第241話 決別
殺意が空間内に充満する。
『愚かな』
ティアマットの意思に反応したか、地面も天井もどこもかしこも、沸騰中の湯の表面みたいにぼこぼこと隆起している。今にも四方八方から刃が伸びてきそうだ。
『不幸に満ちた世界があると知りながら、その世界を選ぶと言うのか。今後生まれいずる人類全てに不幸を背負えと言うのか。そこから至る道は破滅のみと知りながら』
「言ったろ。未来の幾千幾万の顔も知らない連中の事まで知らないって。責任なんか持てるわけない。自分の責任で手一杯だよ。人間一匹に未来の行く末は荷が勝ちすぎる」
自分のケツは、自分で拭け。未来に贈る言葉あるとしたら、それくらいだ。一人一人が責任を持てば、ちょっとはマシだろうさ。
『まだ己を人間と言うのか。君は!』
何が逆鱗に触れたか、ティアマットが怒鳴った。閉鎖された空間内での奴の咆哮は、反響し、増幅し、四方から僕の体を叩く。
『我らと同等の力を有し、世界すら掌握し運命すら操れる可能性を持ちながら、まだ自分は人間だと言い張るのか!』
「文句を言われても困る。どれほどの力を持とうが、可能性を持とうが、僕は結局の所僕でしかない。ただの人間だよ。くだらない、矮小で愚かな、人間だ。あんたが言った通りにな」
『論外』
ティアマットが断じる。
『私が最も嫌うケースだ。リソースの無駄遣いだ。全てを可能とする力を持ち、何も成さぬなど。その力、やはり君には、ただの人たろうとする君には過分に過ぎる。ようやく分かった。悪魔の力を得ても姿を変えない君の謎が。人の殻を破り、人を超えようという気がないからだ。強靭な意思による姿の維持ではなく、人のままで良いという怠惰、惰性、停滞のためだ』
ティアマットが僕へと手を向けた。
『寄越せ。力の持ち腐れだ。私が正しく使う』
「いまさら世界の命運を背負ってます、みたいな神妙な顔は止めろよ。自分で吐露したじゃないか。レヴィアタンに会うために悪魔の欠片を集めてたって。あんただって自分の欲望のために力を使っているんだろ?」
『自らの欲望も、世界の未来も、全てまかなえる力を有しているからだ。手の届く範囲に全てがあるのなら、私は全てを取る。君のように、女一人だけしか取らないなどという愚かな選択はしない』
「愚か? 分かってないな。愚かな僕の人生において、おそらく唯一の正解だ。そっちこそ、あれもこれもと手を出しすぎて、手のひらから零れて落ちているんじゃないか? だから目の前で、あんたが立てた計画が破綻しかけている」
『想定外は起こっているが、修正可能な範囲だ。なぜなら、君さえ殺せば、全て修正できるのだから』
真正面の地面が隆起し、刃となった。先ほど僕を跳ね飛ばして行った刃だ。さっきは受け止めるどころか、受け流す事も出来ずに力負けして壁に叩き付けられた。
だが。
タイミングを合わせて、己の剣を叩き付ける。拮抗は、一瞬。ガラスが砕けるような、耳障りな残響音を残して、刃は粉微塵に砕け散った。欠片が全て落ちた先には、驚きに満ちた表情のティアマットがいた。
「驚くようなこっちゃないぜ? あんたが僕に、自慢げに説明したんだろ。《ここには、バシリアにいる全ての感情が集積され、感情を向ける相手に力となって還元される》と」
振った右腕の感触を確かめる。驚くほど、力が満ちている。自分の体ではないようだ。
「はん。道理で優越感丸出しの顔で見下してくるわけだ。これほどの力になるんだから。感情ってのは侮れないね」
ティアマットより返答はない。代わりに、幾重もの刃が答えとなった。今度は四方より刃が迫る。
僕は剣を手甲と脚甲に変換。地面からの刃を踏み砕いて、刃がつき出す力をそのまま推進力に変えて前に飛んだ。他の刃は人の体を貫いた硬質さからは考えられないほど滑らかな曲線を描き軌道を修正、宙を飛ぶ僕を追ってきた。追って来るだけじゃない。今もなお空間のあらゆる場所から刃が生み出され、僕に向かって迫る。
まずは、右手前方から。右手を下から上に払い、刃の切っ先を砕く。反動を用いて左下後方へ。当然そちらからも刃は追ってきている。飛び蹴りの要領で足裏と刃を衝突させる。硬度はこちらが上だった。蹴り砕き、再び前へと進む。
飛び石の上を渡るように、迫る刃の一本一本を蹴り、多角的に飛び跳ねながらティアマットへ肉薄する。後、もう一回、二回で到達できる、といった時。ティアマットが両手をこちらに向けた。奴の背後から、これまで僕に向かってきた数とは比較にならないほどの刃が放たれた。もはやそれは面。切っ先もこれだけ空間を埋め尽くせば壁が迫るのと同じだ。しかもこちらは前進のために飛んだばかり。空中では方向転換も出来ない。
『終わりだ』
ティアマットの言葉が届く。そして、目の前が刃で埋め尽くされる。
目の前に形成された刃の壁をみやり、ティアマットは宣言した。
『計画は修正された。これで』
再びバシリアの画面に顔を向けた。バシリアでは互角の戦いが繰り広げられている。この戦況をひっくり返すのはたやすい。自分があの空間に戻れば良いだけだ。それだけで単純に戦力差が開き、信者たちの士気は上昇、反対に敵対する連中の士気は急降下する。ティアマットが姿を表すという事は、彼らが救おうとしていた男が死んだ事を意味する。彼らの喪失感たるやどれほどのものだろうか。男が、世界を敵に回しても取ろうとした女の、その顔が絶望に歪む様を見てやろう。そう考え、元の空間に出ようとした。
「どこ行くんだよ」
声が聞こえたと同時。無数の刃にて形成された刃の壁の中央部分が砕けた。
ティアマットはすぐさま手を掲げる。しかし、遅い。
弾丸のように、対応の遅れた槍衾を飛びぬけて。
ティアマットの視界一杯に、右手を振り上げた、口の端を思い切り吊り上げたタケルが映っていた。
ごっ
この姿になって初めて、ティアマットは自分の意思とは関係なく天を仰ぎ見た。殴り飛ばされたのも初めてなら、敵に触れられた事すら初めてだった。
「だから、言ったろ?」
地面に背中を擦りつけながら、ティアマットはその憎たらしいほど楽しげな声を聞いた。
「バシリアの今の戦力、信者軍とあんたら風に言うと旧種族軍は互角。ってことはだ。僕に流れ込んでくる力もあんたと互角って事。あんたが片手間で出来る程度の事で、僕が殺せるわけ無いだろう?」
体を起こす。目の前に、自分からすればちっぽけな、矮小な人間が仁王立ちしていた。
『おのれ、たかが、人間がっ!』
ティアマットは己の内に炎が渦巻くのを感じた。それは初めての感情、怒りの感情だった。熱く、激しく、自分すら焦がすのではないかと思わせるほどの激情だった。
対する人間は、涼しげに応えた。
「流れ込んでくる力は互角。悪魔の欠片の数はそっち、けど、戦闘経験はこっちかな? スペックはほぼ互角だ。なら後は、さて。この後の展開で、お約束を知っているか?」
ティアマットは応えないが、彼は意に介さない。もとより返ってくる事を期待していない。
「気持ちの強い方が勝つ! ・・・らしいよ」
正直、僕は感情論が好きじゃなかった。感情が確率論に作用したりするはずないし、感情で、気持ち一つで奇跡が起きてりゃそれこそ神様は必要ない。
けれど、感情が力になるこの空間で、か弱いとは程遠いヒロインモドキとその他大勢がいる。残念ながら正義の味方はいないけど、彼女らの力を受け取れる僕がいる。
ここまで揃って、負けるかよ。
『互角? 互角だと?! 笑わせるな。運よく隙をついて、幸運な一撃が当たっただけだ。それだけで互角だなどと片腹痛い!』
長々と話し込む相手に合わせる必要はないと、ティアマットはすぐさま反撃に転じてきた。今度は刃だけではない。ティアマットの周囲には方陣が浮かび、炎や雷が真っ暗な空間で弾け、信者たちの砲身が放った閃光と同じ物が何条も貫く。何発もの砲撃が浴びせられ、何本もの刃が突き立つ。
怯まず、前に出た。前面に盾を形成し、走る。刃を弾き、雷や炎を防ぎ、閃光を弾いた。
『小癪な!』
ティアマットが接近戦に打って出た。飛び道具では埒があかないと悟ったのだろう。それこそ僕の狙い通りだ。遠距離武器の少ない僕にとって面倒なのは、距離を取られながら遠くからチクチク撃たれる事だ。ここまで言葉で煽った効果が出たかな?
ティアマットが上から押し潰さんと腕を振り下ろした。ずん、と腹の奥に響く振動が起こる。しかし、残念ながら僕は無事だ。僕を見るティアマットの目が見開く。おそらく奴は自分の攻撃の戦果を見るために自分の手を見ていただけだろう。そんな奴が見たのは、自分の指の隙間からにゅっと現れた僕の姿だ。何の事はない。指と指の隙間から抜け出しただけだ。僕らだって、自分の体に止まった蚊を手で叩こうとするが、蚊は簡単に指の隙間から逃げていく。
蚊は血を吸うだけだが、僕は血を吸わない。代わりに剣を突き立てる。
ティアマットが悲鳴を上げ、反射的に腕を振る。剣を掴んだままの僕には凄まじいGがかかる。腕が間接の構造上振り上げ切ったところで剣を抜いた。四十五度の傾斜の先に、奴の顔がある。
基本姿勢は変わらない。大概の生物の弱点である目を狙う。狙っている奴の目が僕を捉えた。ぐるん、と首をこっちに向け、大口を開けた。喉の奥の暗闇が徐々に明かりに照らされていく。剣を鎖付きの二振りの曲刀に変え、身長と同じサイズの指を蹴って大きく横に飛ぶ。足先を炎が掠めていった。通り過ぎる過去も炎も顧みず、二刀のうち一本を今しがた離れた腕に向けて投げる。上手い具合に絡まり、ティアマットの左腕方向に向かって飛んでいた僕の体は止まる。ビンと鎖が張り、引っ張られて僕の体は円軌道でティアマットの胴体へと
そうはティアマットが許さなかった。近づかせまいと右手で叩き落としにかかる。お釈迦様の手に押し潰された孫悟空は、こんな気分だろうか。曲刀を解除し、盾に変える。両手と両足、四点を盾の裏面に当てて、衝撃に備える。
向こうからすればペシン、と可愛らしい感じかもしれない。しかし、叩かれた方であるこちらの体に走った衝撃は計り知れない。隕石を受け止めたらこんな感じかな、と感想を抱く暇もなくほぼ垂直に落ちる。
叩き落した虫に、ティアマットが追撃する。その巨体を生かし、踏み潰しにかかる。まともに受けるのは無理だ。よしんば受け止められたとしても、そこから動けなければ待っているのは串刺しか丸焼きだ。どうする?
ヒントは近くにあった。バシリアの景色の中に、龍に跨って飛ぶ女が見えたとき、閃いた。自分には無理だと諦めていた方法だ。かつて人型ロボットグレンデルと戦ったとき、僕の命を狙っていた彼女が魅せたあの業。合金製のグレンデルを一刀にて断ち切っていたあれを再現する。
「力を貸してくれよ。ハルちゃん」
巨大な足裏が迫る。狙うは指先。盾を再び剣に変え、集中し、構えて地面を蹴る。間合いまで永遠のような刹那のような時間が過ぎて。
腕を振るう。移動速度も刀身に力として込める。刃が指先に迫る。タイミングと角度、どちらか一つでも誤れば弾かれ、そのままぺしゃんこだ。
腕は、振りぬけた。僅かな引っ掛かりを覚える事なく、剣は足を通り過ぎていた。まさかただの空振りか、と最悪の結末を想像したが、そうではなかった。僕の目にはゆっくりと、ティアマットの足の指が本体と別たれて離れていくのが見えた。その離れた隙間をくぐる。
悲鳴の壁を頭から突き破って膝、腹を経由し背中へ。こういう時、小さい方が相手の隙を付ける。あまり実用性が無いが。剣を翼の付け根へと突き刺す。二度目の絶叫が体を揺さぶるが、止めてやらない。翼の一つでも落とせれば、飛んで離れる事も出来ないだろう。
『いい加減に、しろッ!』
完全に油断していた。真横から何かが迫ったと気づいたときには、その質量に弾き飛ばされていた。拭き飛びながらティアマットの方を見れば、長い尻尾がしなっている。左側面を強打したのは奴の尻尾だ。尻尾は筋肉の塊と聞いた事があるが、納得するしかない一撃だ。何度もバウンドし、普通の人が一生かけても出来ないほど転がってようやく止まった。頭がぐらぐらする。左腕の感覚がない。痛みすら返って来ない。衝撃が強すぎると脳が痛みすら認識しなくなるのか。右手で剣を杖にして立ち上がる。また接近からやり直しかと思っていた。
面前にティアマットのアギトが迫っていた。咄嗟に飛んで躱せたのは幸運か、それとも苦しみが続く不幸の始まりか。閉じかけたアギトからすんでの所で抜け出すが、僅かに掠った。それだけで大波に翻弄される落ち葉と同じ目に遭った。
『死ねェ!』
執拗な追い討ち。体を捻ったティアマットが急速旋回し、今度は体勢を崩している僕に砲撃と刃を浴びせる。全方位から打ち込まれる砲撃の躱し方は知らない。多分、知っている人間は存在しない。
故に、こちらから飛び込む。強引に体勢を立て直したからか、体の節々が軋む嫌な音がする。それでも、なすがままに撃ち込まれるよりはだいぶマシだ。直撃する軌道の物だけを僅かな時間で見極め、それだけに狙いを絞って躱し、防ぐ。足は深く切られ、腕に炎症と電撃による痙攣が起こる。それでも僕は生き残った。生き残っているということは動けるという事、動けるという事は戦えるって事だ。前に誰かにも言った気がするな?
全方位の砲撃にだって弱点はある。必殺にならなかった場合、砲撃同士が互いに干渉しあい、視界を奪う。今のティアマットがその状態だ。だから
『何ッ?!』
完全に不意を突くことに成功した。粉塵と明滅の中から飛び出し、鼻先を斬りつける。くそ、顔を背けやがった。浅いか!
すかさず剣を曲刀に変化させ、投げつけた。上手く角に巻き付ける事に成功。今度は腕に邪魔される前に鎖を引き顔へ接近。
すれ違い様、奴の左目を奪った。
咆哮。相変わらず、デカブツの悲鳴は脳に直にクる。だが、脳震盪を起こしている場合じゃない。畳み掛けるチャンスだ。
鎖を引っ張り、再び接近を試みる。ティアマットは左目を押さえながら、こちらに右手をつき出した。鎖が指に絡まり、方向が変えられる。仕方なく曲刀を解除し、通常の剣に戻す。右腕をかいくぐり、再び顔に接近、は成らず。飛んで離れられてしまう。
『よくもぉおおおおお!』
そこら中の地面から刃が生まれ、閃光と炎が舞い、雷がきらめいた。空中にいる僕に躱す術はない。しかし、その全ては見当違いの所へと飛んでいった。
『なぜ当たらぬ!』
本人の意図した事ではないらしい。近づけないためにがむしゃらに放ったわけではなく、狙いを定めて、それでも外した。考えられる事は一つ。
「目を失って、狙いが定まらないのか」
目が二つあるのは、立体で物を見るため。片目を失えば遠近感は当然狂う。
「随分、『人間』らしいじゃないか」
化け物らしからぬ脆弱さだ。その程度ものともしないと思っていたよ。
『私が、人間らしい、だと』
「ああ。僕の定義に当てはめれば、あんたは充分人間の枠内だ。姿は置いといて、だけどね。相手より優位に立てば驕り、計画が上手くいかなきゃ苛立ち、怪我すりゃ怒り嘆く。人間と何一つ変わらないよ。ああ。元は人間なんだから、それも当然か?」
『黙れ!』
腕を振る。今度はもっと正確に狙われた砲撃だが、それでも先ほどの精密さと比べれば雲泥の差。少し飛び退けば躱せる程度だ。
『私が人間だと。ふざけるな。私は人間ではない。私は人間を超越した。未来も運命も操り、世界を意のままにする事が出来る超越者だ。最強の悪魔、レヴィアタンに至る者だ。その私が人間であるはずが』
「だからさ。そういうくだらない事でこだわるところが、人間っぽいって言ってるんだよ」
『だぁあああまぁああああれぇえええええ!』
絶叫。魂の奥底からの拒絶だった。
『知ったような口で私を語るな!』
巨体が押し寄せる。遠距離がダメならと近接戦闘に切り替えたようだ。
「何一つあんたの事なんざ知りはしないが、好き勝手に語らせてはもらうよ。僕は言いたい事を好きに言うたちなんだ。いつ死んでもいいように。・・・ただ、今じゃないけどね」
残った隻眼に憎しみを満たして、ティアマットが迫った。僕も、残った力を振り絞って相手に真っ向から挑む。振るわれる巨腕をかいくぐり斬りつけたかと思えば、反対の腕で跳ね飛ばされる。砲撃を掻い潜ったかと思えば、巨体を活かした避けようの無い突進を見舞われる。それでもタダではやられない。避けようがないという事は向こうも同じ。向こうの勢いをそのまま突き刺す力に変える。曲刀にして突き刺し、今度は鎖を伝ってこっちが追撃を行う。
斬りつけ、殴られ、撃たれ、穿った。いつしかティアマットと僕はノーガードの殴りあいのような戦いを繰り広げていた。バシリアから流れ込む力を持ってしても回復できないほど、ダメージは蓄積していた。当然だ。同じく流れ込む力を攻撃にしているのだから。
『何がいけない! 私が作る未来の何が不満だ! 誰も悲しむ事のない世界。私が全てを管理し、争いも病も貧困も無い、楽園を作ると言っている! それのどこがいけないんだ!』
それで人に死ねと言うのだから、死ねと言われた方がたまったものではないのだが。苦笑して、構える。次が最後だと理解している。おそらく相手も。
「不満しかないね。だって、その世界には彼女がいない」
かつて僕が見たかった世界の未来は、共に見たかった人が死んだ事で失われてしまった。
今、僕が見たい世界の未来には、彼女が居なければ、ええと、うん。そう、つまらないからね。
「だから僕は、ここで、あんたを倒す。命に変えてもね」
剣を、槍に。一点集中攻撃する武器に置いて、最も高い威力を叩き出せる西洋風の馬上槍。根元の柄付近にリボルバーみたいについた三つの環が、力が流れ込むと同時に回り出し、エネルギーを増幅させていく。
『ならば私は、ここで君を殺す!』
ティアマットの口腔が開き赤く燃え上がる。口の手前には巨大な方陣が描かれた。ブレスと方陣による砲撃、二つの業をかけ合わせるつもりか。それだけじゃない。周囲の地面、天井が粘土細工のように合わさり、混ざり合い、一本の刃と成った。大きさも鋭さもこれまでの比じゃない。
回転数は過去最大。溜め込んだエネルギーが膨大すぎて、槍本体が自壊しそうなほどだ。かくいう僕も、持つ手が爛れてきている。口元や鼻から血が流れ出した。体内の毛細血管がダメージを負い続けている。再生能力もそろそろ底をつく。その再生能力を削って、ある仕掛けを体に施す。
『滅びろ! スサノタケルゥううううう!』
先に動いたのはティアマット。刃が射出された。一直線に僕に向かって伸びる。タイミングを合わせて逸らせる。体がそう反応しようとした、刹那。穂先が分かれた。途中で三方にわかれ、上と左右から迫る! ティアマットの瞳に勝利の二文字が浮かぶ。
前に踏み出せたのは偶然だった。もしそのまま一瞬でも硬直していたら、三方から伸びる刃か、次に迫る最大級の砲撃で死んでいただろう。三本の矢の逆バージョンだ。束ねた一本の矢は強いが、三本に分かれたなら威力は落ちる。と後付けが頭に浮かんだ。速度が速いという事は、一度躱してしまえば二度と追ってくる事が無い。物理法則はどこでも適用されるものだ。左右から迫る刃は背中を掠めたが致命傷にならず。上からの刃は槍で逸らした。
『躱すか! だが、これで!』
第二波、最大級の砲撃が放たれる。威力はもちろんの事、その効果範囲の幅は広く、狙いをつける必要がない。
躱せないなら、躱さないだけだ。僕は煉獄を思わせる業火の中に飛び込んだ。炎の中にいた時間は、一秒も無かったはずだ。それでも僕は死を覚悟した。あれほど望んだ死を、今回ばかりはご遠慮願うのは虫が良すぎだろうか。別に死んでも構わない。ただ、この槍の一撃だけは、届かせてくれ。
願いは、通じた。
『馬鹿な!』
炎から飛び出した僕が目にしたのは、驚愕に目を見開くティアマットの姿だ。
理論は知っていた。だが、実際に試すことはないだろうとも思っていたのだが。実践してこそ、理論という言葉を作った奴は、実際に実践した事があるのだろうか。
古来よりある神事の一つで、火渡りというのがある。神話にも登場する火渡りは、実はトリックがある。ライデンフロスト現象という現象だ。ある液体を、その液体を遥かに超える高温で熱した鉄板に落とすと触れた液体の箇所が蒸発して気体の膜を作り、触れて居ない液体部分の蒸発を防ぐ、というものらしい。高温に熱したフライパンに水滴が落ちても、中々全部蒸発しないあれだ。火渡りは、前もって足元を水で濡らしておき、水を蒸発させて気体のバリアを作り、バリアが消える前に素早く渡りきるというものらしい。他にも色々と条件があるらしいが、そこまでは知らない。
先ほど、ミハルの居合いじみた事が出来た僕は、クシナダの力も応用出来るのではないかと考えていた。信者はティアマットの力の一部を行使できる。ではおそらく、僕の力をバシリアに居る連中は使う事が出来る。これは間違いない。ならば、反対の事、バシリアにいる連中の力を僕が使えてもなんら不思議はないはずだ。力が流れ込んでいるのだから。
結果は火を見たけど明らか。水の膜を張る小細工を仕込み、全てが蒸発する前に突き抜けたというわけだ。
僕は奴のがら空きの胸に飛び込み、槍を付き立てた。槍の内部に蓄えられたエネルギーがティアマット内部で開放され、破壊を撒き散らす。槍が突きたった胸を中心に、ティアマットの全身へとエネルギーが流れ込んで破壊させていく。三度、絶叫がティアマットの喉から迸る。しかし、もはや反撃に移る気配はない。深々と己の胸に突き立った槍を、僕を見ていた。
『これで、世界は終わる。待ち受けるのは破滅の未来のみ。その時になって後悔するが良い!』
ティアマットが吼える。槍の回転数は更に増し、推進力が上昇。
「責任は、その時代に生きる誰かが取るよ。取れなきゃ滅ぶ、そんだけの話だ」
槍の柄を握り、押し込んで、蓄積された全てのエネルギーを開放させる。
「今日が、神からの独立記念日ってやつさ」
槍の咆哮が、暗闇に包まれた空間を引き裂いた。
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