・・・そんなもの・・・』

 ルゴスの体の崩壊は更に進み、首、口と顔にまで達しようとしていた。最後に消えた目元に、うっすらと輝くものを見たのは天使だけだ。

「私が滅びるまで、お前たちの事を弔おう。記憶していよう。お前たちが目指した理想よりも、優れた未来を築けるよう、私たちは生きていくから。どうか、安らかに眠れ」

 天使が黙祷を捧げる。その横顔に陽の光が当たる。

 長い夜が、明けようとしていた。

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