第231話 悪魔の証明の答え

「どうして、こんな無駄な時間を使っている」

 しゃがれた声が、静まり返った広場の中にぽたりと落ちた。僕を含めて、民衆は倒れ臥したバルバから上へと視線を移す。城門の上、おそらく見張り用の通路となっているそこに、弓を構えた兵を伴う一人の男がいた。白髪の下にある顔には、時間と共に刻まれた年輪のようなシワが刻まれ、肌触りの良さそうな服の隙間からは、朽ちた細木のような腕が伸びている。宝石と金銀で細工された指輪は指と輪の間に隙間が出来ていてスカスカだ。加齢と共に肉が削げ落ちたようだ。棺桶に片足を突っ込んでいるような老人の、唯一ぎらぎらと生気を漲らせているのはその目だ。

 執着心だ。なんとなく、わかる。似たような目を何度も見てきた。死ぬ間際の、生に執着する人間の目にそっくりだ。

 男が現れた瞬間、悪代官を始めとした王城勤めの連中は一斉に平伏した。彼らの態度を見るに、考えるまでもなく、あの老人こそがバシリア王シャルキン三世か。

「ジューソー。一体何をしておるのだ。儂が貴様に下した命は、速やかにルゴスなる、わが国を混乱させた重罪人を処刑することだったはず」

「は、ははっ! 申し訳ございません我が王! 処刑しようとしたら、なぜか小うるさい者どもが現れまして・・・」

「言い訳はいらぬ。下がれ」

「ははっ!」

 悪代官ジューソーは、それ以上王の機嫌を損ねるのを畏れるように、速やかに退散した。刑は執行されたその場に、しかし王はまだ残っている。用が済んだらさっさと帰るものだとばかり思っていた。

 いや、どうも違うらしい。まだ用があるようだ。王の目は、倒れたバルバにすがりつく、ルゴスに注がれていた。

「なぜ」

 ルゴスは胸につっかえたものを吐き出すようにして、たった二文字を呟いた。

「なぜ? お前はなぜと言ったのか」

 一民の戯言を王は聞き咎めた。

「なぜこんな仕打ちをなさるのか。彼に一体どんな罪があると仰るのか」

 王を見上げるルゴスの目には、とめどなく涙が溢れていた。

「今言ったぞ。そ奴はわが国を混乱させた。ゆえに、その罪を贖わなければならない」

「混乱など、させておりません。彼に贖うべき罪はありません。彼だけではない。王よ。あなたが命を言い渡した兵たちは、何の罪もない民にあらぬ嫌疑をかけ、脅迫や暴力を振るいました。我らに、彼らに、あなたに刃向かう気も、国を混乱させるつもりも、毛頭無かったのです。ただ、我らは日々の暮らしを少しでも豊かに出来ればと、それだけを願い、それだけを考えていただけなのです。余裕がある時は、隣人に手を差し伸べていただけなのです。我らの行為に、一体どんな罪があると仰るのか!」

「貴様、王に向かって不敬であるぞ!」

 呆然と、槍を落としたまま突っ立っているヨハン以外の、屈強な兵たちがルゴスを取り押さえた。首根っこを押さえつけられても、ルゴスは首を上に向け、王から目を逸らさない。

「教えてください、王よ。我らは協力することも許されないのか。小さな幸福を求めることも許されないのか」

「貴様!」

 さらに強く押さえつけようとした兵に向かって、王は「よい」と制止した。

「愚かな民よ。教えてやろう。お前たちの、その男の罪は、王たる儂以外に敬われたからだ。王たる儂の存在を、人々からひとときでも薄れさせ、自らが王の代わりとなる存在となったからだ。この国で、敬われるべきは儂一人でいい。敬われると、人は増長する。勘違いをする。自らは貴き者であるかのように」

 そんなはずなかろう。王は冷酷に嘲る。

「勘違いは正してやらねばならぬ。いずれその勘違いは、愚かな考えを生み出しかねない。自らが王になる、というような。これまでバシリアが滅ぼしてきた数多の蛮族の王共と同じように。火種は、燃え上がる前に消さねばならぬ。儂は、王の役目を全うしたまで。混乱を起こさせない為に、その者を殺した」

「彼はルゴスではない。あなたが今殺したのは、バルバ。多くの弟子を抱え、多くの人に頼られる、腕利きだが、ただの大工です。あなたに忠誠を誓う、あなたの民です」

「では、一体誰がルゴスだと言うのか、答えてみせよ。誰が民を扇動し、王となろうとしたのは誰か」

「そんな人間は、どこにも存在しません。我らの王はただ一人、シャルキン三世、あなた以外におりません」

「それを証明できるか」

 ルゴスは一瞬言葉につまった。王は、意地の悪いニヤニヤ笑いをしながらその様を見ている。

 証明など、出来るわけがない。その問いには二つの不可能が宿っている。一つは、無いものを証明するのは、有る物を証明する以上に困難だということ。俗に言う悪魔の証明というやつだ。もう一つは、人の中身を証明しなければならないということ。自分の頭の中や心の中に何一つ恥じることのない、清廉潔白な身の上であると、他人に証明しなければならない。見せる事の出来ない物を見せろと言うのは、悪魔の証明より困難だ。しかも、人の中には自分が認識している意識部分と認識していない無意識部分があり、特に無意識は意識よりも膨大と言われる。自分が認識できない無意識の部分まで無実であると証明するのは不可能だ。

「どうした。証明出来るか? ・・・出来るはずがない。一体どこの誰が、儂に一欠片の敵意もないと証明できると言うのか」

 王だからこそ、なのだろうか。そういう悩みは。ずっと周囲は敵だらけ、人は隙あらば寝首を掻く生き物ばかりなのだという理解の仕方、認識を持っている。そういや、映画でも織田信長や秦の始皇帝は最後には誰も信じられなくなってたっけ。暗殺や謀反を起こされ過ぎたせい、ってのもあるかもしれないけど。

「王の仰る通り、私に、王に敵対する者はいない、という証明は出来ません。ですが、別のことであれば証明出来ます」

「ほう、面白い。一体貴様が、何を証明できると言うのか」

「この処刑が、誤りであるという証明です」

 この言葉にハッとしたのは、今まですすり泣いていた僕を取り囲んでいたグレゴの連中だ。ルゴスが何を言おうとしているのか察知した。

「儂の命令が誤りであったと?」

「その通りです。あなたは、違う人間をルゴスとし、殺した。それを証明します」

 ああ、とグレゴは顔を覆った。それ以上は辞めてくれと天に祈っていた。僕の経験上、祈るだけで願いが叶うことはない。神様も暇ではないと聞いた事がある。

「では、再び、重ねて問おう。そ奴がルゴスでないなら、一体ルゴスとは誰だ」

「それは」

「いけません!」

 ルゴスの次の語句をヨハンの怒声がかき消した。ヨハンがルゴスに懇願するように視線を向け、小さく首を横に振っている。それを見たルゴスは、硬く目と口を閉じ、再び王を見上げた。

「私です。私がルゴスです。これこそが、あなたの命令は誤りであったという何よりの証拠」

 決定的証拠を叩き付けた。裁判なら勝訴の紙がマスコミの前に張り出されるところだ。しかし王は「まだ弱い」とルゴスの訴えを棄却した。

「誰でも名乗ることは可能だ。お前がルゴスであるという証明をせよ」

 何だ、その命令は。

 王の言葉に、さっきから変な感じを受ける。違和感だ。まるで、始めから処刑を下したバルバが扮するルゴスが偽者だったと知っていたかのように振舞っている気がする。僕の想定している、王が持っているはずの前提条件が異なっている可能性がある。処刑が終わってすぐに引っ込まなかったのもそう、ルゴスを挑発して言葉を引き出し、話を促したのもそう。更には正体を明かすように誘導したようにも見える。

 王はルゴスを取り押さえていた兵たちに指示を出し、開放させた。ルゴスは立ち上がり、バルバの死体に近づいた。そして、傷跡の辺りに手をかざす。

「おいおい、まさか、嘘だろ」

 僕は目を疑った。怪我を治したところは何度も見た。けれど死人に使うところを見た事がない。そもそも前に話を聞いたとき、死人には効果がない、ということを説明してくれたんじゃなかったか。だがルゴスは躊躇う事無く力を使った。淡い光が灯り、誰もが驚愕の面持ちで見守る中、バルバの命を奪った矢が、ビデオの逆再生のように突き刺さった経路の逆を辿り、やがて異物として体から押し出されカランと落ちた。矢が抜けた後の傷は、自然治癒力の何倍もの速さで治癒され閉じていく。他の傷も同様だ。剥がされた爪、殴られた内出血、裂かれた傷跡、そのどれもが同じように消える。誰かが奇跡だ、と呟いた。

 本当の奇跡はここからだった。ここまでは、僕も見た事がある。

「・・・ガフッ」

 死んだ筈の男が、咳き込んだのだ。誰もが驚いた。僕も例外ではない。死人を蘇らせるなど、ありえない。

 ただ一人、驚く以外の表情を見せた。証明せよとルゴスに迫った男。シャルキン三世だ。まるで、こうなる事が分かっていたかのように、望んでいたかのように、王は一人、ほくそ笑んでいた。

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