第235話 終着駅
『死ねェ!』
仮にも神の眷属を名乗る輩の口から出た言葉とは思えないな。
一番槍で到達した信者が振り上げた腕を力任せに振り下ろす。豪腕もさることながら、指の先の鋭い爪は人の体くらい簡単に引き裂くだろう。それだけじゃない。爪と爪の間でバチンと閃光が弾けた。警戒し、受け止めずに大きく躱す。僕がいた木組みの床に信者の手が突き刺さり
パンッ
レンジにかけた生卵が破裂したような軽い音で、信者の手が触れた木材部分は弾けて抉れた。爪が削り取ったようには見えない。刺さった爪の周囲が自分から破裂したような感じだ。あの閃光がマジックの種か。木を破裂させるってどういう原理だ。熱によって水分が蒸発して木製品は変形すると聞いた事があるけど、アレの進化版か。だが、それほどの高熱なら燃える方が先だ。いや、生木は燃えないんだったか。
ともかくは、刺さった相手に爪から高熱か振動か電流かその辺を流し込んで、内側から破裂させている。大砲の榴弾とか炸裂弾をゼロ距離でぶっ放しているようなもの、と。僕らが知っておくべきは
「小難しい理屈はわからないけど!」
すぐ真上でクシナダが叫ぶ。既に彼女は矢を放ち終えた後だ。一番槍で勇ましく飛びかかってきた信者の脳天に、彼女が放ったであろう矢が突き刺さっている。
「当たっちゃダメって事でしょう?」
涼しい顔で真理を言う。その通りだ。僕らが知っておけば良いのはその情報だけだ。二撃目を放とうとした姿で事切れている信者を、後から押し寄せていた連中に向けて蹴り飛ばす。すぐに蹴り飛ばした方向へと足元を蹴る。飛んできた信者を躱した二番槍、三番槍は一番槍の死体に巻き込まれる愚は冒さなかった。が、通り過ぎる一番槍を見送る愚を冒した。猫や犬は動くものを追う習性があるが、これは狩猟本能によるものだ。奴らは既に犬猫のように可愛げはないが、狩猟本能のようなものは備わっていたようだ。人間も狩猟民族だったし、変化したことでその辺りの本能も強化されたのかも知れない。それでも、戦いに慣れた人間であれば、よほどの事がない限り相手から目を離すということもなかったろうが。
再び彼らが視線を戻した時には、既に刃は首元を捉えていた。左右の首が血の軌跡を描いて飛ぶ。
さらに後ろにいた信者たちは、流石に同じ愚は冒さなかった。今しがた仲間の首を切り飛ばした僕から目を離さない。間合いを計り、慎重になる。圧倒的な数のという武器を用いて、一斉同時攻撃のタイミングを図り
『い』
ま、と続けようとした先導役の声が途切れる。大きく開いた口からは矢羽が飛び出している。
「クシナダの存在を忘れるほど集中しちゃ駄目だよ」
タイミングを計っていた連中がタイミングを見失えば、そりゃ脆い。彼らは再び僕の接近を許す。信者の壁を切り崩し、中にわざとなだれ込み、隙間を縫いながら致命傷を与えて行く。いつかの、すれ違い様にターゲットにナイフを突き立てる技術がこんなところで活かされるとは思いもよらなかった。あちらが数を活かすというなら、こちらは最少人数という利を活かす。僕は剣を二振りの短剣に変え、最短距離で最速の一撃を加えて離れるヒットアンドアウェーの戦法を取る。
今のやり取りでわかった。どれほど力を得ようと、彼らの中身、感覚はまだ人間だ。だから、急に近づかれても対応が一手、二手遅れる。僕はそこを突き、倒し、すぐにその場を離れて次を目指す。半端な空間を作るよりも、こちらは超至近距離で対応する。逃げ込む隙間は彼ら同士の隙間だ。彼らの身長は二メートルから二メートル半。縦だけでなく横も広がり、また翼もあれば姿勢も悪い。隣同士で腕がぶつかり、思うように振るえない。人間同士であればラジオ体操が出来るほど他人と距離が離れていても、彼らではパーソナルスペースで排他域の距離すら保てないようだ。僕が簡単に通れて、相手が動くのに困難な距離を常に保てる。しかも、僕に気を取られていたら、後続のクシナダの強襲が彼らの命を刈り取る。
「ほう?」
残り十メートル位の距離で、イスカリオテが感心したように口を開いた。
「私の経験則から話させてもらうが、普通、もう少し躊躇するものではないのか? 彼らの中には、少し前までは君たちと目標を同じにしていた仲間も含まれているのだぞ?」
「だった、だね。彼らは既に僕らと袂を別ち、僕たちを殺そうと動いている。向かってくるなら、迎え撃つさ」
「元々、死にたがっていたのにか?」
そんなことまで知っているのか。
「だからこそ、死に方にはこだわろうと思ってね。座して切腹し、介錯を待つなんてキャラじゃない。それに、契約もあるからね。無理だからと投げ出すのは不義理かと思って。そっちこそ、僕たちと彼らとで争うのを見るのが心苦しいなら、手を引かせるよう命令しろよ」
「悪いが、出来ない相談だ」
「だろうね。期待はしてなかったよ」
会話が終わる頃、僕はイスカリオテに肉薄していた。崩れ落ちる信者の一人の影から抜け出し、低い体勢からエスカレーターのパントマイムのように剣先を徐々に上げ、イスカリオテの喉元に照準を合わせる。果たしてイスカリオテは、その剣先に自らの右腕を差し出した。ずぶっと剣の根元まで刺し込んだが、首元には至らず。至近距離で奴とにらみ合う形になる。それも一瞬、僕はもう一方の剣で奴の右手を切り飛ばし、すぐさま信者たちの影に隠れた。ぶうんと奴の残った左腕が空を切る。
「良い判断だ」
切り飛ばされた右腕など意にも介さず、イスカリオテは僕を褒めた。
「あのまま捕まえておければ、串刺しになっていたのは君だった。状況判断能力、危険察知能力、見事なものだ。おそらく、で語らせてもらうが、君はここまでの危機に陥った事はないはずだ。孤立無援、迫るのは私の力を得たバシリア全国民。その状況下で冷静に判断を下し、最善を尽くし続けている。人間の身でどうやって我らレヴィアタンの眷属を倒したのかと思っていたが、なるほど納得だ。そういうのは元から身についていたのか? それとも身に付けたのか? 何であれ、羨ましいね。自分が持たない才能は特に」
「ありがとよ。褒めても何も出ないぞ」
そっちこそ、僕が持っていないものを沢山持ってらっしゃると思うがね。隣の芝生は青いものだ。
「いや、君の戦い方は賞賛に値するよ。そして、君をサポートする、彼女の働きも。君が引くに合わせて、逃げる方向にいた敵を倒している。自分に迫る脅威を片付けながら。これもまた、見事。彼女のサポートを信じていなければ出来ない芸当だ。そして君も、自分に敵の目を引き付けることで彼女のサポートをしている。君たちは互いに互いの欠点を補い、長所を活かせる状況を作り出している。これはまさに、二人で一人、と言ったところか」
「褒めても何も出ないわよ」
彼女にも聞こえていたらしい。
「相手に不利な状況を作り、自分に有利な状況を作る。当たり前だが、重要で大切でなかなか困難な事だが、君たちは当たり前のように出来てしまう。このままではせっかく作った私の駒が減ってしまうな」
「それが目的だからね」
「私の信者が減れば、確かに私へ供給されるエネルギーが減ってしまう。空を飛んでいる本体の私には打撃を与えにくい為、これが今の君たちに出来る最適解だと思う。だから、こうしよう」
突如、全身に何かが叩き付けられた。びりびりと皮膚の上を駆けずり回るそれが音、鳴き声だと気づいた。イスカリオテの更に背後。これまでピクリとも動いていなかったティアマット本体の叫び声だった。ゆっくりと本体は動き出し、こちらに浮遊しながら近づいてくる。
「今度は、私たちが君たちに最適解を叩き突けよう」
イスカリオテが言葉を残し、真上に飛んだ。そこに、ティアマット本体が近づき
ばくんっ
一口にイスカリオテは飲まれた。
『驚く事はない。本体に戻っただけだ』
イスカリオテの声が、ティアマットから響く。
『当初の予定では早急に君たちを殺し、悪魔の欠片を奪って完全体になっていたはずだが、予想外の反撃で予定が滞っている。反省点だ。今述べたように、君たちは二人で一人。その強さを私は見誤っていた。だから、私が打つ次の手は』
ティアマットが右手を掲げた。ぼう、と手のひらに文様が浮かぶ。
「っタケル!」
クシナダが叫ぶ。空中にいた彼女にはよく見えたことだろう。僕の足元にも、ティアマットの手のひらに浮かんだ文様が輝いていた。
「クシナダ、逃げ」
視界が暗転する。
「ろ・・・?」
本当に突然だった。さっきまで信者たちの白一色に埋め尽くされていたバシリアの景色が消え、周囲は夜のように暗い。どこだここ。
『私が作った空間だ』
後ろを振り向くと、ティアマットの輝く巨体があった。
「空間を操る、って、こんなことまで出来るのかよ」
『出来るさ。と自慢げに言っているが、元はレヴィアタンの力の一つだがね。天使、悪魔たちが当然のように使っている並列世界への移動は、元々彼女の力を解明して出来るようにしたものだ』
これが一部だと言うんだから、レヴィアタン本体はどれだけ強かったか、凄かったか想像できない。
「そんな化け物を、よく殺せたな」
素直な感想だった。すると、すぐに返答が来るかと思いきや、ティアマットは少し思案してから、言葉を成形した。
『良くわからんのだ』
「わからない?」
『君の言う通り、とんでもない化け物だった。当時、天使と悪魔、この星に元より住んでいた原生生物、外宇宙からの侵略者など、強力な連中が大勢いた中でも、レヴィアタンは飛びぬけていた。だからこそ未だに解せん。なぜ私たちで殺せたのか。幾ら化け物に変えられたとはいえ、変えた本人がその化け物を倒せないはずがないのだ』
至極尤もな話だ。自分を殺せる化け物を、わざわざ作る必要はない。
『あえて殺させたのではないか』
ティアマットは自分の考えを告げた。
「何で?」
『それはわからん。だが、未来も過去も見通した悪魔が、自分の死を、その原因を見られなかったはずがない。何らかの目的があった、と私は思っている』
だからこそ、とティアマットは続けた。
『私は、彼女の狙いを知りたい。思惑を知りたい。完全体になればそれがわかる』
「・・・え、もしかして、欠片が欲しい理由って、完全体になりたい理由ってそれ? それだけの話なの?」
『それ? と軽々しく言うが、当時のレヴィアタンを知っていれば、そんな言葉は絶対出て来ないだろう。私がこの自分の仮説に至った時、疑問と同時に納得も出来た。彼女はそういう突飛なことをやらかす謎の生き物で、何でも出来る化け物だったからだ。その万能の力をフルに使って私たちを振り回し、虐め抜いて悦ぶのを趣味にしていた。あらゆる方法を用いて、嫌がることを何でもやってきた』
「タチが悪いな」
『ああ。最悪だ。だが、それだけのことをされても、私は彼女のことを憎めない。私は彼女に魅せられている。今もなお。だから知りたいのだ。彼女が何を考えていたか、その一端でも知りたい。それが、私が戦ってきた最初で最大の理由だ。後から色々と付随しては来たがね。人間を変質させ、永遠に私にエネルギーを供給させる人間プラント計画は、並列世界や宇宙からの侵略を防ぐためのものであるし』
「この星を支配する、ってことか?」
『ああ。ルゴスには人間を絶滅させる、なんていう檄を飛ばさせたが、それは最終手段だ。世界各地で酒を作り、人々に飲ませて変質させる。その方が効率的だ』
バシリアには多くの行商人が訪れていた。彼らの手で、既に酒は多くの地域に配布されていることだろう。
「ついでに言わせてもらえれば、これは君にとっても朗報だと思うが』
「どういう意味だよ」
『私が作り出す世界には、人同士の争いがない。つまり、だ。君の姉のように、誰かの欲望を満たすために、誰かが理不尽に殺される、そんな世界の終焉が訪れるということだ』
今までで一番ぐいっと心引かれるキラーフレーズだね。
『君だって、自分の世界が嫌だったから捨てたのだろう。私がこれから作る世界には、君の嫌いな物は一切含まれない。全ては私の管理の元で生かされる。空腹に喘ぐ事は無くなる。生存のためのエネルギーは私から供給されるからだ。物欲で満たされないことはありえない。私を信じる事、それが彼らにとって最大の幸福だからだ。奪い合うなどという醜悪な感情は存在しなくなる。病に苦しむ事はない。私が与えた体は病も、死すらも超越する。人が恐れる病、貧困、争い、全てが無くなる。故に、不安という概念がなくなる』
楽園、とは言い得て妙だ。まさか人を人とは思わない化け物が、人を幸福に導こうとしているとは面白い話もあったものだ。
「何だよ。仲間になれって誘ってるのか?」
世界を半分くれるってのか?
『それはない。言っただろう。その世界は結局副産物に過ぎない。私の最大の目的はあくまで完全体になり、レヴィアタンの真意を探る事だ。つまり、君たちには死んで頂くことが絶対条件だ』
「どこが朗報だよ」
『朗報さ。結局の所、君は死ぬ為に戦っている。そして、絶対に勝てない相手が目の前にいる。君の死でこの世界は楽園と化す。君の死は後の者たちに感謝される。全てが君の願い通りだ』
ふと、記憶が巻き戻る。僕がまだ向こうの世界にいた時、初めて神に会った時だ。僕は神に質問した。僕の死は迷惑をかけないか、と。確か、神はこう答えた。
―君の死は感謝される―
「あの約束は反故にされたと思っていたけどね」
最後の最後に、伏線を回収しに来たか。僕好みのミステリー映画と一緒だ。
『何か言ったか?』
「いや、何でもない」
二振りの短剣を元に戻す。
「さっきも言ったけど、死に方にはこだわろうかと思ってる。だから、僕は最後まで戦うよ」
『構わん。結果は変わらない』
「言ってくれるね。吠え面かいても知らないよ」
『かかせてみてくれ。出来るものなら』
「行くぞ」
『来い』
ティアマットが雄叫びを上げた。奴目掛けて、一直線に駆ける。
迷いはない。後悔はない。―一瞬、彼女の顔が脳裏を横切ったが、それも後ろに置いていく。
ガランと鈍い音を立てて、砕けた朱色の剣は地に落ちた。
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