第232話 終わり、始まる

 高笑いが聞こえる。シャルキン三世の口から、耳に障る嫌な声だ。

「見つけたぞ。とうとう見つけたぞ! 『生贄』!」

 小枝のような細く長い指がルゴスに突き付けられる。それを合図に、ルゴスの奇跡を唖然とした表情で見ていた兵たちが、ルゴスを取り囲み、拘束した。

「どれほどこの時を待ったことか。さあ、己が使命を果たすがいい!」

 そして、王は『飛んだ』。誰もが目を見張り、彼の自由落下をただ眺めた。王がいたのは、城門の上にある通路だ。高さにすれば、二階建ての建物よりも高い。そこから、枯れ枝のような手足の王が飛び降りたのだ。骨粗しょう症でなくても折れる。軽い音を立ててへし折れる。口に出さなくても、誰もがそう思ったに違いない。

 だが、現実はどうだ。

 音すら無く、王はルゴスの面前に着地した。まるで羽毛のような柔らかなランディングだった。兵は王の顔の高さに会うように、ルゴスの体を引っ立てた。つかつかと近寄り、王はルゴスの喉元を片手で掴み、彼の顔を自分に向かせた。

「貴様が救ったあの男。偽者だと言う事はわかっていた。天の声が言っていた風貌とは違ったからな」

「何だと」

 ルゴスが驚愕の表情を浮かべる。事情を知る人間にとっては、聞き捨てならないことを王は今口にした。天の声、確かに王はそう言った。ルゴスと同じ声を聞いていたというのか? だが、それにしては、あの王は誰かを助けようとか殊勝な思いはまったくなさそうだ。むしろ正反対な意思によって導かれたように感じる。

「『バシリアを未来永劫反映させ続けるために』。眠っていた儂に、声は最初、そう語りかけてきた。声はすれども姿は見えぬことに始めは戸惑いもしたが、従うと全てが上手く行き始めた。反対派の貴族は儂に従うようになった。金も増えた。市場に出回っている新しい酒、あれも儂が命じて作らせたものだ。面白いほど、儂の思い通りになった。これは、天からのお告げに違いない。儂にバシリアを更に大きくせよと天が言っているのだ」

「嘘だ!」

 悲鳴じみた声でルゴスは否定した。

「天の声が、そんなことを言うはずない! いつだって天の声は、人の暮らしを豊かにするための助言だった!」

「であるのなら」

 ことさら意地の悪い顔をして、王は告げた。

「儂がこの国を統べることこそが、王であることこそが、人を豊かにするためであるということであろう。全ては儂の為にあると、天の許しが出たと言うことだ。出ようが出まいが、全ては儂のためにあるがな」

「ふざっ」

 目の前に全ての元凶がいる。だが、ルゴスは手が出せない。両脇を屈強な兵士に固められているからだ。

 ならば、僕が変わりに手も足も剣も殺意も出してやる。

 まだ話の全容は掴めていない。しかし、このまま好きにさせたらあまり良くない話になりそうなのはわかる。何をする気かしらないが、僕がそれを放置すると思うな。

「ああ、そうだ」

 剣を抜き、構えた僕の方に、王は視線を向けた。偶然じゃない。証拠に、僕と王は目線の行きつく先が合致している。

「お前のことももちろん知っているぞ。異邦の戦士。相棒は儂が捕らえた人質どもを助けに向かったようだが、果たして無事でいるかな?」

 そんなことまでお見通しか。いよいよ天の声イコールティアマット説は濃厚だな。

「どういうことだ?」

「こういうことだ。『者ども、その男を捕らえて、殺せ!』」

 王の号令がかかった途端、真横からタックルを喰らった。想定外からの奇襲に思わずたたらを踏む。

「なんっ?!」

 僕の横っ腹に組みついているのは、グレゴだ。

「いきなり何をしやがる」

 頭を手のひらで押し、引き剥がそうとする中で彼の顔が見えた。グレゴの目は虚ろで、僕の姿を映していない。

「まさか」

 だが、事態は僕に推測させる時間を与えない。引き剥がしたグレゴの横から、上から、僕の背後から、四方八方から人間が大挙して押し寄せる。

 舌打ち一つ吐き出して、グレゴの体を引き剥がした。突き飛ばすと、グレゴの体は数人の大衆を巻き添えに倒れた。だが、民衆は怪我も厭わずに波のように押し寄せる。倒れたら、倒れた人間を踏み越えて。グレゴは飲み込まれ、見えなくなった。軍隊蟻の行進のように、唯一つの目的である僕を押さえるためだけに、彼らの意思は統一され、行動を起こしている。

「これぞ天より授けられし我が力。我が声は我の支配化にある全ての人間を操れる。まさに、王たる儂に相応しき力よ」

 自慢げに王が言った。この国の王だってんだから、国民全員が支配下ってわけで、全員を操れるってことか。まるでMONSTERZだな。操れないのは僕だけってか?

 体が浮いた。再び組みつかれ、力任せに持ち上げられたのだ。一瞬の油断だった。だが、それだけでは片付けられない。自分で言うのもなんだが、僕は常人を遥かに越える力がある。その僕が純粋な力勝負で早々引けを取るものだろうか。大人数と力比べをしているように見えるが、実際に僕に接触できるのは前後左右に斜めを加えて八人程度だ。仮に大人八人対僕で綱引きをしたら、多分僕が勝つ。それだけの身体能力の差がある。その僕が、八人以下のスクラム組んだ連中に押し負けている。

「まさか、力が増しているのか?」

 今思えば、グレゴに組みつかれたときもおかしかった。不意を突かれたとはいえ、ただの人間のタックル一つで体勢を崩されるなんておかしな話だ。だが、力が増しているという仮説の通りなら納得だ。操るってのは、人が無意識にかけている脳のリミッターまで操れるのか。

 思考は一旦中断だ。このままではラグビーボールみたいに地面にタッチダウンされて、上からむさ苦しい連中が覆い被さってきて身動きがとれなくなる。

 僕は目の前の男の頭に手を置き、跳び箱の要領で手を下に向けて押した。同時に、相手の体を蹴って飛び上がる。男はその場に倒れたが、コンビニのペットボトルがすぐに補填されるのと同じで、後ろにいた男がその場を埋め、僕を捕らえようと手を伸ばす。その手を跳ね除け、代わりに男の顔に靴裏を押し当て、蹴った。僕の姿に気づいた連中は亡者の如くこっちに向かって手を伸ばしてくる。ジョボビッチも驚きの不気味さだ。伸びてくる手を払いのけ、丁度いい足場になる頭や肩を蹴る。目指すは元凶だ。王さえ殺せば全てが終わる。迫り来る群集を文字通り踏み越えて、剣をつき立てるために僕は飛ぶ。くそ、進みにくい。強く踏み込むと下が潰れる。その間も掴もうと手を伸ばしてくるし、こっちに向かって動くから、エスカレーターを逆走している気分だ。なかなか前に進まない。いっそ全員なぎ倒していった方が早いか?

 視線の先にいる王は、僕の事などどうでもいいとばかりに無視し、ルゴスと向き合っていた。二人の会話が、人混みをすり抜けて耳に届く。

「さて、最後の仕上げだ」

「仕上げだと」

「そうだ。貴様の力を、全て儂に譲渡せよ。癒しの力とは、これつまり生命を操るに他ならぬ。その力を用いれば、永久の命を得ることも不可能ではない」

 永久の命だと? ルゴスは鼻で笑った。

「そんなもののためにここまでしたのか。俺の友を拷問し、友の家族を捕らえたのか!」

「儂が王であり続けるための、瑣末な犠牲だ。むしろ誇りに思うがいい。永久に続く儂の治世の礎となれたのだから」

「俺たちは、お前の道具ではない!」

「道具だとも。その証拠に、お前は儂の言うことを必ず聞く」

 王が指を鳴らすと、残っていた兵が、生き返ってから気を失ったままのバルバに槍を突きつけた。

「卑怯なっ」

「卑怯? 違うな。相手を服従させるための効果的な方法だ。さて、どうする? もう一度蘇らせるか? 今度は矢で貫くだけでは済まさぬ。四肢をバラバラにして、臓物を腹から掻き出させるぞ」

 ルゴスはしばらく逡巡した後、「わかった」と体をゆすった。王がルゴスを捕らえていた兵に目をやり、開放させる。

「欲しければ、くれてやる」

 手を伸ばし、王の頭に向けて掲げる。ルゴスの手が輝くと、王に変化が現れた。枯れ枝のようだった手足が、見る見るうちに太く、生命力溢れる張りのある肌へと変化する。白髪だらけの髪は根元から黒い色が伸び始め、荒れた海の白波のように幾重にも刻まれた顔の皺は凪ぎ、ターンオーバーして生まれ変わっていく。

「おお」

 王が感嘆の声を漏らした。

「体に命が満ちていく。失われていたはずの力が漲る。素晴らしい」

 今や王は、二十代ほどの若者の姿に変貌していた。回りで見ていた兵も驚きのあまり動けずにいる。

「よくやったぞルゴス。褒めてつかわす」

「まだだ」

 ルゴスの言葉に、王は怪訝な顔を向けた。

「欲しかったんだろう。遠慮せず、全部持っていけ」

 手の輝きが増した。王の怪訝な顔が、驚愕に変わる。

「貴様、何をする! 止めろ!」

 王の腕がルゴスを押さえる。だがルゴスは応えない。焦った王は、何が起こっているのか理解できず、呆然としている兵の腰に佩いた剣を引き抜き、ルゴスの胸に突き刺した。鮮血が飛び散る。

「もう、遅い」

 口から血を吹き出しながら、ルゴスは凄惨な笑みを浮かべた。その言葉の意味はすぐに理解できた。王の体がしぼんでいくのだ。若返りすぎている。ルゴスを見下ろすほどの巨漢が、次第にルゴスの体を見上げるようになっていく。手足は再び細くなって行くが、枯れ枝とはまた違う。風に吹かれれば簡単にたなびく、新芽の弱々しさのようだ。顔は険が取れ、幼いものに変わる。

 子どもにまで退化し、まだ退化している王は、遂にルゴスの体を支えきれなくなった。ルゴスの体からは既に力は抜けている。重力に引かれるまま、倒れ込んだ。王はルゴスの体に覆い隠され、見えなくなった。

 その頃には、僕に襲いかかっていた群衆の動きは止まっていた。意思決定権を持つ王の存在が失われたためだろうか。その意思を奪われた民衆は、焦点の合わない目で虚空を眺めていた。地面に着地し、処刑台へと駆け上がる。背中から剣先が突き出たルゴスは、もう息をしていなかった。彼の体をずらす。王の姿はない。服だけが取り残されている。退化しすぎて、生命になる前まで戻ったってことか。

「タケル!」

 上空から声がした。見上げれば、クシナダがこっちに向かって来ていた。僕の隣に着陸し、慌てた様子で早口に、自分の身に起きた事を誰に急かされている訳でもないのにまくし立てる。

「どうなってんのかサッパリわからないんだけど、人質を助けに行ったはずなのにその人質連中が私の顔を見るなり襲いかかってきたの。話は全然聞いてくれないし、かといって放っておいて逃げるわけにも行かないし、倒すわけにも行かないし途方に暮れてたんだけど、さっきいきなり全員の動きが止まったの。呼びかけても反応ないし、何なの? どうなってんの?」

 なるほど、向こうでも僕の状況と似たようなものが遭ったって事か。

「こっちはどう・・・」

 クシナダの言葉が途切れた。僕の足元に転がるルゴスの遺体を見て悟ったのだろう。

「間に合わなかった、ってこと?」

「いいや、そうではない」

 唐突に、僕らの会話に割り込んできた。僕たち以外の全員が呆けているものだと思っていた。視線を向ける。人垣の中から、一人の男が姿を表した。

「あなた、確か」

 クシナダに見覚えがあるように、僕も彼に見覚えが会った。ヨハンの部下で、最も若い衛兵。僕たちにルゴスの情報を提供してくれた最初の人間。

 どうしておかしいと思わなかったのか。こめかみに指を当て歯を食いしばった。彼の話を聞いた時点では、ルゴスの教えはそこまで広がっていなかった。なのに彼は、既に大勢に教えが広がっているかのような話し方をした。だから僕たちはルゴスを探した。誘導されていたのだ。

「君たちは実に良い働きをした。私の想像以上に、ルゴスの教えを浸透させてくれた。間に合わなかった? いいや、これから始まるのだ」

「何者だ、お前は」

 答えなんて大体推測できるけど、あえて聞く。同時、剣を構える。隣ではクシナダが弓を構えた。

「おっと、自己紹介がまだだったか。私の名前はイスカリオテ。バシリアの衛兵で、ヨハン部隊長の部下で、そして」

 イスカリオテの目が、赤く輝く。

「君たちがお探しの、ティアマットの一部だ」

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