第238話 軌跡に導かれる結末

 目が開いた。ぼうっと、何も考えられず、ひたすら一点を見ている。その見ているはずの映像が脳まで届いてないのは、真っ黒な壁のような何かが思考も刺激も遮断しているからだ。

『何故、死なない』

 黒い壁が、徐々に薄まり始めた。目の前の情報も映像として届き始め、思考もローギアながら回り始めた。だがそれを阻害するものがある。全身に走る痛みだ。うめき声すら上げられないのも無理はない。喉にもちょっと刃が突き刺さっている。どうにか頭とか心臓とかは避けてはいたが、良くこれで死んでないな、実は見間違いか、もしくは夢かと自分の感覚を疑っていたら、余所から夢ではない事を証明する声が聞こえた。

『どうして生きている。こんな事は今までなかった。同等の攻撃で同じ悪魔の欠片の所持者は死んだ。追ってきた天使や悪魔の残党も消滅した。たとえ心臓を喰らった者の力でも、ここまで肉体を破壊されて、生きていられるはずがない。何が違う。これまでと今は何が違う』

 化け物の姿に似合わず、口にするのは計算外だとか想定外だとか、学者みたいなことばかりだ。

『そうか』

 化け物、ティアマットは勝手に答えを出した。そして、笑い出した。

『そうか、そういうことか! 私としたことが、なんという、なんという愚かなことを! こんなことにも気づかないとは!』

 正直、笑うのを止めてほしい、そのでかい図体が大声で笑うだけで、空間内の空気が振動して僕の傷と、後は僕の癇に障る。

『なあおい。気づいているか? 君がまだ死んでいない理由に!』

 知るかそんなもん。気安く喋りかけてくるな。大学の同期でもあるまいし。大学行ってないけどね。

『私が君に自慢した、この空間のせいだよ! 長年苦労して作り上げた、信者から信仰心を吸い上げて私の力に変え、私の意思を反映するこの空間のせいだ!』

 一人勝手に納得されても、話を聞かされるこっちはちんぷんかんぷんだ。クシナダがいつも『その話知らない!』と僕に怒る理由が少しわかった。今度からもう少し話し合いの場を設けよう。

『ここには、私に対する信仰心等を集積する『神座』、私の力に変換する『権能』、強力になった私の力を信者に分け与える『還元』、以上三つの機能が備わっている。だが、欠陥があった。試行錯誤の末に完成したと思っていたが、まさかの欠陥、そして仕方のない欠陥だ』

 ティアマットがフリスビーを投げるような、右腕を大きく振るう動作をする。腕の先につられるように、真っ暗だった空間に何枚もの絵が貼り付けられる。いや、絵じゃない。動いている。動画だ。SFで良くある、空中にモニターが浮かび上がるあれだ。

『いずれこの惑星全土から私の信仰心を収集できるよう、神座を改良して行く予定だが、今はこのバシリア領内のみで運用している。私の信者がいない場所に広げても無意味だからな。さておき、発生した問題の原因だが・・・ああ、いた。彼女だ』

 一つの画面がティアマットの面前に移動する。相対している僕はそれを裏側から見ている状態だ。

 画面に映っていたのはクシナダだった。数万の信者共に追い掛け回されながらも、右へ左へと飛び回り、時に反撃している。

「逃げろって言ったつもりなんだがな」

 と言ったつもりだが、首に刺さった異物のせいで声にならない。

 逃げろと言ったつもりだったが、彼女には聞こえていなかったのだろうか。言い切る前にここに転送させられたのかもしれない。しかしそれにしたって、どう考えても勝ち眼がない戦いに身を投じるなんてどうかしている。何故、どうして残っている?

『彼女を責めるものではないぞ』

 僕の考えを読んだか、ティアマットが言った。

『君がそれほどの深手を追ってもなお生きていられるのは何故だと思う? 勘のいい君なら、ここまでの情報でそろそろ理解するんではないか?』

 僕が死ねないのは、彼女のせいってことか。

 この空間は、バシリア中から信仰心などの感情を吸い上げる。それは信者『以外』の物も含まれるということだ。クシナダが僕に対して信仰心のような、何かしらの正の感情を抱いていて、それがこの空間に吸い上げられ、ティアマットではなく僕に力を与えている、ということだ。ティアマットの誤算とは、吸い上げて得られる力が僕にまで行き渡ったことだ。おそらく感情の指向性が原因と考えられる。この空間は、信者と自身のみの関係性しか想定されておらず、信者以外の感情は検討されていないのだ。誰に向けられた感情であっても、吸い上げた全てが自分に向けられるように設定していなかった。これは仕方ない。奴の想定では、自分の敵となる悪魔の欠片保持者には、奴の信者のような相手は存在しない。個の時点で既に生物として完成している連中が、他人に慕われ、敬われることなどありえない。また、他の敵には、悪魔の欠片保持者が持つ、誰かの感情を糧にする力が無い。奴と同等の条件を持つ者がこの空間に入り、また同等に正の感情を抱く誰かがいなければ、確かに今日まで検証不可の部分だ。僕の顔を見て、ティアマットは僕が自分と同じ推測に至ったことを見抜いた。

『見落としていても仕方のない、問題の発動条件だと思わないか。慕われ敬われる化け物などいるはずがない』

 だが、その問題もすぐに解決する。ティアマットは画面を指差した。

『問題を解消する為に設定を作り直すのには、また莫大な時間と労力を要する。この空間の要である設定を直さなければならないのだから。が、そもそもの話、この条件に適合するのは、この世界に私を除いてたった二人。君と彼女だけだ』

 そして、とティアマットは続ける。

『この空間にいる君が殺せないのは理解出来た。彼女の思いが続く限り、君にはこの空間の力が適用され、致命傷を紙一重で避ける』

 見るからに致命傷を追っている人間に向かって何て的外れなことを言っているのだ。

『だから、彼女を殺そう』

 ぎり、と奥歯をかみ締める。僅かに残った力を絞り出す。話の流れから、そういう展開に向かうだろうね。

『彼女さえいなくなれば、君に力を供給できるものがいなくなり、君も死ぬ。最初に消すべきは、彼女だった』

 貫かれた四肢に、脳が何とか指令を飛ばす。四肢に込められた力だけでは足りない。悪魔に植えつけられ吸収した魔力とやらを全身に行き渡らせ、パワードスーツのように動作の補助に変える。傷口が更に裂け、固まっていた血が再び流れ始める。

『善戦しているようだが、それもここまで、多勢に無勢、加えて、ほら、見るがいい』

 僕が動こうとしているのを知っているくせに、ティアマットは無視し、画面を注視している。いつでもまた叩き潰せるということかよ。

 力を緩めずに、僕もまた画面を見やる。制限時間を知るためだ。画面では、クシナダの背後にあった壁が爆発し、そこから一匹の信者が飛び出したところだった。これまで見たどの信者よりも巨大で、異質だ。他の信者がティアマットと同じ姿であるのに対し、今出てきた奴は更に巨大で、姿かたちも変わっている。鱗が全て逆立つように生えており、大根や山葵をおろす、おろし金のようになっている。腕や足の筋肉が更に発達して隆起し、他の信者が羽で飛んでいたのに対して、こいつはその四足で大地を蹴って走っている。速さも段違いだ。クシナダの速さに適応している。空気を操る力で小回りがきく彼女は、新たな信者の猛攻を躱しているが、画面から見える彼女の表情に余裕は無く、むしろ苦痛をこらえるように歪んでいる。それほどの相手なのだ。

『素晴らしい。敵対者に合わせて進化したのだ。わかるか。私から何かを指示したわけではなく、自分たちで敵に対抗する為に考え、適応した』

 信者の攻撃をすんでの所で躱したクシナダが、隙を見て矢を放つ。これまで数多の信者たちを屠ってきた必殺の矢を前に、信者の逆立っていた鱗が波打った。ぎざぎざの表面が一変、墨を吸った毛筆よろしく整った。矢が信者の肩に到達し、甲高い音を立てて逸れ、見当違いの方向に飛んでいく。

『彼女の弓の腕は見事、躱すのは不可能に近い。避けられないのなら、当たる事を前提に対応した、といったところか』

 曲面で矢を受け、逸らした。一点を突く矢は、貫通力が高いが、反面少しでも接触点が逸れると途端に威力が減衰する。

『おっと、いけないな。同等の速さの相手に、それは、いけない』

 矢が外れた動揺は、きっと一秒にも満たないものだっただろう。だが、その一秒は生死を分ける。集中を切らした者と切らずにいる者とではスタートダッシュに大きな差が出る。信者は一秒の隙を逃さず、攻勢に出た。一歩踏み出し、腕を薙ぐ。クシナダもすぐに対応したが、相手の方が早い。そこですぐに次善の手を打った彼女は見事と褒めるべきだろう。これまでの経験の賜物だ。巨大な手のひらが迫る前に、水の壁を精製した。衝撃を少しでも緩和するためだ。

 だが、急ごしらえの水の壁は信者にやすやすと打ち破られる。水の壁を弾き飛ばした、人を丸々包み込めるほど巨大な手のひらがクシナダの左半身を打った。

 クシナダの姿が消えた。ついで、右方向の屋台やら家屋やらから粉塵が上がった。画面がその方向を追う。レンガ造りの家屋の壁を三軒分崩落させ、四軒目の壁に埋もれていた。信者がその後を追う。ボロボロだった三軒の家屋を完全に解体し、今度は腕を振り上げた。四軒目の家屋ごと押し潰す気だ。

 キラッと何かが瞬いた。腕を振り上げていた信者が、その腕を振り下ろすことなく自分の顔を覆った。のた打ち回る信者の顔から矢羽が突き出ている。唯一鱗のない目を狙ったのだ。瓦礫の中から、クシナダが飛び出した。この時を待っていたとばかりに、再び矢をつがえ、力を込めて放つ。防ぎようのない信者は、首から上を失った。

『お見事。不利な相手を前に、勝ちを得るとは。だが』

 クシナダは満身創痍だった。一時も気を許せない状況で戦い続け精神を削り、相手の一撃で体力も気力も削られた。いくら怪我が治るといっても限度があるのは自分も知っている。

 反対に、今倒した信者の頭は再生を始めている。時間が経てば彼女を再び追い詰めるだろう。それだけではない。同じような個体がもう一体、二体と増え、彼女に襲い掛かった。

 結論。彼女はもうもたない。

 ならば、今の僕に出来るのは唯一つ。

「うぅううあああ!」

 かすれの酷い声を出す。ビシッ、と刃に亀裂が入る。音は更に連鎖し、刃がつき出ている根元まで達した。体をがむしゃらにねじる。刃にとって負荷のかかる方向にねじるのは、僕にとっても苦痛が増す。食いしばって堪え、ダメ押しとばかりに体をよじった。

 パァンと刃はガラス細工のように細かく弾けた。体を支えるものが無くなり、僕は地面に叩き付けられる。全身が痛い。痛くないところがない。それでもまだ生きている。生きているという事は立てるという事であり、立てるのならば僕は戦えるという事だ。

『なぜ足掻く』

 ようやく、ティアマットが僕を見た。千切れかけた手足に力を込め、血を吹きながら、僕は四つんばいになった。半ばでへし折れて、僕より先に落ちていた、今や第二の相棒と呼ぶべき朱色の剣を取り、杖のようにしてゆっくりと膝を伸ばす。

『死ぬことが目的だったはずだ。ここで死んでもいいと思っていたはずだ。君は充分に戦った。あの並列世界を行き来する、神を名乗る管理者との契約も、大体果たせたはずだ。そもそも、あの契約はこの世界のバランスを保つために、そのバランスを崩そうとする連中を倒す、というものだった。だが、私の作る世界は違う。きちんとバランスを保つ。ルゴスは人類を滅ぼすといったが、私の狙いは少し違う。現存する人類を、私の信者に変える。そうすれば種は一定の数に保たれ続ける。信者の数は増減せず、また、これより人間が犯すはずだった愚行によって自然が破壊されることも無く、大地が穢れに侵される事もない。完全な世界、誰もが悲しむことも苦しむこともない楽園がこの星に誕生する。君も一瞬、受け入れたはずだ。死を受け入れたのだから』

 なのに何故、今更足掻こうとする。ティアマットは心底理解出来ないといった風に嘆いた。まるで物分りの悪い生徒を窘める先生だ。人の愚行、僕もその一端を見た。だから、この世界が以降、そんなものが起こり得ない世界だというなら、それはそれで悪くない。そう思ったのも事実だ。抗う抗わないは別として。

「思い出したんだ」

 喉の傷が治り、普通に声が出せた。かすれ気味なのは傷が治りきってないせいか。

 画面の中の彼女の顔を見た。絶望的な戦い続ける彼女は、俯かない。

『思い出した? 何をだ?』

「約束さ」

『約束?』

「さっき少し話したけど、僕は死に方にはこだわる。そして、その死について先約があったのを思い出したんだ」

 蛇神と戦うとき、僕は最も死亡率の高い、蛇神の気を引く役目に立候補した。死ぬために来たからと僕が言うと、彼女は言った。僕が生きてないと作戦は成功しないから生きろ。そして続けた。生きて帰ったら、望み通り止めを刺して上げるから、と。

「僕を殺すのは彼女だ。悪いね。先約が入っていたのをすっかり忘れていたよ。だから、あんたに殺されてやるわけには、いかなくなったんだ」

『だから、足掻く、と』

「理解しがたいかも知れないけど、これも人間性ってやつでひとつよろしく」

『ああ、全く理解出来ないとも。そして、君の言葉も』

 ティアマットが手をかざす。まずい、来る!

 漆黒の地面が隆起した。ボコボコと沸騰した水のような不定形から、突如硬質な刃が飛び出す。

 ティアマットが自慢した通り、この空間は奴のためにある。奴の意思によって形を変え、異物を処理しようと蠢く。それがこの刃だ。さっきは幾千、幾万の刃が全方向から伸びてきた。今度は真正面からの一本のみ。だが、早さも大きさも比較にならない。躱しきれないと逃げるのを諦め、折れた剣を掲げた。刃と刃が衝突する。

 一瞬さえ、受け止め切れなかった。手に持った剣を逸らさなかっただけまだマシだろうか。僕の体は迫る刃の勢いに負け、後ろへ飛んでいく。それもすぐに終わり、僕は壁に叩き付けられる。塞がろうとしていた傷口が再び一斉に開いた。頭が真っ白になる。体の中の空気が押し出されて無くなり、意識が遠のいた。

『君の言い分では、まるでここから脱出出来るかのようではないか。そんなこと、不可能だ。なぜなら、ここを出るためには、この空間の主である私を打倒しなければならず、その力が君にはないからだ。出来ない約束はするものではないな。感心しない』

「やかま、しいっ」

 腕に残り少ない力を注ぎ、刃を逸らす。壁に刃が突き刺さる。攻勢に転じようとして、足がもつれ、無様に転がった。まるで地面に拘束されたように動きがとれない。何かされてるわけじゃない。完全に体力の限界なだけだ。

『自分の体を見ろ。もう限界なのは理解しているはずだ。私の刃を受けるだけで精一杯の体で、どうやって私を打倒する。今生きているのは、君の実力ではない。彼女の思いが、私の力が君に死を与えようとしているのを、どうにかして逸らしていたからに過ぎない』

 言い返す力もなく、ただ息を荒くする。少しでも空気を吸って、頭を回転させるために使う。体を動かす為に使う。

 苦しむだけだというのに。諦めの混じった声で、ティアマットは呟いた。

『では、仕方ない。君の命の先約である、彼女をやはり、先に殺そう』

 させない。

『いいや、させてもらう。そして君は、そこでそれを見ていろ』

 立ち上がり、駆け出そうとしたところで、足が拘束される。地面から鎖が伸び、僕の足を絡め取ったのだ。再び無様に、潰れたカエルのように頭から突っ伏した僕の腕も同じように拘束された。

『うつ伏せのままでは少々見づらいが、我慢してくれ。どうせ痛みも苦しみも、すぐに消える』

 ティアマットが画面を僕の前に移動させた。画面には、四方をあの強力な個体に囲まれ、絶体絶命の状況にある彼女が映っていた。



 豪腕が空を切った。クシナダはその隙を見逃さず、矢を放とうとして、無理な体勢でその場を離れた。一拍遅れて、彼女がさっきまでいた場所を違う腕が通過する。先ほど引き離したはずの一体が、もう追いついてきた。

 舌打ち一つ置き去りにして、彼女は大きく距離を取る。だが、すぐに方向転換を余儀なくされる。更にもう一体が、彼女の死角から襲い掛かったのだ。間一髪、躱すことに成功したが、距離を開けたはずの二体にすぐに間合いを詰められる。

「むさ苦しいのはお断りなんだけど、ね!」

 軽口を叩くのは、苦しいのを悟らせたくないからだ。悟られるのさえ悔しい。だから平気な顔をして矢を射る。が、案の定、それは硬い鱗に弾かれる。力をためることが出来れば、鱗も関係なく貫けるとは思う。しかし、その時間がない。一体を倒す間にもう二体に襲われたら意味がない。

「タケルがいれば・・・」

 ここにはいない彼の名を出す。彼が引きつけ、クシナダが止めを刺す。パターン化した二人の戦い方だ。まだ一年ほどの付き合いなのに、長年連れ添った夫婦のような息の合い方に、彼女は少なからず快感を覚えていた。それが今は出来ない。もどかしい。

「くっそ、早く帰ってきなさいよね」

『それは出来ない相談だ』

 声、同時に、冷たい殺意がクシナダの背筋を凍らせる。咄嗟に水と空気の壁を作れたのはさすがと言うべきか。もしそれが無ければ、彼女の体には大きな穴が空いていただろう。

 閃光が走り、彼女のわき腹が大きく削れた。悲鳴も上げる事叶わず、クシナダは空気の翼を維持する力も失い、落下した。

 地面に叩き付けられた彼女が見たのは、砲身から煙を上げるルゴスの姿だ。追い込まれていた事をようやく理解した。あの強力な個体は囮だ。奴らの役目は、ルゴスの狙うポイントに自分を誘導することだった。気づいたときにはもう手遅れ。再生もままならぬままその場から飛んで逃げようとしたところを、再び信者が妨害した。今度は避けようがない。羽虫のように、クシナダは巨大な手に押し潰された。鮮血が彼女の口から溢れ出す。

『あの男はおそらく、もう死んだ。神の計画の礎となった』

「死んだ? は、はははは、面白い、冗談ね、グッ!」

 彼女を押さえつける信者の腕の力が強まり、軽口も叩きづらくなった。

『お前も、もう苦しむな。足掻けば足掻くほど、苦しむだけだ。もう、楽になれ。我らの楽園の礎となれ』

「やな、こった・・・」

『お前の意思は、関係ない。だが、お前の事は未来永劫覚えておこう。我らに刃向かった、愚か、なれども強かった人類のことを』

 ルゴスが合図を出すと、クシナダを押さえつけていた信者が手をどけた。逃がすためではない。もう一度、今度は確実に殺す為の一撃を見舞う為に、手を振り上げたのだ。彼らも分かっていた。彼女はもう、飛ぶ力すらない。後一撃で決まる。

 信者の腕が変化した。巨大な剣だ。あの剣に刺し貫かれれば、流石のクシナダも生きてはいられない。

 ここまで、か。タケル。後は任せた。

 静かに、クシナダは目を閉じた。





 どれほどの時間が経っただろうか。彼女に、想像していた苦痛は訪れない。ならば自分は死んだのか、ここは死後の世界か? その割に体は痛い。死んだのだから、そういうのから開放されるかと思ったのだが、痛いままだ。特にさっき撃たれたわき腹はじんじん痛む。死んでも痛みが続くなんて詐欺だ。こんなの聞いていない。ああくそ、まだ痛い。痛い、痛む、が・・・何だ? なぜか暖かい。心地よい。痛みも大分薄れてきているようにも感じる。ああ、ようやく死後の世界に行けるのか・・・

「残念じゃが、まだ行けそうにはないのう」

 からからと楽しそうな声が聞こえた。

「え?」

 閉じていた瞼を開ける。

 そこには、彼女が想像していた光景はなかった。彼女が想像していたのは、自分の体を刺し貫く剣が面前にあって、周囲を勝ち鬨を上げる信者共に囲まれている、という光景だ。だが彼女が目にしている光景は全く違った。

「・・・え?」

 理解が追いつかない。どうして、私は助かっている。どうして、どうしてここに彼女たちがいる!

「いつか、お主は儂らに言ったな。ケンキエンの猛攻を前に、心が折れていた儂らに『奇跡が欲しければ立て、立って動け。己が望む結末の方向へ』と」

 クシナダの前には、巨大な鋼の棍棒があった。その棍棒の横には、クシナダを殺そうとしていた信者の成れの果てが潰れている。頭の凹み具合から、その棍棒の一撃を受けたものと思われた。クシナダの矢すら弾く鱗を押し潰す、圧倒的な膂力。彼らにはそれが可能だ。

「儂らがここにいるのが不思議そうだが、これこそ、お主が動き、足掻き続けた結果ぞ。だが、儂はこうも思うのだ。望む方向に動き続けて辿り着いたのなら、それは奇跡ではないのではないか、と。奇跡ではなく、軌跡。お主が動き続けたからこそ、儂らは間に合った。お主がこれまで積み重ねてきた努力と戦いの全ての軌跡が、儂らをここに導いた。誇るがいい。気高き狩人。お主は奇跡に頼らずとも、己が望む結末を己の手で導いた」

 クシナダの前に並ぶは、信者どもの巨躯にも負けぬ、鎧姿の鬼の隊列。皆が皆武器を持ち、周囲の信者たちを威圧している。そして、彼女の傷口に手を当てるのは、彼らを従える知恵と慈しみ、そして美貌を兼ね備えた巫女。

「さあ、反撃開始じゃ」

 獰猛な笑みを浮かべ、鬼の軍勢は雄叫びを上げた。

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