第234話 楽園の扉
『神を信じよ』
ルゴスの声が降り注ぐ中、思考を巡らせる。
さて、これからどうしようか。
イスカリオテ、ティアマットの目的は救世主を作る事。救世主とは、神であるティアマットを人々が崇め奉るようにするための道しるべだ。ルゴスを介して、人々が神に抱く感情、『信仰心』を集める算段なのだろう。
「これが、タケルが前に言ってた『信仰』ってやつ?」
クシナダが気味の悪い物でも見たかのような、複雑怪奇といった表情でルゴスや、周囲の人々の有様を眺めている。確かに以前、僕は彼女に、今後のルゴスのプロデュースについて信仰や宗教を例え話として出した。
「こいつは、信仰というか、新興。宗教の方だな」
それもあまりタチの良くない方の宗教だ。
「何が違うの?」
「きちんと勉強した事はないから、僕の勝手な解釈になるけど。信仰は神を信じること。宗教は神を利用すること」
もちろん、きちんとした宗教はあると思うけどね。ただ、それなら宗教は血生臭い話とは無縁であったはずだ、とも思う。まあ、きちんと宗教観や人類史を勉強してないから、あまり無責任なことも言えない。正しく信仰心を持った宗教家はいるはずだ。彼らの活動を批難するつもりも、もちろんない。目の前の連中はどう考えても正しい信仰心を持った宗教家になるとは思えないだけで。
僕の宗教観やそれに付随する論考はさておき、こっちがこれから取れる策は二つ。
その一。おそらくこれから神として顕現し、人々にその威容を見せ付けて更なる信仰心を稼ごうとするティアマット本体を討つ。
その二。ルゴスや民衆の目を覚まさせる、あるいは消す。
その一はシンプルだが、周囲からエネルギーを供給されてパワーアップしている相手にわざわざ挑むことになる。その二はすぐに実行に移せるが、手間が半端ない。何千、何万もの人間を一人ずつ対処する時間と手間は、そのまま疲労に直結し、そのまま僕らの敗北を意味する。
こいつは、これまで以上に厳しい闘いになるね。というよりも・・・
「っ」「まぶしっ」
目から入る刺激で、強制的に思考を止められた。ルゴスの背後で、彼が放つ以上の光が生まれたのだ。虹色の光を周囲にばら撒きながら、それはゆっくりと姿を表す。
真っ白の巨躯が蝙蝠型の両翼を広げて浮かんでいる。四肢には力が溢れ、時折バチバチと放電していた。西洋のドラゴンと東洋の龍の両方をかけ合わせたような姿だ。
蛇神やアジ・ダハーカとは違い、首は一本。ねじくれた角が頭部の左右に二本ずつ。突き出た口元からは乱杭歯が覗き、隙間からは青白い炎が漏れ出ている。首の数は、人間だったときの認識や意識や化け物になってから生まれたそれらと相容れない時、そのまま頭になるのではないか、という仮説を立てている。アジ・ダハーカの時のドゥルジが例だ。人間が場面において使い分ける顔、心理学で言うところのペルソナと、何らかの原因によって別人格が形成される乖離性同一性障害の合わせ業みたいなものではないか、と。
首が一本って事は、化け物になってからも特に認識等が相容れないことがない。最初からこれまで一つの意思によって統一されているってことになる。
『見よ! 神が顕現された! これより楽園への道が開かれる!』
面を上げた民衆から、感嘆の声が溢れかえった。
『楽園までの道のりは遠く険しい。脆弱な人の体では耐えられない。しかし、神は慈悲深く、信ずる者には道のりに耐えうる力を授けてくださる。見るがよい。これぞ神の叡智、神の力!』
言い終わったルゴスの体が膨張した。衣服が内側から隆起する体に耐え切れず引き千切られた。衣服の下から現れた体は、もはや人の物ではなかった。真っ白い体躯に蝙蝠型の翼、つき出た口元からは乱杭歯が覗く。まるっきり、今現れたティアマット本体のミニチュア版だ。ケンキエンも似たような術を使っていた、ということを思い出し、訂正する。ケンキエンが、奴の力を真似ていたのだ。
『凄い。凄いぞ。力が溢れる。人の体の、なんと矮小であったことか。この姿にして頂けただけでも望外の幸福である! さあ、皆も神を信じよ! ただそれだけで、己の体に奇跡が宿る! 疲れを知らず、痛みを知らず、病を知ることのない、完璧な肉体が手に入る!』
芝居じみているが、説明書のただ読みみたいだ。僕のその感想はおそらく当たっている。あれはただの説明であればいい。なぜなら、感動まがいのものは、説明を実行した後に訪れる。
悲鳴と歓声が同時に上がった。悲鳴を上げたのは周囲の『人』の民衆で、歓声を上げたのは変じた連中だ。
『流れ込んでくるぞ!』『力が漲る!』『おお、何ということだ!』『素晴らしい! 素晴らしい!』
次第に、歓声が悲鳴を上回り、悲鳴はなりを潜めた。今や四方八方三百六十度、ティアマットの複製品ばかりになった。
「宗教って、凄いのね・・・」
冷や汗をたらしながら、クシナダは軽口を叩いた。
「僕の知ってる宗教とは違うな」
信じるだけで姿が変わるなんてどんな魔法だ。宗教に嵌って人が変わったとは聞いたことのある話だが、こういう意味ではなかったと思う。
「流石に、信じただけでこうはならんよ?」
イスカリオテが苦笑しながら答えた。
「ルゴスだけでなく、シャルキン三世にさせていたことも準備の一環だった」
「王がしていたこと?」
バシリアの歴史も政治も知るか、と吐き捨てようとして、気づく。彼は死ぬ前、なんて言っていた?
「天の声に従って、酒を売った・・・」
他の場所でも、新しく出回っている酒が大人気だと聞いた覚えがある。ルゴスにもバルバにも勧められた、あの赤い果実酒のことか? 結局僕らは飲まず終いだったけど。
その通り、とイスカリオテは微笑んだ。
「あの酒は私の体細胞を含めた特別製でね。飲んだ人間の細胞を少しずつ変化させていく」
「とんだ伏線の回収だ」
あの酒を飲んだ人間は、ティアマットの分身になるらしい。飲まなくてよかったと思うべきか。これで、地図の無数の赤い印の謎が解けた。あれは、酒を飲んだ人間の数だ。あの時点で、この国の人間はほとんどティアマットの一部になっていた。
「これが私の答えだ」
イスカリオテが両手を広げた。
「人間を全て私の一部として生まれ変わらせることで、人間同士の諍いが無くなる。姿かたちのみならず、思考や感情も全て同じなのだから、争う理由も必要も無くなった。また、身体機能も飛躍的に向上し、病に対する抵抗力も極めて高くなった。これで、勝手に人口が減少するデメリットは失われる」
「生き続ける限り、お前にエネルギーを供給し続ける生体電池か」
「それだけではない。こちらが搾取するばかりでは不公平だからな。私は神だ。神は、信じる者に加護を与える。彼らによって私の力は増大するが、それに比例し、私が彼らに与える力も増大する。彼らは更に私に感謝し、私にエネルギーを供給するだろう」
「それって、強くなり続けるって、こと?」
「そうだ」
信じられないような、信じたくないような口調で放たれたクシナダの疑問を、イスカリオテはあっさりと認めた。
「私を信じる者がいる限り、私は理論上何者にも負けはしない」
正義の味方みたいなこと言いやがって。奴から見れば、奴自身が正義であり、敵対する者は全て悪、ということになるんだろうけど。
「後は」
イスカリオテとティアマット群が、ティアマットではない例外たる僕らに、同時に視線を向けた。
「君たちの持つ欠片さえ手に入れば、私は完全な生命体となる」
僕は深呼吸を一度、二度として、驚くほど穏やかな気分で隣の彼女に告げる。
「クシナダ」
「何?」
「危なくなったら、僕に構わず遠くへ逃げろ」
「・・・タケル?」
『民たちよ!』
何かまだ言い募ろうとする彼女の口は、ルゴスの大音声によってかき消される。
『旅立ちの時はきた。神の僕となった我らの使命は、この星全土を楽園とすること。痛みも苦しみも悲しみもない、争いも病もない世界にかえる事。そのためにはまず、元凶を滅ぼさなければならない。あらゆる災厄を生む元凶、それは人間だ。人間を滅ぼし、我らの楽園をここに築こう。手始めに、神の敵対者たる者どもを八つ裂きにし、楽園の礎とせよ!』
号令と共に、白い波が僕たちを飲み込まんと殺到した。
もうすぐ、僕の旅も終わる。
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