第240話 騎士に剣、獣に牙、戦闘機にレーザー、そして・・・

 クシナダ落下地点へと、散開していた信者たちは集まろうとしていた。彼らの包囲を抜け、どこからともなく突如として現れた新手に対抗するためだ。信者たちは個体同士で言葉を交わさなくても意思のやり取りが出来た。信仰心をティアマットが集め、増幅されたティアマットの力が信者に還元されるが、そのバイパスを利用することでテレパシーのようなことが出来るためである。

『新手とはいえ、所詮下等生物だ。畏れる事はない。我らの勝利は揺るがない』

 声を張っているのは、かつてバルバと呼ばれた個体だった。ルゴスに近しかったものたちは、他の信者よりも強い自我を得、他の信者たちを率いる立場になっていた。

『取り囲み、少しずつ削っていけばいい。どんな大木でも、斧を何度も振るえば伐採できるものだ』

 喩えに大工の頃の名残も見られるその個体は、仲間を編成し、先導しながらルゴスの元へ向かっていた。

 その目が、捉える。自分たちが向かおうとしている先から、何かが迫るのを。距離が失われるにつれ、形も判別がつき始める。『それ』が何であれ、自分たちとは違う形、神の僕ではないのであれば、敵であり、滅ぼすべき相手だ。

 バルバが急停止すると、倣って他の信者たちも停止した。

『砲撃を与える。遠距離型の者は前へ』

 最前列に、腕を銃に変化させた信者が集まる。

『神に仇なす愚か者がまだいたようだ。・・・焼き払え!』

 火砲が火を噴き、バルバの視界を白で埋め尽くした。避けようがない位の面での砲撃だ。神より授かりし力の前に、『それ』は火に入った虫のように燃やし尽くされ、落ちるのみ。

『愚かな。我ら神の僕に敵うはずあるまいに』

 再び進行する為、他の信者に合図を出そうとした時、微かな風きり音が耳に届いた。バルバは首を左右に振った。先ほど自分たちに近づいてきていた何かは、いない。そも、あれだけの砲撃を喰らって飛んでいられるわけがない。気のせいだったか。だが、風きり音は未だ消えず、増大している。信者たちにも聞こえるのだろう。キョロキョロと周囲を見渡し始め、内、一体が気づいた。

 その信者は上を見上げていた。夜空に輝く月の一部が黒く陰った。その影は次第に大きくなっていく。何かが迫っている。そのことを理解した信者は、声を上げようとし、失敗した。大きく開いた口に、一本の剣が突き刺さったからだ。ついで、剣を投げ放った本人が信者の体に着地、浮力がまだ利いている間に剣を引き抜き、周りで唖然とことの成り行きを見ていた信者の首を容易く獲った。無造作に振り払ったように見えた一刀は、恐ろしいまでの業の冴えを魅せつけた。

 ようやく信者たちが闖入者に対して反撃行動をとろうとした頃、空からもう一体降ってきた。闖入者は土台にしていた信者を蹴って宙に逃げる。信者たちは闖入者を目で追い、銃を構え、しかして放つ事叶わず。空から来たもう一体が放つ炎によって全身を包まれ、もだえながら落ちていった。空から来たもう一体は宙で待っている闖入者をピックアップし、バルバの前に立ち塞がった。

 現れたのは、美しい両翼を広げた見事な体躯の龍に跨る、一人の女だった。獅子の紋章の描かれた不思議な衣服を纏い、女の細腕には似つかわしくない大剣を担ぎ、バルバたちを見据えていた。

『何者だ』

 バルバの誰何の声を鼻で笑い、女は言い返した。

「名乗るほどのもんじゃねえよ。覚えてもらおうとも思わねえし」

『母上。こういうときは礼儀として、名乗られよ』

 龍が首を上に向け窘める。

「うっさいわね。あんた最近口答え多すぎ・・・いや、前からか」

『口答えではない。これは母上が成長するための教育、指導だ』

「どこに母親に説教垂れる子どもがいるのよ」

『ここにいるではないか』

「こんなでっけえ子ども生んだ覚えないわよ」

『血の繋がりだけが親子の全てではないと、我は思うぞ』

「場所考えて名言を吐けよ」

 やいのやいのと女と龍は言い合う。

『何なのだ貴様らは!』

 無視されていることに腹を立てたバルバが怒鳴る。しかし、女と龍は、それこそそよ風の如く怒鳴り声を受け流した。どころか

「今の隙に攻撃するなり移動するなり出来ると思うんだけどね。お前らあれか、ヒーローの変身を素直に待つ派か」

『母上の言っている事は偶に良く分からんのだが、何を言いたいかは一応わかる。まあ、それをさせる我らではないが』

 バルバたちの対応を嘲笑う始末。

『黙れ!』

 言われたからではあるまいが、バルバが銃口を向けた。

『させない、だと。笑わせてくれる。神の加護を受けし我らの進軍を止めると言うのか。愚か、愚かなり。貴様らのような下等生物に止められるものか』

 そのセリフを聞いた女は、口の端を思い切り吊り上げた。

「面白ぇ。だったらやってみろよ。神の威を借るトカゲ共。付け焼刃の力でどこまで出来るか試してみな」

『言ったな小娘!』

「言ったぞ糞トカゲ。ああ、そうそう、こいつも言っとくか。頭上には注意しな」

 女が上空を指差す。つられて信者たちが見上げた満点の星空、その星明りが徐々に消えていく。いや、消えているのではない。直上にある巨大な何かが、星空を遮っているのだ。巨大な何かは女の真上辺りに到達すると停止し、星明りどころではない、強烈なサーチライトを地表に向けて照射した。

「はっはぁ! すっげぇ! 地球へようこそ、ってかぁ?」

 有名SF映画のセリフを口にしながら、女は嬉しそうに笑った。彼女らの真上に来た物の正体、それは巨大な宇宙船だった。遠く、一億二千万光年離れた場所からはるばるやってきたのだ。銀河の破滅を防ぎ、自分たちの女王を救った英雄を助けに、彼らは再びこの宙域へと訪れた。

 巨大な宇宙船から、何百台もの戦闘機が射出される。

【各員、戦闘配置につけ】

 先頭を飛ぶ六枚羽のリーダー機から指示が飛ぶ。戦闘機は四機一チームの編隊を作り、デルタ型隊形で飛翔する。

【目標、ドラゴンとこの星で称される生命体。ただし味方のドラゴンは別よ。ターゲットを個体別に画像登録しておいて。くれぐれもフレンドリーファイアはないように】

【【イエス・マム!】】

 部下たちの頼もしい返事を聞き、彼らを率いる女王は操縦桿を握りなおした。

【では、手はずどおり連中の頭を押さえます。各員、攻撃開始!】

 先ほど自分たちが放ったもの、それ以上の数の砲撃が信者たちを襲った。レーザーが翼を貫通し、ホーミングミサイルが胴体を抉った。煙を上げながら、信者たちは次々と落下して行く。

『全員降下せよ!』

 既に頭上を取られ、制空権を支配された今、上空で戦っても撃ち落される。であるなら、直下にあるバシリアの街に身を隠し、体勢を整える。向こうは女と龍以外地上戦が出来そうな相手はいない。遮蔽物で身を隠しながら反撃し、機を見計らって再び上空へ戻るか、それともこのままルゴスたちがいる主戦場へ合流し、戦力を増強した上で叩くか、数が減る為、あまり使いたくはないが、融合し、新たな力で切り抜けることも最悪考えなければならない。バルバが頭の上を飛ぶ戦闘機をやり過ごしながら策を思案しているところに、唯一地上戦が出来る女と龍が行く手を塞ぐ。

「どこ行くんだよ」

『邪魔だ、退け!』

「馬鹿かてめえ。てめえらの邪魔をするために私たちはここにいるんだよ。てめえらはもう、向こうには行けない。立ち止まっちまったからな」

『この程度で、我らが立ち止まると本気で思っているのか?』

「本気で思ってるよ。上空を飛ぶ宇宙船や戦闘機は『蓋』だ。お前らを好きに飛ばせないための。ぶんぶん飛び回られると押さえ込むのは大変だが、飛びまわれる空間を制限すりゃ簡単な話ってわけで。そんで」

 女が話している中、バルバたちの軍勢、その左右の両端で派手な倒壊音が響いた。

『何だ!? 何が起きている?!』

 バルバが叫ぶが、返って来るのは仲間の悲鳴ばかり。

「羽をもがれた哀れな獲物は、獣の牙にかかるって話さ。そして、てめえもな」

 大賀美晴がバルバに剣を突きつける。


「ああ、クシナダは大丈夫だろうか。彼女らは間に合っただろうか・・・」

 バルバ軍の左翼に位置する場所で、美しい白銀の毛並みの巨狼が、その堂々とした体躯に似つかわしくない弱々しい声を上げていた。しかし、その狼の牙や爪は血に染まり、多くの敵を屠ってきたことを意味する。心理状態と肉体の状態の釣り合いがつかない、何とも不思議な状態だった。

「ちょっとリャンシィ! サボってないで戦って!」

 もう一頭の、こちらも同じ種族と思しき巨狼が信者の頭を噛み砕いて怒鳴る。

「いや、リヴ。わかっている。わかってはいるのだ。だが、今もクシナダが苦しんでいるのかと思うと、俺はもう心配で心配で・・・」

 リャンシィと呼ばれた狼は言葉ではそんな情けない事を口にしながら、体はしっかりと敵に対応し、爪と牙を見舞っていく。リャンシィのそんな、余所の女を心配するような言葉を耳にして、リヴの戦いは更に苛烈になっていく。倒される信者の方が可愛そうになるほどだ。

「大丈夫だ。リャンシィ殿」

 声をかけたのは前にいたリヴではなく、後ろにいる頭髪のない人間だった。リャンシィたちが、戦闘不能に追いやった信者を封じる役目をおった人間の軍、その部隊の一つを任された男だった。

「我が主ライコウとトウエン様ならば、必ずやクシナダ殿をお救いしておる」

「キント殿。・・・いや、彼らの実力を疑っているわけではないのだ。もちろん。これは、なんというか俺の気持ち、感情の問題というか」

 リャンシィの話をキントは叱ることも笑うことも無かった。部下の不安は馬鹿にならない。心の持ちよう一つで命の危機を呼び込む可能性がある事を理解していた。そして、不安を取り除く術も、兵を率いる立場である彼は心得ていた。

「もしも、これはあくまでもしもの話だが、ここでリャンシィ殿が獅子奮迅、一騎当千の働きをして、クシナダ殿を救う戦いに大きく貢献したとしよう」

「う、うむ」

 ごくりと生唾をのむリャンシィ。

「きっと、その話を聞いたクシナダ殿はリャンシィ殿に感謝することであろう。世の女は、自分の危機を前に颯爽と現れ、救ってくれた男に良い感情を抱くものだからな」

「そ、それは本当か!」

「ああ。何を隠そう、ライコウは己の命を顧みず、トウエン様の危機に駆けつけて彼女を助け、結果、今では二人は相思相愛の仲。当時敵同士であったにも拘らず、だ。それほどの効果が期待できるのだ。また、私事で申し訳ないが、この儂も、同じ方法で高嶺の花を射止めている」

「なっ・・・」

「子どももいる。三人だ」

 リャンシィ、絶句。

「それについては、私も同じことが言える」

 そう声をかけたのは、ミハルと行動を共にしている褐色肌の若い男だ。いまやシルドの民だけではなく、ロネスネスその他滅びた国の者たち、立ち寄った場所で困難に喘いでいた者たち引き連れまとめ、統率している若き王ティル・ベオグラース・シルド。彼の部下たちは、魔女からもらった武器で信者たちの動きを封じて回っていた。

「私も、ミハルが困難な状況に追い込まれている時、手を差し伸べた。するとどうだろう。少し前まで噛み付く殴る無礼に振舞うなど、決して良い感情を持っていなかった私に対する態度がころっと手のひらを裏返すように変わった。良いか、リャンシィ殿。困難とは、つまり好機なのだ」

 リャンシィの不安は、もはや虫の息。駄目押しに、キントは止めを刺した。

「儂でも成功したのだから・・・、後は言いたい事、やるべき事はわかるな? リャンシィ殿?」

「次はどいつだ! かかって来い!」

 男から見れば頼りがいのある威厳に満ちた印象のキントだが、反面、子どもが見れば泣き出しそうな厳つい顔と、長年主人のわがままに振り回された苦労で髪の毛が散った薄い頭髪の持ち主。お世辞にも、女性受けするとはリャンシィには思えなかった。失礼な話ではあるが。

 その彼が、高嶺の花を落としたと言う。ティルは嫌われていた相手から信頼を勝ち獲るほどの効果を得たと言う。これはやるしかない。単純なリャンシィの全身に力が漲ってきた。鋭い目は潜む信者を見つけ出し、獣の瞬発力で一瞬にして距離を縮め、確実に首を獲っていく。その姿は正に獅子奮迅、一騎当千。恋する者の前に敵は無し。

「・・・まあ、この話は、クシナダ殿に意中の相手がいない、という前提になるが」

 ぼそりと小声でキントは付け足し、部下たちに倒された信者の動きを止めるように指示を出しに戻って行く。

「噛み付いたのは、主に彼女の子どもだがね」

 話を大げさに盛り、嘘までついたことを詫びて、ティルもまた意識を戦争へとシフトさせる。

「ばーか」

 前を行くリャンシィの背に、リヴは悪態を吐いた。本人にはきっと聞こえない。直情型で、一つのことに集中すると周りが見えなくなるのをよく知っている。そう、昔から本当に良く知っているのだ。リヴは。


「おいおい、どうした? さっきまでの余裕は?」

 軽口を叩き、バルバを挑発するミハル。彼女の乗る龍ライザが反転、すぐさま建物の影に入る。彼女たちが射た場所を、信者たちの砲撃が通過する。

「この程度の奇襲で浮き足立つなんざ、素人かよ。神の僕が聞いて呆れるわ」

『五月蝿い!』

 バルバも自らの腕を銃に変え砲撃するが、むなしく空間を焼くばかり。しかもミハルは躱すばかりでなく、きっちりと他の信者の首を落としていく。いとも簡単に落としていくその様が、更にバルバを激昂させる。

 幾ら回復するとはいえ、このままではまずい。バルバは判断を迫られていた。打ち獲られた味方は、人間どもに串刺し、あるいは魔術の帯によって拘束されている。死なないまでも、これでは神の計画に貢献できない。

『仕方ない』

 バルバは信者たちに指令を送った。

『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』『融合』

 そこかしこで指令を受けた信者たちの声が響く。二体が一体になり、その一体が他の一体と融合する。主戦場に現れた四本足を始め、右手に剣を、左手に盾を構えた巨大な騎士型の個体、戦闘機を意識したような、流線型のフォルムをした飛行特化型が数百体生まれた。数は少なくなるが、それでもこちらにはまだ万を超える信者が存在する。

 極めつけは数十体の信者が融合した巨体。

「まじかぁ」

 さしものミハルも、これには驚いた。

『母上が挑発するから』

「五月蝿いわねいちいち。こうなるのもどうせ時間の問題だったっつの。早いか遅いかの違いよ」

『遅い方が良いに決まっているであろうに』

「だまらっしゃい」

『今更許しを請うても遅いぞ!』

 ミハルたちの焦りを察した、今や神と同サイズにまで達したバルバが勝ち誇る。

『ははは、貴様ら、そんなにちっぽけだったのか。ゴミかと思ったぞ!』

「どこの大佐だてめえ。ちっとでっかくなっただけでいい気になりやがって」

『いい気にもなる。この力があれば、貴様らなど簡単に捻り潰せるのだからな』

 バルバは腕を振るった。子どもが砂遊びで砂を崩すかのように、家が数件まとめて押し潰された。

「ちっ、退避! あのデカブツの周辺にいる連中は一旦退避しろ!」

 間一髪バルバの攻撃を躱したミハルたちは飛びながら指示を飛ばした。幸い、被害にあった味方はいなさそうだ。とはいえ、危機には変わりない。

『ふはははは。神よ、ご照覧あれ! 我が戦いは神のために捧ぐ!』

 自分に酔った様にバルバは叫び、力を誇示するように周辺に破壊を振りまく。

「くそ、面倒なことになった!」

『面倒にしたのは母のせいでもあるな』

「ああもう、五月蝿い。皮肉ばっか言ってないで、あんたも何か策考えなさいよ! あ、そうだ、あんた龍の力とやらででかくならない?」

『時間をかければ渡りあうくらい造作もないほど大きく、強くなれるが』

「時間? どれくらいよ」

『ざっと数十年か』

「かかり過ぎだ!」

『無茶を言うなと遠まわしに言ってみたのだ』

「ショートカットしろそこは! 時間を無駄にするな!」

『では、時間の無駄にならない話だ、母上。ついさっき魔女の姉妹に聞いたのだが』

「何をよ」

『母上が敵視しているタケルだが、以前、あれくらいの魔龍を倒したらしいぞ』

 他にも傭兵団の責任者に聞いた話では、巨大な蛇の首を落としたとか。ライザがそう告げると、ミハルの目の色が変わった。

「反転しな、ライザ。あのデカブツの首を落とす」

 あの男に出来て自分に出来ないはずがない。ミハルの中に対抗心が生まれた。だが、その対抗心を発揮する事は無かった。

【前線で指揮を取っているミハル。聞こえますか?】

 上空を舞う六枚羽の戦闘機から拡声器越しの声が降り注ぐ。

【その巨大ドラゴンの周辺百メートルに、あなた以外の味方はいませんね? こちらでも熱源で確認して、いないことを確認しているのですが】

 拡声器で話しているのは、もし味方がいた場合、避難を促すためだ。

「ああ? この人がやる気になってるときに・・・」

『母上』

「わぁーってるわよ。・・・こちらミハル、周辺に味方はいないのを視認で確認済み!」

 出発前に持たされたレシーバーに返答する。

【了解。では、その大物はこちらが引き受けます】

「引き受けるって、戦闘機で?」

【いいえ。こんな事もあろうかと開発しておいた、対巨大生物用兵器で、です】

『何をごちゃごちゃと話している!』

 再びバルバが動く。拳を振り上げ、ミハルに向かって振り下ろそうとする。舌打ちし、ライザに退くよう指示を飛ばす。ライザも心得たもので、指示が飛ぶ前から身を翻している。が、バルバの腕の方が早い。単純に体の大きさ、腕の長さが桁違いだからだ。巨大な手のひらがミハルを覆い隠し、押し潰す、かに見えた。

 だが、その手のひらはぴたりと動きを止めた。

『な、何だっ?』

 バルバが驚くのも無理はない。腕を《掴まれて》いたからだ。言葉にすれば普通のことだが、今のバルバは城よりも巨大な体躯。腕回りは樹齢一万年の大樹よりも太い。その腕ががっしりとホールドされているのだ。

「なんだありゃ」

 バルバの手の下から抜け出したミハルも見た。バルバの巨大な腕から奇妙なものが伸びていた。生物的なバルバの腕とは正反対の、合金と歯車で作られた鋼の塊だ。そして、見ていたミハルは目を擦る羽目になる。始めは気のせいかと思っていたが、そうではない。徐々に鋼の塊の視認できる割合が増加していく。そう、それは何もない空間から徐々に顕現していく。宇宙戦艦からこの場所に転位させられているのだ。質量があまりに大きい為、回線速度の遅いネット回線でデータを一パーセントずつダウンロードしているような形だ。

 全容が現れたそれは、バルバの巨体にも勝るとも劣らない巨人。

 特殊合金オリハルコン製のボディが鈍く輝き、バルバの姿を反射する。戦艦二機分の出力を叩き出す改良型量子リアクターが唸りを上げる。

【レディに手を上げるとは不届き千万】

 バルバの腕を捻り上げながら巨人が言葉を発する。

【対巨大生物兵器《クトゥグア》、システムオールグリーン】

『放せ貴様!』

 突如として現れたクトゥグアから逃れようと、バルバは力任せに振り払おうとして、あっさりとそれは成功した。振り払った当人すら困惑するほどの手応えのなさだ。予想していた抵抗値がないため、バルバの腕は大きく振り上げられた。つまり、体ががら空きの状態を自らの体の制御の不備によって作ってしまったのだ。クトゥグアはわざと手放し、難なくこの状況を作った。

 クトゥグアの豪腕が唸る。先ほどバルバが振るっていたような、見境のない、言い方を変えれば力が分散したただの戯れの腕の振りとはわけが違う、的確に相手を抉り貫くために一点に力の全てを集約させた一撃。徒手による格闘技全ての基本であり、極めれば奥義とも必殺とも呼ばれる、最大最速最高のストレート。その威力はいか程か。

 強化されたはずのバルバの鱗が爆発した。

【これより、作戦を遂行する。一匹たりとて、この先には行かせぬよ】

 吹き飛び倒れていくバルバを見やりながら、クトゥグアの搭乗者、アトランティカ軍最高司令官ラグラフが宣言した。



『何故、何故来ない!』

 所変わり、主戦場であるクシナダ落下地点で、ルゴスは苛立ちを隠そうともせずに叫んだ。ルゴスの前では、鬼の軍に蹴散らされ、人間の傭兵団に封じ込まれ、飛んで逃げようとしたところを光の帯に絡め獲られて落ちていく信者たちの姿が映っていた。戦況はいまや五分となっている。この状況を押し返すには散っていた味方を呼び戻すしかない。数で押すにしても、融合し更なる力を得るにしても、味方がいなければ話にならない。

 なのに、誰も戻っては来ない。

『ありえない。ありえない。ありえてなるものか! 我らは神の僕、神の楽園を作る為に使わされた者! その我らが、駆逐するはずの下等な劣等種、旧種族どもに押されるなど、あってはならない! こんなところで神の計画が躓くはずがない! どうして我らが押されなければならない! 不死の肉体を持ち、神より力を授かった我らのどこに、奴らに押される理由がある!』

「知りたいか?」

 ルゴスの前に、何者かが現れた。飛翔するルゴスと相対するのは、真っ白な六枚羽の天使だった。冷気が漂いそうな、一点の曇りもない鎧を纏う中性的な美貌の持ち主は、なぜこんな簡単な事が、神の僕を名乗る連中にはわからないのかというように眉間に皺を寄せていた。

「酷く簡単な話だ。この世界の、お前たちが見下していた劣等種が当然のように知っていることを、お前たちは知らない。知っているからこそ、彼らはお前たちには絶対に負けないし、知らないお前たちは押されている。当然の帰結という奴だ」

『万能たる我らが何を知らないというのだ!』

「愛だよ、愛」

 私もまだ良く分からんがね、と天使は苦笑する。

「私はそんな、時に厄介で時に億劫で時に面倒で時に最も大切なそれで右往左往している、今この世界に住まう者たちが大変愛おしい。ゆえに」

 天使から魔力が溢れる。純白の翼が白々と輝く幾重もの刃に変わる。

「私は、彼らを滅ぼそうとするお前たちを打倒する。もう二度と、愛する彼らを悲しませない為に」

 天界において最強の称号『明星』を冠した騎士の剣と心は、二度と折れない。



「どうして、皆がここにいるの?」

 今更の疑問をクシナダは口にした。

 安達ヶ原と西涼軍に、セリフォスを脱出したアンドロメダたち、アケメネスの傭兵軍団。天空でルゴスたち空中部隊を相手に舞う天使ルシフルがいるという事は、バベルの皆もいるのだろう。遠くでパチパチと花火のように光が瞬いていて、その上空にはいつか宇宙で見た巨大宇宙戦艦がある。宇宙の知り合いといえばカグヤたちだ。彼女たちも来てくれたのか。もしかして、ミハルやティル、ライザもいるのだろうか。クシナダがこれまで出会った人々全てが、クシナダの危機に駆けつけてくれた。こんな偶然はありえない。

「儂の場合は、夢に見たのじゃ」

 トウエンの予知夢のことは、クシナダも知っていた。

「お主らが命の危機に直面すると、神を名乗る女が儂の夢枕に立ったのじゃ。女は今日この日までに軍備を整えるよう儂らに言い残した。この日が来たら迎えにいく、とも。迎えにいくとはどういうことか意味が良くわからなんだが、とりあえずライコウに相談し、軍備を整えておった。そして向かえた今日、突如儂らの前に《道》が出来た。空間が歪み、この場所に繋がったのだ。そこで、同じく別の場所から現れた、アンドロメダたちに出会った」

「私たちも同じ女性に会ったわ」

 アンドロメダがトウエンの話を補足する。

「世界の危機が迫っている。力を貸して欲しい、と。私たちの場合、夢じゃなかったけど。多分、他の人たちも同じだと思う。その女性に会って、ここに来た」

「で、まあ、後は責任者全員がその女に概要を聞いて、人員を割り振って戦闘に介入したってわけ」

 クルサがアンドロメダの話の後を継いだ。

「気になるのは、この戦争の勝敗の行方よ。助けに行くのは別に良い。けど、こいつらって結局の所サソリと同じで手下ばっかりなんでしょ? 元凶は今どこ?」

「うむ、ティアマットはどこだ」

 この中でクシナダ以外の、唯一ティアマットを知る人物であるドゥルジが言った。

「アジ・ダハーカと私の時もそうだが、大元を倒さねば配下たる奴らは幾らでも回復するのであろう。だが倒そうにも、それと思しき者が見当たらぬ。これは、タケルがいないことと関係しておるのか?」

「うん。タケルは、ティアマットに連れていかれた」

「なんと。冗談で言ったが、まさか本当にティアマットの腹の中、というわけか」

「いや、まずくない? 戦線は今は拮抗状態まで押し返したけど、回復するあっちとは違って、私らは疲弊するわよ?」

 クルサとドゥルジが複雑な表情を見せる。

「本体はどこか、分かるか?」

 トウエンの問いに、クシナダは首を振って否定する。ただ、こうも続けた。

「まあでも、大丈夫でしょ。タケルが何とかするわ」

「何か確証はあるのですか?」

 姉とは違い、現実的なメデューサが尋ねた。

「いや、全くないけど。でも、なんとなく、分かるのよ。きっとあいつの願いは、また叶わないんだろうなって」

 ああ、とその場にいた誰もが納得し、頷いた。

「いつもの事か、あの時のように」

「私たちの時みたいに」

「はい。あの時と同じですね」

「なんだ。あれって毎度の事なのね」

「そうか。そうだな。なら、安心だ」

 心当たりのある者たちは、懐かしそうにその時の事を思い出す。

 あの時のように、いつものように。あの男はきっと、自分のためだと言い張りながら、死ぬためだと斜に構えて。

 あらゆる理不尽を、不条理を、邪悪を、絶望を喰い千切る。

「だから、私は私の戦いをしながら、ここであいつが帰ってくるのを待つよ。また死ねなかったのってからかうためにもね」



 ティアマットが今の姿となってから数千年、一度もこんな焦燥を感じたことは無かった。いつだって有利な状況で事を運び、他の欠片保持者、追ってきた天使に悪魔、その他多くの敵と戦った時だって、いつでも出し抜いてきた。己の張り巡らせる計画は、完璧だったからだ。

 だが、どうだ。バシリアを埋め尽くし、己を讃えるはずの自分の信者たちは、今や半数は戦闘不能状態だ。どこからともなく沸いて出た連中と戦い、追い詰められている。

 理解出来ない。理解しがたい。一体どこで計画を誤った。

 ぴしり、と。計画が破綻する音が空間に響いた。

 かつて、した事のない表情で、ティアマットは音源の方をゆっくりと振り返った。

「確かに、欠陥だな」

 幽鬼のようにふらふらと、しかして確固たる意思を持ち、二本の足で立つ男がいた。拘束していたはずが、その拘束を力尽くで引き剥がしたらしい。この空間の、ティアマットの意思により生まれた拘束を、だ。

「あんたの失敗は、この空間のことだけじゃない。世界を壊そうとするから、世界を敵に回したことだ。誰も、あんたの楽園に行きたくないってさ。だから、抗っている」

『君は、どうなのだ』

 だが、修正は可能だ。目の前の男さえ死んでしまえば、全ては元通り。抗う連中も、いずれ力尽きて死ぬだろう。

『君は、これで良いのか。私の楽園以外での未来は、愚かな人類が溢れ変えるのみだ。君のお姉さんのような犠牲が数多く生まれることだろう。そんな未来を、許容すると言うのか?』

「ああ、うん、痛い所を突くね。けど」

 心から揺さぶろうとした。だが、男の心は波風どころか、波紋すら浮かばなかった。

「これはもう、仕方ない。良い女が、僕の帰りを待っている。男として、帰らなければならない。だろ?」

 男もまた見ていた。バシリアの戦いを。彼女たちの戦いを。

「僕がいるのは、過去でも未来でもない。今だ。彼女が今、ここにいる。それを消させるわけにはいかない。悪いな、未来の幾千幾万の人々。僕は顔も知らないあんたらよりも、今ここで懸命に生きている、最高に良い女を取る。そのために、新しく生まれようとする世界に敵対する」

 剣を取る。そして、須佐野尊は言い放つ。

「だから、僕はここにいる」

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