第236話 彼女の選択

「クシナダ、逃げ」

 そこまで言って、クシナダの目の前からタケルは消えた。同時に、空間を圧迫していたティアマット本体も消えた。

「何が・・・」

 死んだとは思えない。あの男はそう簡単にくたばるような人間ではない。自分が一番良く分かっている。

『羨ましいことだ』

 クシナダの前に、ルゴスであったものが浮かんでいた。

『奴は、神の世界に連れていかれた』

「神の世界?」

『そう。神がこの世界に顕現される前におわした、神が眠っていた世界だ』

 どこだそこは、と尋ねても、どうせ答えもタケルも帰っては来ない。

 ただ同時に、最悪の事態ではない事は理解できた。それであるなら連れていかれた、などという表現はしないはずだ。いつかの、宇宙船のワープみたいなモノでこことは別の場所に行った、ということだろう。

「いつもこれだ。肝心なときにどこかに行っていなかったり遅れてきたり・・・」

 今までのことを思い出して苦笑を浮かべる。閉じ込められて遅れた、とか、迷って遅れた、とか。自分から敵に捕らわれに行った、何て時もあった。それでも、彼は必ず戻ってきた。今はそれを信じるしかない。

『帰りを期待するのは無駄だ』

 クシナダが考えている事を見抜いたようにルゴスは言った。

『あの男の死は確定した。神の世界に連れ去られたという事は、戻ってくるには神と同等の力が無ければならない。つまり、神を倒せるだけの力だ。しかし、我らが神は、我らの祈りと共にあり、祈り続く限り力が増大する。ゆえに、神の力を超える事は不可能であり、あの男が神を凌駕することもまた、不可能である』

「ごちゃごちゃとうるさいわね。それなら、祈れる連中が全員いなくなれば力が弱まるってことでしょう?」

 ルゴスは目を丸くする愛嬌ある仕草を龍の顔でやってのけた。

『ふ、ふはっ』

 大きく裂けた口を目一杯開いて高笑いし、ルゴスはクシナダを見下ろした。

『何を言っているのか、分かっているのか。お前は今、我ら全てを相手にするといったのだぞ? 言い間違いなら、今訂正するが良い』

「言い間違いでもそっちの聞き間違いでもないわ。今から、あんたたちを全員倒すと言ったのよ」

 クシナダの中の、冷静な部分はそれが不可能だと告げていた。一体一体は大したことがない。十体二十体、百程度までなら充分戦える。問題なのは問題ない数と判断した、その百倍はいるということだ。国民全員って何人いるんだ。一万、二万で足りるのか。しかもさっきまで、タケルが敵の目をひきつけていてくれたから余裕もあった。これからの戦いに、それはない。

 だが、やるしかない。それが、違う場所で戦っているであろう彼の助けになるのならば。出来るか出来ないかを考えるのは無駄だ。やるしかないのだから。

『威勢の良い事だ。それを可能にする力もある。だが、我らを甘く見ないことだ。我らは神より加護を得ている。その意味を教えてやる』

 そっちを見ろとでもいうのか、ルゴスが指差す。こちらの隙を作ろうという魂胆かと警戒しながらも、ちらりとクシナダはそちらの方向を見て、一旦ルゴスに戻して、今度は首ごと、再び指差す方甲を見た。

 そこには、先ほどタケルが倒した信者がいた。腕を切り落とされ、喉には血を流し続ける深い傷がある。その傷が徐々に塞がり始めたのだ。血の流出も止まり、腕の断面からは新しい腕が生えた。

「嘘でしょう?」

『不死が、お前たちだけの専売特許と思うな。神がおわす限り、神から我らには加護が与えられる。先程も言ったことだが、神は我らの祈りを受け力が増す。ゆえに、神を超える事は不可能。つまりだ。神がおわす限り、お前が我らを倒すことなど不可能であり、我らが祈り続ける限り、あの男に神を倒す事は不可能』

 クシナダが歯噛みする。あまりに、あまりに残酷な現実を突きつけられる。戦意を喪失しなかっただけでも、評価に値する。

『加護はそれだけではないぞ。お前は今、倒せないまでも戦えると、そう考えただろう』

 言い当てられ、クシナダは口ごもる。

『なるほど、確かに我が今、お前に向かったとしても返り討ちに合うだろう。戦いの経験や技術は、お前の方が上だ。認めよう。ならば数で囲む? それも難しい。速さでも劣る我らがお前を囲んでも、先ほどの男が取っていた戦法を使われれば捉えるのは至難の業。ではどうするか』

 するするとルゴスは地上に降り、近くにいた一体に手を差し出した。対する一体も、ルゴスに対して手を出し、二体は手のひら同士を合わせた形になる。

『融合』

 おもむろにルゴスが言った。瞬間、二体の体がくっついた。水滴同士が触れると、一つで二つ分の質量を持つ水滴になる、それに似た印象をクシナダは受けた。実際、現れたのは周囲に群がる信者たちよりも人回り大きな体躯を誇る存在だからだ。

『これだと、総数が減ってしまうのが難点だが、代わりに力が倍になる。また、耐えられる加護の量も増幅する。加護とは神の力の一端。受け取れる力が増えれば、不死だけでは無く、こういうことも出来る』

 ルゴスの右腕が変質する。ぐにゃりと粘土のように形を変え、馬上槍のような三角錐の槍へと変化した。だが、槍にしては穂先が鋭利ではなく、半ばから欠損している。ルゴスが穂先をクシナダに向けた。穂先の頭から槍を見ると、穴があいていた。槍と言うよりも、筒だ。

 そのことを確認したクシナダは、体をねじり、体を横に倒した。後ろ髪がチリチリと引っ張られるような感覚。危機が迫っていると体が訴えたのだ。何が危険かは理解はしていない。しかし、こういう時の感覚は彼女を裏切らない。

 果たして、彼女の選択は正しかった。彼女の上半身があった辺りを、青白い閃光が通過した。閃光はそのまま家屋の壁に当たる。派手な破砕音では無く、ジュッ、と熱された鉄板に落ちた水滴が蒸発した時のような音だった。振り返り、見れば綺麗な丸い穴があいている。穴周辺のレンガは、まるでヤスリにでもかけられたかのような綺麗な断面をしていた。

『初見であるはずなのに、良くぞ躱した』

「いや、初見、って事はないわ。どっかで見た気がする」

 だからこそ、躱せた部分もある。同じような武器をどこかで見た。だから、あの穴が向いている方向は危険だと体が覚えていた。

 クシナダの頭の中で、似たような映像が記憶の中から引っかかった。いつかの、宇宙で戦った時だ。敵が持っていた銃という武器。あそこから放たれた光の矢も、同じような効果を生み出していた。確か、タケルはアレをなんと言っていたか。

「レーザー、だったっけ」

『ご名答』

 槍ではなく、銃を構えたまま、ルゴスは答えた。

『高温によって、物質を焼いて切断する。これは、元はお前たちと同じ欠片持つ物が持っていた力だ』

「ティアマットが倒した、他の悪魔の欠片のってこと?」

 疑問符は付けたが、おかしな話ではない。クシナダもまた、これまで倒した敵の力を使うことが出来る。

「加護ってのは、他の悪魔の力を使えるようになるって事なのね」

『一部、ではあるがな。お前たちのように本来の力を用いれば、この体では耐えられん』

 この体では、とルゴスは言った。逆説的に、先ほどのような融合をすれば可能ということ。死なない万の敵。つう、とクシナダの頬を汗が伝った。

『種明かしはこれで終わりだ。これからは、どちらかが滅びるまでの戦いだ』

「滅びない連中が、良く言うわ」

『そうだな。だから、滅びるのは、お前だけだ』

 クシナダの皮肉に、ルゴスは応じ、周囲の信者たちはその両翼を羽ばたかせて次々と浮いた。クシナダの三百六十度、七百二十度、上下前後左右全てが敵。頼る者はなく、相棒も敵の手に落ちた。勝てる見込みはゼロ。

『者ども、かかれ!』

 ルゴスの号令と共に、融合し、更に強くなった信者達がクシナダに殺到した。

「負ける、もんか!」

 それでも彼女は歯を食いしばり、顔を上げた。顔を下げても何も見えないのは、よく知っている。

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