第229話 日没

 日が沈もうとしていた。

 茜色の空の下、ルゴスを先頭に、僕たちは噂の出所を探して走る。長く伸びる建物の影と影の間を飛び回る大きな歩幅で街中を駆けた。噂は、聞き込みをする必要もないほど街中に溢れていた。井戸端会議中のご婦人方から、警邏中の兵たちから、行き交う商人たちから。彼らの口から出るのは『救世主が王に捕らわれた』というものばかりだ。多くの言葉が飛び交っているはずなのに、喧騒はなく、通夜のようにひっそりとして、誰も彼もが息を潜めて影の中にいた。希望が失われようとしている。そんな彼らの不安は形を変えて、彼ら自身にのしかかり、背筋を丸くさせていた。辛気臭くて、カビが生えそうな空気が充満している。

「どうして、どうしてだ」

 さきほどから、ルゴスはそればかりを繰り返していた。

「俺は、ただ人は助け合えば今より生活が少し楽になると、ただそれだけを伝えたかっただけなのに」

 後悔がルゴスを責め立てていた。過去に存在する幾つものターニングポイントを、彼は脳内で何度も何度も繰り返し『もしも』を検証していた。答えなど出ない。もしもの果てにあるのは、徒労感だけだ。時間という不可逆な、強大な支配者がいる限り、もしもについてあれこれ悩むのは生産性のまったくない、無駄な行為だ。そして、人間は誰もがそのことを理解している。理解していて、それでもなお、もしもを考えずにはいられない。

 街で流れる話の内容が、少しずつ変化していた。今までは捕らわれた話だけだったが、今度は捕らわれた救世主が処刑されるという内容に。更に時間が経過すると、処刑の日時は今日の日が沈むと同時に、に変わった。元凶の排除を王が急いたためだ。国中を騒がせた大罪人を処刑し、自らの治世を磐石な物であると知らしめる為に。たったそれだけのために、誰かは殺される。

「させない。絶対に阻止する」

 ルゴスは足を速めた。処刑の話で、僕たちも話の出所、騒ぎの中心を特定できた。いつか、鞭打ちの刑を行った王城前のあの広場だ。



 王城前広場は、以前の倍、いや、三倍の人間が集まっていた。数万人規模の人間が暮らしていると以前推測したが、その大半の人間が集まっているのではないか、と思わせた。

 バームクーヘンのように人が層になって重なっている。その中心点は反対にぽっかりと空間が生まれ、人の代わりに木で台座が組まれていた。丁度人の目線が台座の床と同じ高さになっていて、人はこれから出てくる誰かを見上げる形になる。遠くからでもきっと見えるだろう。そのための台だからだ。

 突如、太鼓の音が鳴り響いた。マーチングバンドのような軽快なリズムが、黄昏時、逢魔ヶ時の心細さや不気味さとミスマッチで、余計に不安を煽る。

 太鼓の音が止んだ。同時に、あの時と同じように、重々しく城門が開いた。ぞろぞろと人の出入りする気配がするが、遠くからでは誰かまでは判別出来ない。やがて、台の上に人が上がった。いつかの偉そうな悪代官だ。

「これより、大罪人の処刑を行う」

 罪人、前へ。悪代官が指示すると、屈強な兵たちに引っ立てられて、一人の男が群がる民衆の前に現れた。

「そんな、馬鹿な」

 人をかき分けながら前に進んでいたルゴスが声を上げる。

 バルバだった。毎日の力仕事で鍛えられた体には、幾つもの傷があった。爪は剥がれ、皮膚は裂かれ、殴られ蹴られ青黒くなっていない箇所が見当たらない。傷も放置されたままで、台の上にはポタポタと鮮血が滴っている。今の今まで責め苦を味わわされていたに違いなかった。

 どいてくれ、どいてくれとルゴスは人をかき分ける。かき分けてかき分けて、群集の最前列に出た。両膝に手を置いて肩を上下させながら見上げるルゴスと、台の上で腫れた瞼を開いたバルバの目が合った。今にも崩れそうな天気のような目が映したのは、一点の曇りもない笑みだった。

「バルバッ!」

 呼びかけに、本人はワザとらしいほど大げさに首を傾け「誰だそれは」と嘯いた。

「俺の名はルゴス。ちんけな詐欺師さ」

「左様」

 悪代官は髭を弄りながら、本物のルゴスを見下した。

「この者の名はルゴス。偉大なる我らが王、シャルキン三世が収めるバシリアに混乱をもたらせた。神のみが揮える奇跡を起こせると吹聴し人を騙し金品を奪い取り、あまつさえ王に刃向かおうとした。その罪、万死に値する。よってここに、罪人ルゴスを串刺しの刑に処する」

 吊るし上げろ、悪代官が手で合図を送ると、マジックのように兵たちの体でバルバの姿が見えなくなった。さっと兵がはけた後、代わりにぐいと看板が持ち上がる。看板じゃなかった。貼り付けにされたバルバだ。十字に組まれた木板に両手と両足をそれぞれ括り付けられて拘束されている。

「槍兵、構え!」

 悪代官の掛け声に、槍を抱えた兵がバルバの面前に控える。彼の姿を見て、ルゴスは信じられないと目を見張った。いつか、ルゴスが傷を癒した衛兵隊長、ヨハンだった。

「何故、何故だ・・・」

 わなわなと震えながら、ルゴスはヨハンを指差した。気づいているはずなのに、ヨハンはそれを積極的に無視していた。硬く口を結び、視線はただバルバのみに注いでいる。

「何故だヨハン!」

 たまらなくなったルゴスが、叫んだ。

「あなたは知っているはずだ。その男が、ルゴスではない事を。バルバと言う、部下から慕われる大工の棟梁だということを!」

「いいえ、彼がルゴスなのです。自分は、そう聞いております」

 表情と同じ硬い声でヨハンは答えた。

「聞いているって・・・。何を言っているんだ。あなたは法を遵守する衛兵だろう。鞭打たれても、正しいと思ったことをしてきた、誇り高き男だろう! 明らかに間違っていることを、間違っていると知りながら、それでもやるというのか!」

「邪魔をするな!」

 一喝し、ヨハンは槍をぶうんと大きく振った。切られた風がルゴスの髪を揺らした。

「今、偉大なる王と王が統治する国を混乱させた大罪人の罪を、命を持って贖わせる、神聖なる裁判の途中である! 何人たりと、邪魔立てする事は許されない!」

 唾を飛ばしながらヨハンは怒鳴った。唾には少し赤色が混ざっていた。口を切っているようだ。食いしばっていたときに、口を切ったのだ。涙の代わりに、彼は血を流していた。

「よくぞ言った。ヨハン。それでこそバシリア兵だ」

 知ったように悪代官は言う。

「王も仰られていた。此度の功績により、貴様には格別の褒章を渡すと。以前の罪は当然の如く消え、ばかりか、城門警備の責任者として取り上げるとのことだ。破格の出世だ。一等地に屋敷まで与えると仰せなのだぞ?」

「はは! ありがたき幸せにございます! 私ヨハンは、王のご期待に応えるため、これからも忠誠を尽くす所存です!」

 頭頂部が見えるほど体を折り曲げ、悪代官に頭を垂れる。

「こう、せき?」

 唖然とした表情で成り行きを見守っていたルゴスが、もっとも気になるワードを呟いた。

「ああ。そうだ。皆の者。聞くが良い。そして讃えるがよい。ここにいるヨハンこそが、此度の件でここにいる大罪人ルゴスを捕らえし英雄なり!」



 ―昨夜―

「もう、どうしたらいいのかわからない」

 ヨハンはバルバに相談を持ちかけていた。相談内容はもちろんルゴス捕縛のための捜索状況だ。

 ルゴスに救われてからというもの、彼は恩を返す為に王城内の情報を集めていた。それを直接ルゴスたちに届けるのは無用心なので、バルバという窓口を立て、慎重に情報を流し、また反対にそこで得た偽情報を意図的に持ち帰って報告していた。兵たちの捜索範囲、王城に集まっている情報を持ち帰り、彼らをミスリードするための情報を共有する。また、完全な偽情報と悟らせない為に、尻尾を掴ませない程度の痕跡をあらかじめ仕込む等と手の込んだことをしていた。

 ここ数週間は上手くいっていた。しかしそれは捜索状況だけの話で、彼らの手の届かない場所には当てはまらない。届かない場所の事態はルゴスの参謀、タケルが想像しているよりも遥かに悪化していた。

「王の堪忍袋の緒は切れる寸前だ。タケル殿の知恵のおかげで、これまでは情報の小出しで順調に進んでいるように見せかけ、何とかのらりくらりと躱せていた。しかし」

「それも限界が近い、か」

 ううん、と腕組みをしてバルバは唸った。もともと自分は頭を使うタイプではない。今は大工の棟梁として部下を率いる立場だから、指示や建設計画などの頭を使うこともそこそこしてきた。しかし、今回のは自分がどれだけ頭を悩ませても正解が出せる気がしない。

「やはり、タケル殿の知恵を拝借した方がよさそう、ですな」

 煙が出るほど頭を悩ませているバルバにヨハンは苦笑を禁じえない。真剣に悩んでいる相手に対して失礼だと自分でも理解しているが、バルバの悩んでいる顔は、どこか愛嬌がある。厳つい、子どもが見たら泣き出しそうな強面が、毛むくじゃらの眉毛をへの字にひん曲げて唸る姿は、腹を下した犬のようだ。唸り声も苦しそうなのだから笑うしかない。

「だな。小難しいことは奴に任せよう。ルゴスのぷろでゅーさー? だそうだからな」

「ぷろ、でゅーさー?」

「ああ。何でも、奴の国の言葉で軍師だそうだ」

「なるほど、納得だ」

 二人して笑う。悩みは尽きない。けれど、笑える余裕がある。彼らには希望がある。ルゴスがいる。彼こそが世に真の平和をもたらすと信じている。だから、彼のための、彼が目指す理想のための苦労など笑い話でしかない。

 この瞬間までは。

 バルバの家の戸が激しく叩かれた。一瞬憲兵かと身構えた彼らだったが、外から聞こえるのがヨハンの部下の声である事がわかった。戸を開き、部下を招き入れる。

「隊長! 大変、大変なんです!」

「落ち着け、何があった」

 酷い慌てぶりに、ただ事ではない空気を読みとる。ヨハンは激しくせき込む部下の背中をさすり、彼の頭と息が整うのを待った。

「奥様が」

「アンが、どうかしたか?」

「奥様が、捕まりました!」

 ヨハンの脳と心が言葉の衝撃で揺さぶられる。

「何故アンが捕らえられなければならない!」

「隊長の奥様だけではありません。各部隊の隊長の家族が、軒並み捕まりました」

「だから、何故!」

「王命、だそうです」

 それが全て、と言わんばかりに、部下は吐き捨てるように言った。

「遅々として進まないルゴス様捜索は、誰かが裏切っているからではないか、そう王に進言した者がいるようです。そこで王は、隊長たちの家族を人質として捕らえました。間もなく、全体に下知が下されます。内容は、日が再び昇るその時までにルゴス様を見つけられなければ、半分を処刑する。日が沈めばもう半分、また日が昇ればそのまた半分と、次々に処刑していく、とのことです」

 ヨハンは開いた口が塞がらなかった。自分たちが遣えている王とは、ここまで愚かだったのだろうか。

「くそ!」

 ヨハンの後ろでは、腹立ち紛れにバルバが椅子を蹴っ飛ばした。乾いた音を数度立てて、椅子は所在なさげに体を横倒しにしている。

「すみません。丁度俺、近くにいて、奥様が引っ立てられるのを見たんです。止めようとしたんです。けど、王命と言われて、逆らうなら反逆の意有りとして、俺と、俺の家族を代わりに捕まえるって言われて」

 すみません、すみませんと部下は涙ながらに謝った。

「お前のせいじゃ、ない。よくぞ知らせてくれた」

 搾り出すように、ようやくその言葉を口に出来た。それだけでヨハンは出来た上司だと思わせた。

「すぐさま、ルゴス様と、タケル殿に知らせよう。彼らの力を借りなければどうにもならん」

 部下に涙と鼻水を拭わせて、ヨハンは立ち上がった。もはや一刻の猶予もない。彼らに協力を仰ぎ、打開策を設けないと夜明けに間に合わない。

「待ってくれ」

 駆け出そうとしたヨハンを、バルバが呼びとめた。

「あいつらには知らせるな」

「何故止める! 彼らの力を借りねばどうにも」

「いや、出来る」

 自信たっぷりにバルバは答えた。その目には固い決意が宿っていた。

「ルゴスは希望だ。なんとしても生き延びてもらわなければならない。そのためなら安いものだ」

「バルバ、殿。あなた、一体何を考えておられる」

「あいつらの考えたルゴス死亡計画を、俺が少し早める」

 頼みがあるんだ。バルバはヨハンの肩を掴んだ。強く、軋むほどに。

「割に合わない辛い役を、やってもらえないか」

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