第230話 希望の火

 おかしな話になっている。

 ルゴスの名が呼ばれ、誰が出てくるのかと思えば、バルバが処刑台に昇らされた。これはまだわかる。僕の推測を裏付ける要因となった。しかし次に現れたのが衛兵隊長のヨハンで、奴が処刑すると言う。彼は僕らの仲間に引き込んだと思っていたんだが。

 もしや、あの鞭打ちの刑はパフォーマンスで、僕らの中に入り込むための作戦だったか。王の方が一枚上手だったかと一瞬考えたが、違うとその考えを捨てた。それなら、バルバとルゴスを間違うはずがない。本人を知っているのだからそのまま本人を連行すればいい。

「助けないと」

 言いながら、クシナダは飛び出す準備をしていた。止めるつもりはないし、止めたって止まらないだろう。彼女は義を見たら実行する勇持つ者だ。知り合った相手を助けられるだけの力があるなら助ける、そう普通に考えられる人間。いや、そうなったのか。出会った最初が懐かしい。自分たちが生き残る為に他人の命を犠牲にしてきた彼女は、旅を通じて変化した。もしかしたら、無意識下に罪悪感があるのかも知れない。自分たちが犠牲にしてきた人身御供の連中に対する罪悪感、それが、彼女の誰かを助けるという思いに繋がっている気がする。その思いを否定はしない。大変だなとは思うが。誰が言ったか、人に迷惑をかけたことを悔やんでいるなら、迷惑をかけた人数の倍、これから出会う人に優しくなれ、だったか。

 ただ、これによって予定を変更しなくてはならなくなると思うと少々憂鬱だ。最初はルゴスを死んだことにして、後はゆっくりと、形成した協力者たちのネットワークを頼りながらバシリア中を調べるつもりだった。その案を見直すことになる。

 助けるという事は、ここにいる全員に助ける僕たちの顔が割れるということだ。となると、もう表立ってバシリアは歩けなくなる。指名手配されるだろう。そこはいい。別に見つかっても逃げ切る自信はある。問題は、この一部始終も、おそらくティアマットに見られているということだ。招待に応じて人が足を運んだってのに未だに姿を見せず、高みの見物を決め込んでいる。ホスト側にも関わらず、もてなしも歓迎の宴もなく放置で、何一つサービスしようとしない酷い対応をしているティアマットを引っ張り出すことから遠ざかるのではないか、そんな危惧が頭をよぎった。

 反対に、この処刑の影響がティアマットに力を与えるのではないか、ということも推測できた。ルゴスの影響力は大きい。おそらく、低所得層の七割から八割は味方に引き込めるだろうし、中流も五割前後ほどは信者がいる。それら全員を率いてルゴスが反乱を起こしたらどうなるか。これまでで最大規模の人間がいるところでの反乱は、過去最大数の人間が動員され、過去最大レベルでおびただしい血が流れるだろう。格好の餌場と化すに違いない。確かに僕は戦いたがりの死にたがりを自称する身ではあるが、戦うからには勝ちも狙いに行く。わざわざ相手の策が上手く行くのを黙って眺めるのもつまらない。見て見ぬふりは見て見ぬ不利だ。それに、今現在行っている調査も手詰まり感があり、効果が見込めなさそうだ。ならここらで手を変えて、大騒ぎを一つ起こしてみるのも一興。

 つまり、僕も助けるのに異議はない。アイコンタクトを交わし、頭の中で救助のシミュレーションをする。

「待ってください」

 飛び出そうとした僕たちの腕や服を、後ろから数人が掴んだ。服の首が絞まり、意図せず変な声が出た。

「ルゴス様のお仲間の、タケル様とクシナダ様ですね」

 いつの間にか囲まれ、ルゴスのいる空間と切り離されていた。いや、違う。彼らは初めからここで待ち構えていたんだ。僕らが通るのを読んでいた。ルゴスの家からこの広場までの道のりなら、最短距離で来たらこのルートを選ぶと。

「お二人の事はバルバ様、ヨハン隊長より伺っております。あなた方の力であれば、バルバ様の窮地を救えるということも。しかし、それは止めて頂きたい」

「どうして? バルバを見捨てろっていうの?」

 怒鳴り声ではないが、クシナダの声には切迫さと邪魔された苛立ちが含まれている。どういう理由で人の命が奪われようとしているのを止めるのか、納得させてみろと凄む。しかし、問われた側も引き下がらない。

「それが、バルバ様の指示だからです」

「バルバが?」

 ちらと処刑台をみやり、再び代表で話す一人の男に視線を向けた。こいつ、ヨハンの部下の一人だ。確かグレゴ、だったっけ。

「昨日、王はルゴス様が見つからないことに業を煮やし、ルゴス様を捜索していた兵たちの家族を捕らえさせました。そこにはヨハン隊長の家族も含まれます。そして、王は命令を下しました。夜明けまでにルゴス様が見つからなければ、捕らえた家族の半分を処刑する、と」

「な、それって」

 人質だ。僕たちがのんきにしている間に、事態は急展開を向かえていた。しかし、そんな大騒ぎがあったのに、どうして僕たちは気づかなかった? 調査のために動き回っていたから? それにしたって、何か問題が発生した場合、誰かがルゴスなり僕らなりに相談に来ると踏んでいたのに。

「バルバ様が止めたのです。あなた方にこのことを伝えるなと」

「何で、どうして?!」

「バルバ様は仰っていました。ここでルゴスが殺されなければ、ヨハンたちの家族は殺される。そしてルゴスにこのことを話したら、あいつは喜んで捕まるだろう、それだけは避けなければならない、と」

「それで、自分を身代わりにした、ってこと?」

 クシナダが確認すると、グレゴは頷いた。

「バルバ様を責めないでください。時間が、本当に無かったんです。この時期の夜明けは早い。時間を稼ぐにはこれしかなかった。それに、誰かがルゴスとして死ねば、本物のルゴスは、人々の希望は守られる。そう言って、バルバ様はあなた方にこのことを伝えないよう、かん口令を敷きました」

「情報が伝わってこなかったのはそのせいか」

 ここに来て、築き上げたネットワークが裏目に出た。僕たちが知る前に、バルバの情報封鎖は行き届いていた。もしかしたら、今日僕らがそれぞれ遠くのジッグラトを紹介されたのも、少しでもここから離しておきたかったからかもしれない。

 何だろう、嫌な感じだ。何もかもが後手後手に回り、いつの間にか行く手を阻まれ、追い込まれているように感じる。

 まさか。

 一瞬頭をよぎったそれを振り払うように、僕は考え続けなければならない。

「人質を取られているから、バルバを救う事は出来ない、そういうことか?」

 グレゴに尋ねる。

「はい。家族は処刑が終わってから開放される予定です」

 なら話は早い。さっさと人質を解放すればいい。

「クシナダ」

「ええ。助けたら合図を出すわ。それを見て、バルバを助け出して」

 彼女の返答に頷きで返す。話が早い。彼女もまた、自分がやるべきことを考え続けている。

「人質はどこにいる?」

「え、まさか、王城に乗り込む気ですか?!」

「良いから、早く。時間がないといったのはそっちだぞ」

「え、ええと、地下牢です。北の監視塔に地下へと通じる階段があります。ですが本当に」

 グレゴが全てを言い終える前に、クシナダはトップスピードで空へと舞い上がった。彼女が飛んだのに気づいたのは、僕を含めた周りを囲んでいた連中だけだ。他は処刑台に意識が向いていたことと、彼女が飛び立つ前に翼から出た突風がいい目くらましになったおかげで気づいていない。

「く、クシナダ様は、空を?」

「今は細かい事は気にするな。人質を助けた後のことを考えよう」

 一つの問題に答えが出せたら、次に行く。人質を助けたら、おそらく彼らはこの国にはいられないだろう。早急に脱出する必要がある。着の身着のままで出て行く事になるのは仕方ないが、一体何人いるんだ。一ケタではきかない。数十人、下手すりゃ数百人数千人規模になる。民族大移動だ。イスラエルから脱出したモーセも大勢の奴隷を連れていったとあるが、あれは事前に神様からの脅しや援護、布石があった。こっちにそんなもんない。彼らを追っ手から守りながら脱出することになる。

 しかも、これは全員が脱出を快く承諾したという前提の上に成り立つ。住む所を追われるのは誰だって嫌だ。素直について来てくれるかどうかすら怪しい。また、誰もが王に対して罪悪感を抱いている可能性が高い。リンカーンやら福沢諭吉やらガンジーやら、昔の偉い人が頑張ったおかげで僕がいた世界の人間は皆平等という認識を持つ、まあそれでも平等ではないってことも理解しているが、そんな僕には到底理解出来ないのは、王制が敷かれている国では、王に逆らうことが罪であり、罪を犯したと理解しているから罪悪感が生まれる。どれほど理不尽な事を王がしても、なぜかされた方の民の多くは王に対する憎しみではなく、自分を責める。自分たちが従っていた王は正しいと盲目的に信じているからだ。正しい王は間違った事はしない、王のやる事は正しい。だから、自分たちが間違っているから罰を受けているのだと思い込んでしまう。この国の王は三代目、代替わりが五十代とかだと考えると、五十年近く国を支配している。ほとんどの人間が生まれた時から王制の常識圏内に住んでいるわけで、王は絶対であると植え付けられている。この植えつけられた固定観念を排除するのは難しい。逆らうという考えを持つことすら許されないし、思いつかない。支配者側もそうなるように民をコントロールして来たのだろう。ルゴスのカリスマが即通用することを祈るだけだ。さっきルゴスが反乱を起こせば低所得者や中流階級を味方に引き込めると考えはしたが、説得にかける時間を加味している。

 民族大移動はもう出たとこ勝負だ。こればっかりは蓋を開けなきゃわからない。次の問題は、クシナダが人質を解放するまでにバルバを殺させないことだ。結局の所、それが一番の難題だ。既に準備が整っている処刑を引き伸ばすにはどうしたらいい。洒落たトークで場をもたせられればいいのか?

 考えていても仕方ない。フリートークなんてやった事はないが、なるようになるだろう。人混みをかき分け、僕はルゴスの後ろまで近づいた。ルゴスの方を見ていたヨハンが僕に気づく。はっとした顔をしたのも一瞬、すぐに顔を険しいものに変え、槍の穂先を僕に向けた。ルゴスもこちらに視線を向けていた。何とかしてくれ、と今にも泣きだしそうな顔をしている。過度の期待はご遠慮願いたいところではある。

「下がれ。これ以上近づくな」

「安心しろ、近づかないよ。あんたの仕事の邪魔はしない」

 ネゴシエーターの気分だ。話を引き伸ばして突入の合図を待つ、やってることも同じだしね。

「刑を執行する前に、幾つかその罪人と話したいんだが、別に良いかな?」

「何? 何用だ」

 余計な事をする気ではないのか、とヨハンは猜疑心に満ちた目でこちらを見てくる。

「僕は、異国の神官のような立場だ。僕の国では、罪人が死ぬ前、最後の言葉を聞く風習がある。死の直前はどんな悪人であれ、懺悔するもの。悔い改めるものだ。この世に未練を残さず、死の国に行く前に罪穢れを懺悔によって払い落とすのだ。その男もまた罪人だが、死ねば仏様だ。きちんと弔うためにも、最後の言葉、懺悔を聞いておきたい。それくらいは許されるはずだ。もっとも大切な命を支払うのだから」

 色んな宗教がごっちゃになったが、別にいい。ここの連中がそれに気づく事はない。あくまでそっちの邪魔はしませんよ、というスタンスを持っている、と相手に認識させることが大事。

 ヨハンが悪代官に視線を向けた。悪代官は面倒くさそうに舌打ちしたが「良いだろう」と折れた。

「罪人であれ、お前の言うとおり心残りはあるだろう。聞いてやれ。ただし、早くしろ」

「そいつはどうも、ありがとう」

 僕は視線をバルバに移す。

「ええと、ルゴスとやら。これから死の国に赴くわけだが、何か言い残す事はないか?」

「では神官様。私の最後の言葉をお聞き届けください」

「もちろん。心残りの無いよう、全て、己の内にある一切合財を話しきるといい」

 伝われ、こちらのニュアンス。そう心の中で念じながら、バルバの言葉を待つ。

「まず、家族に。妻には、ずっと迷惑をかけた。良い暮らしを約束したのに、そのために頑張っていたのに、こんなことになってしまった。幸せに出来なくてすまない。俺は先に行くが、いつまでもお前の幸せを願っている」

 嗚咽がどこかから漏れ聞こえている。

「子どもたち。母の言うことを良く聞いて、大きく育て。これからはお前たちが家を、そして母を守るのだ。良く働き、良く食べ、幸せな家庭を築いてくれ。良い父親でなくて、本当にすまなかった」

 最後に、とバルバは言った。いや、そこはもう少し粘れと目で訴える。

「我が友よ。今まで本当にありがとう。お前のおかげで、俺は生まれ変わることが出来た。真の使命を理解した。覚悟も出来た。お前は俺の希望だ。俺だけではない。これからもっと多くの人の希望となるだろう。その火は絶やしてはならない。どんなことがあろうと絶対に、だ」

 話の内容が色んな意味でまずい。その話し方は他に首魁がいるのではと悪代官たちに思わせてしまうから処刑される意味が無くなるんではないか、とヨハンが危惧しているし、ルゴスも自分のことを言っているのだと理解して、そこから話を展開してややこしくしようとしているし、僕にとっては話が終わってしまいそうでまずい。まだか、まだかクシナダ。そろそろ限界が。

「ここに集う者たちよ!」

 バルバが声を張り上げた。あ、よかった。まだ話が続きそうだ。

「ここで俺は、ルゴスは死ぬ! だが、希望の火は死なぬ。お前たち全員の胸の中でと」

 言葉は唐突に途切れた。バルバの胸の真ん中から、鈍色の鏃が飛び出して、口から出るはずだった肺の空気を漏らしているからだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る